結婚の追求と私的追求

能町みね子

第4回

クッキーシーン

「結婚ブーム」よりさらに5年ほど前、私はある本を共著で出していました。
 もともと私自身が男性から女性への性転換者であり、文筆デビュー当初は性に関する著作も多かったため、そうなると縁が縁を呼んでいろんな人と交流が生まれる。そのうち、いわゆるLGBTにあたる人間で気の合うメンバーが集まって飲むようになり、私たちは飲み会のノリのまま『四巨頭会談――男好きの男と女好きの女と女だった男と男だった女』という本を共著で出版したのです。男好きの男はすなわちゲイ、漫画家のかずあき。女好きの女、レズビアンの漫画家である竹内佐千子。女だった男、漫画家の西野とおる。そして男だった女、私能町みね子。
 せっかく仲もいいのだからと阿佐ヶ谷のライブハウスで4人が出る出版記念トークイベントまで開いたのですが、お客さんの中には、竹内佐千子の知り合いということで見に来てくれた、ゲイの漫画家である熊田プウ助さん、そして熊田さんの漫画の原作者としてタッグを組んでいるゲイライターのサムソン高橋さんがいました。イベント後の打ち上げには彼らも含め、十数人で近くの飲み屋に行くことに。
 広い居酒屋で私と彼らは少し遠い席にいたため、おそらくそのときは軽く挨拶をかわした程度にすぎず、会話の記憶もない。しかし、そのころから私は熊田プウ助さんとサムソン高橋さんのツイッターを時々読むようになり、とりわけサムソンさんに親近感を覚えていきました。
 「外連味のない文章」なんて言葉があるけど、彼の文章は逆に外連味だらけでありました。性的少数者のお祭である東京レインボープライドを控えた時期、特に当事者間ではイベントに向けて圧倒的に清廉でポジティブな文章が並ぶ中、カップルで仲よく清く正しく参加するような人たちに対しては火炎瓶を投げつけるかのような毒を吐き、それでいてちゃっかりしっかりイベントには関わり、レポートなんかも公式にアップしている。このバランスがちょうどいい。
 ふだんも、理想的なゲイカップルには呪詛を吐き、「モテないホモ」として世の幸せに悪態をついている姿は悲しいかな私の琴線に触れるし、時にはごくふつうに音楽やカルチャーについて何気なく書き込むその感じも心地よい。私はいわゆる「オネエ」と呼ばれるような演技じみたふるまいをうまく受け止めるのが苦手なので、彼があまりそういった言葉を使わないのもよかったし、たまにそういったふるまいをするときはいかにも「あえて、ふざけてやってますよ」という言い訳と照れがしっかり見えることにホッとする。
 お互いにお互いのツイートを読む関係になりつつ、よりによって2人がネット上で最初に盛り上がった話題は「うんこ次郎」についてのものでした。
 またうんこか。いいかげんにしてくれ。でも、これも事実なのだから仕方ない。
「うんこ次郎」のことなど誰が知っているだろうか。2000年頃に音楽雑誌「クッキーシーン」に連載していた、非常にマイナーな漫画家の名前です。コマ割りの線すら雑な殴り描きの絵の上に、ストーリーと全く関係のない(いや、そもそもストーリーなどほぼないが)時事ネタやらディープな音楽ネタの一言を大量に節操なく貼り付けた、およそ商業ベースに乗るものと思えない異常な作風。これについてあるときふと私が思い出し、「漫☆画太郎先生みたいな漫画が描きたい、と少し思ったが、よく考えると、私がほんとうに描きたいのはうんこ次郎先生のような漫画です。うんこ次郎先生が好きな方とは友達になれそうな気がします」とツイッターにこぼしたところ、サムソンさんのほうがはるかに「うんこ次郎」を覚えており、「昔、上野のHMVで見かけて買おうか悩んでやめたことを後悔している単行本だ!」「7~8年ほど昔、クッキーシーンやインディーズマガジンを、うんこ次郎のマンガ目的で購入してました......」とリプライが来て意気投合、ひとしきり盛り上がったことがあったのです。
 つまり、スタートからしてうんこだったわけだから、同居初日という節目の日にうんこが関わってくるのも必然だったのかもしれません。
 ともあれ、ふだんの書き込みの内容からしてお互いにネット中毒であることも自明だったので、これをきっかけに私たちはごくたまにツイッターでやりとりをするような仲になってゆきました。しかし顔を合わせることは一度もなく、私は当時彼の著作を読んだことすらない。完全にバーチャルな友達です。

