第六回 武蔵野市 ジョージタウンとグリーンパーク

 武蔵野市の中心・吉祥寺は、もう10年余り都心勢を抑えて、住みたい街ベスト1の座を保っている(たまに3位、4位のランキングも見掛けるが)。もっとも、その大きな要素とされる緑豊かな井の頭公園は、前回書いたとおり大方の敷地が三鷹市の領域なのだが、駅北口に広がる吉祥寺の中心街も充実している。和洋中のグルメ、程良く洗練されたファッションや雑貨の店、なつかしき昭和の横丁の面影を漂わせるハモニカ横丁、郊外住宅の狭間を縫うように走るコミュニティーバスの元祖・ムーバス......。
 そんなバラエティーに富んだ吉祥寺、偏屈者の僕としては、オシャレタウン誌や情報番組でまず紹介されることのない、駅北東側の界隈から歩き始めたい。ヨドバシカメラの裏筋に入っていくと、「昼キャバ」なんて立て看板が道端にあったり、ラブホテル調のビジネスホテルが点在していたり、ソープランドのネオン看板がちらりと見えたり。この辺、吉祥寺に唯一残された裏池袋的歓楽街。僕が学生だった70年代後半、「城」っていう、あまり柄のよろしくないディスコがあったのもこの一角だったはず......。

 散歩当日はクリスマス前の季節、ということもあって、西武や関東のバスが出入りする北口広場には大きなツリーが飾られていた。サンロードの入り口の西方に固まった低い家並がハモニカ横丁(ハーモニカ、と音引き入りで記す所もある)、戦後の闇市マーケットから発展した商店街で、ハモニカの口を思わせる細かいマス目の区画からその名が付いた。いかにも、中央線沿線らしい横丁だが、入り口の所に三千里薬品が店を出しているあたり、渋谷(井の頭線)の窓口の性格もあるのだ。

DSCN2097.JPG 吉祥寺駅前。コロッとした車体がかわいいムーバスが停車中
DSCN2099.JPG ハモニカ横丁の一角、のれん小路。昭和の風情が色濃く残る

 時間が早いせいか、まだ店の多くはシャッターを閉ざしていたが、ちょっと開けた道角にあるコロッケ屋の「さとう」と和菓子(モナカ)の「小ざさ」の前には早くも行列ができている。行列を横目にサンロードに入った。
 この道が昔の駅前通りで、昭和30年代頃の古写真を見ると、狭い筋をバスが往き来していたようだが、僕が初めて吉祥寺へ遊びに来た70年代中頃にはもうサンロードの名を掲げたアーケード街になっていた。そう、当時、"若者の街 ジョージタウン"なんていう恥ずかしいキャッチが伝播していた。デートで来たときに、サンロードが五日市街道に行きあたるちょっと手前の「スパゲッ亭」という、いかにも70年代センスのレストランに入ったおぼえがあるが、もはや見当たらない。
 その当時、吉祥寺には吉祥寺という寺がある......と思いこんでいたけれど、ここは江戸時代に水道橋あたりにあった吉祥寺の門前住人たちが明暦の大火で焼け出されて移住したのが由来(三鷹の連雀と同じだ)で、本体の吉祥寺は現在本駒込にある。この地に吉祥寺はないものの、サンロード脇から北方にかけて、月窓寺、光専寺、蓮乗寺、安養寺と四つの寺が集まって(四軒寺の俗称もある)、これらがぼんやりと寺町らしいムード醸し出している。
 吉祥寺散歩、東急デパート脇から郊外気分の小物屋やカフェが並ぶ横道を進んでいくのもいいけれど、オモテの五日市街道ぞいにもなかなか渋い店がある。成蹊大学の方へ向かって歩いていくと、右手に〈珈琲プチ〉とオレンジ(というより橙[だいだい]色と呼びたいような)の看板を出した、古めか可愛らしい喫茶店がある。看板に1947と刻まれているから、おそらく1947年(昭和22年)からやっている、ということだろう。この店、車で通りかかって前々から気になっていたのだが、僕が目にとめるときはいつも閉まっている。今回も時間が早いのか、まだ開いていない。
 ケヤキ並木が美しい成蹊の入り口を過ぎると、道の左手に焦茶の塀が印象的な古い材木屋が見える。「完全な遊戯」という小林旭が新人の頃の日活映画があって、吉祥寺の町が舞台になっているのだが、これに出てくる材木屋になんとなく似ている。ま、映画は地理的にもっと駅に近かった気もするが......。
 ところで、車で走っているとき、このあたりに「~折箱店」という素朴なトタン看板を出した小さな店があったはずなのだが、目に入らない。それを探して関東バスの武蔵野営業所の方まで来てしまったが、これはうっかり見落したのかもしれない。バスで成蹊の手前まで引き返したが、なかった(その後、件の店「近藤折箱店」は、ずっと手前の吉祥寺本町1丁目に存在することを確認した)。

