結婚の追求と私的追求

能町みね子

第7回

ミノルカブルー

「え? ええ? あ、はい」
 まさか先方からその話が先に出てくるとは思わず、私は恋愛のように慌てふためいてしまいました。
 お互いに恋愛感情がなく、性的欲求はそれ以上にありえず、最初から形式としての結婚を志したというのに、「肝心なことが言い出せない」とか「そしたら向こうから先に切り出されてドキドキ」とか「突然降り出した雨のせいで相合い傘」とか、完成度があまりに高すぎる。ここまかでできあがっていれば迂闊にも感情までそちらに引っぱられそうになりますが、目の前にいるのは私を恋愛対象にするはずのない自称老けデブ専の、心は小松菜奈だと言い張るゲイのおじさんです。しかし、形の上のことであろうと、不意打ちの「プロポーズ」なんてなかなかあるもんじゃない。
 自分でお膳立てした設定に相手が乗ってきてくれたというのに、いざこうなるとふりまわされているようで少々悔しい気持ちもありつつ、さすがにうれしさが顔にあふれでるのは止められません。それでいて、この感情まで含めてすべてが形式なのかもしれない、と冷静に考えている自分も奥底に残っている。
 いいんですかね? じゃあそういうことで進めますけど、いいんですかね? と興奮ぎみに私が念入りな確認をすると、サムソンさんはまあ、まあ、はい、と平然とした顔で軽めの返事。
 とにかくも言質は取れました。これからもこのプランを進めていってよい、という強力な自信がみなぎります。まずは大きな一山を越えたのだ。
 都心に向かう空いた中央線で帰り、ほこほこした気持ちで別れ、家に帰ってツイッターを追っていると、サムソンさんはさっき二人で撮った写真をもう上げていました。私はのんきにピースなんかして、サムソンさんは不敵な笑みを浮かべている、熟年夫婦のような雰囲気の写真。そして、そこにはなんとすでに「結婚を前提としたお付き合いをはじめました」と記されている。さっきのお店でスマホをいじっているとき、彼はもうこんなことを書いていたのか。
 こうして「お付き合い」についてツイッターで世界に公開したものだから、祝辞のようなリプライも見知らぬ人から次々に届いていました。みんなシンプルに祝ってくれているけれど、私のややこしいプランについてこの人らは一体どう考えているんだろうか。複雑な事情などどうでもいいのか。「結婚」となればなんであろうと「おめでとう」なのか。素直に受け取るには、妨害する思いが多すぎる。しかし、サムソンさんからは「本当に楽しかったのでお暇がありましたらまた飲みましょう」というLINEも届いて、気分がいいことに間違いはありません。
 パンディットのスタッフさんからは、私たち2人によるイベントについて前のめりに開催を念押しされたそうで、「お暇ができたら打ち合わせがてら飲みましょう。また良い報告ができるように☆」とのこと。
「良い報告! 私の人生になかったいい言葉です」
「私も生まれて初めて使ったフレーズです」
 どうやら我々、結婚に対する歩調はかなり似ているし、その点でも気が合うようです。しかしよく読めば、サムソンさんのツイッターの言葉には「結婚を前提としたお付き合いい」が始まった、とあります。「おつきあいはともかく結婚してしまいたい」という私とは、似ているようでズレている。さてどうしたものか。まあ、私はあちらの住まいの状況も把握していないし、なにしろ荷物がすさまじく多いから、すぐに同居するというのはどちらにしろ現実的じゃないわな。まず第一歩としてお家を訪問できないものか。
 このプランについては、すぐにサムソンさんのほうからも提案がありました。いわく、荒川の花火大会のときに来てみたらどうか、と。10月に荒川で行われる「北区花火会」。サムソン邸から荒川までは遮るものがなく、3階建ての自宅の屋上にあがると花火がよく見えるんだそうで、家を買ってからの数年、花火会の日には友人知人を呼ぶことにして、ちょっとしたパーティというか飲み会のようなものを催すらしい。今年は建物の自力改装もそれに向けて完成させるつもりだそうで、彼には珍しく例年よりもだいぶ気合いが入っている模様です。
 私は、そういうのは......大いに苦手です。
 サムソンさんと私に共通の知り合いはほとんどいない。花火会に来るのは、どう考えても私が一切知らない人たちになりそうです。知らない人だらけの完成したコミュニティの中に後から無理に入っていくのは、いちばん苦手とするところ。
 しかしこれも「結婚」と地続きの話だ。世間一般の結婚であれば、古くさいジェンダーロールを押しつけてくる先方の親戚筋やら会社の上司やらをうまくあしらわなければいけない、なんてことはよくある。私の脳内には何代も続く田舎の名家に嫁いだ高度経済成長期の奥様が登場し、「あーあ、親戚筋とも仲よくやっていかなきゃいけないワ」なんて呟きはじめました。私は必要以上に形式張って「プレイ」だと思えば、なんでもニヤついて受け止められます。実際には嫌みを言う姑などいない。梨園に嫁ぐわけでもない。まったく大した話ではない。行ってやろうじゃないか。
