Take It Easy

2019/02/20
 毎年恒例の避寒旅行として、アリゾナ州とユタ州を車で旅したのは、二年前の三月だった。そう、三月の初めである。三月のウッドストックはまだ、真冬だから。
 灰色の雲に覆われた酷寒のニューアーク空港を飛び立った飛行機が、およそ六時間後に着陸したフェニックス空港は、抜けるような青空に、ご機嫌なお日さまがキラキラ。
「うわー、見て見て、サボテンだよ、サボテン。ほら、あそこに、ブーゲンビリアが咲いてる!」
 空港内に並木として植えられているサボテンを目にした瞬間から、気分はすっかり夏。ぶあついコートと冬服を脱ぎ捨てて、半袖のTシャツとジーンズ姿に変身する。
 アリゾナ州はアメリカの南西部にあって、カリフォルニア州、ネバダ州、ユタ州、コロラド州、ニューメキシコ州、そして、メキシコに囲まれている。
 二〇一五年の二月から三月にかけて、『星ちりばめたる旗』──日系移民百年の歴史を描いた長編小説──を書くための取材旅行としてニューメキシコ州を訪ねて以来、アメリカ南西部に広がる沙漠地帯と、コロラド高原と呼ばれている赤土と奇岩の土地に魅了されつづけている私は、できれば毎年の冬、南西部へ旅をしたい。そのうち、冬だけ滞在できる別荘を買いたい。
「んー、僕は冬場はやっぱり外国へ行きたいなぁ」
 と、ぼやく夫をなだめすかして、
「じゃ、一年おきでいいよ。外国とアメリカ国内、交互でいいから」
 さっさと話をまとめて、アリゾナ州へひとっ飛び。私にとっては、アリゾナ州もユタ州も外国なのである。ちなみにその前の年はスコットランド。お天気がちっとも良くなくて、気が滅入りそうだった。雨に濡れながらの登山は侘しい。
 サボテンキラキラ空港でレンタカーを借りて、フェニックスから高速道路をぶっ飛ばしてセドナへ向かう。この高速ぶっ飛ばしが、なんとも言えず爽快だ。バカンスの始まりにふさわしい。

高速ぶっ飛ばし.jpg

 ウッドストックの雪道、凍結道からの解放感に浸りながら、どこまでも、どこまでも、どこまでもつづく、まっすぐな道を走る。制限速度は、ニューヨーク州よりも十マイルオーバーの時速七十五マイル(一二〇キロ)。高速道路が滑走路のように見えてくる。今にも車体が空に向かって離陸してしまいそう。
 セドナの貸別荘に滞在しながら、翌日から、ベルロック、ソルジャーパストレイル、ベアマウンテン、途中でグランドキャニオン観光をはさんで、ボイントンキャニオン、ブリンズメサ、ドーマウンテンなどなど、ハイキングざんまいの日々。
 楽しいのなんのって。朝、まだ暗いうちに登山路の入り口に着いて、山登りの途中で、昇る朝日を眺める。下山したあとは、メキシコ料理とマルガリータが待っている。まさに旅の醍醐味。

セドナ3.jpg

 十日後、セドナをあとにして、次の目的地であるユタ州モアブを目指して車を走らせながら、化石の森公園、モニュメントバレイなどを五日ほどかけて訪ね歩き、地球というよりは、宇宙の景色、と言いたくなるような悠久の世界を満喫し、ふたたびアリゾナ州へもどり、フェニックス空港で車を返して、酷寒のウッドストックへ舞いもどる、というプランを立てていた。
 モアブからフェニックスまでは、車で八時間以上かかる。どこかで一泊して、ドライブの時間を減らしたい。
 そんなわけで私たちは、この旅の最後の日に、人口一万人足らず、面積は32㎢しかない、うらぶれた田舎町の交差点の「角に立つ」ことになったのだった。

 町の名は、ウィンズロウという。
 イリノイ州シカゴから、カリフォルニア州サンタモニカまで延びている、三八〇〇キロメートルにも及ぶハイウェイ、通称「ルート66」の宿場町として、かつては栄えていたらしいのだが、今は見る影もなく寂れてしまっている。
 そもそもルート66自体が、州間高速道路の建設によって寂れているのだから致し方ないだろう。
 しかし、その荒涼とした風情に惹かれて、ルート66をわざわざ走る観光客も少なからずいるという(私たちもそのふたり)。観光客のためにサービスしているのかどうかは定かではないが、道路の脇には、廃屋となったガソリンスタンドやモーテルが、取り壊されることもなく捨て置かれている。崩れかけた建物の上に広がっているのは、どこまでも澄み切った青空。美しい空と地上の荒廃という、なんともあざやかなコントラスト。

