説経節 伊藤比呂美 / 絵・字 一ノ関圭

第3回   小栗判官 その3 人食い馬鬼鹿毛

 横山一族の承諾なしに、小栗が照手のところに通いはじめたということが、父の横山どのにもれ聞こえまして、横山は五人の息子たちを呼びあつめ、

「さあどうしたものか、嫡子のいえつぐ、乾の方の照手のところへ、初めての男が通ってきたというが、おまえは知らないか」と言いました。

 いえつぐはこれを聞き、

「父上さえご存じないこと、わたくしが知るわけもございません」と言いました。

 横山はかんかんに腹を立てまして、

「一族の知らぬ中へ、むりやり婿入りしたという豪気な男だ。武蔵、相模の七千余騎をあつめよ。小栗を討とう」とみなに言い渡したのでありました。

 いえつぐはこれを聞き、烏帽子のてっぺんを地にこすりつけ、涙ながらに言いました。

「父上、どうかお聞きください。これはたとえでございますが、鴨は寒くなったら水に入る、鶏は寒くなったら木へ上る、人は滅びようとするとき悪い心が猛(たけ)くなる、油火(あぶらび)は消えようとするとき燃えさかると申します。

 あの小栗といいますのは、天から降りてきた人の子孫だそうで、八十五人分の力を持ち、荒馬乗りの名人でもあるそうで。それに劣らぬ家来衆が十人。その軍団はさぞかし異国の魔王のようでございましょう。武蔵、相模の七千余騎をあつめても、小栗をたやすく討つことはできますまい。ここはぜひとも、父上はご存じないということにして、婿として、おゆるしになったらいかがでしょう。父上のご出陣ということになりましたら、そのときはかならずや、強い弓矢の味方になるはずでございますから。父上、どうか」とかきくどきました。

 横山はこれを聞き、

「いえつぐ、先には小栗のことを知らぬと言っておったのに、今ではすっかりゆるしているではないか。ええい腹の立つ。おれの前から出てゆけ」と言いました。

 三男の三郎は父親の目の色をうかがって、

「父上のおっしゃるとおりでございます。ここは、わたくしめの考えついた謀(たばか)りごとをおききください。まず明日になったら、父上は、婿としゅうとの対面という名目で、乾の局へ使者をお立てになる。それだけ豪気な男なら、怖れず、臆せず、憚(はばか)らず、ゆうと出てくるはず。

 一献過ぎ、二献過ぎ、五献と酒がまわった頃に、父上は、こう言われます。『都からおいでのお客人、なにか芸を一つ』と。

 すると小栗は、こう言いましょう。『わたくしがお見せできるものとしましては、弓か、鞠(まり)か、包丁か、力業か、早業か、盤の上の遊びか、お好きなものをお選びください』と。

 そしたら、父上は、こう言われます。『いや、おれはそういうものは好かぬ。どうにも乗られぬ奥州産の野生馬を一頭持っているのだが、一馬場(ひとばば)乗ってみせていただきたい』と。

 小栗は、ふつうの馬だと思って、引き寄せて乗りますよ。そしたらあの鬼鹿毛(おにかげ)が、いつもの人まぐさと思って食いますよ。太刀も刀もいりません。父上、いかがでしょう」と言いました。

 横山はこれを聞き、「よくたくらんだ、わが三男」と乾の局へ使者が立ったのでありました。

 

 小栗はこれを聞きまして、こちらから伺おうと思っていた矢先にお使いをいただいた、ありがたいことだと、肌には青地の錦を着け、紅しぼりの直垂(ひたたれ)に、刈安(かりやす)染めの黄色い水干(すいかん)に、りっぱな冠をつけて、十人のご家来衆も、都ふうの品の良い着こなしで、横山の屋敷に出かけていき、中にずずいと通されまして、座敷の前に来て、幕をつかんでぱっと開け放ち、いきおいよく中に入ってみましたら、座敷はすっかり小栗をもてなすためにしつらえてありました。そこで小栗は、一段高い上座に座り、横山八十三騎の人々も、群れ飛ぶ千鳥の形をとって斜め違いに座に着いたのでありました。

 

