アン女王のレースとチコリの剣

2018/09/05
 空も陽射しも影も、まだ夏の顔をしているのに、野原や道ばたにこの花が咲き始めると「秋がこっそり忍び寄ってきたな」と感じる。
 クイーン・アンズ・レース。
 なんとも華麗なネーミングである。
 おそらくアン女王自身はレース編みなんかしないだろうから、誰かが編んでアン女王が愛用しているレース、という意味なのだろうか。その名の通り、花の色も形も雰囲気も、レースで編まれたコースター、あるいは花瓶敷きのように見える。
 こんな可憐な花が雑草だなんて!
 と、渡米直後に初めて目にしたときには、びっくりしたものだった。
 しかも、アン女王のレースは、干上がって石ころだらけになっている河原や、荒れ果てた空き地や、無味乾燥な高速道路の中央分離帯なんかでも、あくまでもたおやかに美しく咲き誇っている。
 いつも不思議に思うことがある。
 このクイーン・アンズ・レースのそばに、必ずと言っていいほど、ぴたりと寄り添って咲いている花がある。
 名前はチコリ。
 花の色はうす紫、ブルー、白など。花びらの形は野菊に似ている。
 ヨーロッパでは野菜として栽培されていて、新芽や若葉や花弁をサラダなどに入れて食べているという。しかし、アメリカでは、誰からも見向きもされない雑草に過ぎない。
 クイーン・アンズ・レースとチコリは、花も葉っぱも色も姿形もまったく似ていない。つまり共通点がまったくない。けれどもなぜか、いつもいっしょにいる。似たような土質、環境を好むせいなのだろうか。ただ偶然、そうなっているだけなのだろうか。
 理由はわからないけれど、クイーン・アンズ・レースの白にチコリのブルーがよく映えて、野原で二者が群れて風に揺れているさまはなんとも涼しげで優雅で、私はアメリカ東海岸の「夏の風物詩」と命名している。

クイーン・アンズ・レースとチコリ.jpg

 さわやかに晴れ渡った夏空のもと、麦わら帽子をかぶって、カントリーロードを散歩している途中で、こんな看板を見つけた。
 <路肩のワイルドフラワーの刈り取り、お断りします>
 このメッセージに従ったのだろう、その家のそばの道路の脇だけは、草ぼうぼうのままになっている。
「その気持ち、わかるなぁ」
と、私は親近感を覚える。
 このメッセージを貼り出した人に、心から共感する。
 秋の終わりになったら自然に枯れてしまう草花を、なぜ、草刈機でいっせいに刈り取ってしまわないといけないのか。町か村の公共機関から派遣されているらしい、ブルドーザーまがいの大型の草刈機を見かけるたびに胸を痛め、疑問を感じてきた。
 想像してみてほしい。
 きのうまで、元気いっぱいに咲いていたクイーン・アンズ・レースとチコリが、次の日には、根もとのあたりでばっさり刈り取られて、消えてしまっている光景を。
「あれはね、安全性のためだよ」
と、夫は涼しげな顔をして言う。
「安全性? なんのための? 誰のための? 草が生えていたら、子どもたちに何か危険なことでもあるわけ? 落とした財布が見つかりにくくなる、とか?」
 むしろ小動物や小さな生物たちにとっては、身を隠す場所が少なくなってしまうわけだから、命の危険は増すだろう。
「刈り取りお断り」の看板を出している家の庭を見てみると、さまざまな草花が思い思いに生い茂っていて、大変に好もしい。
 うちの庭にそっくりだ。
 我が家では、草刈りは私が担当している。夫にやらせると、なんでもかんでも刈り取って庭を丸坊主にしてしまうからだ。
 家の外壁に接しているところだけ、申し訳程度に刈って、あとはほったらかし。これが私のやり方である。
「だって、ここは森の中なのよ。本来は、動物たちや植物たちの楽園だったところに、私たちが勝手に家を建てて、住ませてもらっているのよ。生物たちに、敬意を払わなきゃだめでしょ」
「僕は、整然と刈り取られて、青々とした芝生の庭にあこがれるんだけどなぁ」
「だったら、ロンドンにでも引っ越しなさい!」
 アメリカでは、前庭の芝生の状態が、その家の経済状況を物語っていると言われる。前庭が草ぼうぼうになっている家は、貧乏だから芝の手入れができない、というわけだ。
「思われたっていいじゃない? ほんとに貧乏なんだから」
「いや、それだけじゃない。あまりにも草ぼうぼうだと、人が住んでいないのかと思われて、泥棒にも狙われやすくなる」
「貧乏な家に、泥棒が好きこのんで入るかしら?」
 夫婦喧嘩、ならぬ、夫婦の意見交換を経て、草刈りは私が担当、最小限にとどめる、という方針が決まって久しい。
 おかげでうちの庭には、四季折々のワイルドフラワーが生い茂っている。

チコリと蜜蜂.jpg

 春先にはそこら中たんぽぽだらけで「うちの芝生は黄色い」状態になっている。たんぽぽの根をわざわざ毒薬で殺してしまう人の神経が、私には理解できない。
 草が豊かに生い茂っているからこそ、鹿も熊もきつねもりすも、うさぎもしまりすも遊びに来てくれるのだし、小鳥は巣をかけてくれるし、蛇はいるし蛙はいるし、ふくろうもしょっちゅう姿を見せるし、草むらの中では野生の七面鳥が安心して子育てをすることができる。花には虫が集まってくるから、蜘蛛もやってくる。ピンク色の花にはピンク色の蜘蛛が、オレンジ色の花にはオレンジ色の蜘蛛がひそんでいる。
 草花は樹木同様、生物たちの「森の生活」に、なくてはならない存在なのだ。
 そういえば、小鳥たちの大半は、だいたい七月中には子育てを終えてしまうのに、アメリカン・ゴールド・フィンチという鳥だけは、遅くまで子育てをしている。あざやかなレモンイエローの羽を持った、美しい小鳥である。
 フィンチは、あざみの種が大好きだ。だから、あざみが種をつける夏の終わりまで、子育てをしているのではないかと私は推察する。綿毛をつけてふわふわ舞っているあざみの種を、フィンチがシュッと飛んできてついばむ。
 あざみにフィンチ。この組み合わせもまた、晩夏の風物詩だなと思う。

 八月の終わりの夕まぐれ、ふたりで散歩に出かける。
「アン女王様、あなたの行くところへは、どんなところへでもお供して参ります。って、言ってるみたいよね、このチコリ」
「そうかな? 僕には何も聞こえないけど」
「チコリは、アン女王の騎士なんだよね。だからいつもいっしょにいるんだ」
「まあ、植物をそうやって擬人化するのは、ある種の職業病みたいなものか」
「ほら、チコリの茎と葉っぱを見てごらんよ。騎士の剣みたいに見えるじゃない」
「僕にはただの茎にしか見えないけど」
「あなたには、風情というものがわからないんでしょう」
 まったく噛み合っていない夫婦の会話に、アン女王とチコリ騎士が仲良く寄り添って耳を傾けている。
 風が少し涼しくなってきた。
 秋の足音が聞こえる。

写真:グレン・サリバン

SHARE

バックナンバー

小手鞠るい(こでまり・るい)

1956年岡山県生まれ。同志社大学法学部卒。
1992年よりアメリカに移住。1993年、「おとぎ話」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年、『欲しいのは、あなただけ』で島清恋愛文学賞を受賞。2006年刊行の『エンキョリレンアイ』がベストセラーとなる。近年は、『アップルソング』『星ちりばめたる旗』『炎の来歴』など、戦争や日米関係を題材にした重層的な作品を執筆している。