パンを焼く彫刻家

2019/07/19
 予定していた仕事がすらすら進んで、ぽっかり時間の空いた午後。外は好いお天気。すがすがしい高原の夏、と言いたくなるような、ウッドストックの森の七月である。
 さて、何をするか?
 庭仕事は、春から根を詰めてやってきたから、ちょっと飽きている。それにこの季節は虫が多い。私は決していい女ではないけれど、虫にはたいそう好かれている。
 キッチンに立って、空に浮かんだ雲──発酵して、膨らんでいるような──を眺めながら「そうだ」と思いつく。
 そうだ、パンを焼こう。
 よく晴れて、空気はカラッと乾いている。あけ放った窓の網戸越しに、柔らかい湿り気を帯びたそよ風が吹きこんでくる。こんな日には、イースト菌のご機嫌がすこぶるいい。きっと、皮はパリッとしていて、中身はふわふわのパンが焼けるだろう。
 趣味というほどではないものの、パンやお菓子を焼くのが私は好きだ。夫はお菓子を食べるのが好きだ。甘いお菓子に目がない。私は焼く人で、夫は食べる人だが、私はお菓子はほとんど食べないので、これはちょうどいい組み合わせだなと思っている。
 さっそくボウルを取り出して、まず粉類を入れる。全粒粉は三カップ程度。塩、さとう少々。これに、フラックスシードの粉を二分の一カップほど加える(私の編み出したレシピ)。それから、胡桃。そのほかのナッツ類を適当に加えることもあるし、買い置きがあれば、ドライになっているブルーベリーやクランベリーなども。そして、イースト菌。これは、かつてうちの近所の村でつくられていたという銘柄のもの(今はどこのスーパーマーケットでも売られている)。さくさくと混ぜ合わせたら、最後にオリーブオイルを入れ、ぬるま湯を少しずつ加えていきながら、どろどろの状態になるまで混ぜる。子どもの頃、夢中になっていた泥んこ遊びの要領で。
 ここまでにかかる時間は、せいぜい五分から十分くらい。
 アルミホイルでボウルにピチッと蓋をして、あとは発酵を待つだけ。
 ランチのあと、私はランニングに出かける。帰ってくるまで、ボウルは放ったらかし。この二、三時間のあいだに、イースト菌がしっかりと働いてくれている。
 ランニングからもどってきたら、打ち粉をして形をととのえてバットに入れ、オーブンに突っ込むだけ。
「何時ごろ、焼けそう?」
「ええっと、三時半くらいかな」
 夫も楽しみにしてくれている。彼は、焼きたてのパンの両端をまっさきに食べるのが好みである。

パン屋さんその5.jpg

 私がパンづくりに目覚めたきっかけは、行きつけのファームスタンドで出会った「モアパン」──これは私の勝手な命名──だった。
 あれは、何年くらい前のことになるだろうか。
 ある年の夏、近くのファームスタンドに野菜や果物を買いに行ったら、スタンドの片すみで、モアさんという名前の女性が、自分の焼いたパンをずらりと並べて売っていたのだった。カウボーイハットに細身のジーンズにブーツ。かっこいい女性カントリー歌手みたいだった。
「おひとつ、いかが?」
 モアさんは、買い物客ひとりひとりに、試食用に切り分けたパンのかけらを差し出していた。私ももらって食べた。
「わ! 何これ、おいしい!」(英語だと、オーマイガーッド! くらいの感嘆文)
 もちもちしている、というか、むちむちしている、というか。それでいて、ふわふわ感もあって、パリパリ感もあって、こんなパン、今までに一度も食べたことがなかった。どんなに褒めても褒め足りないくらい、モアパンはおいしかった。
 拙い英語力を駆使してパンを褒めると、モアさんはうれしそうに目を細めていた。
「これとこれとこれ、下さい」
 三斤ほど買い求めた。モアさんは毎日、店を出しているわけではないということだったから、一部は冷凍しておこうと思った。
 モアパンはどれも、煉瓦の形をした食パンで、胡桃入り、シナモンとレーズン入り、ひまわりの種入り、ディル入りなど、さまざまな種類があった。いわゆる菓子パン類は焼いていないようだった。
 家に持ち帰って、さっそく食卓に出してみたところ、
「へえっ! アメリカ人でもこんなおいしいパンが焼けるんだ!」
 と、夫は妙な感嘆文で褒めていた。

