第十七回 八王子市(その1) 織物の町でエスプレッソソーダ

 僕が子供の頃の八王子は、機織(はたおり)業の町として知られていた。愛読する昭和30年代頃の東京の案内書や写真集を開くと、八王子の駅前広場に"織物の八王子"と刻んだロウソク型の塔が立っている景色がよく紹介されている。織物の主材料は絹であり、町の周辺にはその生産元であるカイコを飼う養蚕農家とカイコの主食である桑の畑が広がっていた。
 八王子市はともかく広い規模(約186.38km²は都内最小・狛江市のおよそ30倍)だから、とても1回では終わらない(かといって30回続けるわけにもいかない)が、まずは中央線でアプローチ、駅の北口に出た。"織物の八王子"の広告塔が立っていたのも表玄関のこちら側だが、もはやそんなのどかなシンボルはなく、立川と同じように2階部に大きな広場が設けられている。この景色、気象好きの僕になんとなくなじみがあるのは、東京に雪予報が出たときなんかに、雪になる確率の高いこの八王子駅前からしばしばリポーターや気象予報士が中継をするからだ。
 駅前広場の様子を立川と較べたが、いまどきの立川ほど派手なテナントビルはなく、近未来調のモノレールも走っていない。初夏の季節柄、紅い花を咲かせたマロニエの並木道を北へ進んで甲州街道を左折すると、アーケードに隠れて見落しがちだがぽつぽつと古い商店が残っている。駅前銀座通りが交差する角っこに建つ「大島屋」は、荒物、雑貨、金物......といった品目と"信用を売る店"なんてキャッチフレーズが右から左へと記された、なかなか年季の入った建物。一見、戦前の建築かと思ったが、「この横山町あたりは空襲で焼かれたので戦後の建物ですよ」と、店奥の女主人に伺った。しかしこの店、古いのは建物ばかりでなく、湯たんぽ、亀の子たわし、麦わら帽子......といった品揃えもなつかしい。「カモ井のリボンハイトリ」といういわゆるハエトリ紙が、まだ売られているのには驚いた。
 織物の町ということもあって、荒物屋とともに目につくのは呉服屋だが、八日町にある「荒井呉服店」はご存知ユーミンの実家だ。
 玄関先に可愛らしいまねき猫像を置いた店舗は新しいが、横道の側から眺めると昔の商家らしく奥行きが長い。専用駐車場の一角に"創業大正元年"と看板が出ている(さらに裏道に廃屋のようだが"荒井呉服店寮"と記したモルタルアパートを発見した)。


DSCN3373.JPG スマホの修理店に侵食されつつも、往年の姿を残す荒物屋「大島屋」。
DSCN3393.JPG ユーミンの実家として有名な「荒井呉服店」。呉服店をはじめ、この周辺には現在でも服飾店が多い。


 ところで、この荒井呉服店のすぐ隣りに黒服蝶タイ姿の若者が立ち働くシャレたカフェがあって、品書きで目にとまったエスプレッソソーダってのを飲んだら、これが予想以上に旨かった。平日の午前10時台という時間帯のせいもあるのだろうが、窓越しの外イスでカウボーイっぽいなりの老夫がくつろいでいる感じが、なんだかいかにもユーミンの実家の隣りのカフェ......であった。


DSCN3398.JPG エスプレッソソーダを飲んでいるとカウボーイ風の紳士を目撃。気分は1970年代。


 さっきの横道を挟んだすぐ向こうには〈甲州街道中 八日市宿跡〉の石碑があり、傍らのビルには〈八王子市夢美術館〉というのが入っている。さらに、東京環状との交差点を越えて八幡町に入ると、古めかしい織物工業組合のビルがある。1階には地場の織物製品を陳列した売場があるが、とりわけ目につくのはネクタイ。昭和30年代当時、国産ネクタイの約7割は八王子産だったという。ネクタイ裏のタグに〈八王子織物 Since1590〉と記されているが、1590年というのは豊臣秀吉勢の前田利家軍によって八王子城が陥落した年。これを機に甲州街道ぞいに城下町が形成されたという。まあ実際、八王子の織物が発展したのは明治時代のことだから、この"Since"はかなりの大風呂敷、といえる。ちなみにネクタイの大方は絹(シルク)製のようだが、いまの生産元はブラジルが中心......と店員さんから伺った。


DSCN3408.JPG 八王子織物工業組合。認可されたのはなんと明治32(1899)年。
DSCN3410.JPG 織物工業組合で売られていたネクタイを裏返すと、しっかり「Since1590」の文字が。


 このちょっと先に戦災を免れたという、立派な蔵造りの荒物屋「加島屋」がある。この角を北方に曲がって、浅川の方へ進路を向けることにしよう。あたりは住宅街になって、段々と地味な風景になってきたけれど、北大通りを渡った先の路地の向こうに、丸ノ内線の車両が見えた。赤字にサンウェーブの帯を入れた昔の丸ノ内線。八王子と丸ノ内線はナンのゆかりもないけれど、どうやらこれはコニカミノルタサイエンスドームという子供向け施設の展示物らしい。
 大横町というこのあたりに昭和30年代中頃まで大善寺という寺があって、サーカスや露店が出る派手な秋祭り(お十夜)が催されていたというが、いまの寺は浅川の向こうの大谷町に移っている。極楽寺の脇から元横山町の裏道を通って、暁橋へ行く旧道に入る。車がスレスレで往き交う狭い通りを北進すると、〈国内旅行計画〉の看板を掲げた小さな旅行代理店の前で左方にだだっ広い直線道の入り口が忽然と現われた。そう、この向こうのブロックこそ、いつか散策してみたいと思っていた田町の旧遊郭街。地名の由来にはいろいろあるけれど、この田町はおそらく"田型"に区画された町自体の形状から付いたものだろう。


