雪の降る町、あるいはミッドナイトブルー

2018/12/05
 生まれ育ったのは岡山。
 温暖な瀬戸内海式気候に恵まれていて、年間を通して雨が少なく、晴天の日が多いから「晴れの国」と称されている。子どもの頃、雪景色を目にしたのはたぶん二、三度だったのではないかと思う。雪の降り積もった朝、雪だるまをつくり、雪合戦をし、犬といっしょに走り回った記憶がおぼろげに残っている。
 学生時代から十年ほど暮らした京都。
 冬になると「比叡おろし」と呼ばれている冷たい北風が山から滑りおりてきて、盆地に築かれた古い都をほしいままにした。風に混じって、粉雪が舞った。氷のかけらをふくんだ霙(みぞれ)のような雪も落ちてきた。反対に地面からは、這い上がってくるような底冷え。それでも、雪化粧に包まれた古都は、優雅で上品だった。京都の雪は美しかった。愛でるためにあるような雪だった。
 その後、移り住んだ東京。
 雪はめったに降らなかったが、冬場に吹き荒れる空っ風は、比叡おろしに負けず劣らず冷たかった。雪が降ると決まって、通勤中の路上で滑って転ぶ人たちの姿がテレビ画面に映し出された。
 岡山でも京都でも東京でも、雪は私にとって珍しいものであり、きれいなものであり、どこかロマンチックな存在でもあった。降ってもすぐに溶けてしまうわけだし、たとえまとまった積雪があったとしても、せいぜい二、三日後には、跡形もなく消えてしまうのだから。
 渡米後、最初の四年間を過ごした学園町イサカ。
 ニューヨーク州北西部にあって、ウッドストックよりも北に位置する。緯度は北海道の札幌とほぼ同じ。この町で、私は生まれて初めて、雪国生活を経験した。
 雪の降る町で私は、雪に対する固定概念──珍しい、きれい、ロマンチック──を打ち砕かれることになる。何しろイサカでは十一月から五月まで、雪に閉じ込められた生活がつづく。イサカで暮らしていたとき、「ここには四季はない。夏と冬だけがある」と私は思っていたし、町の人々もそう言っていた。
 この「閉じ込められる」という感覚はおそらく、雪国で生まれ育った人にはため息と共に理解していただけるのではないだろうか。

除雪車.jpg

 道路や駐車場の除雪作業は、公共機関によって常にこまめになされているから、車で外出することはできる。家の中はセントラルヒーティングで暖められているし、零下の気温であっても、全身を防寒着と防寒具で包めば──完全武装、と私は名づけている──外を散歩することだってできる。ランニングだって、登山だって。
 それでもやっぱりどうしても「閉じ込められている」と感じてしまう。
 閉塞感から気持ちが落ち込み、ブルーになってしまう状態を、英語では「キャビン・フィーバー」という。狭い山小屋の中で、熱を出して苦しむというわけだ。
「ねえ、キャビン・フィーバーになってない? よかったら、うちに遊びに来る? それともいっしょに映画でも観に行く?」
 イサカに住んでいた頃はよく、友だち同士で電話をかけ合い、誘い合っていた。
 雪国イサカから、ウッドストックに引っ越してきて、かれこれ二十二年あまり。
 この町にはかろうじて、四季がある。冬は十二月から四月まで。とはいえ、ここもまた雪国には違いない。

雪のウッドストック.jpg

 十二月の初めごろから粉雪がちらつき始め、最初のうちは積もったり解けたりをくり返しているが、中旬から下旬にかけて、スノウストーム(雪嵐)が到来し、一昼夜、ときにはまる二日ほど降りつづいて、「ドッカーン」と音が聞こえそうなくらいの、横綱級の積雪をもたらす。
 この雪が根雪になり、翌年の四月の終わりごろまで、路肩にはぶあつい雪の土手を、家のまわりには雪の城砦を築き上げ、森には雪の絨毯を敷き詰める。
 さあ、籠城の開始だ。

「今夜あたり、いよいよやってきそうだな」
「うん、いかにもそういう気配がするね」
「準備だけはしておくか」
「しておこう。備えあれば憂いなし」
 窓の外では暴風がゴォォォォ、ゴォォォォと、不気味にうなりながら吹き荒れている。ヒュルルルルー、ヒュルルルルーと、森の悲鳴のような音も混じる。樹木の枝という枝が前後左右にバサバサ揺れている。吹雪も縦横斜めに入り乱れながら、家に襲いかかってくる。なんとも気の荒い、雪の女王様のお出ましである。

