結婚の追求と私的追求

能町みね子

第2話

ソファーベッド

 また、起きたら出ていた。水状なのは変わらない。
 言うまでもなく、病院に行った昨日の昼間もあいかわらずトイレの回数は多くて、水下痢はまだまだ治りそうになかった。とはいえ、いくらなんでも2日連続で寝ながら肛門が開くとは。
 泣きそうな気持ち、自分に対しはらわたが煮えくりかえりそうな気持ち、死にたいような気持ちをたくさん抱えながら、また早朝に寒いお風呂場で洗濯です。
 私よりだいぶ遅く起きた夫(仮)にもためらいなく報告しました。いや、本音を言えばたっぷり羞恥心はあるし、それなりにためらいもあるのだけれど、いかにもためらいがないように報告するのが円滑な人間関係につながると私は思っているのです。
 さすがに寝ウンコ二夜連続ともなると夫(仮)もちょっと驚いているようでしたが、離婚がどうのと茶化すこともなく、呆れたり眉をひそめたりすることもなく、表情の深奥に少しだけ気づかいが見える。気まずい、申し訳ない、死にたい。同居初日と2日目にウンコが液状になって夜に爆出する必要はないでしょう。私の体だってもう少し空気を読んでこれたからここまで生きてこれたんじゃないの。
 もう4年ほど前から、夫(仮)とは関係ないところで私はダイエットのためのLINEグループというものを組んでいて、かつて担当だった編集者や、その友達だったりする男女数人で食べたものの写真をすべて送りあってお互いを監視しているのですが、当初からこのグループ上では当たり前のように体重を教え合う関係が完成していたため、なんら恥ずかしさもなく何でも言えてしまう間柄になっていました。だから私はウンコ漏らし情報についても夫(仮)に対する態度以上のゆるさですぐにこちらにも漏洩させていたのだけど、するとグループにいる西村から「ナプキンがいいよ」というアドバイスが来ました。なるほどおむつはさすがに心理的抵抗があるけれど、生理用ナプキンであれば万に一つ(いや、同居後で言えばすでに二(日)に三(回)で、確率100パーセント以上なのだが)の場合にも安心です。
 そうして、同居3日目の昼間には「夜用・とっても多い日用」みたいなナプキンを購入したものの、この日もやはり体調はまるで戻らず、少しお腹に何かを入れると覿面に全身がだるさで支配されてしばらく何もできないほど。そこからほどなくして明らかに腹が下ってきて、水状の下痢が排泄されるというサイクルができあがってしまっている。
 仕事場で夜まで多少の作業をしていたものの、帰る頃には、1週間ほどつづく水下痢、そして2日連続の寝ウンコの余韻が私をたたきのめし、すっかり暗い気持ちにギアが入ってしまいました。
 ギアは厄介。多少のことではギアチェンジがなかなかできないし、何を見ても気持ちは暗いほうへ。
 たかだか2日程度の同居で、やはりこんな勢いでの同居は間違いだったんじゃないか、この体調の悪さも無意識的な同居のストレスではないのか、こんな人生は失敗だ、何より引っ越し直後、さほど整理の行き届かない夫(仮)の家に私の大量の段ボールを運び込んだため、居間すら段ボールだらけでテレビが半分隠れているのが非常にまぬけで、片づくまでの道のりすら見えない、そんな荒れた家に帰るのもつらい、昨日は2階の居間のソファーベッドが段ボールとマットレスに挟まれて斜めに浮いていて、同じ部屋の隅には正体不明のビニール袋などが堆積しておりゴミ屋敷同然の状態だ、と次々頭に浮かぶ。
 仕事場から地下鉄で新しい自宅の最寄駅に降り、殺風景な幹線道路の歩道をとぼとぼ歩きながらも、あと数分で着いてしまう家に帰りたいと思えない、だいたい夫(仮)も家の改装の作業が遅すぎる、でも引っ越し前に私の寝室にあたる部屋を何よりきれいに片づけてくれたしあれはとても助かった、いやしかし改装が遅いのはまた別の問題だ、などとネチネチモヤモヤ考えやっと家に着き、そのときまた夫(仮)が斜めに浮き上がったソファーベッドに寝そべりスマホでも見てたら私の暗い気持ちが加速したかもしれませんが、なんとこの日は夫(仮)がお昼にちょっと片づけをしたようで、テレビは全画面で見れるようになっていて、ソファーベッドが斜めになっている件も解決していました。
 なにより私が階段をのぼって居間のドアを開けた瞬間、夫(仮)が台所で立ち食い状態でまぬけにそばを食べていたので、なんだかホッとしたというか、この家でいいな、たぶんいっしょにやっていけるなと急にギアが変わって穏やかに前向きな気持ちになりました。ギアチェンジはまるでコントロール不能なところで起こる。
 その晩、段ボールに遮られなくなったテレビで何気なくマツコ・デラックスの『夜の巷を徘徊する』を見ていたら、マツコさんは「人から聞いたけど、結婚ってのは待ってちゃダメで、なんとしても結婚したいっていう意志がある人から結婚するんだって」と、まあわりとどこかで聞いた話ではあるんだけど、そういうことをおっしゃっていました。私も、これが結婚かどうかは微妙だけど、強固な意志があったもんな、と思う。

