第二十一回 あきる野市(その2) 五日市の里山で虫を追う

 あきる野市の西部の拠点は武蔵五日市だ。取材日の7月17日は、例のハッピーマンデー型の祝日・海の日にあたっていたので、中央線のホリデー快速・あきがわ号というのに乗って、朝の10時前に武蔵五日市へやってきた。
 まだ梅雨明けの発表前だが、天気も良さそうなので、リュックに携帯式の捕虫網を仕込んできた。夏の五日市、というと、僕の場合、まずは"虫採り"なのである。
 子供の頃から、五日市を拠点にして、ちょっと奥の秋川渓谷のあたりでよく昆虫採集を楽しんだものだが、この数年のフィールドは駅から歩いていける三内から横沢にかけての一帯。昔ながらの里山と谷戸の環境が保全されている。
 五日市線の線路端にある大悲願寺という寺の脇から入ってもいいのだが、僕が好んでいるのは、駅前の秋川街道を北進して、五日市線のガードをくぐった先から右手の林道に入っていくルートだ。入り口の道端に、かつてこの先の武蔵岩井まで運行していた五日市線支線のもの、と思しき柵の一部が残されている。


DSCN4021.JPG 2016年にリニューアル工事が完了した武蔵五日市駅。あきる野市西部や檜原村へのアクセスの拠点だ。
DSCN4022.JPG かつて武蔵五日市から武蔵岩井まで延びていた五日市線の支線跡。金網で囲われているところが、かつての線路跡だろうか。


 〈林道:横沢・小机線〉と看板が出たこの道、さほど勾配が険しいわけでもなく、ピクニック気分で歩くにはちょうどいい。今回は山歩き好きの編集者K君を同伴しているので、捕虫網をセットして、さぁ歩くぞ! というところをさっそく写真に撮ってもらった。
 林縁をちらちら舞い飛ぶムラサキシジミやコミスジをネットに収めたが、この道での第一の目的はハンミョウだ。漢字で「斑猫」という字をあてるこの甲虫は、2センチ前後と小型ながら光沢のある紺や緑、朱や白紋などをちりばめた実に美しい姿をしている。そして、道端の草むらからひょいっと現われると、人の歩く先をふわっ、ふわっと道案内するように飛び跳ねていく習性があるため、「みちしるべ」とか「みちおしえ」とかの俗称をもつ。
 こういう低山の日あたりの良い小径を好み、ひと昔前の多摩丘陵あたりでは珍しくもない種類だったが、幼虫は砂地や土中に巣を作って過ごすため、道がアスファルト舗装されるといなくなってしまう。
 手元に〈94年8月15日 三内〉と記録紙を付けた標本が保存されているが、それ以降も何度かこの林道でハンミョウと遭遇したことがある。しかし、7月はまだちょっと早いかなぁ? しばらく地面に注目しながら歩いたけれど、あの忽然と目の前に現われる宝石のような美虫には出会えなかった。


DSCN4025.JPG 捕虫網を持ち、やる気充分の筆者。
DSCN4105.JPG 1994年8月15日に捕獲したハンミョウの標本。


 林が途切れて、やがて前方に黄緑の草に覆われた湿地が見えてきた。ここから先は、地形的な"谷戸"にあたる一帯で、以前は農家の水田が広がっていた所なのだ。農家が稲作をやめて、荒れた休耕田になりつつあったのを自然愛好家のグループが尽力して、野鳥や昆虫の集まる里山として復元した。
 ところで、こういった"里山保全地区"みたいな場所は、やれ虫を採るな、魚を釣るな......と、規制がやたらとうるさいものだが、ここはオッサンが虫採り網持って、トンボを追っかけていても、とやかく言われることはない。また、休憩用の簡素な東屋が置かれているだけで、カエルのオブジェとか、過保護な柵を付けたデッキとか、いらんもんが目に入らないのも好ましい。


DSCN4046.JPG 林を抜けると横沢入の里山保全地域。典型的な谷戸に広がる田んぼが保たれている。


 湿地の畦道でわが国最小のトンボ・ハッチョウトンボを発見、胸を高鳴らせて網に収めた。上品な横縞ストライプのメスをナマで見るのは初めてのことだ。さらに、鮮やかなイエローのマッチ棒が飛んでいるようなキイトトンボ、小川上をパトロール飛行するオニヤンマの捕獲には失敗したが、低木の枝葉にブーンと飛んできたゴマダラカミキリはうまいこと網ですくいとった。が、網中に手をつっこんで摘みとろうとした瞬間、ガブリと鋭い歯で人差指を噛まれた。イタタッ! 小さな傷口から血も滲み出してきたけれど、こういう痛みの感触はなつかしい。ゲットした昆虫は、証拠写真だけ撮って、すべてその場で逃がしてしまったが、昆虫を捕まえる瞬間というのはいくつになっても胸がドキドキする。
 ちなみに、この日網を持って、あたりを歩き回っていたのは僕一人、夏の休日ゆえ、親子連れの姿を予想していたので、ちょっと拍子抜けした。ま、遊園地みたく混み合う状況も避けたいが、虫採りの子供がまるでいない、ってのもなんだか寂しい。


