説経節 伊藤比呂美 / 絵・字 一ノ関圭

第6回   小栗判官 その6 照手、小栗、それぞれの旅

 これは、太夫どのの物語。それはそれとして、さらにあわれでなりませんのは、六浦が浦の人買いに買われていった照手姫さまの物語。ここにこそ、ものごとのあわれをとどめたものでございます。

 あらあらいたわしくてなりません。

 照手姫さまは、六浦が浦の人買いに買われてからも、それで落ち着くということはなく、釣竿の島に買われていきました。釣竿の島の人買いが価をつり上げて売りまして、鬼が塩谷(しおや)に買われていきました。鬼の塩谷の人買いが価をつり上げて売りまして、岩瀬、水橋(みずはせ)、六渡寺(ろくどうじ)、氷見(ひみ)の町家に買われていきました。氷見の町家の人買いは、能がない、何もできないと売りまして、能登の国かどこかの珠洲(すず)の岬へ買われていきました。

 里の名は、ほんとにいろいろ、聞けば聞くほどおもしろいものでございます。照手姫さまは、よしはら、さまたけ、りんかうし、宮の腰の方に売られていきました。宮の腰の人買いが価をつり上げて売りまして、加賀のあたりの本折(もとおり)、小松へ買われていきました。本折、小松の人買いが価をつり上げて売りまして、越前あたりの三国の湊へ買われていきました。三国湊の人買いが価をつり上げて売りまして、敦賀の津へも買われていきました。敦賀の津の人買いが、能がない、何もできないと売りまして、海津の浦へ買われていきました。海津の浦の人買いが価をつり上げて売りまして、上り大津へ買われていきました。上り大津の人買いが価をつり上げて売りまして、商い物というのはおもしろい、後よ先よと売られていくうちに、美濃の国、青墓の宿(しゅく)、万屋(よろずや)の君の長(ちょう)どのが、値を積みあげて十三貫で買い取ったということは、ここにこそものごとのあわれをとどめたものでございます。

 君の長は姫さまを見て、「これはいい、上玉だ。百人の流れの姫がいなくなっても、あの姫が一人いれば、おれたち夫婦は楽に暮らせる」と思いまして、一日二日は下へも置かぬふうにもてなしていましたが、ある雨の日に、姫を前に呼びまして、

「さあて、うちとけて話をしたいもんだよ、姫や。うちでは姫たちの呼び名に生国(しょうごく)の国名を使っておる。おまえの国はどこだい」と言いました。

 照手姫さまはこれを聞き、常陸(ひたち)とも言いたいし、相模とも言いたいけれども、やはり夫の故郷の名でもいいから、夫のものを身につけて、朝夕に、呼ばれるたびに、夫に寄り添う気持ちでいたいと思いまして、こぼれる涙の間から「常陸生まれでございます」と言いました。

 君の長はこれを聞き、

「そんなら、今日からおまえの名は『常陸小萩』だ。それでな、常陸小萩や。明日からは、お店に出ておくれ。鎌倉関東の下り上りの商人たちの袖を引いてひきとめて、お茶のお代もたっぷりといただいておくれ。君の長夫婦のためによく働いておくれよ」と十二単(ひとえ)をあたえたのでありました。

 照手姫さまはこれを聞き、「さては、あそび女になれ、流れの姫になれというのだな。今、そんな身の上になるものなら、草葉の陰の小栗どのが、どれほど無念に思われよう。なんとでも言い訳して、流れの姫にだけはなるものか」と思いまして、

「おことばでございますが、長どのさま。あたくしは子どものときに二親に死なれ、善光寺詣りをしておりましたその道で、かどわかされ、あちこちを売られてまいりました。ところがからだに悪い病がございます。男のはだに触れますと、かならず病が起きて、悲しいこと、病が重(おも)るのでございます。そしてかならず、あたくしの値が下がるのでございます。ですから、今は、値の下がらぬうちに、どうぞどこへなりともお売りください」と言いました。

 君の長はこれを聞き、「二親に死なれたなどと言っておるが、実は夫に死なれて操(みさお)を立てていると見える。どんなに賢(かしこ)ぶったところで、ちょっとおどかしてやれば言うことを聞く」と思いまして、

