マンハッタンの公園を書く

2019/05/20
「そろそろ行くか? 遠足に」
 デートではなくて、遠足である。夫に誘われると、私はいつも元気よく右手を挙げて答える。
「行く!」
 列車の駅まで車で四十分、ハドソン川に沿って走る列車に揺られて一時間四十分ほどで、ペンシルベニア駅、通称「ペンステーション」に着く。地下にある駅から外に出ると、そこには、摩天楼の街、マンハッタンが広がっている。

マンハッタン.JPG

 二、三ヶ月に一度くらいの割合で、マンハッタンへ遊びに行く一泊二日程度の小旅行を、私たち夫婦は「遠足」と呼んでいる。
 ふだんは田舎に住んでいるふたりが列車に乗って遠出をし、大都会で物見遊山をしてくる、というわけである。実のところ、夫には仕事がらみの所用があるので、浮かれ気分で楽しい遠足を満喫できるのは、私だけなのだけれど。
 夫の所有しているオフィス──私たちが泊まるのもここ──がチェルシーにあるため、ここ何年かはもっぱらチェルシー界隈をうろうろしている。
 南北の通りは十四丁目から三十丁目まで、西はハドソン川、東は五番街に囲まれているエリア。これがチェルシーである。
 たとえば、セントラルパークから南下しながら歩いてくると、チェルシーあたりから急に観光客の姿が減って、背の高いビルも少なくなり、かわりに並木や木立や緑が増えて、落ち着いた雰囲気になる。高級ブティックやブランドショップはことごとく消え、個性的なギャラリー、小さな書店、こぢんまりとしたレストランやカフェが姿を現す。通りを行き交う人たちにも生活感が漂っている。犬を連れて歩いている人が多い。
 都会は苦手な私だけれど、芸術家村みたいなチェルシーは気に入っている。
 名前の由来は、ロンドンにあるチェルシーで、十八世紀には農地だったこのあたりの土地を買い上げて家を建てたイギリス人が、自国をなつかしんで(かどうかは定かではないが)命名したという。
 十九世紀になってからは、ニューヨークシティ郊外の高級住宅地として開発され、その後、シティの大発展に吸収されていった。二十世紀前半には、アイルランド系の移民や近くの埠頭や倉庫で働く労働者たちが暮らすようになり、その後、やや寂れていたものの、九十年代以降は、地価の高騰したソーホーから芸術家たちが移り住んできて、チェルシーはアートの発信地として活気を取りもどして、今に至る。

 さて、歴史のお勉強はこれくらいにして、遠足にやってきた田舎者は、都会で何をして遊ぶのか。
 散歩である。街歩きである。ひたすら歩く。ときどき、空を見上げる。くっきりと晴れ上がったマンハッタンの五月の青空は、格別に美しい。流れてゆく雲は、白鳥の形をしている。空を鳥が泳いている。川から吹いてくる風には、初夏の青い香りが含まれている。ニューヨーク州では、春と夏がいっぺんにやってくる。
 散歩に疲れたら公園のベンチに腰かけて、ピープルウォッチングをする。
 何しろ、ふだん歩いているのは、森の小道であり、山であり、野原と田園しか広がっていないカントリーロードである。すれ違うのは牛か馬か鹿かりす、というような世界から、人間だらけの街へやってきたわけだから、人々の姿を見ているだけで、おもしろくてたまらない。
 ひとりひとりの人の「物語」を想像してしまう。どういう過去があって、どこからこの街にやってきて、何をして暮らしているのか。どんな夢を、大志を抱いて、この大都会に棲息しているのか。
 セントラルパークはあまりにも有名だから脇へ置いておき、ここで、私のお気に入りの公園を三つご紹介しよう。しかし、ありきたりの観光案内ではつまらないから、私の書いた小説の一節を読んでいただきたい。
 まずは、ワシントン・スクエア公園から。

 その頃、あたしは、仕事の行き帰りによく、ワシントン・スクエアに立ち寄っていた。エージェンシーの事務所とアパートメントのちょうど中間にある公園なので、あたしにとっては自分の庭のようなもの。
 アーチみたいに枝を広げて、夏は強い陽射しから、冬は北風から、さり気なくあたしたちを守ってくれている優しい木立。そのあいだを縫うようにしてのびている遊歩道をぶらぶら散歩したあと、最後は決まって、スクエアの南のすみっこにある「ドッグ・ラン」へ。大型犬のコーナーと、小型犬のコーナーに分かれていて、大型犬の方が圧倒的にスペースが広いので、あたしはいつも大型犬の方へと向かった。
 白い柵で囲われたその一角では、犬と一緒に散歩にやってきた人たちが、連れてきた犬を解放して、自由に遊ばせることができるようになっていた。広場のまんなかに犬のための砂場と運動場がどーんとあり、それを取り囲むような形で柵が設えてあり、その柵の内側に沿うようにして、人の腰かけるベンチがずらっと並んでいる。犬連れの人たちは、自分の犬を放したあと、ベンチに腰かけてのんびり犬たちの様子を眺めたり、読書をしたり、よその犬の飼い主たちと交流したり、そういうことのできるスペースになっていた。「犬の楽園」とあたしは名づけていた。
『ロング・ウェイ』より


