結婚の追求と私的追求

能町みね子

第24回

ポプテピピック

 十月下旬、改装は終わった。完成したという知らせをもらって見に行くと、玄関にはもちろん図面通りにポーチができていて、新しく作られた外壁には小さな青いタイルがきれいに並べられていた。ドアには希望通りヤフオクで落とした建材が入れ込まれ、念願のお風呂も設置され、二階に広いリビングが完成していた。
 私はできあがった家の隅から隅までなでまわすようにほれぼれと見渡し、ニヤニヤした。
 しかし、費用をケチったぶんの壁は未処理である。トイレも納戸も居間も、壁はベニヤむきだしの状態。私のいまの部屋が契約満了となるまでに、夫(仮)には壁の仕上げをがんばってもらわなければならない。
「仕事とバラの水やりに毎日行くの面倒だから、帰るわー」
 完成した家を見学に行った翌日、夫(仮)は荷物をまとめ、さっさと北区へ帰っていってしまった。
 一か月間、私たちは特にケンカもなく実に平和で効率のよい二人暮らしをしていたけれど、こうしてまたあっけなくお互い一人暮らしに戻った。
 しかも、これからは週一で向こうに行くこともない。北区の家は、三階が多くの荷物でとっちらかったまんま。二階は夫(仮)がふだん使う服と、三階から下ろした食卓とソファーベッド(寝床)で占められてパツンパツン。一階はこれから壁を塗ったりするための作業道具置き場。数日で、あっという間にスペースが埋まってしまったようなのだ。狭いソファーベッドで隣り合って眠るという選択肢はないので、私が行っても寝る場所がない。
 泊まれないなら、面倒だから行かない。
 案の定、一人暮らしに戻ったら相変わらず自分のためにお茶も淹れないし、仕事もはかどらない。パソコンの前に平気で深夜四時近くまで座りつづける暮らしにすぐ戻ってしまった。日々の効率が格段に悪化する。
「夫に逃げられた」
 仕事のはかどらない当てつけに、ふざけてツイッターにそんなことを書いてみるも、誰に心配されるわけでもない。
 夜中に暗い気持ちや腹立ちや愚痴を吐き出したいときーー要は慰められたかったりただ漠然と聞いてほしいとき、私はついツイッターに何かしら書いてしまう。ツイッターがないときはミクシィに、ミクシィがないときは......ああたぶんノートに書いていた。一人で処理していた。
 ツイッターってそういうものであふれていてもおかしくないのに、私が思うほどにはみんなそういうことを書かない。なぜ書かないで済むんだろう、と考えていて、恐ろしいことに気がついた。
 もしかしたらみんな、夫や妻や恋人や友達や家族や、生身の人間にこういうことを言っているからネットには書かないんじゃないだろうか。
 そんな人たちが世の中の圧倒的多数派なんじゃなかろうか。
 私にとってそういう存在はきっと今後も現れない。夫(仮)も私にとって決してそういう存在ではない。
 それでも、ふと何かちょっと喜ばせたいと思う相手には十分なっている。
 用があって郊外に行き、駅ビルのアトレをぶらついた日、ジェラートピケの店舗が目に入った。ジェラピケはふわふわもこもこでガーリーだという印象が強すぎて、見るからに私には縁がないものと決めつけていたけれど、気まぐれに商品を眺めてみたら、かわいさの具合がものすごく好み。家のなかでしか着ないものがかわいいのって、いいよね。去年も夫(仮)にパジャマをあげたけれど、あれはつなぎになっているのでトイレに行くのが面倒なのだ。ジェラピケで選んで、またパジャマをあげようかな。改装後の家は天井が高くなって寒そうだし。そういえばもうすぐ誕生日だし。
 こんなことをごく自然に思うようになってしまった。
 私はかねてから、買い物中にちょっとしたかわいい小物や役立つ文具を見つけたとき、女友達に対しては「あっ、これ喜ぶだろうな、あげよう」と思いつくのに、なぜ男の人に対してはまったくそういう気持ちが湧かないんだろう、と思っていた。過去につきあった相手に対しても、一度もそう思いついたことがない。
 しかし、夫(仮)に対しては思いつくようになった。スルッとそういう考えが這い出てくる。関係性が「こう思わなきゃいけない」の枷から外れているおかげで、なんで自由に思うことができる。
 私はクリスマスの期間限定カラーである赤と白のしましまモコモコの上下パジャマを買い、自分用に色違いの同じような形のものを購入した。最近夫(仮)は知人がやってる二丁目のバーを手伝いはじめたのだけど、タイミングもよかったので、そこで開かれた誕生日イベントのときに持っていって、大々的にプレゼント。ものすごく暖かくてその割に軽くて、ジェラートピケは最高だね。
「別居」の間、私は新しく仕事場にするための物件を神楽坂界隈で探し、夫(仮)は着々と改装を進める。私は運よく早々にとてもいい物件が見つかり、ちょうど同じ時期に仕事場を探していたデザイナーの友達と共同で借りることになった。夫(仮)は壁を塗るための準備作業である、地味で大変なパテ塗りの作業を少しずつ進めている様子。トイレはざらざらの木目そのままなので、全面的にパテ処理したうえに、サンドペーパーをかけないといけなくてつらいらしい。
 こうして、私たちはクリスマスもお正月も特に会うことなく過ごした。
 別々に暮らす形に戻ると、言うべきことがないときは平気で何週間もやりとりしないようになる。それでお互いに何の違和感もないのが我ながら不思議だ。
 さて、さすがにこの歳になれば、年賀状に「結婚しました」の報告だけでなく、毎年の子供の成長を写真で添付したものが増えてくる。
 そういったものが届いたときに、「こんな子が生まれたんだな、かわいいな、似てるなあ」なんて一般的な楽しみ方は、私もちゃんとできる。しかし、それでいて、その裏面の感情がまだ私のなかからふつふつと煮立ってくるのも感じる。
 すなわち、この人は「正常な」結婚をしてるなあ、と思い、この形態を正常なものと定める「常識」に対する憎しみがはっきり浮き上がってくるのである。この「常識」は世間一般的なものでもあり、自分自身にこびりついたものでもある。私はまだまったく迎合できていないと悟り、そう簡単に世のなかを受け入れてたまるかと、どこかにホッとする部分もある。
 学生時代に、子供は欲しいけど絶対に結婚はしたくない、一人暮らしが快適すぎて人といっしょに住むなんて考えられない、なんて言っていた友人は、その後結婚を済ませたどころか夫の実家で義母といっしょに暮らしているらしい。いろんな人を好きになっちゃうから結婚だけは絶対しない、と言って奔放に何股もかけていた別の友人は、いまツイッターのプロフィール欄にわざわざ「新婚です」なんて嬉しそうに書いている。
 人の言ってる恋愛観や結婚観なんて、まともに信じてはいけないのだ。それがちょっと「常識」から外れていたからといってぬか喜びしてはいけない。聞くだけ無駄なので酒の席での埋め草として消化し、全部忘れたほうがよい。どんどんみんな「常識」に吸い込まれていく。世間の「常識」の強さをなめたらいかん。
 私は昔、絵本の『100万回生きたねこ』の意味がまったく分からなかったのだ。
 いや、本当はいまでも分かっていない。解釈を聞いて、人はこれを読んでこのように感動するという一般的なプロセスは知識として得たけれど、まったく納得できていない。私は、『100万回生きたねこ』が分からないというところが自分の最大の急所にして命綱でもあると思っている。あれが分かるようになったら私は私ではない。