「ageHaのShangri-Laを上回る日本最大級のシャイニーイベント、北区花火会鑑賞会が今年も私の自宅屋上で行われますので参加者はご連絡くらさい。面識のある方以外はイケメンと気前のいいお金持ちのみ参加可能」
 サムソンさんのツイッターにはこうした知らせがバーンと張り出されました。いや、告知はわざと派手そうに装ってますが、実際にはワンルームマンション一部屋程度の面積の屋上に入る人数に収まるはずで、そのあと何日か、参加人数が増えないことをぼやくような呟きも連続しました。それでも日々、花火会に向けてお家がどんどんキュートに飾り付けられている様子がネット上にレポートされています。
 以前に写真で見た三角形の飾り棚のある部屋には、ケチャップ色のソファー、鮮やかなレモンイエローとスカイブルーのチェアが置かれ、壁には余ったベニヤで作ったという三色の四角い壁掛け棚、床には螺旋階段に貼ってあるのと同じモロッコ調タイルシート。どこにも油断なくキュートネスが満たされた部屋の入り口にはとどめみたいにピチカート・ファイヴのアルバム『bellissima!』のポスターがアクリルパネルを使って完璧に掲げられ、サングラスの女たちが空を見上げています。「落ち着いて考えて、50前のおっさんが気ままに棚を作りました、で仕上がりがこれなのは狂気以外の何物でもない」「来週の花火会用にババア連中の隔離部屋がでけた」などとひねくれた言葉で部屋を紹介していても、その毒素が吹っ飛ぶほどとびっきりにガーリッシュでポップ。
 和室もあるようで、そちらには間接照明を2つも設置して「なんとなくセックスできそうな部屋になった!」と盛り上がっています。屋上には木材にペンキを塗ったカラフルなウッドベンチまでこしらえて、日に日に人を呼ぶ態勢が整っていきます。
 といっても、私はそれをネットを通じて観察しているだけ。「プロポーズ風」の日から数週間、特にイベントもデートもなく、私たちは会っていない。様子見に、LINEを送ってみました。
「花火って、10月8日のやつですよね」
「そうですー。そういや手すりもつけて階段完成しましたよ」
 サムソンさんはそう言ってツイッターに上がっていない写真を送ってくる。水色のペンキとモロッコタイルシートで彩られた螺旋階段の真ん中を貫くミノルカブルーの柱に、目を引くオレンジ色の手すりが取りつけられています。
「オレンジ!無骨な男がどんどん来づらくなりますよ!かわいい!」
 サムソンさんは老けデブ専であるから、ほんとうは無骨な野郎に来てもらいたいはずなのだ。
「もうファンシー極めようと覚悟しました」
「北区をファンシーにしましょう。北区の北欧にしましょう」
  地中海なんだか北欧なんだか、私のイメージも雑である。
「今度お暇がありましたら牡蠣フライ食べ放題かカラオケでもいつか御一緒しましょう」
 もう、向こうからデートを誘ってくる感じです。ありがたい。「牡蠣フライ食べ放題」は、デートで会ったときに話題にした、私の自宅近所のお店でやっているランチメニューです。
「カラオケも!? 何歌うんですか? いきましょー」
「キリンジ弟のシルキークリスタルボイスを目指してるのですが、フィッシュマンズとブランキーが声質はぴったりというね」
「フィッシュマンズがぴったりなのはすごい! むしろレアですよ。北区の渋谷系かつ北区の北欧ボーイ」
 LINEでの私たちの会話は実に軽快で、敬語であることをのぞけばカップル風トークと言ってもいいでしょう。この際なので、私はまた一歩踏み出しました。
「サムソンさんって呼ぶのが他人行儀なので、アキラくんにしようかと思ってるけどいいですか」
 サムソンさんの本名は「アキラ」である。
「ぜひー。交際一歩前進感が」
 キュンキュンするような、きわめて順調な滑り出し。
 しかし、それでも私たちは結局デートからこっち、4週間会っていないわけなのです。
 花火会を1週間後に控えたある日、アキラくんは唐突にツイッターに旅行の写真を大量にアップしはじめます。いつもと違って自虐や誇張のコメントもなく、誰かに撮られたような自分の写真だけをただただ連続で。楽しそうに電車内で「よなよなエール」を飲む写真、鬼怒川温泉駅での写真、あけびを持っておどける写真、眺めのいい渓谷をバックにしたもの、温泉旅館でのステキなお料理。顔は酒に酔ってどんどん赤黒くなり、泥酔して寝そべりはじめ、いつの間にか布団の上に移動していて、浴衣がはだけはじめる。

プロフィール

能町みね子

1979年北海道生まれ、茨城県育ち。漫画・コラム・エッセイの執筆を中心に、最近ではテレビ、ラジオへも活動の場を広げている。