それぞれの冬支度

2018/11/20
  裏を見せ表を見せて散るもみじ

 江戸時代後期の禅僧であり、歌人でもあった良寛の、辞世の句だと言われている。
 色づいた木の葉が風にあおられて、くるくる回りながら落ちていく様が浮かんでくる。一枚の葉っぱに表と裏があるように、人の心にも善と悪が潜んでいて、人生には常に浮き沈みがあり、けれども最後は誰もが等しく散っていく。そんな人の命と人の世の儚さを詠んだ句なのだろうか。
 広葉樹はすっかり葉を落として裸木となり、山々に残っている緑は針葉樹の葉だけになっている十一月の半ば。頰に当たる風はぴりりと冷たく、朝夕の冷え込みはぐんときつくなり、ついこのあいだまで聞こえていた虫たちの声はもうどこにもない。聞こえてくるのは冬の足音と木枯らしばかり。めくるめく紅葉の季節のあとにやってくる寒々しい景色に包まれていると、いやが上にも無常観をかき立てられる。

落ち葉と椅子.jpg

 ああ私って、日本人だなぁと思う。
 しかし、ここはアメリカ。
 アメリカでは、無常観などどこ吹く風。まるで、祭りのあとの淋しさ(ここで吉田拓郎の歌を思い出された方は、私と同世代ですね)を埋めようとするかのように、町にも村にも畑にも、オレンジ色のかぼちゃがあふれ返っている。
 お化けのように大きなかぼちゃ。
 つやつやとして血色のいいかぼちゃ。
 いかにも楽観主義者、と表したくなる明るいかぼちゃ。
 パンプキン、パンプキン、パンプキンの大行進である。
 ハロウィンで大活躍するこのオレンジ色のかぼちゃは、そのあとにやってくる感謝祭でもクリスマスでも活躍する。私もこの季節になると、パンプキンパイやかぼちゃのスープをつくる。
 目にもあざやかなオレンジ色のかぼちゃは、食材としてだけではなくて、家の内外の置き物としても重宝されている。玄関前にそのままどかんと飾ったり、うらなりのかぼちゃを集めて食卓に飾ったりする人もいる。
 オレンジ色のかぼちゃは英語では「Pumpkin」というが、おもしろいことに、日本でよく見かける深緑色のかぼちゃは、英語では「Kabocha」と呼ばれている。日本語がそのまま英単語になっている。私はかぼちゃの煮物をつくるために、カボチャを買うのである。
 オレンジ色のかぼちゃを合図にして、森では冬支度が始まる。

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 鹿たちの毛は、あたたかみのある茶色から保護色の枯葉色に変わり、熊たちは冬眠のための岩場へと向かい、渡りをしないでここで越冬する小鳥たちは、群れをつくって行動するようになる。群れの中心には若いめす鳥を置き、そのまわりを年長のめす鳥、若いおす鳥、年長のおす鳥の順番で取り囲んでいるという。

「ジョーくん、ジョーくん」
 何日かぶりにすっきり晴れ上がったある秋の昼下がり、一階にある勝手口のドアの外で、夫が呼びかけている声がする。
 とろけそうな甘い声だ。妻には到底かけないような。
「ジョーくん、出ておいでよ」
 雨の日には決して出てこないが、晴れた日には必ず出てくる。
 朝や夜には出てこないが、午後の光が射している時間帯には必ず出てくる。
「おお、ジョーくん、来たか、来たか、よく来たね」
 ジョーくんは、しまりすである。
 英語ではチップモンク(Chipmunk)という。
 片方の手のひらに収まるくらいの大きさしかない。すいかの種みたいな黒い目。背中には焦げ茶色とクリーム色の縞模様。耳のうしろには白い毛。薄茶色のしっぽ。とても可愛い。愛くるしい。すばしこい。

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 ピーナッツ、くるみ、アーモンド、カシューナッツ、ピスタチオ。ナッツ類はなんでも食べる。どんぐりはもちろんのこと、桃の種、あんずの種、さくらんぼの種、洋梨の種、みかんの種なども好きだ。ぶどうも食べる。ほかにも、小鳥の卵や蜂の巣なども食べる。雑食のようである。
「さあ、どうぞ。召し上がれ」
 ジョーくんは、夫の手から殻付きのピーナッツをもらうと、前足で器用に摑んで忙しなく回しながら殻をカリカリ噛み砕き、中身だけをつるりと食べる。
 いや、食べるのではなくて、まずはほっぺたに入れ込む。
 両方のほっぺたが落ちそうなくらい膨らむまで、入れつづける。
 それから、すたこらさっさと草むらに駆け込む。目にも留まらない速さで。おそらくその先にある穴蔵、いわゆる貯蔵庫のようなところまで運んでから、くわえ込んだピーナッツを吐き出しているものと思われる。あとでゆっくり食べているのか、あるいは、冬に備えて貯め込んでいるのか。おそらくその両方だろう。
 しまりすは地下で生活している。横に長く築いた穴は、全長三メートルくらいあるそうだ。穴から出てくるのは、晴れた日だけ。十二月から五月までは地下にこもる。

