プリティガールのお出まし

2019/07/05
 六月二十五日「1」、二十八日「3」、七月二日「7」、三日「11」と、数字は日を追うごとに増えていく。七月六日には「15」、八日には「27」になり、それ以降は「たくさん」「たくさん」「数え切れない」「見事」がつづく。 
 出典は、二〇一七年の日記帳である。
 昔から、日記を付けるのが好きで、アメリカに移住してからは一日も欠かさず付けている。といっても、たいしたことは書いていない。仕事の進み具合と、その日の天気と、森の植物や生物たちのようす。だいたい二、三行の短い文章。備忘録のようなものだ。
 その前の年には七月四日「2」、その前の年には七月七日「1」が初のお目見えで、やはり数字はどんどん増えていく。
 前庭の野原と林の境目にある、池に咲いた睡蓮の数である。

睡蓮その1.jpg

 睡蓮は、私の手で植えた。
 かれこれ十七、八年ほど前のことだった。
 近所の園芸店で購入してきた苗を、太ももまでずぶずぶ池の水に浸かりながら、泥の中に根を埋めるようにして植え込んだ。子どもの頃、祖父母の家に遊びに行ったとき、戯れに手伝わせてもらった田植えを思い出しながら。
 ガーデニングと呼べるほど本格的なものではないけれど、野良仕事というか、土いじりというか、植物を植えたり、観察したり、水をやったりするのは、私の長年の趣味なようなもの。家の中にも鉢植えを置いて、こまめに世話をしている。よほど植物が好きなのだろう。花や木や草に触れたり、眺めたりしているだけで幸せな気持ちになれる。
 森の家に引っ越してきた翌年から、私は嬉々として、庭づくりに励んだ。
 前の住人がそのまま残していった花壇を整備し、まずは夫の好きな薔薇の木を十本ばかり植えることにした。
 花壇のすぐそばには、ウッドデッキがある。開花の時期が来れば、色とりどりの薔薇に囲まれて、さぞ優雅なティータイムが過ごせることだろう。夢見つつ深く地面を掘り下げて、土まみれ、汗まみれになりながら薔薇を植えた。
 ほどなく、薔薇の枝という枝から、勢いよく新芽が吹き出した。朝な夕な、たっぷり水を与えて生長を見守った。薔薇は、陽当たり、水分、肥料をふんだんに要求する木である。
 初夏の訪れと共に芽の色が赤から濃い緑に変わり、やがて若葉になって萌え出てきた。
 そろそろつぼみが付くだろうか。つぼみが膨らんでいって、大輪の花が咲くのはいつだろう。
 薔薇色の夢は、そこまでだった。
 ある朝、起きて、庭に出てみると、きのうまで若葉を茂らせていた薔薇の木は、すっかり裸にされて、見るも無残な姿に変わり果てていた。
 夢を食い尽くした犯人は、鹿だった。

 ホワイト・テイルド・ディア。
 ふさふさした尻尾の裏側に白い毛が生えているので、この名が付いたものと思われる。東海岸の森に限らず、ほぼ全米で見られる、アメリカでは珍しくもなんともない鹿である。カントリーロードには必ずと言っていいほど「鹿に注意」という道路標識が掲げられている(黄色の標識に、ジャンプしている鹿の絵が黒で描かれている)。
 とはいえ、私にとってはいまだに珍しいし、可愛い。第一、自分の家の庭に鹿が遊びに来てくれるというだけでうれしくなるし、これはとても贅沢なことだと思える。
 この可愛い鹿たちが、私の植える植物という植物、花という花をむしゃむしゃ食べてしまう、食いしん坊の花泥棒なのである。

鹿その1.jpg

 鹿、とひと口に言っても、実は一頭一頭、顔つきも違えば、性格も違う。唯一の共通点は、食いしん坊であるということ。
 人の姿を見かけると、跳び上がるようにして逃げ出す鹿もいれば、地面を前足で叩くようにして威嚇する鹿もいる。りっぱな角を生やしたおすもいれば、小さな体に白い斑点の付いている子鹿もいる。子鹿はまるで童話の本からそのまま抜け出てきたような愛らしさ。心が痛くなるほど可愛い。
 気の強い鹿もいれば、気の弱い鹿も。そういえば、うちの猫を恐れていた鹿もいた。
 そんな鹿たちの中に一頭、たいそう人なつこい鹿がいた。
 私たちの姿を見かけても走り去っていくことはなく、驚いたことに、向こうから近づいてくる。
「ねえ、あたしに何か、おいしいもの、ちょうだい」
 と、ねだっているかのように。
 このめす鹿に「プリティガール」と名付けたのは、夫である。日本語に訳すと「可愛いお嬢ちゃん」だろうか。
 親しみをこめて、私たちは彼女をそう呼んだ。
「あ、プリティガールが来た!」
 本当はこんなことをしてはいけない、と、頭ではわかっていながらも、雪に埋もれて、野には草一本も生えていない季節になると、私たちは、彼女がやってくるたびに、勝手口の戸をあけて、りんごや人参を投げ与えていた。
 プリティガールは、うれしそうだった。笑っているように見えた。にこにこ顔とでも言えばいいのか。そのうち、仲間を連れてやってくるようになった。雪原の中に「鹿の道」ができあがった。私は冬のあいだ、りんごの皮やキャベツの芯や白菜の外側の葉を捨てないで取っておくようにしていた。

