第三十一回 小平市 にじバスとブルーベリージャム

 初回に訪ねた西東京市のすぐ西隣りなのだが、順路の都合でなんとなく後回しになってしまった小平市を散策することにしよう。
 さて、市内には西武線の駅がいくつもあるけれど、やはりここはその名もズバリ! 小平で降りて、まずは北西部に広がる小平霊園へ。「広がる」とはいえ、敷地は東村山、東久留米、小平の3市に跨がっていて、正門や事務所のあたりは東村山の領域になる。
 この都営墓地が開園したのは戦後まもない1948年のことだが、以前訪ねた多磨霊園と同じく数々の名士の墓が置かれている。事務所のラックで入手した案内図を拠り所に、南東側の小平市内の名士の墓を探しながら歩いてみた。
 まずは、昭和前期の名優・佐分利信。僕が氏の存在を知ったのは、1950年代の小津映画や70年代の「華麗なる一族」あたりからだから、中高年以降の姿しか浮かんでこない(尤も墓標の名は本名の石崎である)。ここが2ノ17番ブロックで、次は4ノ9番あたりの伊藤整、それから8ノ1番の千葉信男......と、墓とはいえ、こういう有名人探しはクセになる。ちなみに千葉信男は僕の幼少期に活躍した、いまでいう"デブタレント"の先駈けで、家の近所(新宿区中井)に住んでいると聞いて、生前のお宅も探した記憶がある。
 墓地の先に見えるこんもりとした木立ちは"さいかち窪"と呼ばれ、クヌギが目につく雑木林の林間の窪地から湧く水が東久留米の回で訪ねた、柳窪天神の脇を流れる小川の源らしい(が、散策当日は枯れていた)。


DSCN5140.JPG 西武新宿線の小平駅から小平霊園に延びる道には、墓地の周囲らしく石材屋が軒を連ねる。
DSCN5148.JPG 「赤い靴」や「シャボン玉」などの童謡で知られる詩人の野口雨情の墓も訪れた。本名の「英吉」の名で眠る。


 野口雨情の墓を眺めて東口から霊園を出て、石屋が並ぶ門前通りを歩いて駅の南口へやってきた。ロータリーの一角から出る〈にじバス〉というコミュニティーバスに乗って、南方へ移動しよう。出発してまもなく、あかしあ通りの「ルネこだいら」前に立つ"日本一丸ポスト"というのを車窓越しに撮影。小平市は旧型の丸ポストが多い市とされるが、この"日本一"というのは高さが2.8メートルもある、ノッポ日本一なのだ。


DSCN5152.JPG 小平駅のロータリーに停まるコミュニティーバス〈にじバス〉。
DSCN5153.JPG ルネこだいらの前に立つ、日本一丸ポスト。上の投函口は大人でも手が届かないので、実際は下の投函口に。本体には水道管、頭のふたには中華なべが使われているという。


 この〈にじバス〉も他のコミュニティーバスと同じく狭隘な道を走る。とりわけ、青梅街道を越えて、小平一中の脇の路地をカクカクカクッとアミダクジ状に進んでいく区間はハイライトといえる。一橋学園駅の方を通って、多摩湖線の線路脇をまた北上してきた中央公民館の前でバスを降りた。線路づたいにちょっと行くと青梅街道に出るが、この脇の多摩湖線の駅はそのまんま「青梅街道」。青梅街道近くの駅はいくつもあるけれど、先に言ったもん勝ち、というやつだろう。


DSCN5155.JPG 西武多摩湖線の青梅街道駅。小平市役所の最寄り駅でもある。なお、青梅街道沿いの主な駅としては、荻窪、新小平、東大和市などがある。


 この辺から西へ延々と続く、小川町の領域を歩いていこう。サンマルクやビッグボーイ、沿道にはドライブイン型レストランが目につくけれど、ちらほら昔風の農家も点在している。生垣の向こうにキウイか何かの棚が垣間見える、これといった門扉もない家の庭先に足を踏み入れると、老婦人がこちらを振り向いた。
──この棚、キウイですか?
 なんてきっかけで、いろいろ問い掛けると、「キウイもやっているし、ブルーベリーもちょっとね。これがブルーベリーの木......」
 と、紅葉した背の低い庭木を指さして教えてくれた。
「実がなるのは夏だけど、私が作ったジャムがあるのよ......」
 ネスカフェのビンに詰めた、お手製ジャムを差し出された。指先にちょろっとつけてなめてみると、熟した果実の甘味や酸味が残る、いい味がした。
「趣味で作ったようなもんだから、もってきなさいよ」
 買うつもりでいたら、ただでいただいてしまった。うーん、小平は素晴らしい町だ。


