第二十九回 東大和市 多摩湖はこの市にあるのだ

 東久留米、東村山、ときてもう1つ、東のつく東大和市を訪ねてみよう。ちなみにここも東久留米と同じように、町制の時代はただの大和町(その前は大和村)だったが、70年代に市に昇格したとき"東"がくっついたのである。神奈川の中央林間の方の大和市と区別するため、という説を聞いたけれど、地図を見ると"北大和"にしといた方が妥当だった、という感じがする。
 それはともかく、この市のシンボルは、なんといっても北端に位置する多摩湖だろう。というわけで、西武の多摩湖線でアプローチすることにした。
 終点はひと頃まで多摩湖といったが、西武ライオンズが立ちあげられた年(79年)に西武遊園地と改称されてしまった。このときに北方の西所沢から入ってくる狭山線の終点も狭山湖から西武球場前となって、「不思議、大好き。」なんかの広告やプリンス系ホテルも含めて80年代の西武黄金時代が幕を開けるのだ。
 しかしまぁ、1960年代に西武沿線で子供時代を過ごした僕にとって、この終点駅はいまも多摩湖のイメージであり、ちょっと先の湖畔からおとぎ電車に乗って、いまの西武ドームの向こう側のユネスコ村に行った遠足風景などが思い浮かんでくる。
 久しぶりに降りたった旧多摩湖(西武遊園地)駅は、随分イメージと違っていた。ホームの先は、昔のおとぎ電車のルートを使ったレオライナー(山口線)の駅につながっていて、平日ゆえ通勤姿のオトナがぞろぞろ歩いていく。
 駅外に出ると、目の前は「西武園ゆうえんち」の中央口。園のフェンスづたいに歩いていくと、やがて左手に多摩湖畔の入り口が見えてきた。ちらほらと紅葉が始まった木立ちの手前にぽつんと置かれた、ちっぽけなヤキソバ屋の露店だけ小学校の遠足当時のままのようで、妙に郷愁をおぼえる。
 湖東岸の堰堤の遠方にシンボリックなドーム屋根の取水塔が見える。ロシア風の薄緑のドーム屋根とレンガ壁のコントラストが美しい2基の塔は、多摩湖こと村山貯水池が完成した昭和2年から存在するもので、小学校の写生会でも描いたおぼえがある。
 当日、間近まで行って写真を撮ればよかったものを、後で渡ろうと思っている西方の多摩湖橋の橋詰に同じタイプのクラシックな塔がある......と思いこんでいて、うっかり寄りのショットを撮りそこねてしまった(ちょっと霞んだロングショットだけ紹介しておく)。


DSCN4809.JPG 多摩湖畔にあった露店は、そこだけ時間に取り残されたかのようだった。
DSCN4811.JPG 村山下取水塔の遠景。こちらは第二取水塔。「日本で一番美しい取水塔」の異名もある。


 北岸の道はやがて〈多摩湖自転車道〉の表示が現われて、サイクリングの人と共用の歩道となった。ちなみに、この通りまでがぎりぎりで東大和市の範疇。すぐ右方を沿うように走るレオライナーの軌道やその向こうのゴルフ場はもう埼玉県所沢市なのだ。緩やかに湾曲する道を歩いていくと、ゴルフ場の林の合い間に忽然と「未知との遭遇」の宇宙船みたいな物体が見えた。
 あー、そうか、あれが西武ドームなのだ。おもえば、僕が以前来たのはまだドーム化される前の時代であった。ところで、ドームの駐車場の手前に"0-4"(0時~4時)指定の自動車進入禁止の交通標識が立っていたが、あれはどういうことなのだろう。真夜中、外部からの侵入をシャットアウトして、西武ドームで秘密の儀式でも行われているのか?


DSCN4816.JPG 歩道の横を走るレオライナー(西武山口線)。鉄路を走る鉄道ではなく、ゴムタイヤで走行する新交通システムだ。
DSCN4820.JPG 忽然と現われる西武ドームは、どこか新興宗教の施設を思わせる。


DSCN4821.JPG 非常に珍しい、深夜0時から4時の自動車通行止め標識。その目的は、ナゾの儀式のためか、はたまたドリフト族の取り締まりのためか。


 湖の中央(やや西寄り)を横断する多摩湖橋(ここも正確には堰堤)、道幅が狭いせいか車道専用になっていて、人は傍らの堤下を歩かなくてはならない。ま、そのうち改良されるのかもしれないが、いまは散歩にはお勧めできないルートである。
 が、この多摩湖を渡るルートを選んだのは、南岸の狭山緑地(蔵敷〔ぞうしき〕)のエリアをめざすためだ。地図に"H村山"という表示を見つけた。村山ホテル──場所は違うが、同名のホテルが大岡昇平の名作『武蔵野夫人』で、夫人と年下の男が多摩湖畔で逢引するシーンに使われた。後年、多摩湖ホテルと改称して、昭和30年代中頃まで、先の西武園ゆうえんちの中央門のあたりに建っていたらしい。
 多摩湖南岸の狭山緑地の一角に見つけた「ホテル村山」は、シャレたラブホテル調の物件だったが、その先にある料理屋「貯水池 鳥山」は、よりいっそう武蔵野夫人的ムードを感じさせるリゾートスポットだった。
 「鳥山」は、八王子に発祥していまや都心の高級料亭(うかい亭)まで手を広げる、あの「うかい鳥山」とは関係ないらしいが、こちらも八王子とほぼ同じ東京オリンピックの年(64年)の開業で、料理以上にその環境がおもしろい。森のなかに、1戸建ての個室がコテージのように点在しているのだ。


