第二十回 あきる野市(その1) 哀愁のサマーランド

 あきる野市が誕生したのは1995年、はや20年余りが経つわけだが、どうもいまだこの市の領域はしっくりこない。それ以前は東部が秋川市、西部が五日市町で、僕の子供時代は秋川市も秋多町という町だった。
 都心から中央線、五日市線と乗りついで、多摩川を渡った先からがあきる野の領域だ。いまは東秋留、その次が秋川だけど、かつてはこちらが西秋留。ここも東秋留、西秋留と続かないと五日市線に乗った気がしない。
 そんな、西秋留と呼ばれていた秋川の駅に僕が初めてやってきたのは、小学2年生の秋。まだ五日市線が焦茶色の戦後臭プンプンのオンボロ電車だった頃だ。小2の秋、とまで特定できるのは、日記帳が残っているからだ。オリンピックがあった64年の秋に書いたと思しき「くりひろい」と題された一文がある。


 朝になりました。きょうは秋るへくりひろいに行く。でん車に三かいものって やっと秋るへつきました。それからあるいてくり林へついた。ぼくはくりを二つぐらいとった。いっしょにいったおにいさんやおねえさんはたくさんとった。 ぼくたちは うまおいやとのさまばったをとっていた。とのさまばった すばしこかった。


 ほぼそのまま書き写したので、少々読みにくいところもあるだろうが、当時の西秋留は栗拾いの名所だったのだ。秋留橋の際の秋川べりに栗林が続いていたことをぼんやり記憶している。その一帯に数年後、サマーランドができあがったのだ。
 なんて回想を浮かべながら、秋川駅東方の滝山街道を南下する。この道こそ、小2の栗拾いの日に歩いたルートと思われる。はじめは街道ぞいにジョナサンやアウトレットが並んでいて、どうもピンとこなかったが、やがて右手に古びた酒蔵を備えた造り酒屋が見えてきた。多摩には多満自慢、澤乃井など、地酒のメーカーがいくつかあるけれど、ここは千代鶴を製造する中村酒造。文化元年から続く酒屋らしい。資料館も置かれていて、見学もできるようだが、酒蔵の見学はけっこう時間を食うので今回は先へ急ぐ。
 この先にも、朽ちたポンプ井戸を晒した小屋があったり、土地の名士の銅像を置いた墓場があったり、老木が聳える神社があったり、たぶんこの辺の景色は小2の僕もそれとなく視界に入れていたのだろう。しかし、秋留橋の周囲は圏央道のインターチェンジができたり、八王子の方へぬける新滝山街道のトンネルができたり、この数年で大きく変貌した。圏央道のず太い橋脚の下の釣り人の姿を眺めつつ、橋の向こう側からサマーランドへ入っていく道へ進む。傍らの川岸斜面に背の高い栗の木を1本発見したが、あれなんか昔の栗林時代からの残党だろうか......。


DSCN3936.JPG 千代鶴を作っている酒蔵・中村酒造。蔵造りの建物や奥の煙突は伝統を感じさせる。
DSCN3943.JPG 古い巨木が聳える神社。小学2年当時の泉少年もかつて目にした光景?


 やがて見えてきた「東京サマーランド」の太陽を象ったマーク、もはやなつかしい。オープンしたのは67年7月というから、ちょうど50周年を迎えるのだ。
 平日の10時の開場まもない頃だが、朝からむし暑い日なので、僕の前に若者グループが何組か見受けられる。スピーカーから頻繁にアナウンスもされていたが、タトゥー、入れ墨のチェックにかなり力を入れているようで、男性客はゲート手前でTシャツやアロハの衿ぐりを係員にめくられて、首もとから肩のあたりを検査されている。僕のところにも、40くらいのいかつい顔の係員がやってきて、ポロシャツの衿に手をかけようとしたとき、彼はこう言った。
「すんません、先輩」
 別に僕はこの男の顔見知りの先輩というわけではない。ちょっと年上と見た人に対して、通称として「先輩」というフレーズを使う感じがなんとなくチンピラっぽくてグッときた。
 僕は割と若く見られる方だが、やはりこういう若者客のなかに混じれば、一見してオールドマンなのだろう。ちなみに61歳になって3か月だが、ここの料金はちょうど61歳からがシニア対象になっている。それでも入場料だけで1800円。ちょっともったいない気もしたが、50年の節目ということもあるし、ちょっくらなかを散策していくとするか......。
 ところで、サマーランドは数えるほどしか来たことがないが、ゲートをくぐった先のインドアプール(正式名称・アドベンチャードーム)の景色は妙になつかしい。ガラス張りの屋根に覆われた熱帯植物園を思わせるこのスペース、実体験よりもオープンしてまもない頃、よくバラエティー番組や映画のロケ地に使われていたのを思い出す。とりわけサマーランド開業時はGSブームたけなわの頃。このインドアプールのステージでスパイダースやジャガーズが歌い踊る映画シーンがあったはずだ。


