第四回 調布市 競輪と鬼太郎と深大寺

 前回の狛江は小田急線で世田谷区と隣接しているが、京王線に乗って世田谷の区域を過ぎると調布市に入る。つつじヶ丘、柴崎、国領、布田と小さな駅が並んでいるけれど、在来線と同料金の「特急」に乗れば、明大前の次はもう調布。ここから多摩、橋本方面へ行く相模原線で一駅行った京王多摩川から散歩を始めることにする。
 僕が子供の頃は、ここが調布から分れた支線のどんづまりだった。当時からもう駅前には京王閣競輪場が存在していたが、競輪場になったのは戦後のことで、そもそもの京王閣はメリーゴーランドや大噴水、プール、演芸場、ローマ風大浴場......なんてもんまで備えた豪華な郊外遊園地として昭和2年に開園した。時代的に見て、小林一三の宝塚遊園をイメージしたのだろう。
 改札を出たすぐ目の前に〈東京オーヴァル京王閣〉と最近の名を掲げて競輪場の玄関口がある。ちなみにこのオーヴァル(oval)はトラックの楕円形を意味するのだろう。開場する午前10時(クローズドの日も多い)をめざしてやってくると、ゲート前に目につくのは圧倒的にシニア世代の男たちで、それも紺灰系のキャップとジャンパー姿のスタイルが妙に多い。通路際には、赤競、青競、サイクル――3種の専門紙の売り台が出ている。しかし、この辺で赤青の配色を目にすると、地元(味スタ)のJリーグ・FC東京のカラーを彷彿する。
 特観席のチケット(¥500)を買って3階のメインスタンド席についたが、この日は眼前のトラックでレースが行われるわけではなかった。皆、モニターに映し出された千葉競輪のレースを横目に新聞で黙々と予想検討している。
 とりたてて車券欲のない僕は、早々に昼飯を取ることにした。館内にもレストランはあるけれど、入ったときから目をつけていたのが、池の畔に置かれた半露店調の食堂。「ふじみ橋」と刻んだ橋の向こうに〈ラーメン〉の赤のれんを掲げた入り口が見える。タンメン、カレーライス、煮こみ、おでん......と、競輪場らしい品書きが張り出され、注文した味噌タンメンは¥500にしては、まずまずの味だった。
 この半露店調の店、見上げると天井部は藤棚になっている。別に屋号など意識せずに食べていたら、ふと目を向けた玄関口の小柱にアンバランスな表札がひっそりと掲げられていた。
〈カフェ&ビア ウィスタリア〉
 ちょっとポカンとしてしまったが、そうか、ウィスタリアは「藤」をシャレたのだ......しかし、これも「オーヴァル」に連動するヨコモジ作戦の一環なのだろう。と、いったオチで競輪場の話は終わらせようか、と思っていたら、手元の資料『特急電車と沿線風景』(新宿歴史博物館・展示図録)に掲載された昭和10年当時の〈京王閣全景図〉に興味深いものを発見した。
 遊舟池と表示されたボート池の傍らに藤棚が描かれたポイント、この「ウィスタリア」の場所に違いない。すると、昭和初めの開園当初からの歴史的な一画ということになる。


DSCN1807.JPG 東京オーヴァル京王閣。次々と競輪ファンが集まってくる。


 京王多摩川駅の東側に出て、調布駅へ向かうバス通りを北上すると、まもなく右手に角川大映――ひと頃の大映撮影所が見えてくる。壁にガメラのイラスト、玄関口に大魔神が2体建立されているが、昭和40年代初めのこの辺の特撮映画こそが僕が初めて観た大映モノ。その後オトナになって、増村保造の「黒」シリーズや若尾文子主演の諸作......好みの大映作品は増えたけれど、ここは昭和8年に「日本映画株式会社」の撮影所が置かれて以来、多摩川べりの映画村の原点となった所。少し東方の染地にいまも日活撮影所があるが、昭和30年代の全盛期に比べて規模は縮小された。
 当日、通りに面した窓越しに売店に飾られたガメラのフィギュアや気味のわるい貞子人形が垣間見えたが、残念ながらこの日は休業日。先へ歩いていくと、狛江の回でも少しふれた「品川通り」に出くわす。この交差点を過ぎると、調布市役所やアフラックの高層ビルが林立して、ぐっと駅前らしくなる。こちらは南口だが、数年前に京王線が地下に潜ってしまったので、メリハリがないまま旧甲州街道の通る北口に出ていた。