 新たな仕事場の物件も見つかったし、予定通り私は二月末に引っ越しをすることにした。
 いまの住まいから業務関係のものは新たな仕事場に移し、生活に関係したものは北区の夫(仮)宅へ運ぶ、二か所に分割する複雑な引っ越しとなる。
 しかも、ミャンマー音楽を研究する村上くんにだいぶ前に誘われて、二月の中〜下旬にはミャンマー旅行に行くことにしてしまっていた。二月二十三日に旅から帰り、中一日でテレビ局主催のイベントに出て、また中一日で二十七日に引っ越しという、むちゃくちゃなスケジュールになってしまった。
 二月上旬、気がつけば年が明けてから一度も夫(仮)に会っていない。同居を始めても、同居を解消して全然会っていなくても、お互いのとらえ方が特に変わらない。さすがに引っ越し前に一度家の様子が見たいと思い、久しぶりに北区に向かった。
 家に入ると、「別居」となってから三か月経ったというのに、壁の様子はパテ塗りの段階からほとんど進んでいなかった。三階はまだ荷物でぎっしり。私のベッドをここに入れなきゃいけないのに、どうするんだ。よく見れば、私の部屋に引っ越してくるときにあわてて冷蔵庫から出した食料品まで畳の部屋のビニール袋のなかに放置されている。夏だったらどうなっていたのか、ぞっとする。
「まー、どうにかしますよ」
 口では適当なことを言っているけど、私がこっちに越してくるまでに壁塗りが終わるとはとても思えないし、私が暮らすスペースができるかどうかすら微妙である。やはり、夫(仮)も私がいないと生活の効率が極端に悪くなっているんじゃないかと思えた。

