第十九回 八王子市(その3) ベルコリーヌと鑓水商人

 京王相模原線に乗って、多摩センターの先のトンネルをぬけると、京王堀之内の市街に入る。このあたりも八王子市南部のテリトリーなのだ。
 京王堀之内駅の開設はバブル経済ピークの88年。僕が初めて訪れたのは90年代の初めだったと思ったが、とくに南口のSFめいた都市の景色に驚かされた。駅を出た先にガウディをイメージしたようなオブジェがあって、その傍らから丘上のマンション群の方へ昇っていくエスカレーターが設備されている。マンションのデザインも先輩格の多摩センター周辺の建物と較べて凝っていて、当時は感心したものだが、いまの目で見るとそれほどのことはない。昔はあまり目につかなかった「庄や」とか「回転寿司」とか、俗な日本的飲食店の看板がガウディもSFセンスもお構いなしにデカデカと掲示されている。
 駅前こそ俗化したものの、別所の方へ行く広い通りをちょっと南下したあたりにシャレた木造洋館の店があった。半地下風の1階はアンティーク店で、階段を上った2階が〈OUCHI CAFE〉と小さな看板を掲げたカフェ。オウチカフェというのだろう、店内の柱や壁、テーブル......どれもわざわざ年季の入った木材を使っている。僕の世代はなんとなく、70年代初め頃の原宿の隠れ家的なブティックや喫茶を思い起こす。


DSCN3778.JPG 京王堀之内駅前、ガウディ風オブジェがある「四季の路公園」。1990年完成。
DSCN3783.JPG おしゃれなカフェで人生初のケークサレ。


 チャーミングなウェートレスさんからメニューの説明を受けて、ケークサレにサラダやスープが付いたランチを注文。ケークサレって、僕は初めてだったが、パンを使ったキッシュ的なものである。土曜の昼時、"予約"のテーブルもあったから、周辺で人気のカフェなのだろう。
 住宅地の裏手に残された里山ムードの森林に寄り道しながら別所の町を奥へ行くと、長池見附橋の交差点に差しかかった。長池公園の一角に設備されたこの橋、橋柱に昔の四谷見附橋の鈴蘭灯が使われているのだ。なんでこんな所に四谷の名橋を移設したのかよくわからないが、そういえばひと頃まで京王堀之内の駅前広場にも、四谷の1つのシンボルともいえる丸ノ内線の旧車両が展示されていたはずだ。何か、四谷との因果がある土地なのかもしれない。


DSCN3793.JPG 長池見附橋には四谷見附橋で使われていた由緒正しい橋柱が移設されている。


 デニーズのある南大沢の交差点を通過して、なだらかな坂道を南大沢駅の方へ上っていくと、長い木塀に囲まれた純然たる日本屋敷が現われた。長屋門まで設えたこの家は、ニュータウンの開発以前からの地主さん宅に違いない。多摩、八王子の新開地を歩いていて、こういう伝統的な物件に遭遇するとホッとする。この屋敷裏の公園のすぐ向こうは、イトーヨーカドーの見える駅前だ。イトーヨーカドーのある南口から北口に出ると、こちら側のランドマークはブランド店のヨコモジを並べた三井アウトレットパーク。その背後には首都大学(昔の都立大学)の郊外型キャンパスが広がっていて、一見、アメリカ西海岸の学園都市の玄関口のようだ。


DSCN3799.JPG ニュータウンの無機質な家や団地の中に日本屋敷が現れると、ほっと心洗われる。
DSCN3804.JPG 南大沢駅北口には「三井アウトレットパーク 多摩南大沢」が。土曜ということもあってにぎわっていた。


 首都大学門前の道を左方へ進むと、一世を風靡した「ベルコリーヌ南大沢」の敷地内に入る。沿線が開発された80年代終わりから90年代初めにかけて分譲された住都公団の高級マンション、"南イタリアの街並をイメージした"なんて、あの頃らしい売り文句が流布していたものだ。よく憶えているのは、佐野史郎がオタクな変質者を演じた「誰にも言えない」ってドラマ。冬彦さんのキャラで社会現象になった「ずっとあなたが好きだった」の続編的ドラマで、佐野が離縁した元妻の賀来千香子を探しあてて、隣人として暮らすことになる場所(ロケ地)が、トレンディーだった頃のここベルコリーヌ南大沢だった。
 八王子の縁かどうかはともかく、テーマ曲はユーミンの「真夏の夜の夢」で、ボックスが普及したカラオケを通じて広く浸透したが、確かこの夏はひどい冷夏だったのだ。そう、カラオケボックスといえば、ちょうど誕生まもないベルコリーヌ南大沢を取材しにきた頃、先の京王堀之内から南大沢に至るニュータウン一角の空き地に、"カラオケボックスカー"なる車内でカラオケを楽しむミニバスが停まっていた光景が忘れられない。
 ところで、このベルコリーヌ、後年多くの棟が欠陥住宅と指摘されて、人気は凋落した。いまもフェンス張りして改築工事中の建物が目につく。


