結婚の追求と私的追求

能町みね子

第5回

ブロードバンド

 仮に恋愛であったなら、私が人を誘うときに極端に慎重になるのはいつものことです。自分が先方からも好かれて恋愛が成就するという可能性を毫も信じておらず、私が恋慕のそぶりを少しでも見せようものなら先方は気色悪さに総毛立つであろうと考えているため、人に自ら声をかけるときは、同時に「あなたに対して恋愛感情など一つもありませんよ」ということをなるべく分かりやすいように提示しないといけない。「コイツとは何も起こりえない、コイツがこれ以上迫ってくることはない」と、安心した状態で私と会話していただきたい。
 私にとっては、二人で会って同じイベントなどを共有できる状況が十分かつ最高のゴール地点。それより先のことは絶対にないわけです。
 しかも、私の心中にいる後ろ向きでお節介なアドバイザーは非常に口うるさく、私が少しでも恋愛欲を出そうものなら、すでに目がニヤけていてよだれが漏れ出ているから気持ち悪いですよ、行動するのはやめたほうがいいですよ、と即座に手を引くよう忠告してくるので、そもそも人を誘うという自爆的な行為に出ることがほぼありません。
 しかし、今回に関しては結婚狙いだと最初から明言しており、お互いに恋愛感情もないと分かっています。だから慎重さや駆け引きなどいらないし、この勢いでなんでも誘っちゃえばいいじゃない。
 いいじゃない、と思っていたのに。
 サシ飲みをしましょうなんて自分から言ったくせに、この会話はそのままうやむやで終わりになり、すぐにどこかのお店を探して提案するような積極的な展開にもっていくことはできませんでした。
 こういうパターンでも私は遠慮してしまうのか。恋愛風の厄介ないろいろをすっ飛ばしたくてこのたびの行動に出ているというのに、これでも人を誘うことに二の足を踏むとなると、もう自分の病因が分からない。

 ところで、思いつきの勢いで相手も定めて「偽装結婚」に向けた第一歩を踏み出したものの、私はサムソン高橋さんのパーソナリティをさほどきちんと知りませんでした。仕事内容をおぼろげに把握している程度で、どこでどのように過ごしてきていまどう暮らしているのか、何も知らない。
 将来的にともに暮らすのであれば相手のことはよく知っておきたいですから、ひとまずは彼のツイッターを改めて注視することにしました。
 すると、どうやら彼はいま自宅を大幅に、しかも自力で改装しているらしいことが判明。螺旋階段の蹴込みの部分、もともと木の肌の色をしていたところにモロッコ調タイルシートを貼りはじめている写真が投じられており、踏み板は明るい水色に塗られていて、全体的に地中海リゾートのような雰囲気です。
 さらには、どこかの部屋のカドの鋭角になったデッドスペースの壁に、三角形のカラフルな板材を差し込む形で小さな飾り棚を作り、その写真に「着脱式で(棚を)6つ作ったんで冬は暖色を多くしよう」なんてつけくわえています。棚板は、オフホワイト、水色、オレンジ、くすんだ青などにペンキで塗られていて、ポップでキュート。積み木で作ったみたい。
 私はその写真に対しリプライを送りました。
「なんか超かわいいので結婚を前提に遊びに行きたいです」
 自力でこんなかわいいインテリアを作るなんてすごいなあ、と純粋に思ったのですが、単に「超かわいいですね」というだけではなく、「遊びに行きたい」と踏み込んだうえに、完全にふざけた唐突さで「結婚を前提に」の言葉をぶちこんだ。これも、以前の偽装結婚の話はまだ生きてますよ、本当に本気で考えてますよ、という確認のため。冗談っぽい調子なら踏みこめる。
「お待ちしております。この階は夏場はエアコンがなくてヨーグルト製造場になりますので涼しくなった頃がよろしいかと」
 のちに教えてもらったことですが、この棚のある3階は屋根からの日光の熱をかなり吸収するようで、晴れた夏の日は酷暑になり、うっかり牛乳を置いておいたらヨーグルトになってしまったことがあったらしい。
「一軒家なんですか?」
「狭小3階建て築45年800万の一軒家です...」
「なおさら行きたいですそれは!」
 まさか家を購入されているとは思わなかった。しかも、かなり年季が入った格安物件。22歳のときから六畳風呂なし築40年弱の下宿風アパートに10年近く住んでその物件を愛し、その頃からそれぞれの時代だからこそ作られうるレトロモダンで時に非効率的なデザインの建物を好むようになった私にとっては、このようなお家はただでさえ魅力的。なおのこと彼の家に行ってみる合理的な理由は確立したかのように思えました。
 しかし、ここまできても勢いづかない私なのです。次の何曜日に行きますね!なんてちゃっちゃとこっちで予定を固めて行ったっていいはずなのに、いきなり一人で「来ちゃった」なんつって玄関先にすべりこむのはまるで女子大生の恋愛のようで気恥ずかしいし、我ながら何を盛り上がっているのかと心の底から冷気が上がってくる。それに、彼にも「なんだかんだと言い訳をつけて、やっぱりコイツはマジで恋愛感情を持っているのでは」と誤解され、警戒されてしまう気がする。何度確認しようとも、万に一つも恋愛感情はないということを徹底して分かってもらわなければ動きづらい。
 それに、私たちはたった一度顔を合わせてから5年も経過しており、そのあいだ一切会っていませんでした。ネット上で何度か会話しているとはいえ、いきなり自宅に遊びに行っても話題を欠いて、なんとも気まずい空間になるように思えてなりません。

