結婚の追求と私的追求

能町みね子

第3話

アバンチュール

 恐怖の連続寝ウンコ生活は2夜連続までで記録がストップしました。ああ、本当によかった。「とても多い日用」のナプキンをして寝たことで、心理的にも緊張が解けたのかもしれません。こんなことで結婚生活の冒頭のページに泥(いや、それ以下の泥状の排泄物だ)を塗るわけにはいかない。
 夫(仮)は、2階のいずれは居間としてソファーを置くつもりのスペースに、以前から使っているソファーベッドをこじいれて寝ています。私は3階の、以前は夫(仮)が寝室としていた部屋に、前から使っているベッドを運び込んで寝ています。私はこの日、午前中に予約していた美容室に行くためにふだんよりいくぶん早く起きました。股間がつつがなく平穏であったことにホッと一息ついたあと、階下からうっすら響くいびきに気づきます。夫(仮)はとてもよく寝る。特に朝食をともにする必要もないし、この日も夫(仮)を起こすことなくさっさと家を出ます。
 駅へ向かう道で、知らないパン屋さんに寄って朝ご飯を買ったり、こんなところに喫茶店があるのね、と気づいてみたり。これは私がすでに何度も経験したことのある、ごくふつうの「引っ越してワクワクしている人」だ。こうした街歩きには、同居生活が始まったことによる劇的な変化というものは特に感じない。
 以前暮らしていた神楽坂界隈に比べ、新居からでは美容室がだいぶ遠くなってしまいました。このお店にはすでに10年以上お世話になっていて、仕事のことから家族のことまでけっこう何でも話してしまうのだけれど、ドーンと華々しく切り出すようになってしまうのを避けたくて、特に新生活のことは語りませんでした。夕方には小学館に行って新刊本についてのインタビューを受け、そのあとは別の出版社の編集さんと夜に軽く飲み食いしながらの打ち合わせとなる。私だけ少量のお酒を飲む。家が変わったというだけで、そのほかはなんてふつうの日だろう。仕事で忙しくしていたおかげなのか、心のギアが変な箇所に入ることもなく、なんら問題なく平凡な夜となる。
 この編集さんは、やや言動が荒っぽく、危なっかしいところもある男性で、私はその面も含めてけっこう好感を持っています。もうすでに何度か会っているのだから今夜はなんかあってもいいのにと、心の中でお手本をなぞるように思うだけ思ってみた。
 私は常に、なんかあってもいいのに、と思っている。
 結婚、というか、結婚風のプロジェクトについては、恋愛さえ差し挟まず計画的に強固な意志で推し進めればどうにかなる、ということがここ数日で一旦判明しました。となれば性交渉だって、どうしてもしたいのならそのように強硬に進めればきっとかなうんでしょう。一夜限りのなんとやら、旅先でのアバンチュール、ごく近い友達の話ですらそんなのを聞いたことがあるぞ、私は。ある友人は、沖縄に旅したときにその日に知り合った人と何かあって、それきりで後腐れなく終わったんだとか。またある友人はお互い結婚している身ながら、海外に行く飛行機の中でたまたま話した隣の人と馬が合ってその後何度か遠方で逢瀬を重ねたんだとか。
 しかし私はこの「聞いたことがあるぞ」と言っちゃうような程度から20年近く脱せず、結局今も人の恋愛や性的な噂をニヤニヤした顔で語るだけの未成熟度をキープしている。うひゃ~、オトナってすごいねえ、と言っている大学生未満の精神のまま、自分がそのオトナの年齢をとっくに超えてしまった。
 誰かと会うとき、なんかあってもいいのに、といまだに思うものの、思うことだけが形骸化していてその先の計画どころか具体的な夢想すら何もない。「なんか」は私にとってそんなに楽しいものなんだろうか。さらにいえば、お相手にいたっては私と「なんかある」ことによるメリットなどどこにあるものか。こういう考えの前に、私のエネルギーは漸減して消滅し、言葉だけが殻みたいに残っている。この日も私は、その編集さんに車で送ってもらって東京の北へ帰っただけだった。なんか、は、ない。なんもあるわけがない。