DSCN3808.JPG 俗な"入居者募集"の旗が目につくベルコリーヌ南大沢。いまは南イタリアっぽくない。


 さて、今回の散歩の第一の目当ては、この奥の鑓水にある"絹の道"だ。歩いても行けないことはないけれど、丘陵地のダウンヒルの道をかなり歩いてきたので、ちょっとバスに乗ってみよう。宮上中学前のバス停で待っていると、多摩美術大学行きのバスがやってきた。多摩美あたりからなら割合に近いから、これに乗ってしまおう。
 多摩美のキャンパス、世田谷の上野毛の方には行ったことがあるけれど、こっちは初めて。そう、ユーミンも多摩美の出だが、八王子キャンパスが本格的に機能する70年代後半はもう彼女がプロデビューした後だ。校門前でバスを降りて、柚木街道を東進、絹の道入口のバス停手前の涸れた小川が垣間見える脇道に入っていくと、公園と公会堂を通り過ぎた先にちょっとした田んぼが広がっている。ホタルの再生事業をやっているのか、けっこう大きなホタルの模型看板が掲げられている。
 そんな田んぼの向こうに見えるのが、「絹の道資料館」。館前を通るのが"絹の道"と呼ばれた旧街道だ。絹の道とはもちろん、八王子の伝統産業である絹織物の輸送で使った横浜港へ至る街道の俗称。八王子市街近くの織物工場が使うルート、というばかりではなく、桑畑をもつ農村部の養蚕農家にとっても重要な道だった。この地からも、鑓水商人と呼ばれる生糸長者が続々と生まれたらしい。あの南大沢で見た立派な日本屋敷もそういう関係の家かもしれない。


DSCN3817.JPG 絹の道の脇に広がる田んぼ。奥の日本家屋が「絹の道資料館」。
DSCN3819.JPG 田んぼには大きなホタルの模型看板が掲げられていた。大きすぎてやや不気味。


 館内の展示解説によると、町田の回でふれた明治の自由民権運動も、生糸で富を得た余裕のある豪農家の間で盛りあがったもので、またキリスト教の布教にもこの絹の道のルートが大いに機能したという。町田の農村伝道神学校なんかも、間接的に絹の道の文化の流れをくむものなのかもしれない。
 そうか、キリスト教といえば、八王子のユーミンが讃美歌などの教会音楽に影響を受けた......というのも、どことなくこういう歴史的土壌の系譜が想像される。ところで、この鑓水という趣きのある地名は、丘陵地の斜面に鑓状にした竹を刺しこんで飲料水を得た......という生活風習に由来するらしい。いまも所々に竹林は見受けられる。
 資料館の前の道を西方の坂上に進んでいくと、数百メートル先で枝分れして、右側から昔ながらの絹の道が始まる。土の路面に石がゴロゴロ埋まった、時代劇にそのまま使えそうな区間が、深い木立ちのなかにしばらく続く。資料館を出て30分近く歩いたあたりで、絹の道の石柱が置かれた石段下に突きあたった。石段の上は絹の道の道了堂が置かれていた大塚山公園、左側の小径へ迂回すると切り立った崖上に行きあたる。急な階段を下りると北野台の住宅街だが、この崖上からの眺めは実にダイナミック。
 界下に広がるのは片倉にかけての新開地なのだろうが、かつて絹の道を歩いてきた古えの商人たちも、この辺の崖上からはるか向こうの八王子宿の家並を眺めてひと息ついたような......想像が浮かんできた。


DSCN3829.JPG 舗装されていないかつての絹の道も一部で保存されている。
DSCN3835.JPG 大塚山公園脇の道から北野台の新興住宅地を見下ろす。起伏に富んだ地形がよくわかる。直下を走る幹線道路は国道16号(東京環状)。


 

泉麻人

いずみ・あさと 1956年東京生まれ。
慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。
東京に関する著作を多く著わす。近著に『大東京23区案内』(講談社文庫)、『東京いい道、しぶい道』(中公新書ラクレ)などがある。

泉麻人