DSCN4050.JPG あこがれのハッチョウトンボのメスを初めて手にする。
DSCN4058.JPG ゴマダラカミキリには見事に指を噛まれた。


 横沢入の谷戸地区を出て、傍らの大悲願寺に立ち寄る。先の東屋の壁に、古くから近くの山で採石されてきた"伊奈石"と呼ばれる岩石の解説が出ていたが、この寺の参道には伊奈石と思しき石塊や、それで建造したらしき石仏が点在している。
 源頼朝の奉行・平山季重が鎌倉時代幕明けのころ(1191年)に開基したという大悲願寺、観音堂の欄間彫刻も立派だが、なんといっても年季の入った山門が目を引く。境内側から山門を眺めたとき、門口の向こうの低い所に五日市線の踏切がスポッと収まりこむ。五日市線の本数は少ないが、ちょうど山門の向こうの踏切警報機が鳴って電車が走ってくると、ありがたい気分になるものだ。
 大悲願寺門前の道を武蔵五日市の方へ進んでいくと、坂を下った先で五日市街道の旧道に行きあたる。横沢のバス停の方へちょっと行ったあたりの納屋に〈キンチョール〉の古いホーロー看板がいまも貼り出されたままになっている。この辺に来るたびに消息を確認していく、僕にとっての貴重な文化遺産だ。


DSCN4070.JPG 大悲願寺の山門。向こう側には小さく踏切が見える。
DSCN4071.JPG 大悲願寺横の増戸保育園前に、味わい深い「子供の飛出し注意」の看板を発見。


DSCN4073.JPG 五日市街道の旧道沿いに残っているキンチョールのホーロー看板。こういう文化遺産は、いつまでも残ってほしいもの。


 五日市街道を西進、駅前を通り過ぎると、東町のバス停あたりから上町にかけてが、そもそもの五日市の町筋。ラーメン屋で冷し中華を腹に入れ、南方の路地に入っていくと、秋川岸に近い所に阿伎留神社というのがある。阿伎留(あきる)と字をあてるこの神社こそ、"あきる野"の地名の源といっていいかもしれない。
 鬱蒼とした樹々に覆われた地味な神社に、"映画 五日市物語 ロケ地"の張り紙がひっそり掲げられていたが、このローカルな映画、僕は7、8年前に試写会で観ている。ひと頃アイドル女優として鳴らしたエンクミこと遠藤久美子がルポライターとして五日市の歴史にふれる......といった話で、明治の初めに草案されたこの町独自の憲法・五日市憲法がクローズアップされていた。ここで細かい内容についてはふれないが、起草した千葉卓三郎は五日市勧能学校の校長を務め、ハリストス正教の洗礼を受けた自由民権運動家というから、これも町田や八王子と同じ、革新的な風土を感じさせる。
 この五日市憲法草案が昭和40年代に発見された深澤家の土蔵があったのは、市街北方の山間集落・深沢だったというが、五日市街道の上町あたりにも〈土蔵えどうぞ〉なんてダジャレ看板を出した古い商家の土蔵があったりする。その並び、青木屋という燃料問屋には、様々なホーロー看板がちょっとした博物館のように、至る所に掲示されている。ここの店主とは以前にも顔を合わせていたようで、看板をじろじろと覗き見していたら「お茶でもどうぞ」と、なかへ招き入れられた。
 先の〈キンチョール〉の看板も含めて、80年代頃までの五日市街道は、ああいった野天の広告看板の宝庫だった。道の拡幅工事などで消えていったわけだが、ここの店主もそんな郷愁を発端にホーロー看板の収集を始めたらしい。


DSCN4080.JPG 「土蔵えどうぞ」の看板が掲げられた陶器屋の土蔵は、自由に見学できるようになっている。


 最後に、昔の五日市らしい山間集落を眺めていきたい。上町から養沢方面へ行く西東京バスに乗って西戸倉で降りる。北側を流れる秋川の橋を渡ると、山の斜面に星竹の集落が小ぢんまりと存在する。
 星竹という地名もなんとなくロマンチック(七夕の物語などをイメージさせる)だが、袋状の道筋に玉石垣や年季の入った塀に囲われた、山里らしい古家が並んでいる。急坂の途中にある小さな神明社の祭りでは、土地独特の獅子舞が演舞されるらしい。
 とある屋敷の蔵の屋根下に、大きなスズメバチの巣が何かの飾りのように提がっている。


DSCN4088.JPG 星竹地区には石垣が立派な家も目立つ。採石で繁栄した五日市の歴史が感じられる。
DSCN4093.JPG かつての名主の家だろうか、立派な屋敷の蔵の正面には、これまた立派なスズメバチの巣が。ルーペで確認してみてください。


 

泉麻人

いずみ・あさと 1956年東京生まれ。
慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。
東京に関する著作を多く著わす。近著に『大東京23区案内』(講談社文庫)、『東京いい道、しぶい道』(中公新書ラクレ)などがある。

泉麻人