 詳しく思い返してみれば、私が「ゲイと結婚するのがいい」と思いつくまでには、もういくつか思考的試みがありました。
 私の中にむくむくと「結婚ブーム」すなわち「結婚について考えるブーム」が湧き起こったのは約2年前の初夏のこと。
 これといって大きなきっかけもなく、例によって仕事がはかどらなかったある日の深夜。一人暮らしで最大限に怠惰になった生活をもう少ししっかりさせれば仕事も多少マシに進むだろうになあ、というところから考えはスタートし、とはいえ誰かと共同生活してみるにしても恋愛も同棲も私には無理だし、仮に女友達とのルームシェアなど始めたところで友人は結婚したらいそいそと同居を解消するだろうし、だいたいもうこの年齢(当時37歳)になると女友達もおおかた結婚して子供までできていて、同居できる人が選択肢に浮かばない、考えてみればあの子もあの子ももう結婚して子供ができて、家も遠くなってなんとなく疎遠になってしまった、みんな独身のときは恋愛とか結婚に対する御託なんぞ並べていたくせにいざ結婚してみればそんなものは全部吹っ飛んでほっこりパステルカラーの平凡だけどささやかな幸せみたいなやつを判で押したように満喫しているじゃないか、独身のときのあの感じは何だったんだよいまいましい、いや私だって別に今の生活に大きな不満があるわけじゃないのに、いずれするべき結婚をまだあなたはしていないという前提で話を進められることがある、これが非常に面倒くさい、常に何らかの恋愛が起こりうるという前提で恋愛の話をふられることももううんざりだ、そういう話になるたびお前には何か決定的なものが欠けているというふうに思わされる、なんで未婚であることでこんなに引け目を感じなきゃいけないんだ、結婚なんて紙切れ一枚じゃないかよ......などと脳内で灰色の思考工場街を散歩してずいぶん遠くに到達したころ、ふと「結婚したことにしてみたらどうだろう」というアイデアを思いつきました。
 こんなにもやもや考えているのも無駄だから、いっそ既婚だと自称したらどうか。そうすれば周りの厄介な目や、ややこしい自意識から離れられる。「結婚したのにそれを隠している人」というのは有名人などでたまに見るけど、「実際には相手もいないのに結婚したふりをする人」というのはそういえば見たことがない。
 思考の排泄場であるツイッターにポロリと「面倒くさいから、結婚したことにしようかな」と書いてみる。
 手段は簡単。左薬指に指輪をはめるだけです。偽装結婚ならぬ偽装既婚。
 この考えは大いに私を楽しませ、少しの間私は「どういった指輪がいいか」「どんな人と結婚したことにするか」をワクワク考えていました。この考えは友人にも波及し、やはり結婚する気のない作曲家のヒャダインさんは大いに賛同してくれて、彼は実際に指輪を買うところまで至りました。
 しかし、具体的に考えているうちに、このプロジェクトは単に「結婚したことにして、指輪買っちゃったんだ」と周囲に吹聴するだけのおふざけに終わるように思えてきました。まして、詰めが甘けりゃ根気もない私には、既婚だと本気で言い張って周囲をだましつづけることなどできるわけがない。計画への熱は少しずつ冷めていきました。
 ところで、私が思いついたこの考えに似たものが、同時期にアメリカやカナダなどでも「自分婚」として流行しはじめたことを私は後に知りました。「自分婚」は「結婚しているふりをする」というわけではないのですが、パートナーとの結婚を人生のゴールと考えるような既存の結婚観や女性観に抵抗し、一旦「自分自身と結婚する」という区切りをつけることで、今後の人生について決意を定めるという意味で行われているようです。指輪をはめるだけでなく、友人を呼んで、自分を主役として式を挙げる人もいるとのこと。
 とはいえ、結局この考えもあまり私にはピンときませんでした。私がこれをするとして、「実際には何も変わらないのに、結婚式という茶番をしている」あるいは「斬新で進歩的なことを、儀式めかしてやっている」という恥ずかしさがぬぐえません。私の結婚にまつわる様々な試みは社会制度に対するアンチテーゼを主眼としているわけではないし、観念的な行動をオブラートに包まず観念的なまま実践するのは不得意。ものすごいむなしさに襲われそうで、ダメです。

 次に思いついたのは、「お見合いだけしてみる」というプロジェクトです。
「結婚」というキーワードが頭の中に強く残っていたため、私は「恋愛は別として、ともかく相手が存在する結婚という状態に事実上到達してみるのはどうだ」という方向に照準を合わせました。仕事や生活の効率のため、あるいは「未婚」であることのうっとうしさから逃れるため......こんな目的が一致する男性と結婚できればいい。いや、むしろ目的の一致すらなくてもよい。恋愛でさえなければそれでよい。これだけネットが発達してるんだから、恋愛以外の、効率等のために結婚しておきたいと思う人が世界に何人かは見つかるはず。こういう条件を掲げ、知らない人とお見合いをしてみるのはどうだろうか。
 結局、これについても私は尻込みしてしまいました。まず、ネットを使うにしても、こんな条件でお見合い相手を探す手段がさっぱり分からない。もっと若い時分ならまだしも、一応それなりに名前や顔を出して仕事をしている立場で、ツイッターなどにいきなり「お見合い相手募集」なんて書いてどこの誰とも分からない人と会うというのはリスクが大きすぎる。また、やはり異性愛者の男と女であれば、恋愛に至ってしまう可能性がどうしても皆無にならない。恋愛は必ず(私の場合は、必ず)一度盛り上がったあと先方の気持ちが急速降下して失敗するものであるから、望ましくない。
 こうして、何も起こらないまま一連の「結婚について考えるブーム」が失速しそうになったとき、頭の底にほんのり灯ったのが作家の中村うさぎさんの例でした。
 うろ覚えだけど、中村うさぎさんはゲイと結婚している、と聞いたことがあった。本人も夫も、結婚とは関係なく恋愛を奔放に楽しみつつ、共同生活を送っているらしい、と。
 それはいい。まず絶対に夫婦が恋愛関係にならないのがいい。恋愛関係が起こりえなければ、お互いの相手への気持ちの重さがバランスを欠いたり、気持ちが行き過ぎて裏返り、大嫌いになったりすることも起こりづらいでしょう。
 この場合だって、もちろんゲイなら誰でもいいというわけにはいきません。同じ場所で暮らすにあたって性格の合う合わないは当然あるし、なにより先方が協力体制でないことには何も始まりません。となると、この計画もまた相手をどう探すかという点でつまずきそうなものですが、この思いつきについては、数日の間に具体的な名前が降りてきました。

プロフィール

能町みね子

1979年北海道生まれ、茨城県育ち。漫画・コラム・エッセイの執筆を中心に、最近ではテレビ、ラジオへも活動の場を広げている。