第七回 小金井市 古建築パークと「はけ」の細道

 小金井市――その中心の駅は武蔵小金井ということになるのだろうが、中央線の一つ手前に東小金井という駅がある。ここは僕が小学生の頃(64年のオリンピックの年)にできた比較的新しい駅で、ひと頃まで目ぼしいショッピングビル一つなかったけれど、降りてみると改札のすぐ先から〈nonowa〉なんていう、最近ハヤリのシャレた高架下モールができあがっている。新開地のムードが漂う北口のバスターミナルから出る〈CoCoバス〉というコミュニティーバスに乗って、市の北部の方から攻めようと思う。


DSCN2180.JPG CoCoバス。車体は小金井市のイメージカラーである桜色で塗られている。


 nonoとかCoCoとか......いかにも郊外のカフェセンスのネーミングだが、Co(コ)の方はたぶん小金井を意味しているのだろう。バスは新しそうな学校キャンパス(東京電機大付属校や法政大)が建ち並ぶ道を北方へ進み、五日市街道に突きあたる。その関野橋の所で僕はバスを降りた。玉川上水ぞいのこの道は、前回歩いてきた境橋のちょっと先。境橋あたりはケヤキやコナラが目についたが、この辺は従来の小金井堤の桜が並んでいる。右手に広がる小金井公園のなかへ入っていくと、やがて林の奥に黄色い都電が垣間見えた。フェンスの向こうに7500形の都電が置かれ、背景に古い町並が広がっている。公園の西側に設置された「江戸東京たてもの園」だ。
 北側の小金井カントリー倶楽部(ゴルフ場)まで含めて小金井大緑地と呼ばれていたこの一帯に、昭和15年の紀元2600年の祝典会場として皇居外苑に建てられた光華殿が移設されたのが発端。それでも戦後公園化されてから長らくの間は、「武蔵野郷土館」の名称で、もっとずっと昔の前方後円墳とか竪穴式住居とかの展示が中心だったらしい。いま玄関口に建っている寝殿造りの建物(ミヤゲ物屋や展示室が入っている)こそ、戦前からここにある光華殿なのだ。
 さて、旧光華殿の向こうに配置された古建築は、三井財閥・三井八郎右衛門邸やら建築家・前川國男の自邸やら板橋の常盤台にあったモダンな写真館などなど......八王子千人同心が使った江戸時代の茅葺き屋敷なんかもあるにはあるが、江戸よりも明治以降の近代クラシック建築のテーマパークといえる。なかでも、一見してインパクトを感じたのは高橋是清邸。明治35年、赤坂に竣工した巨大な2階建の日本家屋は、玄関先に長く突き出した和風のポーチに圧倒される。これが、いま高橋是清公園になっている246(青山通り)の草月ホールの先に建っていたのだ。
 2.26事件(昭和11年)のときの暗殺現場となった2階の書斎間に"ダルマ"のあだ名で親しまれた是清の、太った晩年の写真が飾られていた。僕はこの肖像を見ると、幼い頃まで微かに流通していた高橋是清図案の50円札を思い出す。くすんだダイダイ色のお札で、時折あそんでくれる近所の兄ちゃんがシワくちゃのやつを財布から出して、「ダルマの50円札、知ってっかよ?」なんて見せびらかしていた、おぼろげな記憶がある。

DSCN2184.JPG 「江戸東京たてもの園」の光華園。寝殿造りの神々しい建物。
DSCN2188.JPG 1937築のモダンな「常盤台写真館」。
DSCN2195.JPG 226事件の現場となった高橋是清邸。建物だけではなく庭も再現されている。


