第二十八回 東村山市 サナトリウムと武蔵野うどん

 西武池袋線で進んでいくと、東久留米の次は清瀬なのだが、"東"つながりで東村山へ先に行ってしまおう。清瀬のもう1つ先の秋津からアプローチすることにした。この駅も東側は清瀬、北方は埼玉県の所沢と市境が複雑に入りくんでいるけれど、南西側は東村山市の領域だ。ネットカフェやマクドナルドや不二家の看板が見える、郊外の駅前らしい商店街の途中から一本道を南下していくと、コインパーキングの先に畑が目につくようになってきた。


DSCN4750.JPG いかにも郊外の住宅街という風情の秋津駅前の商店街。秋津駅は東村山市、清瀬市、埼玉県所沢市にまたがっている。


 子供の頃、西武池袋線で入間や飯能の方へ虫採りに出掛けていくとき、清瀬から秋津のあたりにかけては延々と雑木林や田畑が続いていた。秋津(アキツ)とは、トンボの昔の呼び名と教えられて、ヤンマ系の大物のトンボがウヨウヨいるような光景を想像したものだった。
 そんな、ちょっと昔の秋津っぽい田園風景が残る、細道を南進して所沢街道、さらに空堀川を渡ると、前方にこんもりとした木立ちが見えてくる。国立療養所多磨全生園の一帯だ。保母さんに連れられてお散歩をする幼児たちの列と一緒に、裏門のような所から園内に足を踏み入れた。
 林をぬけると、素朴な平屋の棟がきちんと配置された、昔ながらの療養所の区域に入った。縁側づたいに小庭が設えられて、老女が鉢植えに水をやっている。昭和20年代頃の日本映画の一場面を見るようだ。


DSCN4758.JPG 国立療養所多磨全生園。
DSCN4763.JPG 整然と棟が並ぶ多磨全生園。奥は永代神社の鳥居。


 清瀬から東村山にかけては、結核やぜんそくの古い療養施設が多い地域だが、ここはハンセン病の隔離施設として国が明治42年に設置した、社会史的にも重要な場所だ。
 そのくわしい歴史については、敷地の一角に置かれたハンセン病資料館で学ぶことができる。いわれなき差別の実態を記録した展示にはもちろん胸が痛むが、ありし日の多摩の風土を伝える貴重な写真なども数多い。
 園内をぐるりと歩いてみると、野球場や公園、神社、日蓮宗の古めかしい会堂と十字架を立てたカトリック教会が隣り合っているような一角もあって、ふと昔の町に迷いこんだような心地になった。


DSCN4773.JPG 多磨全生園の敷地内にある日蓮宗の会堂。奥に日本聖公会の礼拝堂の十字架が見える。


 このまま東村山駅の方まで歩いていこうか、と思っていたら、全生園前の停留所にちょうどバスがやってきた。この辺は西武バスの独擅場だが、これは久米川駅行き。かつては"大岱"の綴りだった古集落・恩多(おんた)の町を通過して久米川駅の北口へ。西武新宿線に1駅乗って東村山へ移動した。ここから南下していく国分寺線の区間は、いくつものローカル線が合併してできた現在の西武線のなかでも、川越鉄道として一番最初に開通した部分。そんな東村山駅の開設は明治27年。先のハンセン病資料館の展示に、この駅に隔離患者を乗せた特別列車(通称・お召し列車)が着いた様をとらえた印象的な古写真があった。
 東村山駅前(東口)のバス乗り場脇のガードレールに妙なプレートを見つけた。
〈志村けんの木〉後方の3本のけやきは、昭和51年に東村山市出身のタレント志村けんさんへ、当市の名を全国に広めてくださった功績に対し、感謝状を贈呈させていただいたことをきっかけに、植樹されたものです──と、ちょっとまどろっこしい解説(感謝状のくだりはいらないんじゃないか?)が出ている。
 なるほど......僕の世代はその"功績"、すぐにピンとくるけれど、もはや若い人にはチンプンカンプンかもしれない。
 ♫東村山~庭さきゃ多摩湖~
 なんて歌い出しの「東村山音頭」を志村が人気番組「8時だョ! 全員集合」のなかで披露したのがきっかけで、大ブレイクしたのである。当時、これはてっきり志村が思いつきで歌った彼のオリジナル曲と思っていたら、実際まじめな元唄があるらしい。
 しかし、このガードレールの説明書きと3本のケヤキ、けっこう離れているから気づかない人、多いんじゃないだろうか? どうせなら、志村の調子のいい歌声が流れるような歌碑を置いたらいい......と思うのですが、権利関係などきびしいのかもしれない。


DSCN4777.JPG 「志村けんの木」の看板。志村けんは、東村山が生んだ大スターだ。
DSCN4782.JPG 東村山のB級グルメ・黒焼きそば。さすが、志村けんの土地だけあって、「全員集合!」のキャッチを拝借している。


