ある晴れた夏の朝

2019/08/05
 森の中で暮らすということは、物言わぬ小さき者たちと友だちになること。
 最初は大きな者たちだった。黒熊さん、食いしん坊の鹿たち、鹿のプリティガール、「ビッグバード」と呼ばれている七面鳥、ふくろう、カナダグース、ブルーヘロン(鷺の一種)。
 それから、しっぽがふさふさの銀灰色のりす、ふわふわの綿のかたまりみたいなしっぽを持つ野うさぎ、消防自動車のサイレンを思わせる声で鳴くコヨーテ(草原狼)、飛び上がってから前足で突っ込むようにして獲物を仕留める赤毛のきつね、黒と白のあざやかなファッションに身を包んだスカンク、水べりを走っていくミンク、水にもぐって猛スピードで泳いでいくビーバー、たぬき、ウッドチャック、ポーキューパイン(山あらし)、しまりす、野ねずみ、もぐら、小鳥たち。だんだん小さくなってくる。
 このごろでは、蛙、蛇、亀、やもり、いもり、とかげ、とんぼ、せみ、名前も知らない虫たち。きわめて小さな両生類や昆虫たちまで、友だちになっている。
「このあいだ、岩をめくったら、あの子がいたわ」
「岩の下? ということは、あいつか」
「うん、目のない黒い蜥蜴(とかげ)みたいな小さな子」
 調べてみると、とかげは「石竜子」とも書くようだ。日本語は美しい。石の下や岩の下や腐った木の幹の中などにじっと隠れている小さな竜の子──みたいな蜥蜴(なのかどうか、実のところ、わからないのだけれど)も、私たちにとっては親しい「あの子」になっている。会話もできないし、触れ合うこともできない。それでも友だちなのである。

夏の森(蝶々).JPG

 森の中で暮らすということは、小さき友たちの生死を見せつけられるということ。
 虫たちは小鳥たちに食べられる。岩の下に潜んでいる生き物は、黒熊に食べられる。卵から孵った雛たちは、親鳥から青虫やみみずやとんぼをもらって大きくなっていく。池の蛙は、ふくろうや烏にさらわれていく。蛇や赤りすは、小鳥の巣から卵や雛鳥を奪っていく。しまりすや野うさぎは、禿鷹の鋭い爪につかまれて、空の彼方へ連れていかれる。誰かが誰かに食べられて、誰かが誰かの命になって、生存していく。これは野生の掟のようなもので、誰にも逆らうことはできないのだろう。
 目が開いたばかりで、羽の生えかけているアメリカンロビンの雛鳥が、木の枝の上で赤りすにバリバリ齧られているのを見かけたときには、ショックでひと晩、よく眠れなかったものだが、赤りすもまた命がけで、赤りすの生を生きているのだと思うに至った。思うに至るまでは、半年くらいかかったけれど。
 コヨーテに倒された鹿の死体が、わずか数日のあいだに、跡形もなく、毛一本も残されることなく、きれいになくなっていくのを目にしたときには、鹿がかわいそう、というよりもむしろ、鹿は鹿の生をまっとうしたのではないか、と、すがすがしいものを見せられたような気持ちになったものだった。

野うさぎ(トレイルの標識).jpg


 しかしながら、人の運転する車に撥ね飛ばされて、路上で血を流しながら、息絶えている生物を目の当たりにすると、胸が痛む。ランニング中、生き物の死体を見つけたら、私は葉っぱで包んで路肩から森まで運んでいく。
「もう死んでいるんだから、そんなことをしても意味はない」
 と、夫は言う。
 私はそうは思わない。
 たとえ死んでいても、道路のまんなかでぺしゃんこになるまで、車に轢かれつづけてほしくない。それもあるけれど、あの子たちには、魂がある。森で生まれ育ったあの子たちの魂は、森に還ってこそ成仏できる。私はそう信じている。

 森の中で暮らすということは、自然の美しさ、優しさ、懐の深さとともに、その厳しさ、非情さ、過酷さ、容赦のなさを受け入れながら生きる、ということにほかならない。
 豪雪、酷寒、凍結。悪天候による停電、浸水、車寄せの溝の決壊。
 この二十数年のあいだに、さまざまな自然災害に遭遇してきた。電信柱が自然発火して、危うく山火事になりそうになったこともあったし、大晦日に、地下から井戸水を汲み上げているポンプが故障し、水のない新年を迎えたこともあった。
 ついこのあいだも、暴風によって、裏庭に生えている栂の大木が倒れてしまい、大型クレーン車を呼んで、吊り上げ作業をしてもらったばかりだ。壮絶な死を遂げた、という表現がふさわしい、樹齢何百年のように見えた大木の根は、信じられないほど長く、太く、地中で四方八方に手足を伸ばしていた。まるで怪物のようなその根は、木の生きてきた歴史を、森の歴史を物語っているかのようだった。倒れる角度が少しでもずれていたら、我が家は半壊していただろう。私は木に感謝した。

 森の中で暮らすということは、私にとって、解放されるということだ。
 人間社会からの解放。人間関係からの解放。言葉からの解放。情報からの解放。文明からの解放。日々、いろんな解放感を味わっている。解放されて、自分が無力で無知でちっぽけな人間に過ぎないことを自覚する。つかのまの解放に過ぎない。一瞬だけの解放かもしれない。それでも解放は解放だ。