ルート66(1).jpg

 確かにこの風景、「アメリカの風情」と、呼べないことはない。
 そんなことを思いながら、車を降りて、ウィンズロウの町をぶらぶら歩き始めた私たちの耳に、どこからともなく、聴こえてくる曲があった。
「あ、なつかしいね。これって、もしかして、イーグルス?」
 私の問いかけに返ってきた答えは、
「ああ、うんざりするなぁ、イーグルスか」
 である。
 夫は一九六二年生まれ。
「十代の頃に聞き飽きたよ。もういい加減にしてくれって言いたくなるくらい、毎日、毎日、ラジオから流れてきてたんだ、この曲が」
 そのときウィンズロウの町角に流れていた曲は、全米のみならず、世界的な大ヒットを記録した「テイク・イット・イージー」。
 しかも、それ以外の曲は流れてこない。
 なぜこの曲が、こんな寂れた田舎町で、のべつくまなく流れてくるのか。
「それはね」
 夫が教えてくれた。この歌の歌詞の中に「Well, I'm a standing on a corner in Winslow, Arizona.」という一節が登場するのだと。
 ──ところで俺はアリゾナ州ウィンズロウの町角に立っている。
 けれども、改めて曲をよく聞いてみると、特にウィンズロウのことを歌っている歌ではない。この一行以外には、まったくウィンズロウのことは出てこない。
 一説によれば、この歌の作詞者のジャクソン・ブラウンが、セドナへの旅行中、通りかかったウィンズロウで車が故障し、何日かこの町に滞在したことがあるから、だとか。
 私は「コーナー」の正確な訳語が知りたい。
「ねえ、このコーナーっていうのは、町角ってこと? それとも曲がり角? 交差点? 角ってことは、すみっこってこと? ウィンズロウのどこに、この歌に出てくるコーナーがあるの?」
「それはただの脚韻だよ。アリゾナと韻を踏ませたいから、コーナーって言ってるだけだと思う。だから、特にウィンズロウにコーナーがあるわけじゃ......」
 夫の言葉をさえぎって、私は声を上げた。
「あった、あそこだ! あそこがコーナーだ!」
 そこには交差点があった。閑散としている。信号もなければ、車の往来もない。
 その角に、銅像が立っている。作詞者のジャクソン・ブラウンと、イーグルスのメンバーのひとりであるグレン・フライ(作詞はこのふたりの共作)。交差点の先には「スタンディン・オン・ザ・コーナー・パーク」という名の公園まである。
 そして、二軒のお土産物屋さんの店内から、くり返し流れ出てくる「テイク・イット・イージー、テイク・イット・イージー」......
 脳裏にインプットされ、無意識に口ずさんでしまうようになるフレーズを、英語では「フック」というそうだが、私もたちまちイーグルスの釣り針に引っかかってしまう。

ウィンズロー2.jpg

 ああ、もうやめてくれ、と、耳をふさぎながらも、夫は言う。
「だけど、この歌が流行ったことをきっかけにして、テイク・イット・イージーが、アメリカの別れぎわの挨拶として流行し、定着した。まあ、イーグルスにはそういう功績はあるかもね」
 そうだったのか。最初に挨拶の言葉があったわけではなくて、あの挨拶は、この曲のタイトルとリフレインから発生したものだったのか。
「がんばるなよ」「気を抜いていけよ」「気楽にやりなよ」「肩の力を抜けよ」というような意味の、この別れの挨拶の言葉が、私は好きである。何しろ、子どもの頃から「もっとがんばりなさい」とプレッシャーを与えられつづけ、大人になってからも「がんばってね」「がんばれよ」と鼓舞されつづけてきた日本人の私だから。
 それにしても、深い意味のない歌詞、たった一行で、そこが観光名所になってしまうアメリカとは、なんとも愉快な国ではないかと、ウィンズロウ・アリゾナのコーナーに立って私は思ったことだった。
 あれ以来、夫婦の合言葉は「まあ、気楽に行こうぜ」である。

写真:グレン・サリバン

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小手鞠るい(こでまり・るい)

1956年岡山県生まれ。同志社大学法学部卒。
1992年よりアメリカに移住。1993年、「おとぎ話」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年、『欲しいのは、あなただけ』で島清恋愛文学賞を受賞。2006年刊行の『エンキョリレンアイ』がベストセラーとなる。近年は、『アップルソング』『星ちりばめたる旗』『炎の来歴』など、戦争や日米関係を題材にした重層的な作品を執筆している。