恐竜の卵

2019/05/07
 長かった雪の季節が終わり、もう来ないのではないかと思っていた春が巡ってきて、名残雪と遅霜を見届けてから、玄関の軒先にフラワーバスケットを吊るす。
 今年はどんな花で玄関先を飾ろうか。
 目の覚めるような黄金色のマリーゴールド。
 風に揺れる優しげなペチュニア。
 あざやかな赤とピンクのゼラニウム。
 花屋さんの店先をうろうろしながら、ああでもない、こうでもないと迷う。心躍るひとときだ。我が家の庭の地面に植えることのできる花は、種類が限られている。植えたとたんに食いしん坊の鹿がやってきて、むしゃむしゃ食べてしまうから。
 だから、鹿に食べられる心配のないフラワーバスケットは、心ゆくまで迷って選ぶ。
 フラワーバスケットを掛けて、咲き誇っている花たちを愛でながら、玄関前のポーチでお茶を飲んだり、果物を食べたり、本を読んだりする。バックグラウンドミュージックは小鳥の歌声。ときおり本から顔を上げ、青空を漂う雲を眺めていると、どこからともなく蝶々が飛んできて、花の蜜を吸い始める。至福のひとときだ。

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 しかし悲しいかな、幸せは長くはつづかない。

 みずみずしい夏のある昼下がり。
 トレイにチョコレートと紅茶をのせ、本を小脇に抱えて、いそいそとポーチに出ようとしている夫の背中に、私は厳しく言い渡す。
「待った! 本日より、玄関使用禁止令施行!」
「ええっ、またなの? 今度は誰?」
「ジュンコ」
「そうか、ジュンコか。やれやれ、迷惑なやつだ。いったいここを、誰の家だと思ってるんだ」
 ぶつぶつ文句を言いながらも、夫の顔は、まったく迷惑そうではない。むしろうれしそうに見える。トレイを手に回れ右をして、家の中へ逆もどり。
 ダイニングルームの窓から、恨めしそうにフラワーバスケットを見つめている夫に、私は指さしながら通告する。
「あの、まんなかのバスケットの中だから。当面のあいだ、配達業者にはガレージから入ってもらうようにします」
「わかりました。で、今のところ、何個?」
「今はまだ二個。ジュンコはだいたい四個か五個だからね」

ジュンコの巣立ち後、巣に残されていた卵.jpg

 ジュンコというのは小鳥の名前で、正式名称はダーク・アイド・ジュンコという。
 大きさはすずめくらい。おすは濃い灰色。めすは薄い灰色。ピンク色のくちばしと、黒い瞳の持ち主で、特徴は尾羽にある。灰色の尾羽に隠れている白い尾羽が、ぱっと飛び立った瞬間、あたかも広げた扇のように美しく目を引く。
 抱卵の期間は二週間弱。雛が孵ってから巣立ちまでにかかる日数もだいたい同じ。ということは、これから四週間ほど、我が家の玄関は、使用禁止になる。親鳥には、落ち着いて、安心な気持ちで卵をあたためてもらいたいし、誰かが玄関のドアをあけたとき、びっくりした雛が巣から落ちたりしたら大変だから。

 私たち夫婦が野生の小鳥に関心を抱くようになったのは、かれこれ十三年ほど前、愛猫に先立たれて以来のことである。
 それまでは、小鳥のさえずりを耳にしても、ただ「小鳥が鳴いている」としか思っていなかったし、小鳥の姿を見かけても「ああ、小鳥が飛んでいる」としか思っていなかった。小鳥とはあくまでも「小鳥」に過ぎなくて、それぞれに個別の名前があり、鳴き方も、暮らし方も、住む場所も、好きな食べ物も、言ってしまえば何もかもが異なっている、なんてことは、想像もしていなかった。
 猫が亡くなったのは秋だったのだが、その翌年の春から、家のあちこちに小鳥が巣を掛けるようになった。それまでは、天敵に相当する猫がいたから、うちには寄りつけなかったものと思われる。
 最初の来訪者は、アメリカンロビンだった。
 春先になると、はるばる中米から渡ってくる、大柄な小鳥である。体の色はくすんだオレンジ色。卵の色はターコイズブルー。こんなきれいなブルーが、自然界には存在していたのかと目を見張った。

