説経節 伊藤比呂美 / 絵・字 一ノ関圭

第5回   小栗判官 その5 照手姫はおりからが淵で流される

 横山どのはこれを見て、ああこれでせいせいした、しかし、この男も名のあるさむらいだ、後始末はちゃんとつけねばならぬと思いまして、陰陽師に占わせましたら、

「十人のご家来衆は、主人にかかわりあって非業の死をとげたわけでございますから、その体を火葬になさったほうがよろしゅうございます。小栗その人は、名大将のことでございますからその体を土葬になさったほうがよろしゅうございます」と占い出し、そしてまたどういうことか、小栗どのの末は繁盛と占い出したのでありました。

 横山どのはこれを聞き、そのとおり、土葬と火葬、それぞれの野辺の送りをそそくさと執り行いまして、さて、それから、鬼王、鬼次の兄弟をそばに呼びまして、

「ほかでもないが兄弟よ。人の子を殺してわが子を殺さねば、都の聞こえも悪かろう。ふびんではあるが、照手の命を、相模川のおりからが淵に、石の重しをかけて沈めてまいれ、よいな」と言いつけたのでありました。

 あらあらいたわしゅうございます

 兄弟ともに無言のまま、こんなことになるのなら、するんじゃなかった宮仕え。親に言いつけられて、その子を殺すのか。われら兄弟は主の義理には勝てぬ、身を分けた親が子を殺そうというこの世がわるい。おれたちの責任じゃない、言われたとおりに沈めにかけるかと思いを定め、乾の局(つぼね)へ行きまして、

「おそれながら、照手さま。夫の小栗さま、十人のご家来衆は、蓬莱の山の御座敷で討ち死になされました。あなたさまもご覚悟めしませ、照手さま」と言いました。

 照手姫さまはこれを聞き、

「なんですって、今、何と言いましたか、兄弟たち。こんなときですから、さあ、もっと近くこちらにいらっしゃい、そしてもう一度お言いなさい。なんですって、何と言いましたか、夫の小栗殿と十人のご家来衆は、蓬莱の山の御座敷で討ち死にと言いましたか。ああ、なんてかなしいこと。あたくしがあんなにいろいろ言ったのにとうとうきいてくださらず、こんなことになってしまった。こんなかなしい目にあうと、見た夢ほどわかっていたのなら、あたくしも蓬莱の山の座敷へいっしょに行って、小栗どのの最期にお抜きになった刀をこの胸もとへつき立てて、死出の三途の大川を、手と手をつないでお供をしたい。それができたら、こんなかなしい目にはあわないで済んだのに」と泣きながら嘆き語るのでありました。

 どれだけ嘆いても、元に戻ることは何もありません。照手姫さまは、ちきり紋様の村濃(むらご)染めの小袖を一重(ひとかさ)ね取り出だして、

「兄弟たち、時間です。これはあなたがたにさしあげます。あなたがたにとってあたくしは、恩をうけない主ですけど、形見と思って受け取って、思い出した折々には、どうかあたくしのために念仏をとなえてくださいね。唐の鏡や十二の手具足(てぐそく)は上のお寺へさしあげて、亡き跡をとむらってくださいね。こんなかなしい世、生きていてもせつなさが増すばかり。早く早く、殺してください」と言いまして、姫さまは自分から牢輿(ろうごし)に乗りこみました。

 乳母や守り役、下働きの下女に至るまで、わたしもお供いたします、わたしもお供いたしますと、輿の轅(ながえ)にすがりつき、みなさめざめと泣くのでありました。姫さまはこれを聞き、

「気持ちはほんとにうれしいわ、女房たち。隣国の者や他国の者でも、親しくなれば、名残惜しいのが別れです。ましてや、あたくしを守りそだててくれたあなたたちですもの、かなしくてあたりまえ。でも今となっては、千万の命をむだにすることはありません。それより海の沖がかっぱと鳴ったら、それが照手の最期のしるしですから、そのときには鉦鼓(しょうご)を鳴らして、念仏をとなえてくださいね。こんなかなしい世、生きていてもせつなさが増すばかり。早く早く、殺してください」と道をいそいで行きましたので、ほどもなく、相模川に着きました。
 相模川に着きまして、小船一艘をおし下ろし、牢輿を乗せ、舟を押し、舟を漕ぎ、唐櫓(からろ)の音に驚いて沖のかもめが飛び立てば、渚の千鳥は友を呼びながら飛んでいく。