 さて、出てくる単語に嫌気がささないよう、かなり時代を飛ばして、もう少しきちんとしたスタートの話をしたい。「うんこ次郎」で盛り上がってから5年後の世界にまた戻る。
 ちょうど私が「ゲイとの結婚」について考えはじめていた2016年6月のこと。フロリダのゲイクラブで50人もの犠牲者が出る悲惨な銃乱射事件が起きました。サムソン高橋さんはこのとき、犯人自身もゲイであったという説に基づいて、ネットメディアに理性的で奥深い記事を寄せていました。
 以前からライターとして説得力のある文章を書ける人だとは知っていたものの、この冷静な論考には不謹慎ながら少し感動すらしてしまった。それでいて、こういう真摯な記事をツイッター上で発表するときには「この記事の一番の売りは『ヘッダー画像の犯人じゃないほうの男、天使みたいにチャーミングだけど、いったい誰?』ってとこですからね!」なんて書く。犯人じゃないほうの男とは、つまり筆者であるサムソン高橋本人のことです。きちんとした記事を発表することに対する振り切れた含羞。
 これを見て私はハッと思いつきました。そして、記事のリツイートをした直後、「サムソン高橋さんはチャーミングだし、原稿も、まじめに書いても毒を吐いても面白いから大好きで、偽装結婚の相手として最高じゃないでしょうか......」とツイッターの画面に書きなぐりまし。
 恋愛を経たものではない私の求める結婚の像を簡単に表すために「偽装結婚」という言葉を使ってみた、だいぶ腰が引けながらの不意打ち攻撃です。なんとなれば冗談で済ますこともできるし、もし相手がこの言葉に眉をひそめるようだったらこちらもすぐにこのカードを引っこめますよというエクスキューズを含めての「偽装結婚」という単語。彼はゲイでデブ専でフケ専であるため、どこをどうしたって私が恋愛対象に入ることはありません。むろん、私から見ても彼は共感こそすれ、恋愛対象ではありません。何言ってんのこの女、相手に困っていたってあんただけはないわ、と言われることを考慮に入れつつのチョイスでした。
 意外にもすぐ、好意的な返事が来ました。
「お互い道に迷ったら(私のほうはすでに迷ってる)ぜひ!」
 この返事で私はイケると勘違いしてしまった。いや、実際に同居までたどりついてしまったのだから、勘違いではなく確信といっていいのかもしれない。「お互い恋愛感情のないゲイと結婚」という絵に描いた餅が急に具現化した瞬間です。
 少なくとも彼が、このことについて完全に否定的に考えてはいないことは間違いない。「すでに道に迷っている」のだから、愛し合う永遠のパートナーに巡りあって共に暮らすという夢はあまり具体的に持っていないことは確かだし、私がゴリ押しすれば、彼の今後の選択肢に私と暮らすというプランが含まれてくる可能性は十分にある。サムソン高橋さんなら、この私の計画につきあってくれるかもしれない。
 私はいろいろな先々を想像しながら、数分考えて返事を書きつけました。
「とりあえずお見合い(サシ飲み)しましょう!(まあまあ本気)」
 括弧つきで「まあまあ本気」と書いているのは、つまり、100パーセントの本気という意味です。シンプルに「本気」と書いてしまってはこちらの血走った目を見せることになってしまうし、万が一にも恋愛感情だと思われては申しわけないので、こちらだって半歩下がるくらいの遠慮はする。彼はおそらく、「まあまあ本気」と書いた内心が完全に本気であることを読み取れる人です。

プロフィール

能町みね子

1979年北海道生まれ、茨城県育ち。漫画・コラム・エッセイの執筆を中心に、最近ではテレビ、ラジオへも活動の場を広げている。