 だいたいこんな仮想のような結婚(的な生活)がどこから始まったかって、私が純粋に「結婚したい」と思ったところからなのです。
 同居でもなく交際や恋愛でもなく、目指すのが「結婚」であることには、人をさほど説得できない程度の理由がありました。そう、説得できない。ふわっとしたものでしかない。
 まず、一人暮らしが20年近く経過し、飽きた! もう嫌だ! という思いがありました。
 一人暮らしが長引くと、自分のために何かしてあげようという気持ちがどんどん薄れてきます。もはや思い出せないほどの昔、一人暮らしを始めた頃の、こんなインテリアにして、こんな生活を送って......という輝かしい夢想は完全に消え去って、私はここ数年、ガスコンロを点火することすらほぼしなくなっていました。こまごまと材料を買ってはそれを包丁で切って、野菜屑で周りを汚し、ずいぶんと時間をかけた結果完成したさほどおいしくもない料理をひとりで無言でモソモソ食い、そのあとに大量に生ゴミが産出されるという作業、何のためにやっているのかと思うと外食のほうがいいに決まっています。自分のためにお湯を沸かすことも嫌でした。
 当然、掃除も我慢できる限界までしませんでした。明らかに床にほこりが溜まってきたときに素手でかきあつめて丸めてゴミ箱に入れるのをごくたまにする程度で、掃除機も不要になっていきました。部屋はゴミ屋敷とはどうにか呼ばれないくらいの状態を保つのが精一杯。洗濯も1週間に1回以下、全自動の乾燥機付き洗濯機だから作業はかなり楽だというのに、もう着る下着がなくなったときにまとめて大量にやっていました。
 自分のために料理を作ってあげるとか、自分のために掃除をしてあげるとか、私は自分で自分をそこまで価値がある人間だとは思えなかったのです。
 この状態が自分で許せるならまだいいのですが、私は許せないままこれを続けていました。自分の世話はしたくないが、実際問題、自分が世話をされない状態だと生活はどんどん荒れていく。なんでこんなにサボるんだ、なんでこんな散らかった不愉快な部屋にいるんだ、とぷりぷりしながら何もしない、その生活に徹底的に嫌気がさしていました。
 しかし、他人がいると少し違います。人の評価を気にする私は、人を呼ぶときは部屋をそれなりに許せるレベルの清潔さにもっていくのです。掃除機もそのときだけは登場します。年に数回、やっぱり部屋をきれいにしなきゃダメだ! と突然思い立ち、「掃除を手伝わなくていいから、部屋にいてほしい」と言って友達を呼んで、ただ座って漫画を読んでいてもらうかたわらで部屋を掃除することもありました。
 また、自宅で仕事などをして深夜になったとき、捗りが悪いとどんどん気持ちが落ち込み、一人で考えることが暗いことばかりになるというのは日常茶飯事で、自分の存在価値、明るい将来、仕事のやりがい、すべてが無いように感じられるのでした。こんな現象も、誰か近くにいるだけでほぼ解消できるような気がしました。私は人がいなきゃダメなんだ。
 だから、まず他人と同居するというのが第一目標だった。
 となると、別にパートナーは女性でもいいはずなのだけれど、私は長すぎて腐り果てた一人暮らし生活から革命的に脱出したいので、「ルームシェア」的な生ぬるいことでは心が躍りません。
