第十二回 日野市 土方地帯と思い出の動物園

 前回立川から乗った多摩都市モノレールで多摩川を渡ると日野市に入る。日野に入って最初の駅が甲州街道、そして次が万願寺。将棋を打つ人の間では「王手は日野の万願寺」なんて語呂の良いフレーズがあるというけれど、これは昔の甲州街道が多摩川に差しかかる所に存在した「万願寺渡し」(渡舟場)に由来するらしい。甲州方面から江戸攻めをしようというとき、ここが大詰めの関門、というような意味合い。そんな渡し場は、新しい甲州街道に日野橋が架かる大正末年まで機能していた。
 万願寺という寺は現存しない(かつて安養寺のそばにあったらしい)が、このあたりはなんといっても土方歳三の史跡で知られている。僕が初めてこの界隈に来たのは、NHK大河で「新選組!」をやっていた頃(2004年)で、当時まだ開通してまもないモノレールの車窓から新選組の衣装をイメージした青い宣伝旗がぽつぽつ見えたのを思い出す。
 駅を降りて2、3分の所にある土方歳三資料館は歳三の生家を使ったもので、門柱に「土方」の表札が出ている。しかし、残念ながら本日は休館(限られた土、日しか開いてない)。庭の入り口に置かれた男前の土方胸像(「ザ・ガードマン」に出ていた倉石功に似ている。ちょっと古いか......)を眺めて、モノレール高架線の向こう側(東方)にある土方家ゆかりの寺社を訪ねる。
 畑と住宅が混在する石田(イシダ)という地区だが、「土方」の表札が本当に目につく。家並のなかにこんもりと見えるカヤの木立ちは、通称「とうかん森」と呼ばれている。木立ちの奥にぽつんと祠が置かれているが、ここは土方家が管理していたお稲荷さんで、とうかんの名は稲荷を音読みしたトウカ、あるいは土方家の十軒(トウケン)の氏子......と、諸説の由来がある。


DSCN2731.JPG 土方歳三資料館。館長の土方愛さんは土方歳三の傍系の子孫(歳三の甥の子孫)。
DSCN2735.JPG 館内に建てられた胸像。


 そのちょっと先の浅川近くにある石田寺(こちらはセキデンジと音読み)は土方家の菩提寺。こちらも境内に大きなカヤの木が植わっている。この寺の向かいの家も、古旅館のような趣のある佇まいなので、気になって表札を見るとここも土方。その先に「Auto土方」なんて板金塗装の工場もあって、いやはやまさに土方さんだらけの地帯なのだ。
 浅川の堤に上がった所で気づいたのだが、石田寺の並びに建つ都立日野高校ってのは、国立市の回でふれた忌野清志郎と三浦友和が通っていた高校ではないか。へー、こんな所にあったのか......すると、土方歳三の役は三浦友和が演じてもおもしろくなるかもしれない。

DSCN2742.JPG 石田寺。境内の「土方歳三義豊之碑」は、家督を継いだ兄、喜六の曾孫にあたる康氏が建立したもの。
DSCN2748.JPG「Auto土方」の看板。近辺には驚くほど土方姓が多い。


 浅川の堤の向こうに銀色の多摩都市モノレールが見える。モノレールが上を走る新井橋を渡って、高幡不動をめざす。
 高幡不動の駅は、大正14年に京王線の前身・玉南電鉄が設置した歴史の古い駅だ。南口から参道商店街が始まって、およそ100メートルで不動の玄関口に行きあたる。丘陵を背にして、不動堂や五重塔がきちんと絵ハガキのように並んでいる。とりわけ、平安様式の赤い五重塔は印象的だ。仁王門をくぐってなかへ進んでいくと、正面が不動堂、その裏方に奥殿、さらに山門の奥に大日堂、他にも大師堂、聖天堂と様々な堂宇が配置されている。そう、この境内にも土方歳三の銅像が建立されているが、この歳三の顔だちは万願寺の生家のとはまたタイプが違う。
 五重塔の手前あたりから左手の丘陵地へ入っていく山径が口を開けている。高幡城址の横を通って多摩動物公園の方まで続く、かなり古くに設定されたハイキングコース。サクラやアジサイなどの草木も植えこまれているようだから、もう少し季節が良くなれば歩いてもいいかもしれない。しかし、地図を見ると、多摩動物公園との間が宅地開発されて、ニュータウンのなかを通りぬけなくてはならないってのはモチベーションが下がる。
 高幡不動の参道にもいくつかの料理屋はあったが、モノレール駅近くのコンコースに見掛けた「平子煮干しそば」の品書きを出したラーメン屋がなんとなく気になっていて、ここで昼飯をとる。きりっとした男(土方系ともいえる)が作る煮干し風味のショウユラーメンは想像どおりの好みの味だった。

