野の花カレンダー

2018/08/20
 森の四季は、星のきらめきから始まる。
 小さな、本当に小さな、米粒くらいの大きさの花が、ひとつか、ふたつ。糸のように細い茎の先で、ぱっと花びらを広げている。
 八枚の純白の花びらの上に、黄色いおしべが八つ。日陰にあって、まるで光を散らしたように見えることから「スターフラワー」と名づけられたのだろう。
 茎は一本、その先端から広がっている葉っぱは六枚。背の高さはせいぜい三センチくらいしかない。岩陰や大木の根もとなど、あまり日の当たらない場所で、ぽつん、ぽつん、と咲いている。
 数は決して多くない。花の命も短い。だから、見逃してしまうことも多い。
 枯葉や枯れ枝に覆われている森の地面に、この星の花が咲いているのを見つけたら、季節は四月。春の始まりだ。
 五月には、やっぱりとっても小さな水色の花が、日当たりの良い場所に群れて咲く。まるで笑いさざめいているかのように。それを合図にして、ブルーや白のすみれ、陽気なたんぽぽが、そこら中で咲き始める。私の植え込んだ水仙も。
 山には野生のマウンテンローレルが、池の端(はた)には野生のあやめが咲き始めたら六月。野原には白いデイジーや紫露草やバターカップ。私の植えた苗がいつのまにか野生化した、きつねの手袋。日本の河原撫子に似た濃いピンクの花、野生のミント......などなどなど。
 七月になると、いちいち名前を確認するのももどかしくなるほど、あちこちで野の花たちが咲き揃う。森の緑はいっそう濃くなり、草原は色と形と香りの協奏曲を奏でている。
「あ! 見て、あの花が咲いてる」「あ! この花も」「今年も咲いたね」「また会えたね」「夏が来たね」──散歩中、私たち夫婦のあいだで、そんな会話が交わされるようになる。
 やがて、「ブラック・アイド・スーザン」という名の野生のひまわりが咲き始める。
 まんなかの種の集まっているところが「黒い目」ということなのだろう。なぜスーザンなのかはわからないけれど。


 スーザンがお目見えしたら、八月がやってくる。路傍には「デイリリー」と呼ばれているオレンジ色の百合が咲き揃い、山の中で人知れず生い茂る、白やピンクの野薔薇にも出会える。
 百合も薔薇も「これが雑草なの?」と、思わず立ち止まって、見とれてしまう。花屋さんで売られている百合や薔薇がかすんで見えるほど、華麗な咲きっぷり。夏の陽射しを吸い込んだかのような、あざやかな色。まさに真夏の色。
 森で暮らすようになってから、季節の移り変わりは、ワイルドフラワーによって知るようになった。


 ワイルドフラワー。
 日本語では「雑草」と、ひとまとめにして呼ばれている草花を、英語では「ワイルドフワラー」という。野生動物は「ワイルドライフ」。
「ワイルド」という単語を辞書で引くと、
  1 自然のままであるさま、野生であるさま
  2 荒々しく力強いさま
と出ている。
 私としてはこれに、
  3 優しく、さり気なく、つつましやかなさま
  4 しなやかで、したたかで、柔軟なさま
も加えたい。
 野の花たちを見ていると、荒々しさや力強さと同時に、儚さや健気さを感じる。これらはとりもなおさず、「森」や「自然」の定義にならないだろうか。
 私たち夫婦は、森の優しさ、懐の深さに抱かれて、二十年以上、森の中で暮らしてきたけれど、時には牙をむいて襲いかかってくる森の厳しさ、恐ろしさも、身をもって知っている。悪天候や倒木による停電、断水、干ばつなども、いやになるほど経験した。
 自然と共に生きる、ということは、ワイルドに生きる、ということでもある。私は、ワイルドフラワーに囲まれた、ワイルドな暮らしに魅了されつづけている。

 ここ、ニューヨーク州北部に広がっている森の家に移り住んだのは、一九九六年のことだった。私たちはそれよりも四年ほど前に渡米し──アメリカ人である夫にとっては帰国し──夫の大学院での研究が修了したら、ふたたび日本にもどるつもりだった。
 夫は日本が大好きで、日本語も堪能。
 私は私で、渡米直後に小説の新人賞をいただいたばかりだったから、日本にもどったら、小説の執筆にいっそう本腰を入れたいと考えていた。
 ところが四年後、ふたをあけてみたら、ふたりの考えはぐるっと変わっていた。
 カントリー派であり、アウトドア派でもある私たちにとって、アメリカ北東部は「去り難い土地」になっていた。
 豊かな森、豊かな自然に囲まれた生活。庭には鹿やりすが遊びに来てくれ、日帰りで気軽に山登りに行けるような環境。迷うことなく「このままニューヨーク州に住みつづけよう」という結論を導いた。
 ちょうどその頃、インターネットが劇的に普及し、たとえアメリカに住んでいても、日本との連絡にそれほど不自由しなくなったことも、私たちのこの計画をあと押ししてくれた。文明の利器に助けられて、ワイルドな森の生活を始めることができたわけである。
 それまで大学町で住んでいた家を売って、ウッドストックという名の村のはずれに一軒家を買った。これが今、私たちの住んでいる森の家である。間違いなくここが終の住処になるだろう。


 午前中の仕事を済ませて、私は森へ出かける。
 毎日の散歩、もしくは、ランニング。
 ここ何十年、欠かしたことのない日課のようなものである。
 その途中で、ワイルドフラワーに出会う。これが何よりの楽しみだ。私にとっての「アメリカの大自然」とは、グランドキャニオンやナイアガラの滝などではなくて、あくまでも小さな野の花たちなのである。
 野の花には風が似合う。風に揺れている姿が美しい。風が夏の香りを運んでくる。
「あ、この匂いは......」
 ミルクウィードだ。
 くすんだピンク色の花が固まって、野球のボールほどもあろうかというような球を形づくって咲く。夏の花らしく、勢いがあって、背も高い。日本では見かけたことのない野草だ。大きな特徴は、その香り。遠くからでも「ああ、ミルクウィードが咲いたな」とわかるほど強い、甘い匂い。
 その匂いに惹かれて、蝶々や蜜蜂もさかんに集まってくる。
 最初は、この甘ったるい匂いが「牛乳の匂いに似ているから、ミルクウィード?」と思っていたが、そうではなかった。
 花が散ったあと、小型のラグビーボールみたいな形をした堅い実をつける。ある日、その実がぱかっとふたつに割れたかと思うと、中から、ふわふわの毛に覆われた種が、もわもわっと飛び出してくる。ふわふわの毛の色は、まさに乳白色。
 なるほど、だから「牛乳草」なのか。
 ミルクウィードは、ブラック・アイド・スーザンやデイリリーと並んで、八月の野の花カレンダーを飾る代表選手である。蝶々や蜜蜂たちに交じって、花に鼻をくっつけてくんくんと匂いを嗅いでいる生物がいたら、それは私である。

写真:グレン・サリバン

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小手鞠るい(こでまり・るい)

1956年岡山県生まれ。同志社大学法学部卒。
1992年よりアメリカに移住。1993年、「おとぎ話」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年、『欲しいのは、あなただけ』で島清恋愛文学賞を受賞。2006年刊行の『エンキョリレンアイ』がベストセラーとなる。近年は、『アップルソング』『星ちりばめたる旗』『炎の来歴』など、戦争や日米関係を題材にした重層的な作品を執筆している。