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 ロビンは、玄関の石壁の台の上に巣をつくったので、抱卵、餌やり、巣立ちまでの一部始終を見せてもらえた。まるで、一冊の絵本のページが目の前で毎日、めくれていくかのような日々だった。
 孵ったばかりのときには、ふわふわでほよほよの産毛の塊に過ぎなかった雛が、日ごとに鳥の形を成していき、やがて目があき、巣の中で羽をばたつかせるようになっていく。親鳥が餌を運んでくると、黄色いくちばしを上に突き出し、まっ赤な口をあけて、我先にと餌をねだる。
 おす鳥は、ぎょっとするほど大きなとんぼや蛙やいもりをくわえてきて豪快に与え、めす鳥は、青虫やありや小さな羽虫を上品に与える。
「ああ、その子じゃないでしょ! こっちの子にあげなきゃ!」
「違う! 違うったら!」
 双眼鏡で観察しながら、私はつい、声を上げてしまう。
 人間の常識からすると、いちばん弱い子、いちばん小さな子にたくさん餌をやればいいのに、と思うのだけれど、野生にあってはまるでその逆で、親鳥は、いちばん強い子、いちばん大きな子を優先して、餌を与える。
 ロビンの雛の生存率は、わずか二十五パーセントだと言われている。つまり、四羽のうち一羽しか、生存できない。当然のことながら親は、もっとも強い子をさらに強くしておこうと考える。野生の厳しさを目の当たりにして、軟弱な人間はただ、こうべを垂れるだけだ。
 おすとめすが助け合って、懸命に餌やりをしている姿は、人間の子育てを彷彿させる。しかしながら、巣立ちまで最低でも十八年ほどかかる人間とは違って、小鳥の赤ちゃんはわずか二週間で飛び立っていく。巣立ったあとは、広大な森が小鳥たちの住処になる。ふくろう、鷲、とんび、烏、赤りす、コヨーテなど、そこら中に天敵がいる。それでも果敢に生きていく。
 あんな小さな巣の、あんな小さな卵から生まれた小さな命の、なんという健気さ、なんというたくましさ。

 小鳥の祖先は、恐竜である。
 あるとき、本を読んでいて、このことを知った私は「ああ、そうだったのか」と、深く納得した。まさに目から鱗が落ちたようだった。
 小鳥は一見、小さくて、可愛らしくて、儚げに見える。事実、その体はとても軽い。
 雛が巣立ったあと、空になった巣の中に一個、埋もれるようにして、孵らなかった卵が残されていることがままある。狭い巣の中で、雛がひしめき合っていたというのに、小指の先ほどもない卵が割れないまま残っているということは、小鳥たちの体がいかに軽いかをよく物語っている。
 小さく、小さく、軽く、軽くなることで、恐竜だった小鳥たちは、何億年も前から今日まで生き長らえてきたのだろう。人類なんて、高が知れている。

 チアチアチア、チアチアチアリー......
 夏のあいだ中、艶のある声で歌いつづけていたアメリカンロビンは、秋になる前に、あたたかい土地へ飛び去っていく。
 フィービー、フィービー......
 森に響き渡る口笛のような声を聴かせてくれていたフィービーも、いつのまにか、どこかへ渡ってしまう。
 うちのまわりの森に残っているのは、ジュンコだけだ。
 ジュンコはどこへも渡らず、この森で越冬する。冬のあいだだけ、群れをつくって行動する。群れのまんなかには、今年生まれた若鳥たち、そのまわりにめす、そのまわりに年老いたおす、いちばん外側を若いおすが取り囲んで、群れを守っているという。あの中にはきっと、うちの玄関先のフラワーバスケットの中で育った子もいるに違いない。
 ぶあつい雪にすっぽりとおおわれた雪原の、ところどころから頭だけを出している枯れ草。その先にくっついている小さな種をついばんでいるジュンコたちの姿を見かけるたびに、小鳥たちの「家はこの森なんだな」と、当たり前のことに感動する。
 森には、無駄なものは何ひとつとしてない。雪にも枯れ草にも草の種にも、それぞれの役目があり、すべてがひとつの環(わ)の中に在る。
 来年も、ジュンコは花の中に、小枝と藁と自身の羽根でこしらえた、恐竜の巣を掛けてくれるだろうか。

写真:グレン・サリバン

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小手鞠るい(こでまり・るい)

1956年岡山県生まれ。同志社大学法学部卒。
1992年よりアメリカに移住。1993年、「おとぎ話」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年、『欲しいのは、あなただけ』で島清恋愛文学賞を受賞。2006年刊行の『エンキョリレンアイ』がベストセラーとなる。近年は、『アップルソング』『星ちりばめたる旗』『炎の来歴』など、戦争や日米関係を題材にした重層的な作品を執筆している。