命の楽園

2018/10/05
 十月になると、園芸店ではいっせいに菊の鉢植えを売り出し始める。
 菊といえば、日本では地植えにするのが一般的だと思うが、こちらでは鉢植えのみ。えんじ色、白、ピンク、黄色など。華やかにぎっしりと満開になったものが売り出される。秋に買い求めて枯れるまで愛でる。それがアメリカ人の菊の楽しみ方のようである。
 毎年、十月六日。
 私は菊の鉢植えをたずさえて、お墓参りをする。
 墓所は、前庭の林の手前にある池のほとり。そこからだと家全体が見えるし、家からも常にお墓が見える。
 渡米後ほどなく、動物保護施設から引き取らせてもらい、いっしょに暮らしてきた猫のお墓である。
 名前はプリン。通称「プーちゃん」。
 子どものいない私たち夫婦にとって、この猫は十四年あまり「うちの子」でいてくれた。溺愛していただけに、先立たれたときには、ふたりとも滂沱の涙を流して、悲しみに明け暮れた。
 それまでの長きにわたって、私たちはわりあい仲の良い夫婦でやってきたつもりだった。しかし、猫に死なれたとき、夫婦の危機がやってきた。離婚するしか道はないのか、と、本気で考えた。長い話を短くまとめると、ふたりでいると喜びは確かに二倍になるが、悲しみは決して半分にはならず、悲しみは二十倍になる、ということなのである。
 私は夫の顔を見ると悲しくなり、夫は私の顔を見ると悲しくなる。これはもうどうしようもない。いちばん慰められたい相手であるはずの伴侶からの慰めが、悲しみを増大させてしまうのだから。

秋のカントリーロード.jpg

 しばらくのあいだ、家庭内別居をしていた。幸いなことに我が家は二階建てなので、彼は一階、私は二階で生活し、食事もばらばらにして、一階にあるキッチンやガレージなどでも、なるべく顔を合わさないようにしていた。
 悲しみに対する処し方にも、私たちには大きな違いがあった。
 私はプーちゃんの写真を身の周りに置いて、落ちていた毛一本、爪のかけらも見逃さずに集め、生前のプーちゃんの面影に囲まれた状態の部屋に閉じこもり、ひたすらプーちゃんとの思い出を書き綴っていた。それが人生最大の喪失の悲しみに対抗する手立てだった。
 夫は真逆で、悲しくて「写真などとうてい見られない。いっさい僕の目に入らないようにしてほしい」と言う。悲しみと闘うために家にこもった私とは対照的に、彼はどんどん家の外へ出ていった。同じようにペットを亡くした人に会って打ち明け話をし合ったり、ボランティア活動に参加したりするために。

サンクチュアリの看板.jpg

 ウッドストック・ファーム・アニマル・サンクチュアリ。
 夫がボランティアとして通っていた、動物保護施設の名称である。
 この施設の特徴は、ペットや野生動物ではなくて、家畜動物(英語ではファームアニマル)の救済・保護活動をおこなっていること。
 収容されているのは、牛、山羊、羊、豚、鶏、七面鳥、鴨など。
 みんな、なんらかの形で人間から虐待され、劣悪な環境下に捨て置かれていた生き物たちである。たとえば、体の向きを変えることさえできないほど狭いコンクリートの檻の中に閉じ込められていた牛や鶏。たとえば、屠畜場へ向かうトラックから脱走して、高速道路をうろうろしていた豚。鎖につながれていた前足が腐りかけていた山羊。
 施設では、主に近隣の住民からの通報を受けて、動物たちのレスキューに向かい、保護し、施設に連れ帰って医療を施したあと、彼らが短い生をまっとうするまで手厚く面倒を見て可愛がっている。可愛がっている証拠に、一頭一頭、一羽一羽に、名前が付けられていて、スタッフ全員、動物たちの名前を覚えて呼んでいた。もちろん夫も。