森の教室.JPG

 タイトルも作者も忘れてしまったけれど、何年か前に読んだ本の中に、こんなことが書かれていた。いじめられ、学校へ行けなくなった子どもたちを森の中に連れてきて、しばらく生活させてみたところ、子どもたちの心は回復し、また学校へ行けるようになった。同様に、いじめをくり返していた子のいじめも、森の生活を体験したあとに止まった。自閉症、鬱病などにかかっていた人たちの症状も緩和されたという。
 さもありなんと、納得した。私は渡米前(三十代後半です)の一時期、自己嫌悪と劣等感と厭世観に囚われ、人に会ったり、話をしたりするのが苦痛でたまらなくなっていたことがあった。今、思い出すと、軽い鬱だったのかなと思えるのは、ほとんど毎日、午後三時ごろから布団に入って、寝てしまわずにはいられなかったから。起きているのがつらかった。夜は夜で寝ていた。つまり、睡眠時間が異常に長かった。
 当時は恋人だった夫に「どうしてそんなに寝てばっかりいるの?」と訊かれたとき、冗談めかした口調ではあったものの「生きてても、この世の中、ちっともいいことがないから」とか「がんばってもがんばっても、努力が報われない社会が悪い」とか「何もかも虚しい」などと、絶望的な答えを返していたものだった。
 そんな私がきょうまで、好きな仕事をつづけてこられたのは、窓の外に広がっている森のおかげだと思っている。森が私をたくましくしてくれた。森が私を育て、鍛えてくれた。慰めてもらったり、癒してもらったりした覚えは、ない。常に厳しく突き放されてきた。それが私には効いたのだと思う。
 森の仕事部屋から、多くの作品が生まれた(このエッセイ集も)。森が私に作品を書かせてくれたのだと思っている。このごろの私は、子どもたちに森の魅力を伝えたくて、児童書を積極的に書くようになっている。
 去年の夏、この森の中で書いた『ある晴れた夏の朝』という作品が、今年(二〇一九年)の青少年読書感想文全国コンクールの課題図書、中学生の部の一冊として選出された。思い返せば私も、五十年前には中学生だった。夏休みに本を読んで感想文を書いた記憶が、ぼんやりとだけれど、ある。中学時代から小説家にあこがれていた私が五十年後に、中学生に読んでもらえるような作品を書くことができた。これが夢でなくて、なんだろう。私の夢は未来ではなくて、ここにある。今、この一瞬一瞬が「夢」なんだと思う。
 『ある晴れた夏の朝』は、アメリカの高校生たちが、広島と長崎に投下された原爆の是非を問う、という内容の作品で、森の魅力や生活とは一見、関係がないように思われるかもしれない。しかし私は、関係は大いにあると思っている。原爆について考え、戦争について考えるということは、とりもなおさず、自然保護、動物保護、環境問題について考える、ということだから。人間と自然を、平和と地球を、切り離して考えることはできないと思うから。

アメリカの旗.JPG

 私が初めてアメリカの土地を踏んだのは一九九二年、八月六日。
 奇しくも、広島に原爆が落とされた日と同じ日だった。
 成田を飛び立って、ロサンゼルスの空港に到着したあと、ぶあつい書類を携えて、移民専用の入国審査室へ向かった。香港の中国本土への返還が間近に迫っていたせいで、審査室の前には、万里の長城を思わせるような行列ができていた。
 夫はアメリカ人の帰国手つづきでいいわけだから、五分もかからない。ここで夫と別れて、私はひとり、この行列の最後尾につくことになる。英語もできない私が審査を無事、通過できるだろうか。終わるまでに何時間、かかるのだろう。
 不安そうな表情をしている私に、近くにいた係員がこう言った。
「あなたのパートナーもいっしょに、この部屋に入っていいんです。なぜならここはアメリカですから。アメリカは、自由の国なんですから」
 あのとき耳にした英文が、今も脳裏に焼きついている。
 ビコーズ・ディスイズ・アメーリカ。アメリカ・イズ・フリーカントリー。
 私はなぜ、八月六日に、よりにもよって原爆の落とされた日にアメリカに移住したのか。理由はない。夫もまったく意識していなかったという。偶然なのか、必然なのか、わからないけれど、なんらかの力が作用して、私たちは飛行機のチケットをその日に取ったということなのだろう。
 二十七年前の八月六日(原爆投下から数えると四十七年後)の、まっ青に晴れ上がったロサンゼルスの夏の空。
 そこからすべてが始まった。

まっ青な空(カリフォルニア州).jpg

写真:グレン・サリバン


※「空から森が降ってくる」は今回が最終回です。ご愛読ありがとうございました。
来月9月上旬に単行本が刊行予定です。ご予約はこちらから


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小手鞠るい(こでまり・るい)

1956年岡山県生まれ。同志社大学法学部卒。
1992年よりアメリカに移住。1993年、「おとぎ話」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年、『欲しいのは、あなただけ』で島清恋愛文学賞を受賞。2006年刊行の『エンキョリレンアイ』がベストセラーとなる。近年は、『アップルソング』『星ちりばめたる旗』『炎の来歴』など、戦争や日米関係を題材にした重層的な作品を執筆している。