結婚の追求と私的追求

能町みね子

第8回

スキャンダラス

 私は何を見せられているんでしょうか。「婚約者」が全世界に向けてだらしなく胸毛を露出している。
 それはまあ、ね、一瞬思いました。
 男と温泉デートに行ったのかな? と。
 しかし、もし本当にそういうことがあったなら、わざわざこんな露骨で楽しそうな写真なんかアップする人ではない。この「彼氏が撮った風」の一連の写真は、ふざけてやっているのだ。
「アキラくんは私に嫉妬させようとしているのだろうか?」とツイッター経由で投げかけると、「ばれたか!」という返事。
「こういう色気のない状態からなんとか二人旅にもっていこうと......」
 アキラくんはネタばらしとして、後ろに数人のすっぴん女性が写る、旅館の座敷の弛緩した写真を出してきました。
「超楽しそうで何よりです! まんまと男とデートだと騙されました。いや別に男とデートでもいいけども!」
 鬼怒川温泉旅行は、結局仲のいい女性の友達グループとともに出かけたものでした。
 それにしても、なんだこの私たちのやりとりは。お互いちょっかいを出し合うような。超うまくいってるカップルのような。
 恋愛っぽさとか、プロポーズっぽさとか、つきあっている二人のような仲睦まじさを細かく達成するたびにスタンプカードを押すように満足していって、私には子供のような「恋愛ごっこ」が必要にして十分だったのだと重ね重ね自覚します。恋愛面に関する私の欲求はほぼ少女漫画のようなところで停止していて、凝り固まっているわけです。
 そんなことを復唱して少し自嘲的な気分になりつつも、心の底には痞えるものがなく爽やかな心地でいられる理由は、実際の恋愛のような、会いたいとか恋しいとかいう気持ちが今のところまったくないせいです。そして、どの状況に対しても驚くほど嫉妬しません。
 アキラくんが仮に男とデートしていたのだとしても別になんとも思わないし、もしそんなことがあれば、むしろ友人としてその経緯を前のめりで聞きたいくらいです。また、彼はゲイだということもあるし、女性と出かけていることに対しても嫉ましさなどこれっぽっちも湧きません。楽しそうでいいなあ、とほほえましく思う程度。形式上のプロポーズという「ごっこ」に一旦浮かれたとはいえ、私の心理状態は見事なほどに計画通り、ほどよい状態に保てています。
 それにしても、アキラくんの笑顔はヘタです。本当に恋人と旅行に出かけていて、恋人に写真を撮られているんだったら、もっとナチュラルに湧き出るような微笑みになるはずだろう。なんてぎこちないんだ。

