第十八回 八王子市(その2) 天皇陵と高尾山

 5月の下旬、梅雨入り前の快晴に恵まれたので高尾山に行ってみようと思う。鉄道の最寄り駅は京王線の高尾山口だが、これまでまだ1度も行っていない武蔵野陵(墓地)へ立ち寄っていきたかったので中央線の高尾からアプローチすることにした。
 八王子、西八王子あたりまでは市街地の景色が続いているが、高尾の駅が近づくと右手の車窓に豊かな緑の木立ちが見えてくる。あの一帯が武蔵野陵の森だろう。
 高尾駅の北口に出て、すぐ先の甲州街道に入ると、このあたりで妙に目につくのはスクールバスや高齢者施設のマイクロバス。ちょっと離れた所にそういう文教や医療施設が散在しているのだろう。いまの甲州街道もイチョウ並木の美しい道だが、町田街道入口の交差点から左裏手に口を開けた旧甲州街道に入る。少し行くと、黒塀の古めかしい屋敷が向かい合い、道端を澄んだ水の小川が流れ、いい感じの旧街道風になってくる。そして、この辺のちょっとしたお宅の表札はだいたい"大貫"さん。知り合いの大貫さんの顔などを思い浮かべつつ、横道を曲がって、南浅川に架かる小橋(古道橋。鎌倉街道の由緒をもつ)を渡って、武蔵野陵の前の参道に入った。


DSCN3572.JPG 甲州街道の旧道には、左手の建物のように由緒正しそうな屋敷が点在している。


 ひと頃までは多摩御陵、あるいは多摩陵(たまのみささぎ)と呼ばれていた天皇墓所、大正天皇を葬るために昭和2年に造営されたもので、平成元年に昭和天皇の墓所が加えられたのを機に武蔵野陵墓地が正式名称となった。
 正門のすぐ手前に、キノコのカサみたいな格好の屋根をのせた交番(高尾警察署多摩御陵警備派出所)がある。実は、けっこう早く家を出てきたので、9時の開場まではまだ15分ばかり時間がある。あたりの脇道をぐるりと歩き回って、交番のおまわりさんの動向など窺いつつ待っていると、陵の方から係員がやってきて車止めの扉をガラッと開けた。一歩の差で僕より先に歩きはじめた初老の男の後について、武蔵野陵のなかへと進む。前の男はキビキビした足どりで迷わず手水鉢の所へ行って手を清めたりしているから、毎朝の参拝を日課にしているような人なのかもしれない。
 手水鉢の横から表参道に入ると、やや湾曲した道の両側にふくよかな葉をつけた北山杉の木立ちが続く。足の早い前の男の姿は見失ったが、ふと見た路上に何かの動物のフンを発見した。開場まもない時間だからペット犬のもの、ということはないだろう。タヌキかイノシシかアライグマ、ハクビシン、もしやクマ? この荘厳な場所の動物のフン、というのは正体が気になる。


DSCN3591.JPG 緑豊かな武蔵野陵の参道。両側に北山杉が立ち並ぶ。
DSCN3592.JPG 路端に動物のフンを発見。中型哺乳類のものか、はたまたクマか......?


 表参道の突きあたりに大正天皇の多摩陵と貞明皇后の多摩東陵が並んで配置されている。いずれも、石段の上に古代の円墳型の墓が垣間見えるが、柵があって間近まで行くことはできない。そして、多摩東陵の前の参道(西参道)を回りこんだ奥に昭和天皇の武蔵野陵と香淳皇后の武蔵野東陵が置かれていた(つまり、昭和天皇の武蔵野陵を一帯の名称としても使うようになったのだ)。


DSCN3598.JPG 昭和天皇が埋葬されている武蔵野陵。大正天皇の墓と同様、上円下方墳型。


 ところで、ふとした疑問で「明治天皇のお墓はどこ?」と思われる方もいるかもしれないが、明治天皇陵は京都の伏見に存在するのだ。さらに、いまの天皇・皇后もこの森の一角に? 多摩、武蔵野......と地域名を使ってしまったら次はナニ陵にするのか? などと思うことはいろいろある。
 各陵の傍らにも小さな木造の平屋があって、見張り番のおまわりさんが暇そうに路面のジャリを足先でなぞっている姿が目に残った。しかし、セミしぐれがうるさくなる前のこの季節、深閑とした森に聞こえてくるのはウグイスとキジバトの声くらいで、なんとも清々しい気分になった。
 門前のケヤキ並木の参道をずっと行くと、甲州街道を越えた先の中央線路端にかつて"東浅川"という駅があった。多摩御陵へアプローチする皇室専用駅として昭和6年に開設、昭和35年まで利用された。出雲の旧出雲大社前の駅舎に似た神殿造りの建物は、廃駅後もしばらく陵南会館という公民館に使われていたが、平成年代に入って過激派の爆弾テロで焼失してしまったのだ。うーん、もったいない。それにしてもこの東浅川駅の跡地、東京オリンピック自転車競技の碑なんてのは建っているのに、昔の駅についての解説が何一つないのはどうしたものなのか。ちなみに戦前は多摩御陵の正門前にも京王電車の支線の駅が、甲州街道ぞいにも武蔵中央電鉄という路面電車の駅があったという。
 さて、高尾山、これまで高尾山口→ケーブルカー、というブナンなコースは何度も使ったので、今回は裏高尾側から足で登ることにする。このコースの出発点近くを走る小仏行きのバスに乗るため高尾駅北口の乗り場へ行くと、平日というのに長い列ができていた。
 高尾山に登るより前に、この路線バス、旧甲州街道のなかなか魅力的なルートを走ってくれる。中央線をくぐった先で右手の旧道に入ると、駒木野、荒井、蛇滝口、山裾の集落のなかをぬける狭隘な道を進んでいく。登山口に近いのは日影の停留所だが、その少し手前の摺差(するさし)という、グッとくる響きの停留所で降りた。