 薔薇に懲りた私は、鹿の食べない植物を庭に植えるようになった。
 ラベンダー、きつねの手袋、水仙、犬柘植、きじむしろなど、なんらかの理由で鹿が嫌って、決して食べない植物というのがある。
 園芸店へ行くたびに、
「これ、鹿は食べますか? 食べませんか?」
 と、しつこく店員にたずねるのが癖になってしまった。
 そのうち、
「ああ、そこのそれ、鹿は食べないみたいだよ」
 と、私の顔を見ると、店員の方から教えてくれるようになっていた。
 そうこうするうちにふと思いついて、睡蓮を池に植え込んでみた。これなら大丈夫だろう。植えたのはひと株で、まっすぐな茎から伸びた葉っぱは、せいぜい五、六枚しかなかったと記憶している。
 まさか、池の睡蓮を鹿が食べるとは思ってもいなかった。
 ある朝、起きて、庭を見てみると、きのうまで池の面(おもて)に浮かんでいた、つやつやの葉っぱが一枚もなくなっていた。私の目の前で、朝の食事を終えたプリティガールが悠然と、池から上がってくるではないか。
「あーあ、睡蓮もやられちゃったよ」
「あいつ、グルメだからなぁ」
「いくらグルメでも、池の中まで入って食べるかなぁ。睡蓮はね、四十ドルもしたのよ」
「四十ドルが、一気にあいつの胃袋の中に収まったか」
 しかし、睡蓮は強かった。
 葉っぱは食べられてしまったけれど、泥の中で、根は生きていたのだろう。
 翌年の春、水の中から、赤い茎がひゅるひゅるっと伸びてきたかと思うと、ぽつり、ぽつり、と、水面に葉っぱが浮かび始めた。
「わあ、見て見て。睡蓮が生き返ったよ」
「ほんとだ。四十ドル、損しないで済んだな」
 なんともけちな夫婦の会話である。
 睡蓮の葉っぱの上では、殿さま蛙が鳴いていた。
 花が咲き始めたのは、それから一、二年後くらいだったか。
 先の尖ったまっ白な花びらが、陽の光を集めて、燦然と輝いている。素朴な味わいもあるのに、高貴な雰囲気も持ち合わせている。泥の中からまっすぐな茎を伸ばしてきて、水面できっぱりと咲く。ほかの花にはない優美な佇まい。朝に咲いて、夕方には閉じる。そこに私は物語を感じる。夜は月の光を浴びて、夢を見ているのではないか、と。

睡蓮その2.jpg

 プリティガールはなぜか、睡蓮の花は食べなかった。花の季節が終わった、秋の初めごろの葉っぱが好物のようだった。
 食べられても、食べられても、睡蓮は辛抱強く根を広げていき、暑い夏の盛りに、涼しげな花をいくつもいくつも咲かせてくれるようになった。

 いつの頃からか、プリティガールは姿を見せなくなった。ふっつり消えた、という感じだった。かわりに別の鹿が現れて、睡蓮の葉を食べるようになった。
 野生の鹿の寿命は、平均すると、四、五歳くらいだと言われている。
 生まれたばかりの子鹿は、二年後には大人の体になっている。めすなら次の年に一頭の子鹿を産み、翌年には二頭産み、その次か次の年あたりで寿命が尽きる、ということになる。
 わずか四年しか生きられない鹿に、薔薇を食べられたって、睡蓮を食べられたって、いいではないか。
 そう思えるようになったのは、しかし、つい数年ほど前のことである。
 ついこのあいだまで「また食べられた、くやしい」と、私は地団駄を踏んでいた。夫は「きみがレタスを食べるように、鹿だって、睡蓮の葉を食べるんだよ」などと諭す。
 野の花を食べられてもなんとも思わないのに、なぜ、睡蓮を食べられたらくやしくて、悲しいのか。延々と考えつづけていた日々もあった。
 私の導き出した答えは「私が植えた」の「私」にある。私は睡蓮を通して、自我に執着しているのである。この執着から解放されさえすれば、鹿がむしゃむしゃ睡蓮を食べても、平然と見ていられるようになるはずだ、と。ここまで来たらこれはもう、ある種の精神修行である。
 お釈迦さまも笑っていたことだろう。鹿と睡蓮といえば、どちらもお釈迦さまに関係している動物と花ではないか。
「きみは暇人(ひまじん)だねぇ。もっとほかに考えることはないの?」
 夫にはあきれられたものだが、私はいたって真剣だった。鹿と睡蓮のおかげで、ほんの少しだけ、精神が強くなった──ような気もする。
 さて、今年はいつ、最初の「1」がお目見えするのだろうか。
「1」が「2」になり「10」になり「数えきれない!」の大歓声になって、それを盛り上げてくれる蛙たちの喜びの大合唱「蛙交響曲第9番」が響き渡るのは、いつだろう。
 池のまわりをうろついている鹿の中に、プリティガールにそっくりな顔つきの鹿を見つけると、「あれは彼女の子孫?」と"再会"を喜びながらも「お願い、せっかく咲いた花は食べないでね」と、祈りの言葉をつぶやいているきょうこのごろである。

写真:グレン・サリバン

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小手鞠るい(こでまり・るい)

1956年岡山県生まれ。同志社大学法学部卒。
1992年よりアメリカに移住。1993年、「おとぎ話」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年、『欲しいのは、あなただけ』で島清恋愛文学賞を受賞。2006年刊行の『エンキョリレンアイ』がベストセラーとなる。近年は、『アップルソング』『星ちりばめたる旗』『炎の来歴』など、戦争や日米関係を題材にした重層的な作品を執筆している。