第十三回 多摩市 ウサギ追いし聖蹟の道

 前回(日野市)、子供の頃に多摩動物公園のあたりでよく昆虫採集をした......なんて話を書いたけれど、京王線で途中に通りがかる聖蹟桜ヶ丘(セイセキサクラガオカ)の駅名は印象的だった。後ろの方はかなり違うが、ふとセキセイインコを連想したことをおぼえている。
 そのセキセイインコっぽい聖蹟桜ヶ丘で途中下車して、駅のすぐ近くの湿地でカエル採りをしたこともあった。すぐ向こうにホームが見えていたような印象もあるのだが、もはやまるで面影はない。昭和40年かそこらの頃だから、再開発前の空き地に水が溜まってできたような場所だったのかもしれない。このあたりは新旧の風景を含めてスタジオジブリのアニメ(「平成狸合戦ぽんぽこ」や「耳をすませば」など)の舞台によく描かれているが、今回はそういう"聖地巡礼"をするわけではない。まずは駅名のもとでもある「旧多摩聖蹟記念館」を目当てに歩いていこう。
 多摩川の向こう岸の、感覚的には南口のイメージの東口の方へ出て、ドライブイン型の「星乃珈琲」なんかも見える広々とした川崎街道を東進、鎌倉街道の交差点でちょいと手前を並走する旧鎌倉街道へ入る。これが昔の多摩村時代からのメインストリート、片道1車線の道だが、けっこう路線バスも走っている。

DSCN2943.JPG 「星乃珈琲」多摩関戸店。周辺にはマンションが建ち並ぶ。


 大栗川に架かる大栗橋を渡ると、右方に丘の木立ちがちらほらと見え始め、往年の多摩らしくなってくる。2月下旬という季節柄、農家の庭に白梅や紅梅が花を咲かせている。沿道に「小山商店」という立派なつくりの酒屋が目にとまったが、後で立ち寄ったパルテノン多摩の歴史展示によると、大正時代から続く古い酒屋のようだ。

DSCN2948.JPG 「小山酒店」。大正三年創業、現在の主人は三代目だという。


 門前に「霞ノ関南木戸柵跡」(鎌倉時代の関所)の謂れ書きが置かれた熊野神社に立ち寄って、境内からあたりの景色を一望、宅地の向こうの丘にあるはずの旧多摩聖蹟記念館をめざす。聖蹟にちなんだ聖ヶ丘の町の界隈には、小田急の新百合や東急のたまプラーザにもよくある、キンツマ趣味の瀟洒な住宅が並んでいる。アバウトに地図を頭に入れて出てきたら、途中で進路があやふやになった。ウォーキングをする中高年の男、さらに小さな子連れのママさんにも記念館の場所を尋ねたが、いずれも返答がはっきりしない。いまどきの住民は、町の元になったこの史跡にさほど関心がないのかもしれない。

DSCN2950.JPG 熊野神社から街を見下ろす。多摩らしい風景だ。
DSCN2953.JPG 熊野神社境内の「霞ノ関南木戸柵跡」を示す碑。正式名称は関戸熊野神社、創建は建暦3(1213)年。


 桜ヶ丘公園の領域に入って、なかなかヘビーな山道を上っていくと、林間にようやく記念館の建物が姿を現わした。この山は大松山と呼ばれ、記念館の建つ頂上付近は標高160メートルほどあるらしい。
 周囲にヨーロッパ神殿調の円柱が並ぶ、薄黄色の洋館は昭和5年に建築された。なぜ、こんな多摩の山の上に"聖蹟"という天皇にちなんだキーワードを掲げた物件が存在するのか......というと、その発端は明治天皇の行幸を兼ねた狩猟なのだった。
 明治14年2月、八王子の御殿峠周辺で狩りを楽しんだ天皇御一行は、帰りがけに連光寺と呼ばれたこのあたりでも狩りをしよう、という話になった。
「向ノ岡をはじめ、榎田山、山ノ越、天井返の各狩場で兎狩が行われ、兎6羽の収穫がありました。この狩猟には、連光寺村だけでなく、周辺の関戸・貝取などの各村から150名以上の勢子(せこ)が集められました」
 と、記念館で入手した資料に記述されている。収穫はウサギ6羽ばかりだったものの、天皇はこの地をたいそう気に入られて、3度、4度とここをリピートされた(その後は大正天皇に引き継がれた)。
 狩猟目当ての行幸とはいえ、明治天皇ゆかりの史跡を郊外にも置きたい、と考えていた時の宮内大臣・田中光顕の発案によって、シンボライズされた建物が築かれることになった。館内の展示物のなかでとりわけ目を引くのは、センターにドカンと飾られた天皇の騎馬像。手掛けたのは、日本橋の麒麟像や戦前の万世橋駅前のシンボル・広瀬中佐像で知られる屈指の彫刻家・渡辺長男(おさお)。