DSCN3605.JPG 旧甲州街道を行く路線バス。乗用車同士の離合も難しそうな狭い道だ。民家の裏には中央本線のオレンジの車両が垣間見える。
DSCN3607.JPG 摺差のバス停。後方に見える高速道路は、中央自動車道と圏央道が交差する八王子ジャンクションだ。


 地図を見ると、集落の字(あざ)名の方は「摺指」の綴り。ま、地名にこういう当て字違いは珍しくないが、いずれにせよ、"指が摺れたり""脇差が摺れたり"みたいな狭い道の景色が想像される。「峰尾豆腐店」という有名な豆腐屋があるけれど、この集落の大方の家は峰尾さんだ。
 中央本線の線路のすぐ近くを走るこの旧街道、山梨や長野へ行く列車の窓越しに見た記憶のある"浅川国際マス釣場"の横を通りすぎて、日影バス停の少し先から左手の林道に入る。日影沢という谷川づたいに続く林道は昆虫マニアの間で知られたポイントで、周辺で撮影された美しいミヤマカラスアゲハの吸水シーンのカットなどが、よく蝶の写真集に載っている。しかし、高尾山の山頂をめざすには、途中から細い山径の方へ曲がらなくてはならない。


DSCN3614.JPG いよいよ高尾山の登山道へと入る。
DSCN3620.JPG 初心者にも歩きやすい登山道だが、本格的な服装の登山客も見られる。


 この山径、多少急峻な区間もあるけれど、足元にはほぼ丸木を入れた階段が整備されていて歩きやすい。しろだも、はくうんぼく、からすざんしょう......と樹木の名札や所々になぜか和歌の木札も立っている。ハイカーのなかには、リンリンリン......と熊鈴を鳴らして歩いている人もいるけれど、かえって熊を引き寄せるような気がして、不安な気分になる。やがて、ケーブルカー駅の方から来た一般客(っていい方もナンですが)と合流、登り始めて1時間ちょっとで頂上に着いた。頂上付近で視界が開けているのは富士や丹沢のある南西方向なのに、こういう場所でも「スカイツリー、見えるか?」なんていってるオヤジがいるのがおかしい。今回は同伴者がいるので、山頂の碑の所で珍しく筆者込みの写真を撮影した。


DSCN3622.JPG なぜか登山道に立つ和歌の木札。写真は紀郎女(きのいらつめ)が大伴家持に贈った歌で、万葉集に収録されている。
DSCN3627.JPG 無事、高尾山山頂にたどり着いた筆者。


 山頂の茶店で生ビールを一杯、いつしか高尾名物の定番となったとろろそばを腹に入れ、帰路はケーブルカーの方へ行く王道を歩む。ところで、時折フワフワと白いスカーフのような佇いの蝶が頭の上を飛んでいく。よく見ると、白は青味がかって、鮮やかな紅茶色の部分も認められるこの蝶はアサギマダラといって、高尾山に多い。道端に解説板も掲げられていたが、この山に自生するキジョランという植物を幼虫が食草にしているのだ。
 薬王院の境内に入ると、山岳信仰のこの寺には天狗の像が目につく。御本尊は飯縄大権現(イヅナダイゴンゲン、と読む)といって、本堂に祀られた像もカラス天狗の顔だち(一見、日活怪獣のガッパも思わせる)をしている。キャラクターブームの昨今、天狗はTシャツの柄になったり、「天狗の鼻くそ」なるピーナッツ菓子にされたり、ミヤゲ物屋の店頭をにぎわしている。
 麓のケーブルカー乗り場の入り口には、八王子の名士・北島三郎の金の像がドンと建立されていた。壁のポスターを見ると、へーっ「高尾山」って歌もちゃんとうたっていたのだ。背後にカラス天狗のポスターも掲示されていたが、パワーをサブちゃんに吸いとられたようだった。


DSCN3635.JPG 山頂にほど近い薬王院境内ではカラス天狗の姿が目立つ。
DSCN3649.JPG 高尾山ケーブルカーの清滝駅には、笑顔の北島三郎像が立っていた。


 

泉麻人

いずみ・あさと 1956年東京生まれ。
慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。
東京に関する著作を多く著わす。近著に『大東京23区案内』(講談社文庫)、『東京いい道、しぶい道』(中公新書ラクレ)などがある。

泉麻人