第十六回 町田市(後篇) 哀愁のサウスマチダ

 芝溝街道に見つけた山田うどん町田図師店でランチを取ることにした。メニューを見ると、ここの定食はだいたい丼にうどんが付いたボリューミーなものが主流なのだ。僕はシニア世代らしく、野菜うどんの単品にしたけれど、あちらこちらに貼り紙のある「パンチ」の名を掲げたもつ煮込み定食が最後まで気になった。
 ところで山田うどん、地場の埼玉ならともかく東京では珍しい、と思って入ったわけだが、帰ってからネットで調べたところ、立川や八王子、東久留米......東京も多摩地区にはぽつぽつ出店しているようだ(23区内にも大田区西蒲田に1軒ある)。とくにこういう視界の開けた郊外の広い新道は、グルグルと回るカカシの広告灯が映えるロケーションともいえる。
 図師の奥、豪族・小山田氏に由来する小山田地区の一帯も、のどかな谷戸田がよく残る好みの地域なのだが、そろそろ南方の町田市街に向かって移動したい。図師大橋のバス停で町田バスセンター行に乗車。ちなみにこの図師大橋、鶴見川に渡された橋なのだが、上流ゆえ川幅はけっこう細く、大橋ってほどのもんではない。
 町田街道を南下していくこのバス、途中通りがかる木曽町や山崎町の一帯は、1960年代後半、市内でも早くにマンモス団地ができあがった所だ。三家(さんや)なんて田舎っぽいバス停もあるけれど、車窓に田畑はまるで見えない。
 終点の町田バスセンターとは、駅前に設けられたバスターミナルのことだが、「バスセンター」と付けるのは地方都市っぽい。そして、センターというほどに80系統に及ぶ、多くの路線バスが出入りしている(一部はバスセンター以外の乗り場だが)。


DSCN3244.JPG ルミネ(JR東日本系列)。町田駅はJRと小田急沿線だが、駅前ではJR、小田急、東急がしのぎを削っている。
DSCN3246.JPG 東急ハンズ(右)と109(東急系列)。


 このバスセンターの傍らから歩道橋や小田急線下の薄暗いガードをくぐりぬけると、右手はJR横浜線の町田駅とルミネなどの駅ビル、左手に東急ツインズ、東急ハンズ......主に東急系のショッピングビルが林立している。闇雲に写真を撮ってきたが、ルミネのビルにはユナイテッドアローズ、ビームス、シップスのアンテナショップ御三家、東急のビルにはニトリ、ABCマート、さらにその先にドン・キホーテ......と、ほぼ渋谷や新宿のおなじみさんが出揃っている。
 ドンキの先に大和横丁という飲食店の小路、その向こうに仲見世飲食街という昔のマーケット風の筋が残っていたが、この辺は往年の原町田駅時代からの繁華街かもしれない。
 原町田──いまもその名は町名に使われているけれど、1970年代までは横浜線の駅が原町田、小田急線の方は新原町田といって、2つの駅はいまよりずっと離れていたのだ。


DSCN3249.JPG 飲み屋が連なる大和横丁。
DSCN3253.JPG 闇市のニオイただよう仲見世飲食街は、夜にも訪れてみたい。


DSCN3256.JPG 大きく「創業昭和八年」と書かれた中野屋。


 平日の昼過ぎ、仲見世飲食街はタイ料理屋を除いてほとんどシャッターを閉ざしていたが、これをぬけると路面にタイル張りを施したプロムナード調の通りに出る。〈創業昭和八年〉と側壁に記した和菓子の中野屋(カフェもやっているらしい)、蔵造りのこれも菓子屋の富沢商店(こちらは大正8年創業)といった老舗が点在しているこの道は旧街道で、109の交差点から斜め右手に枝分かれしていく方(鶴川街道に続く)に入っていくと、何やらこのあたり、妙に"熟女パブ"の看板が目につく。町田は熟女好きが集(つど)う町なのか? あるいは南部つくし野あたりの暇をもてあました有閑マダムがこの辺のパブでこっそり......なんてあらぬ想像も浮かぶ。心配をしていたら、歓楽街はやがて途切れて、東進スクールや四谷大塚、小田急踏切の向こうに河合塾、といった具合に進学塾が目につくようになってきた。相模大野育ちの担当編集者・S女史も大学受験でこの辺の塾に通ったというが、町田はニュータウンや大学キャンパスが周辺に続々と誕生した80年代以降、進学塾激戦区としても知られる町になった。


DSCN3259.JPG 町田名物? 熟女パブ。
DSCN3260.JPG 熟女パブがひしめく歓楽街の横に、塾が林立する進学塾激戦区......。どこか奇妙な光景だ。