パン屋さんその3.jpg

 それからというもの、ファームスタンドへ行くたびに、モアさんの姿を探すようになっていた。モアパンを見つけた日は「ラッキー!」だった。
 スタンドのオーナーの話によると「だいたい火曜と木曜あたりが狙い目だね。でも、そうと決まっているわけじゃない」という。
 あるとき、思い切って、モアさんに尋ねてみた。
「確実に、あなたのパンを手に入れたいんだけど、何か方法があったら教えて」
 すると、モアさんは言ったのだった。紙切れに文字を書いて手渡しながら。
「だったらメールで注文して。三日くらい前に注文してくれたら、あなたの分を焼いて、ここに届けておくから」
 つまり、特別に注文販売をしてくれるというのである。
 モアさんはシャイな性格をしているのか、口数はきわめて少なく、いつも物静かな雰囲気を漂わせていた。それでも、私が得意客になってからは、ぽつりぽつりと自分のことを話してくれるようになった。
 モアさんの本職は、彫刻家。グレンフォードという村──うちから車で十五分くらいのところ──の古い教会を買い取って、そこで暮らしているという。夫と娘がふたり。
「ああ、あの教会! 知ってます。いつもその前を車で通ってるから」
 聞けば、高校生のとき、ホームステイで日本へ行ったことがあるという。町はヨコハマ。日本人はとても親切だった。いつかもう一度、日本へ行きたい。そんな話も出た。
 その年の夏から冬にかけて、我が家の食卓には朝も昼も夜もモアパンがのぼった。メールで注文することもあったし、スタンドにモアさんの出店が出ていればほくほく顔で買い求めた。
「さすがは彫刻家のパンだよな。彫刻家って、こねるのとか、窯で焼くのとか、得意そうじゃない?」
「馬鹿ね。それは陶芸家でしょ? 彫刻家は、木や石を削ってるんじゃない」
 などと返しながらも「彫刻家のパン」という言葉には、うなずくことができた。モアパンはまるで芸術品のようだと思っていたから。

パン屋さんその1.jpg

「おいしく焼き上げるこつはね、発酵に時間をかけること。そして、生地をこねないこと」
 モアさんはある日、モアパンのおいしさの秘訣を尋ねた私にそう教えてくれた。
「え? こねないの?」
「そう、こねない。こねたら駄目。こねないで、放ったらかしにしておくの」
 家に帰って夫に話すと、
「さすがは彫刻家だな。こね回すのは陶芸家か、せいぜい政治家か。理屈をこねたり、駄々をこねたりしないから、モアパンはおいしいんだな」
 と、これまた妙に説得力のある答えが返ってきた。
 年が明けてぶあつい積雪も解け、待ち遠しかった春がやってきた頃、モアパンは村から忽然と姿を消した。メールを送っても、返事が届かない。スタンドの経営者に聞いても「さあ、知らない」という答えしか返ってこない。
「どうしたんだろうね、モアさん」
「忙しいんだろう、本業が」
「ああ、モアパン、食べたいな」
 やがて夏が来て、モアさんの暮らしている教会の庭は、草ぼうぼうの状態になった。夏草に埋もれるようにして、モアさんが創ったと思われる彫刻が置かれている。いや、置かれているというよりも、置き去りにされているという感じ。
 夏の終わりになって、ファームスタンドのオーナーから聞かされた。モアさんはもうパンを焼かない。モアパンも出回ることはない。モアさんは、末期癌の治療に専念するために、この村を離れたんだよ、と。
 以来きょうまで、私はこの界隈でモアさんの姿を見かけたことがない。

 家中に、パンの香りが立ち込めている。
 あと五分もすれば、我が家のパンは焼き上がるだろう。ナイフで切ると、そこから湯気がほかほか立ちのぼってくる焼きたてのパン。香ばしい。
 しかし、モアパンには及ばない。味も食感も、あのモアパンには遠く及ばない。それは当然だ。モアパンを超えるパンは、誰にも焼けない。
 あの頃、モアさんは自分の寿命を知っていたのではないかと思う。余命いくばくもないと知って、モアさんが始めたのは、おいしいパンを焼くことだった。おいしいパンを焼いて、人々を喜ばせ、人々をほくほくと幸せにすることだった。
 芸術村のウッドストックには「アーティストです」と名乗る人が多い。作家、詩人、ミュージシャン、写真家、陶芸家、画家。犬も猫も人も歩けばアーティストに当たると言いたくなるほど、芸術家だらけである。成功しているか、名声を手に入れているか、名前が知られているか、など、まったく関係ない。本を一冊も出していなくても「僕は作家です」と言えば、その人は作家なのである。ウッドストックの住人にとって、アーティストの定義とは、自分の創造物によって人を喜ばせ、楽しませることのできる人。
 モアさんは、筋金入りのアーティストだった。
 モアパンは、彼女の最後の「作品」だった。

写真:グレン・サリバン

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小手鞠るい(こでまり・るい)

1956年岡山県生まれ。同志社大学法学部卒。
1992年よりアメリカに移住。1993年、「おとぎ話」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年、『欲しいのは、あなただけ』で島清恋愛文学賞を受賞。2006年刊行の『エンキョリレンアイ』がベストセラーとなる。近年は、『アップルソング』『星ちりばめたる旗』『炎の来歴』など、戦争や日米関係を題材にした重層的な作品を執筆している。