DSCN5156.JPG 庭先のブルーベリーの木。言われなければこれがブルーベリーとは気づかない。


 ジャムをカバンに入れて少し歩いたところで、「高倉町珈琲」と看板を掲げた、ファミレス型のコーヒーショップが目にとまった。
 高倉町とは何ぞや? 店名が気になって入ってみると、なかはマントルピースなどを設えた、ゆったりした応接間調の雰囲気で、壁の所々にビートルズのアルバムジャケットやポートレートが飾られている。BGMもビートルズ。メニューを開くとクリームのリコッタケーキ、フレンチトースト......と、インスタ映えしそうなスイーツ系軽食が充実しているせいか、小さな子連れの若ママグループが多い。
 ランチにはまだ少し早いので、僕は珈琲1品に留めたが、それにしても"高倉町"の本拠はどこだろう? イメージ的に京都の高倉あたりを思い浮かべつつレジの女性に尋ねたら、「八王子が本店なんですよ」と、意外な答えが返ってきた。
 八王子の高倉町なんて、まるで念頭になかったのだが、改めて地図をチェックすると確かに北八王子駅近くに高倉町は存在、甲州街道ぞいに「高倉町珈琲」の表記がある(八王子市散策の際、見落としていた)。
 地下を走る武蔵野線の新小平駅の入り口を過ぎ、西武国分寺線の単線踏切を渡ると、中宿と呼ばれるこのあたりからが古き小川集落の中心街。そんな沿道に見つけた「小川食堂」って店で昼食をとることにした。
 ドライブイン型の店舗だが、焼魚や煮物やフライ、サラダ、汁物......といったものを各々が組み合わせていく、昔の食堂風のシステムになっている。僕がチョイスしたのは、鶏と野菜の煮こみ、揚げナスの煮びたし、ホウレンソウの白和え、鶏のたきこみごはん、アサリ汁(大型なアサリが10個近く入っている)、といった諸々で980円。これは安い!
 店内は、どこかで工事をしているのか、大食いそうな作業服の男たちでいっぱいだ。
 先の"高倉町"のように、ここも当初"小川"という地元らしき町の名を冠した店名に魅かれたのだ。もしや、地主の小川家系が営んでいる店......と推理していたのだが、ここでも意外な回答を聞かされた。
「本店は大阪なんですよ。チェーン店にそれぞれの地名を付けるんです」
 なぁんだ、立川なら立川食堂......って感じで、頭だけ付け替えていくのか。ローカル戦略にうっかりだまされてしまったが、定食屋として充分満足のいく味だった。


DSCN5170.JPG うっかり地元の食堂と勘違いしてしまった「小川食堂」。よく見ると「まいどおおきに食堂」と書いてあり、大阪の定食屋だとわかる。


 このちょっと先に小川寺(寺らしくショウセンジと音読みする)というのが建っているが、ここに小川村を開拓した小川九郎兵衛の墓(武蔵村山・禅昌寺からの分骨)がある。
 九郎兵衛がこの地の新田開発を始めたのは江戸の明暦の頃(1650年代)とされているが、小平にはこういう新田開発から立ち上がった町が多い(吉祥寺周辺も明暦大火が開発の契機になった)。今回は行けなかったが、花小金井西方の鈴木町も鈴木利左衛門という人物による新田開発で誕生した町で、街道ぞいに集落と用水路が帯状に続き、裏手に農地が広がっている、という特徴をもつ。
 真ん中に交番が建つ小川上宿の二又の南側、大ケヤキのある古めかしい農家の横道を南下していくと、周囲は広大なネギ畑になって、このあたりは往年の小平らしい田園風景が残っている。畑の先に見える帯状の木立ちは玉川上水の岸辺で、その左手に聳えるハイテクなビルは武蔵野美大の新校舎。


DSCN5174.JPG 小川寺の山門。1999年に再建された。
DSCN5182.JPG 茅葺屋根はトタンに葺き替えられているものの、小川には立派な農家の屋敷も目立つ。


DSCN5187.JPG 広い農地の向こうに聳えるのは武蔵野美術大学の校舎。


 玉川上水際の草深い小径に入ると、不意にユーミンの「悲しいほどお天気」のメロディーが浮かんでくる。
♪上水ぞいの小径を ときおり選んだ~
 実際、彼女が通っていたのは多摩美の方だが、あの歌のシチュエーションはムサビ近くのこのあたりだろう。上水ぞいの小径を鷹の台の方へ向かっていくと、ムサビの隣りに朝鮮大学校、白梅学園、創価高校(鷹の台駅向こうには津田塾大、一橋大)と本当に学校が多い。はじめのうち、僕の前をリュックをしょったおばあちゃんがハイキング気分で歩いていたが、そのうち向こうからくるのは学生ばかりになった。
 横目に入った上水脇のアパートの窓辺に、〈貸・アトリエ〉と出ていたが、そんな部屋を借りる美大生の姿を想像した。


DSCN5192.JPG 玉川上水ぞいの遊歩道、前を歩いていたのははじめ老婆だったが......
DSCN5196.JPG やがて若者たちが向こうから歩いてきた。


 

泉麻人

いずみ・あさと 1956年東京生まれ。
慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。
東京に関する著作を多く著わす。近著に『大東京23区案内』(講談社文庫)、『東京いい道、しぶい道』(中公新書ラクレ)などがある。

泉麻人