ワシントンスクエア公園.JPG

 この楽園で、主人公の「あたし」は、のちに恋人になる人と出会う。
 次は、ブライアント公園。
 この公園の近くには、紀伊國屋書店ニューヨーク店があるので、本を買ったあと、私はこの公園へ立ち寄って、ページを開くのが常である。

 校舎の外に出ると、雨はすっかり上がっていて、ブルーグレイの雲間から、透き通った水色の空が顔を覗かせていた。それだけで、わたしはなんだか嬉しくなって、
「そうだ、久しぶりに行ってみよう」
 と、思った。
 ブライアント・パークへ。
 最後に立ち寄ったのは春先だったから、かれこれ半年ぶりくらいになるだろうか。
 噴水広場の方から園内に入り、陽の当たる道を歩いて、まっすぐに、屋外読書室へと向かった。樹木も草花も、淡い陽射しを浴びて、思い思いに秋の色をまとっている。思わず知らず、急ぎ足になっていた。「夢見るベンチ」の存在を確かめたくて。
 花壇に囲まれている小道を挟んで、左側に小さな藤棚があり、その近くに本を並べたワゴンがあって、ワゴンのそばに丸いテーブルが置かれていて、そのテーブルから数えて、五番目にあるベンチ──
「あっ」
 心の中で、小さな声をあげてしまった。
『レンアイケッコン』より


 この公園のこのベンチで、主人公の「わたし」は、のちに恋人になる人と出会う。
 最後は、ザ・ハイライン。

 グレゴリーさんの言った通り、ハイラインには、涼しさとあたたかさ、湿り気と乾きのバランスが絶妙、と言っていいような風がそよいでいた。ハワイの貿易風を思わせるような川風だった。遊歩道に沿って築かれた花壇や庭園に植え込まれている植物は、廃線後の線路跡に生い茂っていた野草を移植したものだという。道理で、どの植物もたくましく、したたかに枝葉を広げている。対照的に、花は楚々として、つつましやかだ。猫じゃらしやすすきのような細長い葉っぱを野放図に茂らせている、いかにも雑草です、と言いたげな趣の草がそよ風にさわさわ揺れているさまは、どこかノスタルジックでもある。
 線路跡には雑草がお似合いで、雑草には風が似合う。
『アップルソング』より




 主人公は、ハイライン──かつて貨物列車が走っていた高架型の線路跡を再利用、再開発してよみがえらせた、空中遊歩道みたいな公園──を歩きながら、かつてチェルシーで暮らしていたひとりの写真家に思いを馳せている。
 ハイラインはチェルシーのすぐそばにあるので、最近の私の「庭」にもなっている。
 遠足のつづきにもどる。
 散歩を楽しんだあとは食事、それからジャズクラブへ行ったり、バーでお酒を飲んだり。食事はたいていエスニック。タイ料理か、ヴェトナム料理か、中国料理。お酒は、ジンを中心に飲ませてくれる行き着けのバーで。ここは、禁酒法時代のバーを模していて、入り口は普通のコーヒー店になっており、店内の奥の扉から地下へ降りていくようになっている。通りから見ただけでは、バーがどこにあるのか、絶対にわからない。

ジャズクラブ.jpg

 秘密のバーでお酒を飲んだあと、夜の街をそぞろ歩いて、夫のオフィスで一夜を明かす。真夜中でも、車の騒音、救急車、パトカーのサイレンが鳴り響いて、あまりよく眠れない。
 起き抜けに、近くのカフェで、エスプレッソとデニッシュの朝食をとる。
「なんなら、もう一泊するか?」
 夫の誘いに、私は首を横にふる。
「森へ帰りたい。早く帰ろう!」
 もうこれ以上、人は見なくていい。私は動物が見たい、植物が見たい、木が見たい。
 遠足の落ちは、決まってこうなる。

 マンハッタンを出て、三十分ほど過ぎると、電車の窓から見える景色は一変した。
 大都会の面影はもうどこにもなく、電車に乗っているだけなのに、途方もなく雄大な何かに抱かれているような、そんな感覚にとらわれる。
『エンキョリレンアイ』より


 そうそう、この感覚だ、と、私は帰りの列車の中で、窓の外を流れる川を見ながら、いつもそう思う。
 大都会を離れて、森へ帰ってゆく。
 人間によって創られた世界から、自然の中へもどっていく。
 それはまさしく「途方もなく雄大な何かに抱かれている」感覚なのである。

写真:グレン・サリバン

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小手鞠るい(こでまり・るい)

1956年岡山県生まれ。同志社大学法学部卒。
1992年よりアメリカに移住。1993年、「おとぎ話」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年、『欲しいのは、あなただけ』で島清恋愛文学賞を受賞。2006年刊行の『エンキョリレンアイ』がベストセラーとなる。近年は、『アップルソング』『星ちりばめたる旗』『炎の来歴』など、戦争や日米関係を題材にした重層的な作品を執筆している。