第二十五回 青梅市(その2) 御岳の山の「シクラメンのかほり」

 いまどきの青梅線は、ほぼ青梅の駅まで都心からの市街地が続いているが、ここを過ぎると車窓が一段と緑化して山岳鉄道の雰囲気を帯びてくる。奥多摩方面へ行く場合、多くの電車は青梅で乗り換えになるけれど、平日の朝方、乗客は登山スタイルの年輩と若者ばかりになった。
 今回の最終目的地は御岳山のつもりだが、まずは青梅から2つ目の日向和田で降りた。日向はヒュウガではなく、ヒナタと読む。ちなみに、この駅の名は開通時(明治28年)から日向和田といったようだが、多摩川の向こう側はかつて日影和田と呼ばれていたらしい。地図を見ると、確かに駅の場所は北側の山の南斜面で日当りが良さそうだが、多摩川の向こうは南方の山の北側に当たっている。
 さて、日向和田で降りてまず目につくのが「へそまん」の看板だ。名物へそまんじゅうを売る年季の入った店、売場脇に「へそのお観音」なんてのも祀られている。温泉地によくある薄皮まんじゅうの類だが、ふかしたてのやつはアンがトロッとしていて実に旨い。僕の傍らでバイシクルライダーがワイルドに立ち食いして、奥多摩方面へ去っていった。


DSCN4476.JPG 日向和田駅から青梅街道を進んですぐのところにある「へそまん総本舗」。


 駅前にもう1軒、「カネク」という大きな会社(工場も)が建っているけれど、ここは昭和の初めに沢わさびの生産から始まった一大粉わさびメーカー。わさびは奥多摩地区の名産品なのだ。
 多摩川の神代橋を渡って少し行くと、突きあたった吉野街道の向こう側がいわゆる吉野梅郷。梅林の中心地は「梅の公園」の名で整備されているが、いまの時期(9月)は当然季節はずれなのだ。〈よみがえれ梅の郷〉と記した幟が立っているが、そういえば数年前にここの梅はウイルスにやられて1度すべて伐採されたのだった。再生が徐々に進んで、この春3年ぶりに梅まつりが復活したという。
 このあたりは町名も梅郷(ばいごう)で、山里らしい趣きのある家が多い。梅を目当てに住居を構えたような人もいるのだろう。表通りの吉野街道へ出てくると、この道も前回と同じく都バスが走っている。反対側の停留所の横に昔ながらの消防団の鐘楼が立つ上郷から、吉野行のバスに乗った。


DSCN4482.JPG 梅郷の集落には趣きのある家や歴史を感じさせる建物が多い。
DSCN4487.JPG 上郷のバス停付近にある消防団の鐘楼。こういったものが残っているところも少なくなってきた。


DSCN4490.JPG 吉野行きの都バス。


 終点の吉野まで、ほんの1キロちょっとの距離だったが、こういうローカルなバス路線を見つけると乗らずにはおれない。途中、沿道に吉川英治記念館なんてのがあった。街頭の案内看板に「櫛かんざし美術館」というのも見掛けたが、休日は御嶽の駅近くの玉堂美術館まで行く都バスがこの道を走っているようだ。ま、奥多摩あたりにあそびに来ると、別に文学やアートに興味がない人でも、やることがなくなって吉川英治やカンザシや川合玉堂のミュージアムに入ってしまったりするのだろう。
 都バスの吉野終点の先を右に曲がると立派な軍畑(いくさばた)大橋があって、もうすぐ向こうは軍畑の駅。この勇ましい地名は戦国時代の平家方と北条方の戦に由来するものらしい。左手に多摩川の渓谷を見下ろしながら青梅街道を西進していくと、沢井の駅近くにその名の元ともいえる清酒・澤乃井の小澤酒造がある。
 石垣の向こうに白壁の蔵、茅葺きの棟などが並ぶ、一見して歴史を感じさせる造り酒屋。創業は江戸の元禄15年、「忠臣蔵・赤穂浪士の討ち入りの年に創業いたしました......」とチラシに出ている。古いばかりではなく、道を挟んだ多摩川側はガーデンレストラン風のスペースになっていて、川景色を眺めながら酒食を楽しむことができる。
 ここに酒屋ができたのも、先のわさび屋と同じく多摩川の水が元なのだろう。多摩川といっても、酒造りに使う水は右岸の柚木町の山麓に湧き出る名水をパイプで引きこんでいる、と聞く。酒蔵見学も催されているようだが、この種の見学は地方の観光でやりすぎてすっかり飽きてしまったので、先へ急ぐ。
 澤乃井の前から1キロくらいで御嶽の駅前。こちらの「嶽」は古い表記(町名は御岳)だが、入母屋の屋根に唐破風の軒を突き出した社殿調の駅舎は昭和5年の築という。


DSCN4496.JPG 歴史を感じさせる小澤酒造の建物。毎年秋には、新酒をふるまう蔵開きが開催されている。
DSCN4497.JPG JR青梅線の御嶽駅。御岳山をはじめ、高水三山など周囲の山へのアクセスの拠点となっている。