 一献過ぎ、二献過ぎ、五献と酒がまわった頃に、横山が言いました。「都からおいでのお客人、なにか芸を一つ」と。

 すると小栗はこう言いました。「わたくしがお見せできるものとしましては、弓か、鞠か、包丁か、力業か、早業か、盤の上の遊びか、お好きなものをお選びください」と。

 横山はこれを聞きまして、

「いや、おれはそういうものは好かぬ。どうにも乗られぬ奥州産の野生馬を一頭持っている。一馬場乗ってみせていただきたい」と言いました。

 小栗はこれを聞きまして、座敷からずんと立って、厩(うまや)に行ったのでありました。

 こうなったからには、たとえ異国の魔王や大蛇に綱をつけたものでも、馬と呼ぶかぎりは乗りこなしてやろうと思いまして、馬丁頭(ばていがしら)の左近の尉(じょう)を呼び、四十二の馬房につながれた名馬良馬を、あれかこれかと見ていきましたら、あれでもございません、これでもございません、こちらでございます、と、連れていかれたのは、堀の向こうひろがる八町の萱野の方でありました。

 萱原を見渡せば、右手にも左手にも、鬼鹿毛が食ったという死骨、白骨、黒髪が算木(さんぎ)を散らしたようにうち捨ててありました。十人のご家来衆はこれを見て、

「おまちください、小栗どの、これは厩ではなく、人を送る野辺」と。

 小栗はこれを聞き、

「いや、これは人を送る野辺ではない。上方とは違って奥州には、鬼鹿毛という人食い馬がいるそうだ。おれがむりやり婿入りしたのを憎んで、その馬に食わせようとしているのだ。思いやりのあることよ」と遠くをきっとみつめました。

 厩の中では鬼鹿毛が、いつものように人まぐさが入ったかと思って、前足で地面を掻き、鼻から嵐を吹き出し、雷のように鳴りとどろかせたのでありました。

 さて小栗は、とどろく鼻嵐をききながら、厩をじっくりと観察していきました。四町の中に囲い込ませ、堀を掘らせ、八十五人がかりで山から運んできたような楠柱を左右に八本どうどうとねじり込ませ、その間の柱には、三抱えばかりある栗の木柱をどうどうとねじり込ませ、根から引き抜かれないように、柱の根本には横に貫く太木をさし、さらに枷(かせ)をかけてありました。鉄の格子を張り、そこにも貫く太木をさし、四方から伸ばした八本の鎖で、馬を繋いでありました。冥途の方で名の高い無間(むけん)地獄というところも、これほどのところではございません。

 小栗はこれを見て、馬鹿者と夏の虫は飛んで火に入る、笛に寄る秋の鹿は妻のためにその身をほろぼすとは、よく言った。あの小栗が、妻のために奥州で馬に食われたということになったら、都にどんなうわさが立つか知らん。さあどうしたらよいものかとためらっておりましたら、十人のご家来衆が口々に、

「さあさあ、小栗どの、お乗りください。あの馬が、われらがお主(しゅう)の小栗どのを、少しでも食らおうとするものならば、畜生とて容赦はいたしません。鬼鹿毛めの平首(ひらくび)のあたりを、われわれが一刀ずつ、恨みもうしてやりまして、切り刻んだその後は、横山の屋敷の番所へ駈け入って、刀の目釘(めくぎ)がつづくかぎり死にものぐるいで防ぎ戦い、三途の大河を、敵も味方もざんざめいて、手に手をとってがっちり組んでお供をいたしますゆえ、なんの憂えもございません」と。

 そしてまた口々に、おれが馬を引き出すのだ、いやおれが引き出すのだと、一すじに思いきったその勢いの前には、どんな天魔も鬼神もかなうものではございません。

 小栗はこれを聞き、はっと気づき、

「あれだけ強い馬は、力ずくではだめなのだ」と、十人のご家来衆を厩の外へおし出して、馬と向かって一対一で、ものごとの理を説いてきかせたのでありました。

「なにをおもうか、鬼鹿毛よ。おまえも生あるものならば、耳をきっちり立てて、よくよく聞けよ。

 世間の馬というものは、そこらの厩に繋がれて、人の食わせる餌を食い、人に従い、ときには尊いことも考える。なあ? 寺の門外に繋がれれば、経や念仏を聞き習い、後生大事を心がけるようにもなるというのに、どういうことか、この鬼鹿毛は、人の食わせるまぐさを食わず、人をまぐさに食うという。

 それでは畜生の中の鬼ではないか。人も生あるものだが、おまえも生あるものではないか。生あるものが、生あるものを食って、いったいどういう報いが来るか。後生をどう考えておるのか、なあ、鬼鹿毛よ。

 それはともかく、問題は今だ。今はおれの顔をたてて一馬場乗せてくれ。一馬場乗せてくれたら、鬼鹿毛よ、おまえの死んだ後には金づくりの堂を建て、寺を立て、おまえの身体を漆で固め、馬頭観音としてまつってやろう。牛は大日如来の化身だそうだ。おまえはどうなのだ、鬼鹿毛よ」とせつせつと問うたのでありました。