 ということで、男性との「結婚」を思いつきました。
「結婚」という言葉の重みはなかなかのものです。やはり「ルームシェア」「同居」「同棲」には出せない強みがあります。私は今まで家族としか同居したことがないというのに、突然、他人が「家族」になる。この飛躍には、未知の国に降り立つようなときめきがありました。
 しかし、「結婚」という手段だけは先に思いついたものの、一般的にあこがれられるような結婚の形に私が至るのはあまりに面倒で、現実味がありません。
 まず、交際や恋愛は無理だ、という強い確信が心の底に居座っている。精神年齢は20代あたりから悪い意味で微動だにしていない自覚があるけれど、肉体・外見・法的年齢はしっかりと30代後半に突入した私が精神年齢相当の「好きになっちゃった」「告白しようかな」「デートはどこに行こう」なんてことを一からやるにはそうとう強固な意志が必要です。もちろん年齢かまわずそういうことを推し進めている人に対し非難するつもりなどなく、むしろうらやましいほどなのだけど、ただでさえ自分のことが嫌いで、もしも自分が男性だったら私とつきあおうと思う人のことなど信じられない、だからこそこれまで自分をまかりまちがって好きだとか言ってきた男性のことを信用できず、試しにおつきあいをしてみては「ほら、やっぱり本当は好きじゃないよね」と確かめるための日々を過ごすだけの苦痛だらけのおつきあいしかしてこなかった私からは、また重い腰を上げてそんな不毛な日々を過ごしたいという気持ちはどうしても湧いてきません。私から誰かを好きになる感情が生まれるのを待つのはもっと不毛です。自分から好きになってうまくいった試しは一度もないので、今後もそういったことはないと断定してよく、この結論を長年適用させてきたせいで、もう私からは誰かを恋愛感情で見るという機能が抜け落ちてしまったように思います。体から始まる関係、なんてものはもっと現実離れしています。それもまた一度も起こったことがないので、同様に今後も起こらないと断定できます。
 恋愛はすばらしいものだなんて、恋愛がうまくいった人による美化にすぎません。この世の中、恋愛によってどれだけの人が消えない傷を負い、どれだけむごたらしい事件が起きたと思っているのか。あんなものは向いている人だけが楽しめばいいことである。
 自分の生活と精神を立て直すために、恋愛なく、結婚できればいい。一般的に結婚というと、恋愛なりお見合いなりをして、両家が顔を合わせて、大げさな式をして、指輪を贈って贈られて、お互いが永遠の愛を誓って......と果てしなく続くかのような重苦しい段取りがあるけれども、そういう結婚の内臓のようなものをすべて取っ払った、事務的な、お互いの生活の効率性のためのような結婚をしてしまいたい。結婚することによって、自堕落な生活を立て直したい。その結果がいまいちだったらすぐ離婚していい。人を食ったような結婚がしたい。
 だからいっそのこと、先方が私にまかりまちがって恋愛感情を持つ確率が皆無の男性と結婚できるといい。つまり、結婚相手はゲイがいい。

プロフィール

能町みね子

1979年北海道生まれ、茨城県育ち。漫画・コラム・エッセイの執筆を中心に、最近ではテレビ、ラジオへも活動の場を広げている。