DSCN2754.JPG 関東三大不動の一つとして知られる高幡不動は日野市きっての観光地。
DSCN2759.JPG 高幡不動内の土方歳三像。


 ところで、今回は廻らないが日野市の西部は重工業地帯でもある。まずは、地名がそのまま付いた日野自動車。いまはトラックやバスの大型自動車が中心だが、僕の子供時代はルノー、ヒルマン、コンテッサ......タクシーによく使われる乗用車でも知られていた。それからコニカミノルタ、富士電機。前者のある町には「さくら町」、後者には「富士町」と企業由来の町名が付けられている。コニカミノルタ=さくら、ってのがピンとこない読者ももはやいるかもしれないが、前身のフィルムメーカーは「サクラカラー」(小西六写真工業)といったのだった。
 京王線の高幡不動の隅っこのホームから、多摩動物公園行の支線が出ている。ライオンやコアラ......動物のイラストがちりばめられた可愛らしい電車、コレに乗って多摩動物公園へ向かった。この支線が開通したのは昭和39年4月というから、僕は小学2年生。低学年の頃に母に連れてきてもらった記憶があるから、開通ホヤホヤの頃にこの線を利用したのかもしれない。
 象のオブジェが置かれた正門から入って、まず向かったのは右手の山側に設置された昆虫生態園。えっ、動物園に来て昆虫? と思われるかもしれないが、虫好きにとってここの昆虫園は聖地ともいえる。近年の熱帯植物園方式とでもいおうか、20度以上に温度管理されたドームのなかに、植物とともに蝶が放し飼いされている。東南アジアや南西諸島の草花のなかを、オオゴマダラがスカーフのようにフワフワと舞い飛び、リュウキュウアサギマダラが青味の強いマダラ模様の翅を開いて草葉にとまっている。束の間、沖縄の田園にトリップしたような気分を味わって、まだちょっと寒いが園内を散策することにしよう。
 広大な園内は、アフリカ園、オーストラリア園、アジア園、と地域分けされて、そこに棲息する動物が配置されている。ライオン、アフリカゾウ、キリン......といった大物が揃ったアフリカ園、コアラが呼びもののオーストラリア園、アジア園の一角に置かれたオランウータンの檻の前にはなぜか"合格祈願のおみくじ"が柵に巻かれて掲示されていた。〈オランウータンの験かつぎ 絶対落ちないよ〉。なるほど、枝に器用にぶら下がる習性にあやかったのだ......ムフロンとかヒマラヤタールとか、名と姿が一致しないマニアックな動物もいる。

DSCN2764.JPG 京王線の多摩動物公園行き支線の車内にて。たくさんの動物でにぎやかだ。
DSCN2783.JPG 園内はアフリカ園、アジア園、オーストラリア園と分かれる。写真はアジア館のトラ。
DSCN2773.JPG 昆虫園の「リュウキュウアサギマダラ」。南国らしい鮮やかな模様。
DSCN2768.JPG 昆虫生態園の前にあるバッタのオブジェ。


 園内の見物者は、ウィークデーということもあるが、大学生くらいのカップル、小さな子連れのママ、男女4・4の合ハイ(合同ハイキング)グループも目撃した。中高年のオッサンなんてのはいないか......と思ったら、本格的なズームレンズのカメラを携帯した、いわゆる動物写真マニアの男がトラやユキヒョウの前に張りついて、ナイスショットを狙っていたりする。
 イヌワシやフクロウなどの鳥のスペースが並んだ一角で、クワオン、クワオン......と奇妙な鳴き声が聞こえてきたので、ナンの鳥だろう?と思って探したら、傍らの木にとまったカラスだった。こういう環境にいると、カラスも緊張して鳴き声を変えるのだろうか?
 ところで、小2か小3の頃、初めて多摩動物公園に連れてきてもらったときの目的も動物見物より虫採りだった。夏休みの一日、さっきカラスが鳴いていたような通路端の木枝の高い所にオニヤンマがとまっているのを発見、虫採り網のサオを最大限に伸ばしても届かず、断念したのだ。そのとき園内に「スケーターズワルツ」がゆる~い感じで流れていたことを妙におぼえている。
 多摩動物公園駅のすぐ横にある「京王れーるランド」の展示室に、そんな子供時代に乗った懐しい京王電車の車両が飾られていた。

DSCN2790.JPG 男女混合の合ハイグループ。
DSCN2798.JPG 多摩動物公園隣接の「京王れーるランド」。

泉麻人

いずみ・あさと 1956年東京生まれ。
慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。
東京に関する著作を多く著わす。近著に『大東京23区案内』(講談社文庫)、『東京いい道、しぶい道』(中公新書ラクレ)などがある。

泉麻人