雪嵐通過中の我が家.jpg

 ベッドサイドには、ろうそくとマッチと懐中電灯を置く。空いている容器には、飲み水を詰める。パソコンでやるべき仕事をてきぱきと進め、送るべきメールはすべて送っておく。そそくさと夕食を済ませて、あと片づけもお風呂も早めに済ませて、ついでに洗濯機も回しておこう。そうそう、湯たんぽもこしらえておかねば。
「そろそろ来るか?」
「来るなら来い!」
 来た。
 午後九時過ぎ。家の中が突然、まっ暗になる。
 プツン、と音がするわけではないのだけれど、まさにプツンと、はさみで糸を切られたような気分になる。世界につながっている糸を切られて、孤立するのである。
 何度、経験しても、慣れることのできない停電。
 我が家の場合には、停電すると水道も止まってしまう。地下の井戸から水を汲み上げている装置は電動だから。当然のことながら、暖房も切れる。ろうそくの光では読書はできない。だんだん、途中からはぐんぐん、冷えてくる家の中で、布団にくるまり、湯たんぽにすがりながら、何をするか?
 夫婦で会話をするしかない。
 ボストンで暮らす若いインド系アメリカ人夫妻が、停電の夜にろうそくに火を灯して、それまで相手に隠していた秘密を打ち明け合う。くすりと笑えるような秘密もあれば、心臓がドッキンとするような秘密もある。ある悲しい出来事をきっかけにして、すきま風が吹き抜けるようになっていたふたりの関係は、この停電の夜の語らいをきっかけにして、微妙に変化していく。
 タイトルは『停電の夜に』。
 ラストはハッピーエンドなのか、そうではないのか、作者のジュンパ・ラヒリは「読者にゆだねる」という書き方をしている。私は前者だと受け止めた。胸が張り裂けそうな、切ないラストではあるけれど、暗闇の中で夫婦の流す涙の余韻に浸っていると、心にぽっと明かりが灯る。
 しかしながら、現実は厳しい。明かりは簡単には灯らない。
 私はつい、いらいらしてしまう。
「あーあ、いやだいやだ。あしたの朝、起きても復旧してなかったら、どうしよう」
「いらいらしたって、点かないものは点かないんだから。落ち着きなよ」
「こんなときに、落ち着いてなんかいられるもんですか! だいたいあなたはね......」
 まるで、停電は夫の責任であるかのように思えてくる。

街灯のつらら.jpg

 何度か長時間の停電を経験してみて、わかったことがある。
 私は物事や環境の変化に弱いが、夫は強い。むしろ変化をおもしろがれる精神の持ち主だ。停電した直後には、私はひどく不安になり気落ちし、ネガティブになる。夫はいたって能天気だ。あきらめが早い。「そのうち点くさ」と、ポジティブシンキング。
 ところが、停電が長引いてくると、今度は私の方が強くなる。忍耐力、持久力、適応力に関しては、私の方が夫に優っている。電気なし、水なし、風呂なし、トイレも流せないから外で、という生活に、夫は次第にへたばってくる。
「がんばりなさいよ。あともうちょっとの辛抱だから。ね、そのうちきっと点くよ」
 今度は私が夫を励ます番である。

 停電中には、外出するに限る。
 家から出ていけば、停電していてもしていなくても関係ない。しかし悲しいかな、雪嵐中に停電が起きると、除雪がなされていないから、車は動かせない。冬場の停電、特に夜の停電は、みじめでつらい。
 あまりにもつらいので、十年ほど前に、私たちは家に自家発電装置を付けた。
 液状プロパンで電気を作り出す機械である。音は多少うるさいけれど、停電しても普通に生活できる。使えないのはインターネットだけ。
「これでもう怖いものなしだね」
 本当に怖いものなしになった。
 けれども私は今でもときどき、なつかしく思い出すことがある。
 停電中の真夜中、窓の外に広がる雪原が一面、ブルーに染まっていたことを。
 濃紺の雪原に空から、月の光が斜めにすーっと伸びていた。まるで銀色の梯子のように見えた。伝って登れば、月まで行けそうだった。
  蔵焼けてさはるものなき月見哉
 松尾芭蕉の弟子だった水田正秀の俳句を、アメリカで、停電中に思い出すとは、思いもよらないことだった。

夕暮れ時の雪景色.jpg

写真:グレン・サリバン

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小手鞠るい(こでまり・るい)

1956年岡山県生まれ。同志社大学法学部卒。
1992年よりアメリカに移住。1993年、「おとぎ話」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年、『欲しいのは、あなただけ』で島清恋愛文学賞を受賞。2006年刊行の『エンキョリレンアイ』がベストセラーとなる。近年は、『アップルソング』『星ちりばめたる旗』『炎の来歴』など、戦争や日米関係を題材にした重層的な作品を執筆している。