 花火会の当日、私は昼すぎまで打ち合わせなどの予定があったため、少し遅れて参上することになりました。午前中は曇り空で時々パラパラ雨も降り、花火日和とは言えない。アキラくんが「アキラのシャイニーパワーで北区の雨は夕方には止むはず......」なんてツイッターにこぼしているのを横目に見ながら打ち合わせに向かう。
 ちなみに後から聞いて知ったのだけど、「シャイニー」とはゲイ用語でいわゆる「リア充」のようなものにあたり、ゲイイベントに積極的に参加していて友人がたくさんいたり、美容や肉体改造など見た目の努力を怠らず自撮りを頻繁にSNSにあげたりするタイプのゲイのことをこう呼ぶらしい。アキラくんは、自撮りは確かによくあげているものの、そのソウルはシャイニーとは対極である。
 改めて花火会に来るメンバーについてLINEで聞いてみると、「ガキ三匹連れた夫妻や乳飲み子連れた新妻とか女編集者とか、カオスっぽいメンツです。色気なさそう」という。交友関係は一体どうなっているんでしょう。どうにかなるだろうと思って行くと決めていたものの、若干二の足を踏んでしまいます。
 夕方になって、こわごわと北区へ向かうことに。差し入れで様々な食べ物が届いている様子がすでにツイッター上で報告されている。このころには空に晴れ間が見えてきていて、アキラくんも「アキラのシャイニーパワーすごい」と青空の写真をあげ、まんざらでもない様子です。
 日がだいぶ傾いてから着いたアキラくんのお家は、閑散とした地下鉄駅からごみごみした路地を歩いて数分。一戸建ての民家というよりは、高度成長期あたりに建てられた感じの狭小なビルでした。外壁は当時モダンであったろう光沢のあるタイルで飾られていて、引き戸の玄関が公道に面した形でやや唐突に設けてある。
 チャイムを押すと、3階にあたる頭上の小窓が開いてアキラくんの顔が見え、「どうぞー入ってー」とおざなりに呼ばれました。考えてみれば私たちはまだたった3回目の顔合わせです。戸を開けると当然三和土は狭く、そこに大量の靴。訪問客はだいぶ多いものと思われます。
 1階はダイニングキッチンにあたるようで、左に調理場、中央にだいぶ散らかった小さなダイニングテーブル、右手に例の螺旋階段があります。とりあえず人の声がする2階に上がると、まったく知らない人たちがおこたに入る形でくつろいでいたり、誰かがせかせかと階段を上っていったり、せわしない。キャパを超える人数を呼んでしまって余裕のなさそうなアキラくんも上からちょうど降りてきました。
 アキラくんはエッセイ漫画の原作者も務めているので、案外この場には仕事で知り合った漫画家の方が多いようです。ほかにもコラムニストや出版関係の方、単にサムソン高橋のファンとしてイベントに来る常連、何の関係か分からない人、その子供たち、で構成された合計10人強。半分以上はストレートの女性、残りはほぼゲイ男性、という組み合わせ。女性陣は、先日温泉旅行に行ったのとほぼ同じメンバーであるらしい。彼と近しい人たちとの会話を横で聞いていて、こういった環境にいるとアキラくんも案外オネエ言葉っぽくなるんですね、と妙な感心をする。
 私自身もなりゆきでひととおり自己紹介を済ませますが、SNS時代だから先日の「結婚を前提にお付き合い」の宣言もみなさんご存じです。あのことをどう思われているかはともかく、その場にはさらりと受け入れていただけました。
 まあとりあえず屋上に来ましょうよ、という話になり、そこにいた数人とともにバタバタと水色の螺旋階段をのぼります。3階の部屋に輝く「bellissima!」のポスターを目の隅に捉えながら、もう1階ぶん上がっててっぺんに出ました。屋上には、すでにネット上で見ていたカラフルなウッドベンチがしつらえられています。なんと簡易ハンモックまで購入したらしく、子供たちはキャッキャとはしゃぎながら乗ったり降りたりしています。狭いのだけはどうしようもないので、大人はそれぞれ、誰かが用意してくれたシートに窮屈そうに座ったり、立ったまま缶ビールを飲んだり。
 たしかにここからは荒川まで景色を遮るものがほぼありません。明るいうちは、無機質だけどユーモラスな形の岩淵水門が遠方に少しのぞいていたのですが、打ち上げ時間になるとそのあたりにきれいに花火が舞います。私は持ち込まれたお酒を紙コップでちびちび飲み、シートの隅っこに座って、何者かよく確認していないすぐ近くの人とちょぼちょぼと世間話を交わしながらささやかに花火を楽しみました。
 しかし、今回のメインは花火じゃなかった。
 19時半にはもう花火が終わってしまったので、めいめい2階の部屋に移動し、みんなでおこたを囲む。
 私はちびちび飲んでいたつもりだったけれど、慣れない場所での緊張もあって結果として日本酒をけっこう飲んでしまったようで、ほどほどにいい気分になっていました。アキラくんはというと、こちらも顔が赤黒くなるほどには酔っています。さっきから、ポップな水色のボディがかわいいペンタックスの一眼レフを持ってきて、気まぐれに写真を撮りまくっています。私のこともやたら撮っています。
 各自が酔いながら近況などを話しているうちに、当然私たちの「結婚」の話になりました。バリバリのゲイ男性と一応ストレートを自認する女が結婚なんてどういうことだ、そこに愛はあるのか、など、結婚自体に疑問をさしはさむような話は一切出ず、漫画家の大久保ニューさんなんかは、まるで「モテない友達についに彼氏/彼女ができた!」みたいな感じでウキウキしている。
「能町さんは、アキランのことなんて呼んでるんですか~?」
「いやー、サムソンさんって呼んじゃってますけど、『アキラくん』とか呼ぼうかと思って......でもまだ慣れなくて」
「アキランは?」
「能町さん? いやー『みね子』......かなあ」
「いや~!」
 何の「いや~!」なのか分からない。でも、笑顔の「いや~!」です。
 ニューさんからは、アキラくんは「アキラン」と呼ばれているよう。じゃあ私も「アキラン」にするべきなんだろうか。ちょっとかわいすぎて抵抗があるなあ。
「え、アキラはそれで、結婚するの。能町さんは結婚......できるわけだもんね」
 編集者の方は、アキラくんをシンプルに「アキラ」と呼ぶ。私もそのほうが呼びやすいかなあ。
「そうね~、どうなんだろ。まあとりあえず、おつきあいよ」
「いいな~! うらやましい~」
 みなさん、我々の一言一言に恋愛結婚と同じように盛りあがってくれて、一体どういうつもりなんだろう。やっぱりこのコミュニティですら結婚=とにかくおめでたい、なのか。ニューさんは「結婚式しようよ結婚式! 派手婚! そしたら呼んで~!」なんて、かなり突っ走っている。
 しかし、ここまで周りがお祝いムードだと、私も酒の勢いもあって「ごっこ」なのかどうかなんていうことはどうでもよくなってきます。みんながめでたいって言ってんだから、めでたいってことにしてしまおう。
 ほらほらもっと二人寄り添って! 写真撮るから! なんて言われると、調子に乗って顔を寄せ合っちゃう。アキラもむしろノリノリでそれらしいポーズを取っちゃう。それをシャッターチャンスとばかりに激写するみなさん。
「じゃあもうこれすぐ出すわ、出すわよ」
 アキラは撮ってもらった写真をすぐに転送してもらい、アルコールでつやっつやの笑顔を浮かべながら、それをすぐにツイッターにアップしました。そこには「結婚に向けて順調に愛を深めてます」とコメントまでつけています。そこに写るアキラはあまりに素のままのぼけっとした表情、私は舌を出してふざけた顔。このバランス、けっこういいんじゃないの。
「これ、もう、吉田豪がさっさとリツイートしてくれないかな」
 アキラが言う。プロインタビュアーにしてヘビーなツイッターユーザーの吉田豪さんは、いろんな業界でのスキャンダルがらみの案件をすぐにリツイートして拡散することで有名です。
 私も、この事実をもっと大々的に、世間に広めたくなってきました。どうしてもツイッターの文章だけでは言葉遊びの延長で、ふざけて言っているかのように思われている気がしてならない。結婚計画は本気ですよ、ほらマジでこの話グイグイ進めてますよ、世間よどうだ受け止めてみろ、という気分がふくらんでくる。
 その後も、その場で何度も仲睦まじい写真を撮られておもしろがられているうちに密着度は高くなり、アキラは何の抵抗もなくキスの姿勢に入りました。私もためらいなく口と口でキス。それも至近距離で自撮りして、そのまま垂れ流すようにまたアキラのツイッターにアップ。
「ねぇちょっとぉ、さっきの写真まだ吉田豪リツイートしてないじゃん!」
 さっきの「順調交際」の写真が拡散されていないことにアキラが理不尽に怒っているので、私もすぐキス写真を自分のツイッターにも載せました。この「スキャンダラス」なキス写真はものの数分で大拡散されてネット上に広まるに違いない。
 しかし、しばらく経ってもまるで動きがありません。頼みの吉田豪さんもまだ見ていないのか食指が動かないのか、反応がない。私たちの大きなプロジェクトに世間はこれといって興味がないらしい。不満だ。
 ああ、そうか、二人だけでふざけあってるように見えちゃダメなんだ。誰か第三者が証人にならなきゃ。
 その場にいた漫画家の安彦麻理絵さんもだいぶ酔っていたため、むりやりツイッターに「夫婦として認めます 安彦麻里恵」と書かせる。ネット上のこんな署名に、そりゃ何の意味もない。しかもよく見れば名前は誤変換だ。でも、人に公式に認めさせたということでむくむくと満足感が湧いてきました。
 私はこの関係が、ただ二人の中で設定として存在するだけじゃ満足がいかないらしい。うらやましがられる必要も、祝福される必要も別にないのだけれど、誰かにこの形式が確かに存在することを認めてもらいたいようなのです。