DSCN2961.JPG 旧聖跡記念館。建物はドイツ、オーストリアの影響を組んだ、多摩市の建築物の中でも貴重なものである。
DSCN2962.JPG 渡辺長男作・明治天皇の等身騎馬像。明治天皇が30歳の頃の姿だという(写真撮影禁止ゆえ、絵ハガキのものを掲載します)。


 いまも野ウサギの1羽、2羽くらいは出そうな、里山の木々や草地が保存された公園内をぬけて、かなり足も疲れたのでバスに乗って京王永山へ。駅南方の諏訪団地や永山団地は1970年代に誕生した多摩ニュータウンのなかでも、早々に建設された地区。京王線(並走する小田急線でもいいが)に一駅乗って、現在の多摩市の中心といっていい多摩センターへやってきた。
 パルテノン多摩へ向かう南口に出ると、いつもふと大阪万博会場の景色を思い出す。中央に広いプロムナードが敷かれ、両側に並ぶのはパビリオンならぬ各種ショッピングビルだが、一見してテーマパークっぽいのである。
 交差点の真ん中に、この季節、キティちゃんのひな人形が飾られていたが、そこを左折すると正面に「サンリオピューロランド」が建っている。娘がちっちゃい頃に1、2度やってきたが、思えばもう四半世紀前の話だ。そこで、連鎖的に思い出したのだが、同じ頃に多摩センターにあった「多摩クリスタル」って風俗店(ファッションヘルス)はどうしただろうか......。発祥は確か80年代の後半、クリスタルのネームはおそらく田中康夫の「なんとなく、クリスタル」のイメージと思われる。尤も、僕に入店の経験はなく、店の場所自体よく知らないのだが、当時周辺の街道に〈いま多摩がおもしろい。日の出から営業中〉なんていう、ポジティブなコピーを付けた大きな看板が掲げられていた。

DSCN2965.JPG 京王多摩センター駅南口のプロムナードにはキティちゃんのオブジェが飾られている。
DSCN2969.JPG サンリオピューロランドのエントランス。開業は1980年、当時の社長がディズニー映画「ファンタジア」を観て感銘を受けたのが構想のきっかけだとか。


 ピューロランドの並びには「極楽湯」という大江戸温泉物語風の物件が誕生、クリスタルは当日見つからなかったが、後で検索してみたら、この「極楽湯」の道向こうの白山神社の裏方あたりにいまも健在であることを知った。キティちゃんの国のすぐそばにこういう物件が共存しているというのはなかなか奥が深い。
 白山神社の西隣、多摩センター駅から南進してきた突きあたりに控えるのがパルテノン多摩。多摩中央公園という一帯の緑地のランドマークのように置かれた、この大それた名の施設、シンポジウムに演劇、クラシックコンサート......各種イベントが繰り広げられているようだが、もう一つコンセプトがはっきりしない。バブルの頃に作られたんだろうなぁ......と思ったら、やはり開館は真っ只中の87年。そう、調べてみたら多摩クリスタルの開店も同じ年だった。
 ぼんやりとした文化施設ながら、多摩の歴史展示のスペースは無料にしては見どころがある。ニュータウンの開発前後の変貌を記録した写真などは、僕のような近過去歴史のマニアには興味深い。そして、地域独特の生活風習。周辺の丘に繁る篠竹を削って作る、メカイ(目籠)と呼ばれるザルがこのあたりの特産品だった、なんてことを初めて知った。
 さて、このパルテノン多摩の裏手、公園の一角に「旧富澤家住宅」という古家が保存されている。こういう古民家展示はいまやどこにもあるものだが、この富澤家は今回の散歩においては見ておきたい。明治天皇が件の兎狩り行幸に訪れた折、御小休所として使われた家なのだ。
 富澤家の先祖は今川義元の家臣を務めていたが、桶狭間の戦で敗れた後にこの地に逃れて土着した。年表を見ると、江戸幕末の頃は近藤勇や土方歳三とも交流があった家らしい。薬医門があって、入母屋(いりもや)造りの、玄関を突き出した趣のある主屋が建っている。18世紀後半の築とされる建物、もとの場所が気になるけれど、歩き始めに見た小山商店の裏手、かつて天皇が通った行幸(みゆき)橋の橋詰あたりに昭和年代まで建っていたようだ。
 富澤家の人々は多摩だけでなく江戸市中でも活躍した......と書かれていたが、そういえば町歩きをしていて「富澤」という表札の豪華な古屋敷を各所で目撃した。

DSCN2972.JPG パルテノン多摩。丘の上の建物がギリシャのパルテノン神殿と似ていることから名づけられた。
DSCN2974.JPG 「旧富澤家住宅」の主屋。内部も一部をのぞき見学が可能。

泉麻人

いずみ・あさと 1956年東京生まれ。
慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。
東京に関する著作を多く著わす。近著に『大東京23区案内』(講談社文庫)、『東京いい道、しぶい道』(中公新書ラクレ)などがある。

泉麻人