第十四回 稲城市 県境のよみうり山脈

 日野市、多摩市とこの数回は都心の方へ戻る動きになっているけれど、もう1つ、稲城市というのがある。東京の市町村部で"山手線ゲーム"をしようなんてとき、かなり忘れられがちの市と思われる。もしや"川崎市"と思いこんでいる人もいるかもしれない。
 この市で最も有名なスポットといえば、「よみうりランド」だろう。ただし、京王よみうりランドの駅は稲城市内なのだが、ランド本体の大方は先の川崎市多摩区(これも東京の多摩市と紛らわしい)の領域なのだ。ともかく、京王相模原線に乗って、京王よみうりランドから散歩をスタートすることにしよう。
 駅前は春休みの中高生たちで混み合っていた。園の入り口までゴンドラ(スカイシャトル)でアプローチしようと思ったら、ちょっとした人気アトラクションほどに行列が生じている。このゴンドラ、眺めが良くて好きなのだが、すぐ傍らに〈巨人への道〉と名づけられた階段道が設けられているではないか。厳しい階段のルートを「巨人の星」の特訓にたとえるセンスはなかなかシャレている。ゴンドラに並ぶ若者たちを横目に、ひとり〈巨人への道〉の階段を登り始めた。


DSCN3132.JPG 京王よみうりランド駅から園の入り口を結ぶ「スカイシャトル」。春には空から花見もできる。
DSCN3127.JPG 巨人への道。上った先は夜景スポットとしても知られる。


 ちょっと行ってふり返ると、何人かの若いもんの姿も見受けられる。おや、あの赤いスカジャンと黒ジャンパーの男子2人組は、駅前に溜まっていた男女混合グループのメンバーではないか? その2人はグループ内の女子2人組を、気のない振りを装いつつ意識しているような感じだったから、ゴンドラを待つ女子たちをわざと置いてきぼりにして、こちらの階段道を選んだような気もする。
「いやぁ、しんどかったぜ、巨人への道は」なんてネタを上に行ってから語りつつ、さりげなくワイルドに笑ってみせるのだろう。
 階段の途中の手すりに手袋が置き捨てられていたりするのが興味をそそる。階段は総計283段、巨人への道というくらいに、登り切った所には巨人軍の練習場があった。地図を眺めると、ここもよみうりランドの敷地内のようだが、東京都(稲城市)と神奈川県(川崎市)の境界線が走り、小さな飛地が入りこんでいたりする。2002年、ここの巨人軍の室内練習場で盗難が発生、侵入された窓が川崎市、物品(グラブ)が盗まれたロッカールームが稲城市の領域だったことから警視庁と神奈川県警が出動してゴタゴタした......なんて話が今尾恵介さんの『日本地図のたのしみ』(ちくま文庫)に書かれている。
 詳細地図と照らし合わせながらランドのゲートの方へ向かって歩いていくと、向こうに見える絶叫コースター・バンデットは川崎、手前の慶友病院は稲城、その向こうの観覧車は川崎......といった具合に境角は込みいっている。


DSCN3131.JPG 巨人への道の階段の手すりに置き捨てられたナゾの手袋。
DSCN3142.JPG よみうりランド名物の絶叫コースター・バンデット。走行距離は1560メートル。


 よみうりランドはもう何度も行っているので、今回は外から眺めるだけでいいだろう。ちなみに、よみうりランドの西方には「よみうりゴルフ倶楽部」、さらに「東京よみうりカントリークラブ」とゴルフ場が続いているが、この辺は読売グループの伝説の大将・正力松太郎が戦後早々に一帯の山を買い取って、東京オリンピックの頃にオープンさせたレジャー施設群なのだ。そう、70年代くらいの日テレドラマで大活躍していた生田スタジオもよみうりランドの端っこに存在する。
 立派な日本屋敷の佇まいを見せた温浴施設「丘の湯」の角の所から、駅の方へ下る坂に入った。坂を下ったあたりに弁天洞窟というのがあったはずだ。以前車でやってきたときに「弁天洞窟」の看板を何度も見掛けて、いつか訪ねてみたいと思っていたが、看板は見当たらない。ヘアピン状に屈曲した坂を下っていくと、ひと頃までなかった眺望をウリモノにしたようなマンションが建ち、アートなカフェがあり、名産の梨畑も見えたが、宅地開発や新道工事の告知板が所々に出ているから、この辺の景色はさらにがらりと変貌するのだろう。ようやく、弁天洞窟のバス停を見つけた。すぐ横の威光寺って寺の境内に存在するようだが、入っていくと〈閉鎖〉の告知が出ていた。奥の崖地の横穴に大黒天や毘沙門天、大蛇のレリーフ......なんかが配置され、一時期は新東京百景に指定されていたというが、老朽化して危なっかしくなったのだろう。すれ違った寺の人に尋ねたが、無言で立ち去っていってしまった。目の前の弁天洞窟のバス停ももうすぐ名前が変わってしまうのかもしれない。