 姫さまはこれを聞き、

「ああ、渚の千鳥さえ、ああして恋しい相手を呼んでいるのに、あたくしはだれを呼びながら、おりからが淵へいそぐのかしら」と泣きながら嘆き語るのでありました。道をいそいで行きましたので、ほどもなく、おりからが淵に着きました。

 あらあらいたわしくてなりません。

 鬼王鬼次の兄弟は、ここで沈めるか、あそこに沈めるかと思案して、なかなか沈めかねておりましたが、兄の鬼王が弟の鬼次をそばに呼びまして、

「おい、きいてくれ、鬼次よ。あの牢輿の中におられる照手姫さま、そのお姿をみれば、出づる日に蕾む花のようじゃないか。ところが、おれたち二人の姿を見れば、入る日に散る花のようじゃないか。どうだろう、お命をお助け申しては。お命をお助け申して、そのけっか、おれたちが罪に問われて罰をうけることになるのなら、それはそういう運命なのだ」と言いました。すると弟も、

「兄きがそう思うのなら、おれもそう思う。お命をお助け申そう」と言いまして、それで兄弟は、牢輿の後と先についておりました重しの石を切つて放し、本体だけを、澪(みお)の流れの中に突き流したのでありました。

 陸にいならぶ人々は、今こそ照手の最期よと、鉦鼓を鳴らして念仏をとなえ、一度にわっと叫ぶ声があたりに響きわたりました。六月半ばのことで、蚊の鳴く声がすさまじい時期でしたが、そんな音も、すっかり人々の声に、かき消されてしまいました。

 あらあらいたわしくてなりません。

 照手姫さまは、さて牢輿の中から西に向かって手を合わせ、「観音経にはこうあります、五逆生滅(ごぎゃくしょうめつ)、種々消災、一切衆生(いっさいしゅじょう)、即身成仏、どうかよい島にながれつきますように、ながれつきますように」と唱えたのでありました。観音菩薩さまも、姫をあわれとお思いになりまして、風のまにまに、吹かれて揺れて、姫さまを乗せた牢輿は、ゆきとせが浦に行き着きました。

 ゆきとせが浦の漁師たちはこれを見て、古参の衆が若い衆に「どこかから流れついたお祭りの御輿(みこし)だろう。見てまいれ」と言いました。若い衆は、合点承知と見にいきまして、戻ってきまして、「口のない牢輿でした」と言いました。古参の衆はそれを聞き、「口がないなら、打ち破れ」と言いました。そこでまた若い衆が、合点承知と櫓櫂(ろかい)をふるって打ち破ってみましたら、中には風に揺れるやなぎのようになよやかな美しい姫が一人、涙ぐんでおりました。古参の衆はこれを見て、「そらそら、言わんこっちゃない、この頃、この浦で魚がとれなくなったのは、この女のせいよ。魔ものか、化けものか、または竜神のやからか」と、櫓櫂をふるって打ち据えたのでありました。
 村人の中に、村君(むらぎみ)の太夫どのという、慈悲ぶかい、人望のあつい男がおりました。この太夫どのが姫の泣く声をつくづくと聞きまして、

「おいみなの衆、やめないか、あの姫の泣く声をつくづくと聞いてみろ、あれは魔ものじゃない、化けものでもない、竜神のやからでもない。あれはきっと継母にいじめられて流された姫にちがいない。みなも知るとおり、おれには子がない。うちで引き取って、あとあと頼りにしたいから、どうだな、おれに任せてはくれまいか」と言いました。

 太夫は、姫を自分の家に連れていき、連れあいの姥(うば)を呼びまして、

「今かえったよ、ばあさんや。浜辺から養い子を一人拾ってきた。うちで養うから面倒をみておくれ」と言いました。

 姥はこれを聞きまして、

「なにをいいだすやら、おまえさま。養い子なんてものは、山へ行ったら木が伐れて、浜へ行ったらおまえさまといっしょに櫓も押せる、そういう十七、八の男の子だから頼りになる。あんななよなよした、やなぎの風に揺れてるようなのはいけません。あんな女は、六浦(もつら)が浦の商人に一貫文か二貫文で売り飛ばしちまえばいいんです。それで、懐は温まってぽっかぽか、老後は安心のほっくほく。ね、そういうことなら、養い子としても役に立つじゃありませんかね」と言いました。