 町田の学校というと、今回のコースからは外れてしまったが、鶴川と町田の間に玉川学園がある。この学校の創立は昭和4年(1929年)、同時に小田急の駅も開設された。これは学園側にいた実質的な権力者・小原國芳という人物の力が大きい。小原はそもそも成城学園を世田谷に開いた敏腕教諭(元の小学校は新宿の牛込原町、現在の成城中・高校の所にあった)で、父兄から集めた寄附金を元手に土地を買い、学園とともに住宅地を開発、駅を誘致し、さらに分譲販売で得た金を学園経営にまわす......という、不動産屋もびっくりのやり口で成城学園のプロデュースを成功させ、その第2弾として手掛けたのがこの玉川学園だった。
 いまも小田急の車窓越しに、郊外ののどかなキャンパス風景が垣間見える。成城学園と同じく、成功した芸能人の子弟やお坊っちゃん、お嬢ちゃん風の学生が多い。郊外ムードがウリの学園らしく、敷地内の田んぼを使った農業実習の話は昔から有名だ。
 さて、町田市街からまたバスに乗って、南部の東急田園都市線の町に立ち寄ってみたいと思う。バスセンターで案内図を見ると、なるほど、つくし野、すずかけ台、南町田といった田園都市線方面へ行くバスは、同じ東急系の東急ツインズの脇から出るのだ。
 ところで、どこかで書こうと思っていたのだが、多摩地区で路線バスに乗るとき、区部の人間はちょっと戸惑う。区内は都バスも私バスも前乗りが常識だが、こちらは後ろのドアから乗るのが主流。尤も、多くの地方がこっちのやり方なのだか、パスモを使う場合、整理券を取った上に乗車時と降車時、後ろと前のドア口で2度もパスモをピッとやらなくてはならない。都心のバスは乗るときに1度ピッとやるだけだから、なんとなくダブッてカネを取られているような気分になる(まぁ電車の乗り降りのときと同じ、と考えればいいのだろうけど)。
 僕が乗った南町田駅行きのバスは、上流でも通った町田街道を南下していく。横浜線の成瀬から金森というこのあたりまでが宅地開発されたのは、せいぜい70年代。やや先行して、田園都市線のつくし野駅周辺が開発された。小中学生の頃に熱を上げて集めていた鉄道の記念乗車券のストックブックの中に〈田園都市線 長津田・つくし野間開通〉というのがあって、1968・4・1と日付が記されている。コレを書くまで無頓着だったが、裏面に東急不動産の広告が入っているのが興味深い。
「新駅誕生! 渋谷へ50分 横浜へ35分の 新しい街──つくし野
 駅前にショッピングセンター 東光ストア 内科・外科医院がすでに開業
 あすの豊かな コミュニティのためのホール スポーツクラブ堂々完成!   」
 東光ストアってのが時代だが、券にはできたてホヤホヤの住宅群の写真が誇らしげに添えられている。
 つくし野は誕生から約15年後、大ヒットしたTBSドラマ「金曜日の妻たちへ」(キンツマ)のパート3(大ヒットした小林明子の「恋におちて」が主題歌となったシーズン)のロケ地に使われて、一段とポピュラーになった。
 バスの終点・南町田は76年に駅が開設された、つくし野よりちょっと後輩の新興住宅地。ここは町田市のケープタウン的な南端で、駅のちょっと先を246が走っている。鉄道的にも街道的にも渋谷から続く東急風土の地といっていいだろう。そして、南口には2000年代初頭「グランベリーモール」という広大なアウトレットモールがオープンした。
 手元にあるごく最近の地図にも、コムサイズム、フランフラン、モンベル、ギャップなどのブランド店、さらに109シネマズ......といった物件が敷地内に表示されている。ここを最後に散策してやろう、と行ってみると(実はいまどき予めネット情報で知ってはいたが)一帯は閉鎖されていた。往年のキンツマタウンにはなじまなかった、ディスカウント家電のケーズデンキは健在だったが、駅脇の東急ストアも含めて大々的に再開発されるらしい。
 将来の姿はともかく、フェンス越しに廃屋化したグランベリーモールを眺めていたら、消費欲バリバリのキンツマ時代の終焉を感じた。


DSCN3269.JPG 大型ショッピングモール「グランベリーモール」も、閉鎖後は「夢の跡」といった風情だ。
DSCN3278.JPG グランベリーモール閉鎖後も気を吐くケーズデンキ。


泉麻人

いずみ・あさと 1956年東京生まれ。
慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。
東京に関する著作を多く著わす。近著に『大東京23区案内』(講談社文庫)、『東京いい道、しぶい道』(中公新書ラクレ)などがある。

泉麻人