 さて、御岳山に登るにはケーブルカーがあるけれど、ここからケーブルの乗り場までけっこうな距離がある。1キロくらいなら歩いてしまうところだが、地図をざっと目測して2キロか3キロ......。30分間隔くらいで出ている西東京バスで行くことにする。
 ケーブル下のバス停から200メーターくらい坂(短距離とはいえ相当な勾配)を上った所にケーブル(御岳登山鉄道)の滝本駅がある。戦前にできたケーブル鉄道で、ほんのひと頃まで古ぼけた車両を使っていたはずだが、いまは発色も初々しい新車両(赤と緑の2種)になった。


DSCN4502.JPG 先ごろ車両がリニューアルされた御岳登山鉄道(ケーブルカー)。後述のように、御岳山は"お犬様信仰"の山で、このケーブルカーももちろんペット同伴可(有料)。


 車内アナウンスをぼんやり聞いていたが、滝本の乗り場が標高4百ウン十メーターで、上の御岳山駅が8百3十ウンメーター......といっていたから、かなり登る。しかし、さすがに先日の檜原村のローカルモノレールよりはずっと速く、10分足らずで山の上に到着した。
 駅前は御岳平と呼ばれ、視界が開けた東方の崖端は望遠鏡が設置された展望台になっている。山一帯の案内板を眺めて、赤鳥居が置かれた武蔵御嶽神社の方へ行くルートに入った。この神社の場所が御岳山としての山頂(929メートル)になる。山頂に向かっているはずなのに、当初道はゆるやかに下っている。不安になって向こうから歩いてくる人に尋ねたら、これで正解らしい。すれ違う人たちのなかに、ミニチュアダックスフントを連れた女子グループがいたけれど、ここは「大口真神」をもとにした"お犬様信仰"の山でもあるのだ。正確には、関東征伐に向かうヤマトタケルの道案内をしたオオカミの伝説が源らしいが、そのスリムな姿のオオカミを描いた神札を軒先に掲げた農家を時折見掛ける。参道には、そんな神札に似た犬のマークを添えて、「愛犬のリードは必ず付けて歩いてください」なんて注意書きをいくつか記したマナー看板も出ている。


DSCN4505.JPG 愛犬の健康や長寿を願う人びとが多く参拝する御岳山では、愛犬家向けの注意書きも充実。


 参道はそのうち御師の集落のなかに入りこんだ。昔の神社詣での案内人、ツアーコンダクター的な役割を果した御師の家、彼らが営む宿坊が狭い道づたいに並んでいる。寺社風の門を構えた老舗旅館張りの家もあれば、年季の入った茅葺きの家(ここは修復工事中だったが)もある。山の中腹の隠れ里のような雰囲気が興味をそそる。いつかこういう所に一泊してみたいものだ。


DSCN4508.JPG 神社の参道には、宿坊などを営む御師の門前町が形成されている。
DSCN4518.JPG 御師たちの住む門前町で、味わい深い「飛び出し注意!」の看板を発見。


 神社の手前は、5、6軒の食堂やみやげ物屋が並ぶ門前商店街になっている。見晴らしの良いそば屋で名物の「くるみそば」(くるみベースのツユに冷たいそばを浸して食す)を味わって、御嶽神社へ。鮮やかな朱塗りの壁が目を引く社殿、赤糸威大鎧や兜などの宝物を奉納した畠山重忠の騎馬像......と、見所はいくつかあるけれど、僕の目にとりわけ刺さったのは手水鉢の前に出た〈ペット用水場↓〉の張り紙と柄(ひしゃく)。それほど、ペット参拝(主に犬)でにぎわっているということなのだろう。


DSCN4514.JPG 紅葉屋名物の「くるみそば」。濃厚なくるみのタレにそばをつけていただく。
DSCN4516.JPG 愛犬祈願の多い武蔵御嶽神社では、ペット用の手水場も完備。


 ところで、御岳山というとまず思い浮かんでくるのは、学生時代に初日の出を眺めにきたときのことだ。地元(新宿の中落合)の小学校時代の友人2人を連れて、確かまだ免許を取ったばかりの僕が運転する車(中古のコロナ)で、大晦日の夜更けに出発した。ともかくよく憶えているのは、日の出を待ちながらオデンなんかをつついていた食堂のラジオで布施明の「シクラメンのかほり」が何度も流れていたことだ。この曲がレコード大賞を取った1975年の暮れ、76年の正月の出来事に違いない。
 あの場所は神社のある山頂かと思ってやってきたのだが、イメージしていたほど視界が開けていない。そうか、やはりケーブル駅の横の御岳平の方か......。帰路のケーブルに乗る前にあたりをよく見ると、リフト乗り場の脇に食堂が2軒ある。そのうちの1軒に入って、店のオバチャンに昔初日の出を眺めにきたことを話した。
「そう、ここからだと右手の日の出山の向こうに昇るのよ」
 なるほど、日の出山(日の出町)の名は、御岳山から見る日の出の方角に由来するのかもしれない。それはともかく、オバチャンの次の一言とともに、欠落していた光景がにわかに甦った。
「昔はその辺の広場にドラムカンを置いて、火燃やしてたのよ」
 そうだ、暖をとるためにドラムカンでたき火をしながら、初日の出を待ったのだ。「シクラメンのかほり」がなんとなく焦げ臭いイメージとともに記憶されているのはそのせいだったのだ。

泉麻人

いずみ・あさと 1956年東京生まれ。
慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。
東京に関する著作を多く著わす。近著に『大東京23区案内』(講談社文庫)、『東京いい道、しぶい道』(中公新書ラクレ)などがある。

泉麻人