DSCN3418.JPG 懐かしい丸ノ内線の旧車両が展示されていた。
DSCN3428.JPG 田町には昔の遊郭を思わせる建物が残っている。周辺に比べて明らかに広い道路も遊郭の名残り。


 田町遊郭は明治26年の大火で甲州街道の宿場にあった家が焼失したのを機に発生、昭和の戦災にも焼け残り、~楼の看板を掲げた江戸ムードの建物にエキゾチックな魅力を感じたせいもあるのか、戦後しばらく進駐米兵たちに愛好されたという。道が不自然に広いのも江東の洲崎などに見られる遊郭地の特徴だが、歩いてみると、倉庫や一般民家の間に仄かながら遊郭センスの建物が見られる。
 そんな一角にある「カキノキテラス」というカフェで、ネット情報で知った山形米澤豚のカツカレーをランチに味わった。横の駐車場にマダムグループのSUV車が次々と入ってきて、あっという間に店は満員になったから、地元で人気の店なのだろう。ここも元遊郭かどうかは定かでないが、前庭にお稲荷さんなんかを残した古い料亭風の建物を使っている。
 料亭といえば、田町の旧遊郭街を後にして先の旧道から浅川に架かる暁橋に差しかかったとき、橋の向こうに〈なか安〉と屋上部に記した奇妙な格好の古ビルが見えた。7、8階建ての上階の窓がシャレた楕円に切られ、鳥カゴのような感じでベランダが突き出している。なんというか、1960年代末のモダンマンション的なセンス。しかし、外壁は汚れで黒ずんで、もはや廃屋かもしれない。
 橋を渡って行ってみると、〈すし市場 なか安〉の看板があって、下階は料亭として機能しているらしい。受付の女性に尋ねてみたところ、昭和初めに創業した料亭で、気になる高層の建物はひと昔前までホテルに使われていたらしい。南方に高い建物はないから、八王子市街が一望できたに違いない。北島三郎やユーミンは泊まっただろうか......。


DSCN3439.JPG 特徴的な意匠が際立つ「なか安」のビル。汚れてしまってはいるが、いま見てもモダンなデザインだ。


 「なか安」の前の道を東進、浅川大橋の方から来た新道がひよどり山トンネルをくぐり始める所から、斜め右手の切通しの道に入っていくと、木立に覆われたアーチ橋(弁天橋)をくぐりぬけた先に小宮公園の入り口、その向こうに大善寺が門を開けている。
 大横町から移転してきた大善寺は、境内に八王子織物の神様でもある機守(はたがみ)神社が祀られている。そしてもう1つ、へーっと思ったのは、あの松本清張のお墓がここにあるのだ。僕は清張のけっこうヘビーな愛読者だが、確か「黒い空」というインチキな結婚式場のオーナーの話が八王子を舞台にしていた。晩年の作品だったはずだから、そのロケハンでこの辺に来たのが墓所を決めるきっかけになったのかもしれないし、小説とはまるで縁はないのかもしれない。階段状に配置された霊園の見晴らしのよい頂上部に、松本清張と刻んだ墓石を見つけた。


DSCN3451.JPG 意外なところで見つけた松本清張の墓所。墓石に刻まれた名前は自筆のものだ。


 と、ここで終わってもいい感じなのだが、八王子は広いのでもう少し遠方まで行っておきたい。さっき通過した新道の浅川大橋寄りの所に路線バスが停まる、八王子郵便局の停留所がある。やってくるのは甲州街道でも次々と見掛けた西多摩地区の定番・西東京バスだが、その「戸吹」行き(サマーランド行きでもOK)に乗車。けっこう長いひよどり山トンネルをぬけたバスは、中央高速のICの横を通り過ぎて、新滝山街道、そして東京純心学園の前から元の滝山街道に入る。
 滝山城址下でバスを降りると、すぐ向こう側に滝山城址へ上っていく入り口がある。上り始めから案外急な傾斜で、これはどうしたものか......と思っていたら、数分も上ったあたりからは緩やかなハイキング道になってホッとした。湾曲した道筋の脇に空堀らしき窪地が残され、千畳敷、二の丸、三の丸......指示板の先に城が存在した時代の景色が想像できる。頂きの本丸跡の所には霞神社、その裏手に金毘羅社が置かれている。金毘羅の北方は急な崖で、秋川が合流する多摩川の流れが見渡せる。
 八王子は裏高尾山中の八王子城、市街南方の片倉城......城址がいくつか残っているが、ここ滝山はとりわけ手軽に往年の山城気分が味わえるポイントである。


DSCN3454.JPG 数ある八王子の山城の跡の中でも、滝山城は入門編に最適。


 

泉麻人

いずみ・あさと 1956年東京生まれ。
慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。
東京に関する著作を多く著わす。近著に『大東京23区案内』(講談社文庫)、『東京いい道、しぶい道』(中公新書ラクレ)などがある。

泉麻人