 すぐ先の府中街道を北進すると、やがて久米川辻と道路標示板に記した交差点に出くわす。そういえば、先のバスのルートにも、"恩多辻"という停留所があったけれど、この辺は交差点に"辻"の名称をあてる風習があるのだろう。
 西武線の久米川駅はだいぶ南の方だが、従来、この辺が久米川宿と呼ばれた久米川の元町らしい。交差する旧道風の道を左折したところに「ますや」と看板を出した、素朴なうどん屋がある。いわゆる"武蔵野うどん"をやる店だ。
 前回、名産・柳窪(久保)小麦のうどんを食べそこなったので、今回はぜひ! とばかりに予め店の目星をつけてきた。東村山は武蔵野うどんの店が多い地域だが、ここは佇まいからしてなかなかいい。
 戸を開けたすぐ向こうに厨房とカウンター席、奥に小座敷が見える。正午すぎの店内は地元風の客でにぎわっている。空いた戸際のカウンター席に腰掛けると、すぐ目の前でおばあちゃんが黙々と天プラを揚げている。うどん定食のオカズで付くものなのだ。
 カレーうどん、力うどん、というのもあるけれど、定番の肉汁うどんを注文すると、ザルに盛られた太いうどんと、肉片を2枚ほど沈めたツケ汁、そしてニンジン&ゴボウの天プラ、といった諸々が出てきた。うどんはニョッキを思わせるもっちりした食感、ツケ汁に浸った豚肉は甘ダレ系ショウガ焼の味がついて、これがイケる。そして、昔の家族の晩ごはんっぽい感じの天プラが実にうまい。僕の皿には入っていない、目の前の揚げたてイモ天がなんともおいしそうなので、「コレ、いくらか払えば足してくれる?」おばあちゃんに伺いを立てると「いいよ、あげるよ。誉められればなんでもあげちゃう」と、ササッとイモ天をオマケにくれた。
 天プラ揚げながら、向こうの常連客と「福田こうへいってのがいいんだよ。民謡の出だからね」なんて、最近の若手演歌歌手の話をやりとりしているおばあちゃん、厨房の壁に張り出された"調理師免許証"をじっと眺めると、屋号と同じマスという名で、昭和6年4月......の生年月日が読みとれたから、2017-1931(年)=86歳、という計算になる。
 うどんのコシを誉めると、「ウチはいまも足で踏んづけてるんだから......」と、おっしゃっていたから、足作りというか、イチから店で手作りしているのかもしれない。


DSCN4783.JPG 武蔵野うどんの名店・ますや。
DSCN4784.JPG ますやの店内。素朴な雰囲気の天プラが食欲をそそる。


 この店に目星をつけたのは、少し道奥にある古刹・徳蔵寺へ行く順路にあたっている、という理由もあった。ここは寺の入り口に建てられた板碑保存館というのが名所になっている。板碑──というと、シロートはふと板(木)製の謂れ札のようなものを想像するが、平ったい石造りの卒塔婆のことらしい。
 すぐ裏手の山は新田義貞の鎌倉攻めの戦場で知られた地、ここにその元弘の乱で戦死した新田勢の板碑が保存されている。板碑だけでは地味、と思ったのか、埴輪や壺、古民具......といったものまで展示されて、ちょっとした郷土博物館という風情になっていた。


DSCN4789.JPG 徳蔵寺板碑保存館。2003年にリニューアルした建物はまだ新しい雰囲気を残している。
DSCN4793.JPG 板碑が並ぶ保存館内部。元弘の板碑は国の重要文化財に指定されている。


 新田の古戦場跡も存在する西方の緑の丘が八国山緑地、広い意味での狭山丘陵の東端にあたる。山の一角に築かれた東京白十字病院や新山手病院(ここも古い結核療養所から発展した病院で、「となりのトトロ」でサツキとメイのお母さんが入院している療養所のモデルとする説もある)を横目に、麓の道を進んでいくと、傍らの低い所に設けられた公園のベンチが水没していた。数日来の雨と、そもそも湧水が豊かな場所なのだろう。
 袋小路に突きあたって、何度か後戻りしながら、西武園の駅前にやってきた。西武園は子供の頃、新宿線の方に乗って何度か遊びにきた場所だが、本体の遊園地はもう埼玉県所沢市の領域なのだ。そして、駅前の町は多摩湖町というが、多摩湖そのものはお隣りの東大和市のテリトリーなのである。


DSCN4795.JPG 季節はずれの台風直後、八国山緑地のベンチは水没していた。
DSCN4797.JPG 晩秋の日だまりにカマキリも出現した。


 

泉麻人

いずみ・あさと 1956年東京生まれ。
慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。
東京に関する著作を多く著わす。近著に『大東京23区案内』(講談社文庫)、『東京いい道、しぶい道』(中公新書ラクレ)などがある。

泉麻人