 来るときに都電を見掛けた園の東側の方には、ひと昔前まで都心に存在した商店が集まっている。神田の文具店・武居三省堂、白金の小寺醤油店......そんな筋の突きあたりにドデンと構えるのは千住に存在した銭湯・子宝湯。唐破風と入母屋破風の屋根が二段重ねになった独特の佇まいの建物は、あの「千と千尋の神隠し」の湯屋のモデルの一つになった、という説がある。僕の前を行く若い女の子3人組は、おそらく宮崎アニメのファンなのだろう。まわりの建物には目もくれず、子宝湯の前まで一目散に進んで、それぞれポーズをきめて写真を撮り合っていた。
 ところで、この辺の商家の横壁にホーロー看板がいくつか張られていたのだが、妙に数が多くて不自然なんだよね。後から張り足したんじゃないのかな......ハコが渋いんだから、ムリにレトロな演出をすることもないのに。
 多少気になる所はあるものの、森に囲まれた環境といい、オトナがじっくりくつろげる、よくできた施設だと思う。外に出て、玉川上水ぞいの五日市街道を西へ進む。3人組女子ではないけれど、またまた前方にアラフォー見当の女性がいて、何やら鼻唄をうたいながらいい調子で歩いている。川岸の樹々に紅葉もちらほら見受けられ、空も快晴だから、ピクニック気分になったのだろう。
 何をうたってるのか? 曲を確かめたいが、あまり距離を縮めると警戒されるだろう。変質者と見られなくとも、うたうのは止めてしまうかもしれない。ま、いいかと歩速をあげて近づいていくと、メロディーが判明した。
♪すみれの花~咲く頃~
 詞はなかったものの、ハミングでうたっていたのは、タカラヅカ御用達の「すみれの花咲く頃」もしや彼女、ヅカファン?
 10年ほど前まで、古いレンガ橋が架かっていた小金井橋の所を左折すると、1キロ足らずで武蔵小金井の駅。もうこの辺からも駅前のタワービルが見える。イトーヨーカドーも西友も成城石井もドン・キホーテもある、それなりの市街地だが、駅を越えて南口のちょっと先まで行くと、武蔵野らしい草深い崖線に行きあたる。大岡昇平の「武蔵野夫人」に描かれた「はけ」と呼ばれる湧水豊かな地帯。
 連雀通りから南方の低地に向けて、念仏坂とか、なそい坂とか、趣のある名の急坂や石段道がいくつも口を開けているが、前原坂上交差点の脇から始まる質屋坂というのを下っていくことにする。S字カーブを描く坂の中腹、質屋坂の由来碑(この道は府中と志木を結ぶ古道で、沿道に質屋があったウンヌン)のすぐ横に立派な古屋敷が建っているが、ここなんかいかにも昔の質屋を想像させる。
 坂下の道を東進、小金井街道の下をくぐって向こう側に行くと、西念寺に金蔵院、崖下に寺が並んでいる。金蔵院の門前から始まる道に「はけの道」と付いているので、湧水の小川が道端に流れているのか......と期待していたら、水はなかなか現われない。しばらく行った所の「はけの森美術館」の先で、ようやく武蔵野の「はけ」らしい小川が出現した。ここから小川の流れにそって「はけの小路」という野径が右手のヤブの奥へと続いている。入っていくと、やがて野川の岸にぶつかった。
 国分寺市内の複数の湧水地を水源に小金井、三鷹、調布、世田谷の南部を流れて多摩川に合流する野川は、ほとんどの区間で草地のなかを水が流れる、昔の里川の環境を保っている。といっても、まるで昔のままではなく、一旦洪水対策で深く掘りこんで護岸を施した後、土を被せて昔風に仕上げたものなのだ。しかし、水際の草むらの小径を歩くことができて、水も澄んでいるので、散歩人にはとても快適だ。川べりの道には、散歩人をターゲットに、自然愛好家のマダムが趣味で始めたようなカフェや小物屋がぽつぽつと見受けられる。
 もうこのちょっと先は多磨霊園だが、散策は府中市の回にまわして、そろそろ引き返そう。歩いているときに、この辺にもあのCoCoバスの停留所を見掛けた。
 野川に架かる天神橋の停留所で待っていると、車1台しか通れない狭い道をCoCoバスがやってきた。しかし、このエリアの車両は道が狭いせいか、いわゆるワゴン車なのだ。町内会の寄り合いで使うような十数人定員のワゴン車のバスは、すぐに満席になって、助手席にまで客が座っている。この満杯のワゴンバスが、市役所脇の斜度15%の「なそい坂」を駈け上るシーンは、バス好きの胸を打った。コレ、また乗りにきたい。

DSCN2218.JPG ゆるやかなS字カーブを描く質屋坂。
DSCN2238.JPG 驚くほど細い道を走るCoCoバス。

泉麻人

いずみ・あさと 1956年東京生まれ。
慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。
東京に関する著作を多く著わす。近著に『大東京23区案内』(講談社文庫)、『東京いい道、しぶい道』(中公新書ラクレ)などがある。

泉麻人