 太夫はこれを聞きまして、あの姥は、子があればあるで勝手をいい、子がなければないで勝手を言うと、ほとほといやになりまして、

「おまえのような邪慳(じゃけん)な姥と連れ添ってともに魔道へ堕ちるより、家財道具は一切おまえにやるから、ここですっきり別れた方がましだ」と言いまして、姫をつれて諸国修行へ出かけようとしたのでありました。それで姥はあわてて、太夫を失うまいと、

「あれあれ、怒っちゃいけないよ、おまえさま。今のは冗談ですよ。おまえさまにも子がない、あたしにも子がない。ね、だから養い子がいいですよ、あとあと頼りになりますともさ。さあ、戻ってくださいよ、おまえさま」と言いました。

 太夫は、いたって単純な人でありました。すぐに機嫌を直して家に戻り、仕事の沖釣りに出かけていきました。そしてその隙に、姥がつらつらと考えたのが、じつに恐ろしい悪巧みでありました。

「夫というものは、女の色が黒いと飽きるというよ。あの姫の色を黒くしてやれば、うちのひとも飽きるんじゃないか」と、姥は浜辺へ姫をつれていき、塩焼きのかまどの上に追い上げて、生松葉を取ってきて、一日じゅう姫をいぶし立てたのでありました。

 あらあらいたわしくてなりません。

 煙がもくもくと、照手姫の目や口へ入る、それはもう、たとえようのない辛さでありますが、ところがやはり照る日月の申し子でございます、千手観音が影身に添ってお立ちくださいまして、ちっとも煙くはなかったのでありました。

 さて、日も暮れ方になりまして、「姫や、降りといで」と姥が言い、降りてきた姫を見ましたら、白い花に薄墨をいろどったよう、前よりも一段と美しくなっておりまして、姥はこれを見て、

「こりゃだめだ、一日むだ骨折っただけだ、ええい腹の立つ、いっそ売り飛ばしてしまえ」と考えまして、六浦が浦の商人に二貫文の代金でたたき売り、「銭をもうけたら、胸の炎はおさまった。けれども、うちのひとには何と言おう、困ったもんだ、昔からよく言うじゃないかね、七尋ななひろ)の島に八尋(やひろ)の舟を繋ぐのも女人の智恵ってね、なんとかうまいつくり話を考えて......」と太夫の帰りを待っていたのでありました。

 さて、沖の釣りから戻った太夫が「姫はどこだい、姫や、姫や」と言いますので、姥はなだめにかかりまして、

「まあまあ、おまえさま。あの姫は、今朝がた、おまえさまの跡を慕って出て行ったきり、それきり帰ってきやしませんよ。若い娘のことですから、ふいと海に入ってしまったやら、六浦が浦の商人にさらわれたやら。今まで心配も苦労も何にもなしでのほほんと暮らしておったこの婆に、これほど心配させるとは、まあほんとにわるい娘だこと」とそら泣きを始めたのでありました。

 太夫はこれを聞きまして、

「おい、姥や。心から悲しくてこぼれる涙は、九万九千の身の毛の穴が潤いわたってこぼれてくるものだ。おまえの涙のこぼれるようすは、六浦が浦の商人に、一貫文か二貫文の代金でたたき売って、銭を手に入れた、うわべだけの悲しみの涙と見てとれる。おれの目はふしあなじゃない。おまえのような邪慳な姥と連れ添ってともに魔道へ堕ちるより、家財道具は一切おまえにやるから、これで別れた方がましだ」と言い切って、元結(もとい)を切って西へ投げ捨てまして、墨染の衣にさまを変え、鉦鼓を取って首に掛け、山里へ閉じこもり、後生だけが大事と、浄土行きをねがって暮らしはじめたのでありました。そして、そういう村君の太夫どのを、人々はほめたたえたのでありました。

(続く)

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伊藤比呂美

1955年東京都生まれ。詩人。
1978年現代詩手帖賞を受賞。99年『ラニーニャ』で野間文芸新人賞、2006年『河原荒草』で高見順賞、07年『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』で萩原朔太郎賞、08年紫式部賞を受賞。
エッセイ集に『良いおっぱい 悪いおっぱい(完全版)』『閉経記』、古典の現代語訳に『日本ノ霊異(フシギ)ナ話』『読み解き「般若心経」』『たどたどしく声に出して読む歎異抄』、対談集に石牟礼道子との『死を想う』などがある。著作の一方、自分の詩の朗読活動も行っている。

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