羊たち.jpg

 なんとか離婚の危機を脱して、ふたりのあいだに夫婦の会話がもどってきた頃、
「きょうはサンクチュアリでどんな仕事をしてきたの?」
 とたずねると、夫は満面に笑みをたたえて、
「うん、きょうはずっとね、ディランの落とし物を片づけていた。ああ、腰が痛い。だって、ディランのあれって、岩のように重いんだから」
 などと答える。ディランは牛。あれとは糞である。
「きょうはさ、デリックの世話をしていた。もう、突かれて突かれて、傷だらけだよ。ほら、見てよ」
 デリックとは鶏の名前である。攻撃的なのは、闘鶏用に飼育されていたせいだ。
 経営者のジェニーは、幼い頃に小児麻痺で片足切断を余儀なくされ、義足で生きてきた女性。長年、夫と共に営んでいた映像ビジネスで築いた財産を注(つ)ぎ込んで、ウッドストックの村はずれに土地を購入し、サンクチュアリを設立した。
 サンクチュアリの本来の意味は「神聖な場所」である。そこへ逃げ込めば、法の力が及ばなかった中世の教会の呼び名でもあったらしい。日本語で言えば、駆け込み寺か。
 私も何度か訪ねたことがある。
 私の目には、そこは「楽園」のように見えた。
 牛も羊も山羊も豚も鶏も、とても幸せそうだった。それは当然だろう。ここでは誰も、彼らの命を脅かさないのだから。幸せそうな動物たちの姿を見ているだけで、私も幸せな気持ちになってくる。ヨーロッパからボランティアをしに来ているという若者や、先生に引率されて見学に来ている子どもたちの姿もあった。
「この子はね、ここへ来て初めて、土の地面を踏むことができたのよ。生まれて初めて土を踏んだときの、彼女のうれしそうな顔と言ったらなかったわ」
 子どもたちに説明しながら、ジェニーが抱きしめていたのは、ピンキーという名の豚だった。
 ジェニーをはじめ、施設のスタッフたちはひとりの例外もなく、「ビーガン」と呼ばれている厳格な菜食主義者である。肉類はもちろんのこと、卵や乳製品もいっさい食べない。夫によると、施設内で出前を頼んだ「ピザの生地の上には、野菜だけがのっていた」そうである。

「もう新しい猫は飼わないの?」
 ときどき、友人や知人から訊かれることがある。
「飼わない」
 と、私たちは声を合わせて答える。
 私たちの猫は昔も今も、プーちゃんだけなのだ。あの子は唯一無二の猫だった。この気持ちを共有できている限り、私たちはこれからも夫婦でいつづけられるだろう。
 お天気が優れず、山登りのできなかった日などに、私たちは車を走らせて、見知らぬ村まで出かける。そして、なんの変哲もないカントリーロードを歩く。
 カントリーロードにもまた、さまざまな出会いがある。一、二時間あまり歩いていれば、必ずと言っていいほど、山羊や馬や羊に出会える。ときにはリャマ──アルパカかもしれない──に出会うこともある。

アルパカ(リャマ?)jpg.jpg

 人なつこい馬が、私たちの姿に気づいて近づいてくる。
 夫は「よしよし、いい子だ」と言いながら鼻筋を撫でてやり、私はそのへんに生えている草をむしって与える。
「ねえ、馬がお店を経営するとしたら、何屋さんだと思う?」
 私は先ごろ「動物のお店屋さん」というシリーズで、子どもたちのための童話を書き始めたところだ。『うさぎのマリーのフルーツパーラー』はすでに上梓されている。
「馬の職業か。そうだな、やっぱり八百屋なんじゃない?」
「人参が大好物だから? そんなの、当たり前すぎるじゃない? もっとこう、子どもたちが『へぇーっ』て、びっくりするようなお店にしなくちゃ。びっくりするんだけど、納得できるような」
「うーん、なんだろう? お店じゃなくて、弁護士か医者にすれば? そうしたら、馬鹿なんて言われなくなるかも? 警察官なんてどう?」
「......あ、わかった! わかったよ、馬のお店屋さん」
「何?」
「仕立て屋さんよ。馬のテイラーは、仕立て屋さん。うん、これで行こう」
 馬は静かにしっぽをふりながら、私たちの馬鹿な会話に耳を傾けている。
 頭上には、透き通った水色の空。
 ひつじ雲が浮かんでいる。
 草の中から、虫のコーラスが聞こえてくる。
 この地球が動物たちにとって、命の楽園であってほしい。そう願うのは、大それたことだろうか。

写真:グレン・サリバン

SHARE

バックナンバー

小手鞠るい(こでまり・るい)

1956年岡山県生まれ。同志社大学法学部卒。
1992年よりアメリカに移住。1993年、「おとぎ話」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年、『欲しいのは、あなただけ』で島清恋愛文学賞を受賞。2006年刊行の『エンキョリレンアイ』がベストセラーとなる。近年は、『アップルソング』『星ちりばめたる旗』『炎の来歴』など、戦争や日米関係を題材にした重層的な作品を執筆している。