 終電間近の電車で帰り、翌日の朝起きてスマホを確認すると、例の写真について吉田豪さんはこちらの期待通りリツイートしてくれていました。しかし、さほど拡散されてはいない。
 私はこれらのしょうもない写真やしょうもないツイートを、酔いが覚めた状態で改めて考えてみても、特に恥ずかしいとは思えませんでした。幼稚といえば幼稚だ、だけど、これはまた新たな一歩である気がする。恋愛感情がまったくないからこそキスできちゃったし、平気でネットにあげられちゃう。そういうことなんだな。
 そこにアキラからLINEが来ます。
「ノリに付き合わせてしまい大変ご迷惑をおかけしました。酔いが覚めたら我ながら勢いでひどい写真をあげてしまったとびびってますが(主に能町さんに迷惑かからないかしらという点で)。消しましょうかしら?」
 アキラは、写真をあげた行為が恥ずかしいというよりも、私に悪かったという気持ちでいるらしい。多少なりとも私に対して遠慮する気持ちがあるというその心構えはありがたいけど、心配まったくご無用です。
「もうかなり人目に触れてるから、別にいいんじゃないでしょうか!」
 そして私は続けてこう送りました。
「お試し同居、どうでしょう? 今の私の家を仕事場みたいにして、毎日必ずそっちに帰るってほどでもなければ全然できそう。私の服がアキラの家に入りきらないってのがネックだけど」
「まあ一度お泊まりにでも来てください。パジャマパーティしましょう。女性お泊まり処女は麻理絵さんに捧げてしまったけど......」
 あの日あのあと、安彦麻理絵さんはいつの間にか一人で立てないほど泥酔していて、アキラの家に泊まった初めての女性になってしまったらしい。悔しい。いや、噓。

プロフィール

能町みね子

1979年北海道生まれ、茨城県育ち。漫画・コラム・エッセイの執筆を中心に、最近ではテレビ、ラジオへも活動の場を広げている。