 鬼鹿毛は、この人間は見知らないが、その額には米(よね)という字が三行(みくだり)坐り、両眼には瞳が四体あるのをたしかに見て取りまして、ただ者ではないと観念し、前膝をかっぱと折り、両眼から黄いろい涙をこぼし、人間ならば「乗れ」と言わぬばかりのしぐさをしてみせました。

 小栗はこれを見て、さては乗れと言っておる、ならば乗ってみようと思い、馬丁頭の左近の尉を呼びまして、「鍵を」と言いつけました。ところが左近の尉は、「いえいえどうして、小栗どの、この馬にかぎりましては、昔繋いで、それきり外に出しておりません。わたくしとて鍵は預っておりません」と。

 小栗はこれを聞きまして、それなら馬におれの力を見せてやろうと思いまして、鉄の格子にすがりつき、えいやっと引きましたら、錠も肘金もはらりともげました。そこで小栗がかんぬきを抜き取って脇に置き、呪文を唱えましたら、もはや、この馬に悪い性はなくなっておりました。

 そこでまたもや左近の尉を呼びまして、「鞍と鐙(あぶみ)を」と言いつけますと、左近の尉は「合点承知でございます」と、ほかの馬に使う金覆輪(きんぷくりん)の鞍に、手綱を二筋より合わせ、頭領の持つ太鞭を添えて持ってきました。

 小栗はこれを見て「これほど強い馬なのだ、金覆輪は華奢すぎて似合わない」と言いまして、ふつうの乗り方ではなく裸馬に乗ってみせようと思いまして、太鞭だけを手にとって、四方八つの鎖を一つ所へあつめ、えいやっと引きましたら、鎖もはらりともげました。

 これをより合わせて手綱にし、まん中を馬にかっしと噛ませ、馬を引き出して、馬をじっくりとほめはじめました。

「わき腹から尻にかけては、よく肉がついておる。顔の左右は、肉がなくてすっきりしておる。

 耳は、小さく分け入って、法華経八巻から二巻取ってきりきりと巻きすえたようである。

 両眼は、照る日月の燈明の輝くようである。鼻孔は、千年経た法螺貝を二つ合わせたようである。

 そしてたてがみのみごとさよ、日本一の山スゲの元を揃えて一鎌刈って、谷の嵐に一揉み揉ませたやつがふわとなびいたようである。

 胴の骨は、筑紫弓(つくしゆみ)の上物(じょうもの)が弦を恨んでそり反ったようである。

 尾は、山上の滝の水がたぎりにたぎってとうとうと落ちるようである。

 後ろ足は、唐琵琶の名器から転手(てんじゅ)も反手(はんしゅ)もはらりと落とし、盤の上に二面並べたようである。

 前脚は、日本一の鉄をうち、みがき立てて節を作ったようである。

 この馬にかぎっては、昔繋いで、それきり外に出してないものだから、ひづめは厚く、筒のように高くなっておる。どんな馬が千里を駈けようと、この馬にかなうものはない」。

 このように馬をほめまして、それから、鞭をしっととふるって厩から出し、堀の中の船をつないだ仮の橋を、とくりとくりと乗り渡していったのでありました。

 この馬が進みに進んで出ていくさまを、ものによくよくたとえれば、竜が雲を引き連れ、手長猿が梢を伝い、荒鷹が鳥屋(とや)を破って外に出て雉に襲いかかったようでありました。

 八町の萱原を、さっくと出しては、しっとと止め、しっとと出しては、さっくと止め、まことに性の良い馬でありました。

 ことの成りゆきに、十人のご家来衆は大喜びで、五人ずつに立ち分かれ、やあやあやあやあと大声をはりあげてほめたたえたのでありました。横山八十三騎の人々は、小栗の最期を見ようとやってきたのでありますが、「これはこれは」と息を呑むばかりで、だれもが無言でありました。

(続く)

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伊藤比呂美

1955年東京都生まれ。詩人。
1978年現代詩手帖賞を受賞。99年『ラニーニャ』で野間文芸新人賞、2006年『河原荒草』で高見順賞、07年『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』で萩原朔太郎賞、08年紫式部賞を受賞。
エッセイ集に『良いおっぱい 悪いおっぱい(完全版)』『閉経記』、古典の現代語訳に『日本ノ霊異(フシギ)ナ話』『読み解き「般若心経」』『たどたどしく声に出して読む歎異抄』、対談集に石牟礼道子との『死を想う』などがある。著作の一方、自分の詩の朗読活動も行っている。

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