DSCN2064.JPG成蹊大学入り口近くの材木屋。どっしりとした佇まいが印象的
DSCN2059.JPG オレンジ色の看板が目を引く〈珈琲プチ〉。喫茶店通には知られる存在だ


 折箱店の件は諦めて、成蹊の横のケヤキ並木の緑道から吉祥寺北町の住宅街に入る。ゆったりとした屋敷街の道端に桜が植えこまれた景色は名前の似た成城にも似ている。この辺、一方通行や袋小路が多いので、車で入りこむとけっこう苦労する地帯なのだが、成蹊高校の西門あたりを西へ進むと、武蔵野陸上競技場の裏手に出た。
 競技場の脇に「ここはかつて中島飛行機の運動場だった......」ウンヌンという謂れ書きが出ていたが、中島飛行機は九七式や隼......数々の戦闘機やエンジンを製造していた軍事産業の草分け。ここから緑町パークタウンや武蔵野中央公園にかけての一帯がその敷地で、終戦後はGHQに接収されて〈グリーンパーク〉という米軍宿舎が置かれていた。そして、現在の市役所裏あたりにあったグリーンパーク球場では一時期プロ野球の試合が行われ、三鷹の先で枝分れした武蔵野競技場線という中央線の支線が通じていた時期(昭和26年~34年)もあったのだ。
 市役所の奥にNTTの研究開発センターがある。どことなくウルトラセブンの警備隊本部を思わせるようなハイテクビルが建ち並ぶこの施設、そもそも電通研(電気通信研究所=調布の回でその付属校・電気通信大学にふれた)が置かれていた所で、中島飛行機とも関連する重要な軍事施設だったのだ。その先に広がる武蔵野中央公園の草地をぬけて、南門の向こうから始まるグリーンパーク遊歩道というのに入った。緩やかに湾曲するこの緑道、小川の跡かと思っていたら、どうやらこの筋がグリーンパーク球場まで通じていた支線の跡らしい。しかし近頃のこういう緑地はそこらかしこに、「ハチ注意」の警告が出ていて、なんだかみっともない。
 やがて、井ノ頭通りに行きあたった。向う側には延々と境浄水場のフェンスが続いている。多摩湖から一直線にパイプライン(上に自転車道が通っている)で送られてきた水はここで浄化されるわけで、さらに都心へ続く井ノ頭通りが俗に水道道路と呼ばれる由縁でもある。
 浄水場の先で井ノ頭通りと合流した五日市街道をちょっと下っていくと、玉川上水と千川上水の分岐点に境橋というのが架かっている。この辺から小金井橋にかけての玉川上水の堤は江戸時代の後半から桜の名所として知られ、そんな要素も一因となって南方の武蔵境の駅は境停車場として明治22年、沿線(当時・甲武鉄道)では吉祥寺や三鷹よりも先に開設された。ちなみにいま桜は老木がちょぼっと見えるだけで、ケヤキやクヌギの方が目につく。
 と、散歩はここで終えようと思ったのだが、武蔵境の駅近くに前々から気になっていた建物がある。北口にある「東大楼」って中華料理屋も気になったが、(ココなら亜細亜大楼だろう)、それはともかく中央線の車窓越し、三鷹寄りの南側に見える赤屋根に望楼をつけた洋館。行ってみるとこれ、日本医科大学の獣医学校(日本獣医生命科学大学)の校舎なんだね。なんでも昔の東京市麻布区の役所庁舎(明治42年竣工)を移築したものらしい(玄関のポーチは後から付け足した)。
 生徒に紛れてスーッと入っていきたかったけれど、門脇でガードマンがじっと監視しているので諦めた。

DSCN2091.JPG 武蔵境駅に掲示きれていた昔の境停車場周辺の絵地図
DSCN2093.JPG 赤い屋根の洋館がかわいらしい日本医科大学獣医学校の校舎

泉麻人

いずみ・あさと 1956年東京生まれ。
慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。
東京に関する著作を多く著わす。近著に『大東京23区案内』(講談社文庫)、『東京いい道、しぶい道』(中公新書ラクレ)などがある。

泉麻人