「そんならこうしよう、常陸小萩よ。明日になったら、おまえは、ここから蝦夷、佐渡、松前に売られてゆく。足の筋を断ち切られ、食べ物は日に一合、昼は粟の鳥を追い、夜は魚や鮫の餌食になる。それとも十二単で身を飾り、流れの姫になるか、どっちを選ぶかね、常陸小萩よ」と言いました。

 照手姫さまはこれを聞き、

「長どのさま、おろかなことをおっしゃいますな。たとえ明日は、蝦夷、佐渡、松前に売られていって、足の筋を断ち切られ、食べ物は日に一合、昼は粟の鳥を追い、夜は魚や鮫の餌になったとしても、流れの姫にはなりません、長どのさま」

 君の長はこれを聞き、

「憎らしいことをへいきで言う女だ、常陸小萩よ。うちには百人の流れの姫がおるが、その世話を十六人の下女どもがやっておる。掃除に、飯炊き、水汲み、水回りの辛い仕事はなんでもだ。十六人の下女の仕事をおまえ一人にさせるか、それとも十二単で身を飾って流れの姫になるか、どっちを選ぶかね、常陸小萩よ」

 照手姫さまはこれを聞き、

「長どのさま、おろかなことをおっしゃいますな。たとえあたくしに千手観音ほど手があったところで、十六人分の下女の仕事がたった一人でできるわけはございません。でも下女の仕事とは、それも女のする仕事の一つと聞いております。それなら、あたくしはそれをいたしましょう。たとえ十六人分の下女の仕事はしましても、流れの姫にはなりません、長どのさま」

 君の長はこれを聞き、

「憎らしいことをしゃあしゃあと言うではないか、常陸小萩よ。そのつもりなら、おれの方も覚悟を決めた。よし、水回りの下女仕事をさせい」と言いまして、十六人の下女たちを一度にはらりと追い出して、姫さまにその仕事をおしつけたのでありました。

「下りの雑駄(ぞうだ)が五十匹、上りの雑駄が五十匹、百匹の馬が着いた。馬どもに糠をやれ、常陸小萩よ」

「百人の馬子どもの、足の湯、手水(ちょうず)、飯の用意、いそげ」

「十八町向こうの野中にある御茶の清水を汲んで来い」

「百人の流れの姫の、足の湯、手水、髪を整えに行って来い、常陸小萩よ」

 こっちへ常陸小萩、あっちへ常陸小萩とこき使われておりましたが、なにか照る日月の申し子のことでありまして、千手観音が影身により添ってお立ちになっていますから、前に十六人の下女がいたときよりも、仕事は早く済むのであります。

 あらあらいたわしくてなりません。

 それでも姫さまは、何も苦労などと思わずに立ち働いておりました。そして、立ち居のおりおりに、念仏をとなえるのがくせになっておりました。それを流れの姫たちが聞きつけまして、「生若いくせに後生大事だなんだとかやってるよ、あだ名をつけてやろうよ」とからかって、姫さまは、念仏小萩と呼ばれるようになりました。

 あっちで常陸小萩、こっちで念仏小萩とこき使われるものですから、下女仕事になくてはならぬ縄だすきを、しめたままで、ゆるめるひまがない。長い黒髪に、櫛の歯の入るひまもない。姫さまが、このつらいきびしい奉公を、三年の間つづけなければならなかったということ、まことにあわれなことでございました。

 

 これは、照手の姫さまの物語。それはそれとして、さらにあわれでなりませんのは、冥途黄泉(めいどこうせん)に行かれた小栗十一人の主従たち。ここにこそ、ものごとのあわれをとどめたものでございます。

 さて、閻魔大王さまはごらんになりまして、

「ほれほれ、言わんこっちゃない、悪人がやってきたぞう。あの小栗という男、娑婆にいたそのときは善というのにはちと遠く、悪といえばぐっと近い、そういう大悪人であるからして、あれを悪修羅道(あくしゅらどう)へ堕としてしまえ。十人の家来どもは、主人にかかわりあって非業の死を遂げたのだから、いま一度、娑婆へ戻してやろう」とおっしゃいました。