DSCN1818.JPG 角川大映撮影所。玄関口に映画「大魔神」(1966年)の巨大な像が建っている。


 もはや古株のパルコの横から電通大通りってのが北へ通っているが、これはあの広告代理店の電通の大通りってことではない。すぐ先にキャンパスを構える電通大(電気通信大学)へ至る通りってこと。しかし、散歩者はこの道よりも1本向こうに口を開けた天神通りを行く方が楽しい。所々に鬼太郎やねずみ男、ぬり壁......なんかのフィギュアが飾られているのは、もちろんこの町に長く暮らした、「ゲゲゲの鬼太郎」の作者・水木しげるにちなんだものだ。
 この道をずっと進んだ先に控えているのが布多天神社。調布の隣り駅の布田の名はこの天神がもとであり、補陀落(ふだらく)信仰との関連性を唱える説もある。天神ゆえ菅原道真公とのゆかりは深く(少彦名神とともに祭神)、境内には亀戸天神などでもおなじみの"臥した牛"の像が見受けられる。
 ところで、この日は七五三が近づいた時期ということもあって、参詣の親子の姿が目についたが、門脇に仮設された七五三内覧会の晴着サンプルを見てハッとした。首のないマネキンに男女の晴着が着せられている。貞子人形と鬼太郎キャラを眺めた後だけあって、瞬間ホラーな心地になった。


DSCN1827.JPG 調布・天神通りの鬼太郎のフィギュア。
DSCN1835.JPG布多天神社門脇の七五三晴着サンプル。


 布多天神社の脇道をさらに北進すると、およそ1キロで深大寺だ。直進するのもいいけれど、東寄りの佐須町の方に廻りこんで野草園のある自然広場の側から入っていくのも一興だ。山裾の一画に調布市内では珍しくなった田んぼが残っていたりもする。
 深い森に囲まれた深大寺、本堂、元三大師堂、釈迦堂、不動堂などが配置された境内の規模は案外コンパクトだが、なんといっても参道付近に寄り集まったソバ屋の数がすごい。江戸時代からの名物と聞くが、とくに近頃は参拝や3月のダルマ市以上にソバ目当ての観光客が増えた、という印象がある。
 わざわざ古い造りにした店も多く、風情があって、手打ちの本格派の所もけっこうあるけれど、ソバの主産地は福井や茨城など他県が主流。しかし、ソバ打ちに重要な湧水はいまも所々に見られる(回遊させるなどの細工を施している可能性はあるが)。
 武蔵野の林を好んだ松本清張は数々の作品に深大寺を描いているが、とりわけ『波の塔』の冒頭の描写は有名だ。
「歩いていて、林の中では、絶えずどこかで、ごぼごぼという水のこぼれる音が聞こえてくるのである......」
 清張で「ごぼごぼ」というと、不穏な殺人シーンをも連想させるが、これが書かれた昭和30年代中頃は音が耳につくほど湧水が豊かだったのだろう。ところで清張は、同じ頃に書いた『不安な演奏』のなかで、この辺に居を構えるキリスト教会を描いているが、調布基地が近かったせいもあって、深大寺周辺の丘には戦後のGHQ戦略のニオイのする教会やミッション系スクールも多い。


DSCN1720.JPG 深大寺の本堂。創建733年と伝えられる。
DSCN1728.JPG清張も描いた深大寺の湧水。


DSCN1718.JPG 深大寺門前にはそば屋がずらりと建ち並ぶ。

泉麻人

いずみ・あさと 1956年東京生まれ。
慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。
東京に関する著作を多く著わす。近著に『大東京23区案内』(講談社文庫)、『僕とニュー・ミュージックの時代』(シンコーミュージック)などがある。

泉麻人