DSCN4827.JPG ホテル村山。ラブホテルだがどこか格調も感じさせる。
DSCN4832.JPG 林の中に離れの客室が点在するという珍しい店のかたちをとる「貯水池 鳥山」。


 受付の婦人に「1人でもいいっすか?」と確認をとって、千円の麦とろ定食を注文すると、ちょっと先の木立ちのもとの"やまばと"と表札の出た平屋に導かれた。四畳半くらいの部屋に囲炉裏を仕込んだ卓が設えられて、窓外に庭のモミジなんぞが垣間見える。冷えるので暖房を入れて、外のスピーカーから漂ってくる正月っぽい箏曲のBGMを聞いていたら、侘しい気分になってきた。やっぱここ、1人で麦とろ定食食べにくるとこじゃないよね。細かいことだが、「麦とろの飯は佐渡ヶ島のコシヒカリ米を使用......」という張り紙が出ていた。だったら麦とろ、じゃないじゃん。
 広い部屋もあるのか、帰り際に20人くらいの御婦人の団体さんがぞろぞろやってきた。
 「鳥山」の裏方からコナラや竹が目につく山道を下っていくと、郷土博物館の脇に出てきた。プラネタリウムらしき銀色のドームを隣接させた立派な建物で、どうもこういう態(なり)のいい郷土博物館というのは入る気がしないのだが、ちょいと覗いてみると、多摩湖が造られる以前の立体地図など興味をそそる展示はいくつかあった。
 そうか、あそこは西方から流れる一直線の川筋にほぼ沿うように造成されたのか......。
 湖の南方の芋窪、蔵敷、奈良橋、といったあたりはかなり古くからの集落で、奈良橋川の沿岸には地主と思しき大きな屋敷が並んでいる。奈良橋は大和町時代に役場が置かれていた中心地。その地名、歩いてきた山林からは奈良=楢の木を連想するが、もしや大和=奈良のシャレも掛かっているのかもしれない。
 ここから「ちょこバス」というコミュニティバスでモノレールの上北台まで出ようと思っていたら、停留所を見落して、結局青梅街道から新青梅街道へと歩く。この辺の新青梅は、くら寿司、アオキ、TSUTAYA、イエローハット......いかにも郊外のバイパス風店舗が並んでいる。
 多摩都市モノレールは以前、立川でも乗ったけれど、上北台が北側の終点。ホームの端っこに立つと、軌道が切れた先に狭山丘陵が帯のように続いている。昔の青梅街道の桜並木に由来する桜街道の駅を過ぎて、西武拝島線と中継する玉川上水で降車した。


DSCN4857.JPG 多摩都市モノレールは、終点・上北台の先が狭山丘陵によってさえぎられていた。直進せず、ここから左へ曲がって、箱根ケ崎(瑞穂町)への延伸計画もあるという。


 降りる手前で気づいたことだが、駅の北西方に広がる墓地の無数の墓石の景観はかなり凄い。ある意味、インスタ映えする! 北東側の東大和南公園へ入っていくと、戦災遺跡がある。戦時中の日立航空機の変電所の建物。一帯は空襲で集中的に攻撃された地域だが、2階建ての変電所の建物だけ、奇跡的に焼け残った。外壁に点々と傷を残した70余年前の軍事施設と、周囲の穏やかな団地や公園とのコントラストが目に残る。
 西武線はいくつものローカル線が寄り集まった鉄道だが、このあたりの拝島線はそもそも日立航空機への専用貨物線から始まった路線なのだ。


DSCN4862.JPG インスタ映えする(?)、玉川上水駅の北西側に広がる佼成霊園。立正佼成会の附属施設だ。
DSCN4864.JPG 東大和南公園の中に残る、旧日立航空機立川工場変電所。戦災建築物だが、1993年まで変電所として実際に使用されていたという事実に驚かされる。


 この一帯をぬけると、桜街道ぞいに南街というバス停がある。これ、ミナミマチではなくナンガイと音読みするのがなんとなくハードボイルド小説の無国籍タウンっぽい。ここも戦前(昭和13年頃)、日立航空機の従業員住宅用地として、計画的に開発された町らしい。古地図とてらし合わせると、マス目の区画が細かい南街5、6丁目あたりが最初にできあがった住宅街のようだが、建て替えが早かったのか、古い家はあまり見あたらない。
 5丁目の駅近くに「ガス電通り」というバス停を見つけて、一瞬、東京ガスと電通がビックロみたく合体した物件を想像してしまったが、これは日立航空機の前身・東京瓦斯電気工業に由来するのだ。
 東大和市駅前にやってきた。駅前で目につくのは、オレンジ色の派手な看板を掲げた「ヤサカ」というホームセンター。おそらく、近くの八坂の町で立ちあげられた店だろう。そして、駅横にアイススケートリンクがあるのが、いかにもアイスホッケーで鳴らした西武の駅らしい。
 ちなみにこの駅も、昔は青梅橋といった。ガードをくぐった向こう、暗渠化された野火止用水の脇にイチョウの老木とともに祀られた庚申塔と橋の親柱が、のどかなローカル線時代の風情を微かに漂わせている。


DSCN4869.JPG 南街のバス停。つい「ミナミマチ」と読みたくなるが「ナンガイ」と音読みする。
DSCN4880.JPG 青梅橋の交差点のたもとには、かつての橋の柱と庚申塔が祀られている。


 

泉麻人

いずみ・あさと 1956年東京生まれ。
慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。
東京に関する著作を多く著わす。近著に『大東京23区案内』(講談社文庫)、『東京いい道、しぶい道』(中公新書ラクレ)などがある。

泉麻人