 このプロジェクトを遂行しはじめてなお、今までの恋愛と同じように不毛な脳内会議をしているのがどうにもやるせない。家に遊びに行きたいと表明してみたのが2016年の6月下旬。その後も、「涼しくなった頃がよろしいかと」という言葉に応じる形で私はしばらく何の行動もせず雌伏の時を過ごしました。
 とはいえ、今回は恋愛のときのように、虚無に向かってもがいているようなむなしさはない。少なくとも、同居というかなり具体的な目的があるため、意欲的に推し進める気力は一向に萎えない。
 次にタイミングが巡ってきたのは、8月も下旬になってからのことでした。
 8月26日、サムソン高橋さんはあるイベントの情報をツイッターにぽんと落とし、「おもしろそう」とだけ書きつけた。

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前都知事選候補、宇都宮けんじが焼酎を5杯飲んでから語るトークライブ
宇都宮では勝てない? 歳を取りすぎている? 骨のある左翼? 全ての答えはここにある! 前代未聞のトークライブ決行!
日時:9月3日(土)
場所:高円寺パンディット
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 宇都宮けんじ(健児)氏は、消費者金融問題や貧困問題に取り組んできた弁護士さん。ちょうどこの年の都知事選の際に立候補を表明していたものの、野党統一候補として鳥越俊太郎氏が出てきたために出馬を断念せざるを得なかった、ということがニュースになっており、いわば旬な人物です。このときの選挙では結局小池百合子氏が圧勝して当選しましたが、私自身が鳥越氏の言動(殊に、選挙で負けた後の)に大いに幻滅したこともあり、当選することがなかったとしても宇都宮氏が出ていたほうがよほどよかったんじゃないか、なんて考えることもありました。
 共産系のイメージが強く、弱者に寄り添う視点はありそうだけれどなんとなく堅物でシャレが通じなそうなおじいちゃん(失礼)というイメージがある宇都宮氏が、なんと酒を呷ってから話すというイベント。ふだん政治的な話題に首をつっこむのをわりと苦手としている私も、はっきりいって「あのマジメそうな人が酔っ払って話すなんて、内容が予想できないから物珍しさで興味がある」というレベルで気になります。
 これは私たちの「初デート」としては最高なんじゃないでしょうか。なにより恋愛っぽさが全くないし、どちらかの趣味に阿っているわけでもない。私たちは、属性ゆえにLGBTがらみのトピックには多少興味を持つものの、さほど政治的スタンスを明確にしているわけでもないから、二人とも純粋に俗な興味で参加することは明らかです。イベントに対する熱量はちょうど同じくらいだと容易に推し量れる。以前からためらいの原因だった共通の話題がないという問題も、こんな極端なイベントを見た日には話が尽きることもなかろうよ。
 場所は、かつてサブカルと呼ばれていたような、世の中の端っこをさまよう文化を愛するロフト系のイベントスペースの中でもとりわけ小さなハコ「高円寺パンディット」。キャパシティはわずか30人程度。雑居ビルの2階の、味も素っ気もない空間で、いい意味でロマンチックさのかけらもありません。どの条件をとっても一般的なデートからはかけ離れています。絶対に「ヒルナンデス!」で紹介されない。
 私はそのツイートに気づいて、即「めっちゃ気になる。行きませんか?」とリプライを送りました。彼からはすぐ、「おひまでしたらぜひ」という、なんとも気のぬけたひらがなだけの短い返事。
 これでついに、いよいよ、「結婚」に向けての具体的な一歩が踏み出されたのだ!
 私はひとり興奮していました。ミャンマーで。
 そう、なんの因果か、私はこのときもミャンマー旅行をしていたのでした。旅行先でも日本にいるときとさほど変わらずツイッターはチェックしていて、日本で起こったしょうもないニュースにもアクセスしているし、友人の日常も見ている。スマホがあればミャンマーからデートのお誘いもできる。SNS社会に、ブロードバンドでワイファイフリーの世界に、万歳であります。

 こうして私たちは5年ぶりに会う。目的が目的なので、イベントに対する俗な興味のほうが打ち勝って、ほぼ初対面に近い人とデートのような形で会うということへの高揚感や緊張といったものはさほどではありません。
 そしてなにより、それどころではなく私は体調が悪かった。
 イベントに誘ったあとにミャンマーから帰国し、数日間、徹底的にお腹を下していた。いつもなぜか現地では元気で、帰国してからお腹を壊すみたいだ。せっかくここまでこぎつけたデートチャンスを一からやり直すかどうか迷ったくらい具合が悪かった。
 こうして見ると、私たちの出会いには節目節目でうんこが絡んでいたし、なぜかミャンマー渡航も絡んでいました。これはいかにも運命じみているけれど、運命にしてはロマンチックさが足りないし、ただのおもしろい偶然として雑に片づけてやる。私は運命否定論者である。

プロフィール

能町みね子

1979年北海道生まれ、茨城県育ち。漫画・コラム・エッセイの執筆を中心に、最近ではテレビ、ラジオへも活動の場を広げている。