 事の始まりは、私が投げ捨てた桃の種だった。
 我が家の台所には、生ごみを細かく砕いて液状にし、土に還す装置をつけているのだけれど、たとえば桃やアボカドやマンゴーやオリーブなど、硬すぎる種はこの装置には入れてはいけない。だから私はいつも、勝手口から裏庭に向かって放り投げていた。
 あるとき、ふと気づいた。
 勝手口の階段の下に、ふたつにぱかっと割れて、中身だけがなくなっている桃の種が、ぽつ、ぽつ、ぽつと、きれいに並べられているではないか。まるで「ありがとう、桃の種。ぼく、ちゃんともらったからね」と、お礼の言葉を述べているかのように。
 いったい誰がこんなことを?
 謎はすぐに解明した。
 数日後のある晴れた日の午後、桃の種を投げ捨てた直後に、草むらから「待ってましたー」と言わんばかりに、ジョーくんが姿を現したのである。
 私が動物や植物を擬人化することをいつも嘲笑している夫だが、実は野生の動物に甘いというか、弱いのは彼の方。なんとか友だちになりたいと切望していて、いったん仲良くなると、メロメロになる。
 抱えきれないほどの大袋に入っている殻付きのピーナッツを買ってきたのも、夫である。
「チップモンクは殻は食べない。中身だけ。スクゥォロォ(Squirrel)は殻ごと全部、持っていく」
 スーパーのレジのおばさんは夫に、そう教えてくれたそうである。
「みんな、りすにピーナッツをあげているんだよ」
 得意げに、そんなことを言う。
 私は「野生の動物に餌を与えるのは、よくない。彼らはどんぐりを自力で集めて生きていくべき」と主張したのだが、彼はすでにジョーくんに心を持っていかれており、聞く耳を持っていない。
「なんでジョーくんなの? 女の子かもしれないでしょ」
「いいんだ、ジョーって名前は、男女どちらでも使えるから」
 なぜ彼が「ジョー」と名づけたのか、その理由を知ったときには、あいた口が塞がらなかった。両方のほっぺたを膨らませている顔が「俳優の宍戸錠にそっくりだから」。
「やめてよ! あんな可愛いジョーくんといっしょにしないで!」
 ちなみに、もう一種類のりす、スクゥォロォはしまりすよりも体が大きくて、しっぽはふさふさ、体の色は銀灰色。私は勝手に「銀色りす」と呼んでいる。
 銀色りすは、木の上に棲んでいる。枝と枝の股のようなところに、小枝や葉っぱを積み上げて巣をつくり、やはり十二月から五月までは冬眠しているようだ。
 同じりすでも、地下で暮らすりすと、木の上で暮らすりすがいるとはおもしろい。
 このほかにも、銀色りすの突然変異なのか、真っ黒なりすもときどき見かける。「クロちゃん」と私は名づけている。しまりすと銀色りすの中間くらいの大きさの赤りすも。
 師も走るのは人間の十二月だが、りすたちは十一月に走る。
 越冬に備えて木の実を集めるために、そこら中を走り回る。
 電線を伝って走る銀色りすのせいで、停電することさえある。
 銀色りすはよく、人が春の開花を夢見て植え込んだチューリップやクロッカスや水仙の球根を掘り返して、自身の貯蔵用食料として別の場所に埋め替えることがある。春がやってきて、思いがけない場所で花が咲いていたら、それは銀色りすによる「粋な計らい」だと受け止めておこう。

薪.jpg

 さて、私たちもジョーくんにかまけてばかりいないで、そろそろ冬支度に取りかからなくてはならない。薪も割っておこう。小枝も拾っておこう。
 クローゼットや引き出しの奥で眠っていた、ぶあつい手袋、ぶあつい毛糸の帽子、ぶあついマフラー、スノウブーツ、全身を包めるダウンコートの出番である。

写真:グレン・サリバン

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小手鞠るい(こでまり・るい)

1956年岡山県生まれ。同志社大学法学部卒。
1992年よりアメリカに移住。1993年、「おとぎ話」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年、『欲しいのは、あなただけ』で島清恋愛文学賞を受賞。2006年刊行の『エンキョリレンアイ』がベストセラーとなる。近年は、『アップルソング』『星ちりばめたる旗』『炎の来歴』など、戦争や日米関係を題材にした重層的な作品を執筆している。