 十人のご家来衆はそれを聞き、閻魔大王の前へすすみ出て、

「おそれながら、大王さま。われら十人の者どもが娑婆へ戻ったとしても、本望を遂げるのはむずかしゅうございます。主の小栗どの一人をお戻しくだされば、われらの本望までお遂げくださるでありましょう。われら十人の者どもは、大王さまが浄土とお考えなら浄土へ、悪修羅道とお考えなら修羅道へ、これまで犯した罪にまかせて、心おきなくお裁きくださいますよう、どうか、大王さま」と言いました。

 大王はこれをお聞きになりまして、

「なんと、その方らは、主に忠義の男たちだ。この忠義にめんじて、末代までこれを手本とするように、十一人とも戻してやろう」と、見る目当千という鬼を呼びまして、

「日本の国に、この者たちの体があるか、見てまいれ」とお言いつけになりました。見る目当千は「合点承知でございます」と八葉(はちよう)の峯に上がり、にんは杖(じょう)という杖で虚空をはったと打ちましたところ、日本の国全体が一目に見渡せました。それで大王のもとへ戻りまして、

「見てまいりました、大王さま。十人のご家来衆は、主人にかかわりあった非業の死ということで、火葬にされまして、体が残ってございません。小栗その人は名大将ということで、土葬にされまして、体が残ってございます、大王さま」と言いました。

 大王はこれをお聞きになりまして、

「そうか、末代までこれを手本とするように、十一人とも戻してやろうと思ったが、体がなければしかたがない。しかしこの十人の家来どもを、悪修羅道へ堕としはしないぞ。おれの脇立ちに立ってもらおう」と、五体ずつ大王の両脇に、十体の十王としておまつりになりまして、今でも末世の衆生をまもっていてくださいます。

 さてそういう成りゆきで、小栗一人を戻すということにあいなりまして、閻魔大王の直筆の御判(ごはん)に「この者を藤沢のお上人、明堂聖(めいどうひじり)の一のお弟子に渡し申す。熊野本宮、湯の峯に入れてやってくだされ。熊野本宮、湯の峯に入れてやってくだされば、浄土から薬の湯を沸かし上げよう」と書かれ、御判をどんと押され、にんは杖という杖で虚空をはったとお打ちになりました。

 あらあらありがたいことでございます。

 築いて三年になる小栗塚が、四方へ割れて、卒塔婆は前へかっぱと転び、群がらすがかあかあと笑いました。

 藤沢のお上人は、南の方へおいでになっていましたが、上野が原に無縁の者があるようだ、とびやからすが鳴きさわいでおるよ、と立ち寄ってごらんになりました。

 あらあらいたわしくてなりません。

 小栗どのがそこに、髪はははとして、足や手は糸よりも細くなり、腹はただ鞠(まり)をくくったようになりまして、あちらこちらを這いまわっておりました。両の手をおし上げて、もの書くまねをして、「かせにやよひ」と書いてみせましたが、なんと読むのかわかりません。「六根(ろっこん)かたは」と読めというのかも知れません。

 これこそがあの小栗。これは横山一門に知られてはいけないと思いまして、お上人は小栗どのをおさえつけ、髪をすっかり剃りまして、つくづくと見ましたら、餓鬼という、飢えと渇きに苦しむあの亡者に姿が似ております、それで「餓鬼阿弥陀仏」と名をおつけになりました。

 お上人がその胸札(むなふだ)をごらんになりますと、なんとそこには閻魔大王さまのご直筆の御判で、

「この者を、藤沢のお上人、明堂聖の一のお弟子に渡し申す。熊野本宮の湯の峯に入れてやってくだされい。熊野本宮の湯の峯に入れてやってくだされば、浄土から薬の湯を沸かし上げよう」と、どんと御判が押されてあります。あらあらありがたいと、お上人もその胸札に書き添えをなさいました。

「この者を一引き引けば、千人の僧を供養することになる。この者を二引き引けば、万人の僧を供養することになる」と書き添えまして、土車を作り、餓鬼阿弥を乗せまして、女綱男綱(めづなおづな)を打ちつけまして、まずお上人が、ご自身で、車の手縄にすがりつき、えいさらえいとお引きになりました。

 上野が原を引き過ぎまして、相模畷(さがみなわて)にかかったところで、横山家中の武士たちがやって来まして、自分たちが殺した小栗とはつゆ知らず、照手の姫さまのために引くのだと、因果の車にすがりつき、五町だけではありますが、みんなで引いていきました。