 ミャンマーでは、村上くんと四泊をともにした。趣味で仲良くなった友達なので、「なんかあってもいいのに」もなければ、もちろん「なんかある」こともなく、レコードを漁り、お寺をめぐり、市場で立ち寄った店で出された衛生的に難アリのごはんも平らげて、ただただ楽しい旅の日々を過ごした。
 ところが帰りの飛行機の空調が極端に寒く、ずっと肩をさすりつづけるほど凍えて寝ることもできず、帰国後にひどい下痢に突入した。最初は微熱もあったので、これはやっちゃったか、ヤバいものをもらってきたかと思ったけれど、熱はすぐに下がって食欲も落ちない。いつもどおり食事をしては、水下痢を排泄する、という体になってしまった。日程の無茶さは自覚していたけれど、さすがにこたえたのかもしれない。引っ越しのプランを梱包からすべて任せるものにしておいてよかった。
 予想どおり引っ越し前日の時点でほぼ何の準備もできていなかったため、その日はゴミをまとめることに力を注ぎたく、やはり「効率」のために近くに住む友達二人を呼び寄せた。いつものままの部屋にべーやんとナツコがいる状態で、「ただ見ていてくれればいいから」と言ってほったらかす。べーやんはのんびりお菓子を食べ、漫画家のナツコが私の机でペン入れをしている間、私は必死で捨てるものを選抜する。
 べーやんのお腹はまーるくなっている。あと二週間で子供が生まれるんだって。ついこないだまで誰々とつきあいたいとか、やっぱりこの人も好きとか言ってたような気がするのに、いつの間にかするすると結婚してするすると妊娠している。すごい。人はどんどん進んでいく。
 ひととおり作業をして、せっかく二人も来てくれているので、調子に乗ってデリバリーピザを頼んでしまった。しかし、まったく快復していない私の腹にはそうとうな負担だったようで、話すのも億劫なくらいだるくなり、またとめどなく水下痢が排出されはじめた。
 徹夜は無理だと悟り、二人に帰ってもらってとりあえず寝ることにする。夫(仮)は夫(仮)で、塗装作業が思いっきり中途半端な状態のなか私の荷物が大量に来ることになるわけで、三階のスペースを必死で空けてくれているらしい。連絡を取ってみると、あちらは確実に徹夜となるようだった。
 こうして、完全同居がスタートするメモリアルな日は、水洗便所の流水のごとき混沌と勢いのなかで訪れた。私は体に鞭打って六時に起き、へろへろの状態で最終的な荷物の分別を行う。おたおたと作業のつづくなか九時には業者さんが来てしまい、梱包作業が始まった。引越会社の梱包担当はみんな五、六十代のアルバイトのおばさまで、おしゃべりしつつもかなり手際よくバンバン段ボールに詰めてくれる。午後からは運び出しのために、体育会系でコミュ力も好感度も高い青年たちがやって来た。二か所に運ぶ荷物を苦労して分別しながら持ち出してもらい、二年過ごした部屋はあっという間にもぬけのからとなった。
 北区の家への搬入監督は夫(仮)に任せ、私は神楽坂の新しい仕事場へ向かう。複雑な手順を経たためになんだかんだで作業は遅くなり、北区の家に帰るのは二十二時半頃になってしまった。
 北区の家に帰る。そうだ、私は「帰る」のだ。
 北区の家はいままで「行く」ものだったが、今日から「帰る」のだ。
 向かう地下鉄のなかで、第一声は「ただいま」なんだろうと考えた。
 私は去年、神楽坂で仮の同棲生活をしていたときに知ったのだ。いま帰ったことを告げる相手がいる場合は、「ただいま」が必要になる。
 北区の「自宅」の最寄駅で降り、ひとけのない通りをぬけて、古い酒屋の角を曲がると、例のあの家の二階に明かりがついている。
 こういうことは、私の人生で実家以外ではありえなかった。「ただいま」って言うのか。
 言うんだろうなあ。
 ポーチにあがって、鍵を開けておいてもらった玄関の戸を引き、「ただいま」と言ってみる。
 しかし、二階のリビングまで声が届かない。ちょっと感慨深くなっていただけに、ややまぬけ。
 螺旋階段を上がって、色ガラスのはめ込まれたアンティークの引き戸を開き、気のぬけた声でもう一度「ただーま」と言う。
「おかーり」
 二階のリビングとなるはずのスペースはよくぞここまで積み込めたと感心するほど段ボールまみれになっており、夫(仮)は酒を飲んでスマホを見て、どうにか座れるダイニングテーブルのところでくつろいでらっしゃる。積まれた段ボールの陰になってテレビが半分しか見えない。この部屋の壁はまだまったく塗られていない。いや、これ、いつ完成するんだろうか。変な感慨はうまい具合にぺしゃっとつぶれる。
 お互いにヘトヘトなので、とろけたような体で、半分しかないテレビに流れる『ポプテピピック』をしばらく二人で観た。こういう、楽しいけれど人の感想をいちいちお伺いしたくないようなものを二人で観れる喜びが確かにある、と思う。
 しかし、だらだらしてもいられない、早く寝ないと。退去の立ち合いと残置ゴミの廃棄のため、明日は朝八時に前の物件に行かねばならない。くたくたの体でどうにかお風呂に入ったものの、私の部屋着はどこの段ボールにあるか見つかりそうにない。このあいだあげた夫(仮)のかわいいジェラートピケを借りて寝ることにした。
 三階に上がると、ここもまたよくぞ荷物をこじ入れたと感動するほどパンパンで、ついこないだまでゴミ屋敷同然だった畳の部屋にきちんとスペースが作られ、ベッドがぎりぎり入っている。
 飛びこむように寝そべると、階下からは夫(仮)のいびきが聞こえてきた。これでよい。
 理想的な形だ。

プロフィール

能町みね子

1979年北海道生まれ、茨城県育ち。漫画・コラム・エッセイの執筆を中心に、最近ではテレビ、ラジオへも活動の場を広げている。