DSCN3950.JPG 暴力団、入れ墨、タトゥーは厳しく取り締まられている。
DSCN3952.JPG 大きなインドアプール。初夏の平日の午前中、やはりプール目的の若者が目立つ。


 むわっとしたインドアプールの館をぬけて外へ出ても、本日はまだ暑い。アドベンチャーラグーンと名づけられた、外のプールには人が溜まっているが、フリーフォールやメリーゴーランドが置かれた、奥の方へ行くにつれて人っ子ひとり見当たらなくなった。まぁいまどき、ディズニーランド以外の平日午前中の遊園地ってのはこんな状態なのだろう。
 何か1つくらいアソんでいこう......と思ったとき、お化け屋敷が目に入った。しかも、「必ず一人でお入りください。」と、わざわざ但し書きが出ている。そして、このお化け屋敷、人件費節約なのか、係員の姿はなく、料金箱に300円入れてなかへ入る......という仕組みになっている。場内は暗い通路の所々にゆるい作りのお化け人形が配置された、どうってことない構造。61歳になって、少し切ない気分になった(外に出る瞬間、若者に見られなくて良かった)。


DSCN3957.JPG いかにも即席で作りましたという体のお化け屋敷。夏休みに向けたアトラクションだろうか......?


 さて、サマーランドを出て、こちらの川岸を上流の方へ進む手もあるけれど、千代鶴の酒屋があった対岸(秋川駅側)の道は袋状に込み入っていて、おもしろそうだ。秋留橋をまた駅の方に渡って、圏央道のインターチェンジの下をくぐって、川岸から右手の農道へ入っていく。田んぼの向こうに、茅葺き屋根の農家こそないけれど、のどかな田園集落が眺められる。ひと昔前ならゲンゴロウやミズカマキリが見られたような田んぼだが、じっと覗きこんでも小さなアメンボくらいしか確認できないのがさみしい。
 この辺の地名は下代継(しもよつぎ)。くねくねと湾曲した道を思いつくままに進んでいく。地名は上代継、さらに渕上と変わるが、玉石垣や生垣を設えた古い家が枝分れする道づたいに続いている。そして、ちょっとした神社の境内に字(あざ)と思しき地名を冠した素朴な会館が置かれている。昔ながらの村人の寄り合い場なのだろう。
 秋川左岸の河岸段丘に広がった古集落地帯。坂を見下す辻に坂上商店という古い酒屋があったりするのがうれしい。もちろん、地元の千代鶴の看板が掲げられている。


DSCN3961.JPG 青々とした稲が茂る農道を行く。
DSCN3969.JPG 「村の社」という趣きの神社の傍らには、寄り合いなどに使われると思われる小さな会館がある。

DSCN3970.JPG その名の通り「坂の上」にある坂上商店。よく見ると、奥に続く道が下り坂になっているのがわかる。


 携帯の万歩計は1万歩を突破して、そろそろ腹も減ってきたとき、路端に"手打ちそば"の案内板を見つけた。いいねぇ......指示に従って歩いていくと、どうやら店は秋川を見渡すような場所に位置している気配。最初に看板を目にしたあたりから、もう500メートルくらいは歩いただろうか。大きな看板を掲げた、本拠らしき物件がようやく見えてきた。
 店の玄関先に差しかかったとき、無情な断り書きが出ていた。
「店主入院中の為 しばらく休業致します」
 近頃ハヤリのマヌケな展開をウリにした、ぶら旅番組のディレクターなら「やったね」と喜ぶかもしれないが、これはさすがにガクッときた。
 もう頭には"手打ちそば"しかないので、それを目当てに探し歩いたところ、ちょっと先の通りぞいに発見、昼めしにありついた。店前の山田通りを南下して秋川を渡った網代には、小さな温泉宿があって、昔来たことがあったけれど、数年前に閉業してしまったらしい。当初、炎天散歩の締めにひとっ風呂......なんてプランも考えていたのだが、残念。道を北上すれば、武蔵増戸の駅も近い。


DSCN3972.JPG 何とも味わい深いかつらの広告看板が残されていた。
DSCN3973.JPG お昼どき、路端に「手打ちそば」ののぼりを発見。店は惜しくも休業中だった。


 

泉麻人

いずみ・あさと 1956年東京生まれ。
慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。
東京に関する著作を多く著わす。近著に『大東京23区案内』(講談社文庫)、『東京いい道、しぶい道』(中公新書ラクレ)などがある。

泉麻人