 どこまで行くかとたずねれば、九日峠はここですか。坂はなくても酒匂(さかわ)の宿よ、おいその森をえいさらえいと引き過ぎて、はや小田原の町に入りまして、狭い小路に下馬の橋、湯本の地蔵を伏し拝み、足柄、箱根はここですか。山中三里、四つの辻、伊豆の三島や、浦島や、三枚橋をえいさらえいと引き渡し、流れそうでも流れぬ浮島が原、小鳥囀(さえず)る吉原の富士の裾野をまん上り、はや富士川で身をきよめ、大宮浅間(せんげん)、富士浅間(せんげん)、心しずかに伏し拝み、ものを言わない餓鬼阿弥に「さよなら、さよなら」と暇(いとま)乞いして、藤沢さして下っていったのでありました。

 そこへまた新しい引き手がやってきて、供養のためにと引いていきました。

 吹上六本松はここですか。清見が関に上がります。南をはるかに眺めて、三保の松原、田子の入海(いりうみ)、袖師(そでし)が浦の一つ松、それも名所か、おかしな松だ。音にも聞いた清見寺(せいけんじ)、江尻の細道引き過ぎて、駿河の府内に入ります。昔はないが今浅間(せんげん)、君のお出ではありがたい。蹴上げて通る鞠子(まりこ)の宿。ほろろほろろと鳴く雉を、撃つの撃たぬの宇津の谷(うつのや)峠を引き過ぎて、岡部畷をまん上り、松にからまる藤枝の四方に海はなけれども、島田の宿をえいさらえいと引き過ぎて、七瀬流れて、八瀬落ちて、夜の間に変わる大井川。鐘を麓に菊川の月さしのぼる小夜の中山、日坂峠を引き過ぎて、雨降り流せば道も悪くなってきて、車に情けを掛川の、今日はかけない掛川を、えいさらえいと引き過ぎて、袋井畷を引き過ぎて、花は見付の郷(ごう)に車は着きました。

 あの餓鬼阿弥の、明日の命は知らないが、今日は生きたよ、池田の宿に車は着きました。

 昔はないが、今切(いまぎれ)の、両浦眺める、潮見坂、吉田の今橋、引き過ぎて、五井のこた橋、ここですか。夜はほのぼのと、赤坂の、糸繰りかけて、矢作(やはぎ)の宿。三河に掛けし、八橋の、蜘蛛手にものや、思うらん。沢辺に匂う、杜若(かきつばた)。花は咲かぬが、実は鳴海。頭護(とうご)の地蔵と伏し拝み、一夜の宿をとりかねて、まだ夜は深き、星が崎、熱田の宮に車は着きました。

 車の引き手はそれを見て、これほど涼しいお宮のことをだれが熱田と名づけたか、熱田大明神を引き過ぎて、坂はないのに、うたう坂、新しいのに、古渡(ふるわたり)、緑の苗を引き植えて、黒田と聞けば、いつも立ち寄るこの宿は。杭瀬川(くんぜがわ)の川風が、身に冷ややかに沁みてくる小熊河原(おおくまがわら)を引き過ぎて、道をいそいで行きましたので、ほどもなく、土車などだれが引くかと思われましたが、供養の車でありました、引くとはなしに人は引き、さらに引き、美濃の国、青墓の宿、万屋の君の長どのの門の前に車が着きまして、どういう因果の縁でありましょう、車が、そこに三日の間、うちおかれてありました。

(続く。絵は土車に乗せられた小栗判官)

完成版小栗_02.jpgのサムネール画像

伊藤比呂美プロフィール画像

伊藤比呂美

1955年東京都生まれ。詩人。
1978年現代詩手帖賞を受賞。99年『ラニーニャ』で野間文芸新人賞、2006年『河原荒草』で高見順賞、07年『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』で萩原朔太郎賞、08年紫式部賞を受賞。
エッセイ集に『良いおっぱい 悪いおっぱい(完全版)』『閉経記』、古典の現代語訳に『日本ノ霊異(フシギ)ナ話』『読み解き「般若心経」』『たどたどしく声に出して読む歎異抄』、対談集に石牟礼道子との『死を想う』などがある。著作の一方、自分の詩の朗読活動も行っている。

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