DSCN3152.JPG 稲城市一番の名物・梨農園。


 京王よみうりランドから京王線に乗って、1つ先の稲城へ。見晴らしの良い駅のカフェで珈琲を飲みながら一服していると、目の前の席のイナギマダムがスマホをせわしなく指先でなぞりつつ、オカズパンをパクついていた。すぐ横のバス乗り場から柿生(駅北口)行のバスに乗車、これは鶴川街道をずっと走っていく、かなり古くからの路線なのだ。
 前方に一瞬、高架線を走るタンク車の列が見えたので、おや? 京王線に本格的な貨物列車なんか走るのか......と思ったら、そうか、鶴川街道を横断しているのは南武線の中原の先から地下を延々と走ってくるJRの武蔵野貨物線なのだ。外に出る短い区間で貨物車が見られるとは、相当運がいい方ではないだろうか(惜しくも写真は撮り逃した)。

 この架線下をくぐると、道を狭まり、梅畑の向こうに山が迫り、一段と田舎じみてくる。バスは横道の奥の駒沢学園(女子校が主体だが、こんな所にあったのか)に寄り道してまた街道に戻り、この辺の古集落「坂浜」バス停を過ぎると、「県境」なんて停留所がある。地図で見ると神奈川との県境まではけっこう離れているのに。そして、その次の停留所がまた珍しい。「於部屋」と書いてオヘヤ。
 オヘヤ......と車内に流れる女声ナレーションを聞くと、なんとなく妙な気分になる。於部屋とは、御部屋の綴りで辞書にも載っているが"貴人の妾"の居場所を意味するらしい。この辺は、富永氏という戦国時代の豪族の御部屋(の住み処)が存在したという説がある。
 県境や於部屋で降りて、京王線が走る山の方へ歩いていくと、昔の里山風景が辛うじて残っているけれど、もうちょっと先の平尾のあたりまでは新百合の方から広がってきたニュータウンに浸食されている。
 さて、於部屋バス停のちょい先には、もう若葉台のスマートなマンション群が垣間見える。いまどきの"豪族"は、こういうオヘヤに愛人を囲うのかもしれない。
 若葉台入口の信号の所から右手のニュータウンへ入っていくと、セラピー動物病院なんていうのがあり、その先の角には〈PC DEPOT〉なんてヨコモジ看板を掲げたパソコンのメンテナンスを施すスポットがある。この導入部からして、新しい街の雰囲気が伝わってくる。

DSCN3165.JPG 小田急バス「於部屋」バス停。
DSCN3171.JPG 若葉台周辺には近代的なマンションが建ち並ぶ。


 若葉台に来ると思い出すのは、90年代初めの夏。僕は当時「クォーク」という自然科学系の雑誌で東京周辺の昆虫や野鳥をウォッチングする連載をやっていた。京王線の若葉台からすぐ近くの小田急線の黒川のあたりにかけて、当時ホタルの生息する田んぼが残っていて、その観察にやってきたのだ。いや、もう1つの目的は、その谷戸田の一帯がまもなく宅地開発で潰されるというので、ホタルを見物してから自然愛好家のメンバーと一緒に網でホタルを採集して、田んぼが保存されるという京王線と小田急線の間の線路端のような一角に放したのだ(地図で確認すると、いま「黒川谷ツ公園」になっている所だろう)。
 ゲンジとヘイケ(ホタル)が200頭くらい......と、当時の文章に記されているからけっこうな数だ。にぎやかな光の乱舞が目の底に焼きついている。
 駅に向かって歩いていたら、高台のマンションの敷地の崖際にイスを置いて、長いズームのカメラを構える初老の男がいた。焦点の方向には開発前の丘陵地が見える。消えゆく里山の景色を記録する古い住人かもしれない。

DSCN3174.JPG 若葉台の崖から京王線をのんびりと撮影中の初老の男。

泉麻人

いずみ・あさと 1956年東京生まれ。
慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。
東京に関する著作を多く著わす。近著に『大東京23区案内』(講談社文庫)、『僕とニュー・ミュージックの時代』(シンコーミュージック)などがある。

泉麻人