結婚の追求と私的追求

能町みね子

第9回

インターコース

 きわめて順調にことが進んでいるというのに、いつもどおりのひとりの夜はきちんと暗い気持ちになるのだから我ながら感心してしまいます。
 ある夜は、いつものように仕事がはかどらず、ネットサーフィンのうちにどこかで「私は(なんらかのネガティブな要素)でしたが、(なんらかの自己改革)をしたら結婚できました」などというエピソードをアドバイスとして他人に語っているようなものをうっかり目にしてしまい、自分が今まで人生を変えるような恋愛だの結婚だのという経験を何も踏まえずに本当に37歳という重々しい年齢になってしまったことを反芻して、改めて絶望を感じていました。
 つまり、私は恋愛だとか結婚だとかに極めて大きな価値がある、しかも若いほどそれは成就しやすい、というあまりにも凡庸な観念を頭からこそげ落とせていないのです。私はわずかな可能性を絵本のお姫さまのようにどこかでいまだに信じている。まだこの年齢ならこの先どうにかなるかも、などと思っている。そして、年を取ることによって、当然それは薄く薄く削り取られていく。
 客観的に見れば不愉快なほどに平凡な絶望です。40だろうが80だろうが、恋愛や結婚をしていようがいまいが、輝かしい生き方をしている人はいくらでもいて、こんなことに縛られていること自体が時代遅れでくだらない。ありふれた絶望とはつまり解決しようのない絶望だからありふれているのであり、考える作業は徒労でしかない。しかし、分かっていても徒労の穴からぬけられないのがひとりの夜です。この穴をわざわざ掘っては嵌まるのが自傷的な快感になってしまう。
 そしてこの潜考のすさびは、平凡な希望の完成形である「結婚」をする人たち全般に対する理不尽なルサンチマンに収斂していき、私なりの「結婚」を進めはじめた今になってもまだ私はこの吹きだまりからまるで脱出できていないことにむしろどこかホッとしてしまう。
 アキラのツイッターを読んでいても私同様の沈滞を酌み取れることはよくあり、あるときは、タッグを組んでいるエッセイ漫画の作画者・熊田プウ助さんと深夜に交わした電話の内容がまるで30代未婚OL同士のもので、ここらをなんとかしない限り我々の人生はダメだ、ということをつぶやいている。またあるときは過激に、「今頃台北ではプライドパレードかな?前日にエクスタシーやコカインで飛んでたり肛門に覚せい剤キメてたり脱法ハーブでラリったりしながら乱交してたのに、ガチムチの人たちは偉いですね。大変でしょうけど、がんばってくださいね」と、いわゆる「シャイニーゲイ」に対する行き過ぎたルサンチマンを披瀝したりもする。こんなところでも残念ながら気が合うと言わざるをえません。
 精神的な消耗の激しいこの不毛な運動を防ぐため、というのが私なりの「結婚」をする理由のひとつなのだから、今のところ私はこれでいいのです。自分の中のうるささを振り切るために、私は先へ先へと行動だけを考えればいい。行動あるのみ。
 私は夜中にこんなありふれた絶望に嵌まると、ここのところ動物の交尾動画を見るようにしています。
 動物の交尾はとてもよい。人間が性に乗っけるいろいろな要素が全部取り除かれた、シンプルな欲望とシンプルな性器だけが見える。浄化されるようです。お気に入りの動物をワールドワイドに検索するための頻出英単語がすっかり頭に入ってしまいました。交尾はmatingあるいはintercourse、カメはturtleあるいはtortoise、バクはtapirです。

「こんにちはー先日は失礼いたしました。お詫びといってはなんですが、ご都合がよろしければ木曜日か金曜日のお昼前あたりに飯田橋サクラテラスで牡蠣フライでも食べませんか?」
 花火の数日後、アキラからこんな陽気なLINEが来ました。それとともに、花火パーティのときの楽しげな写真が何枚も。例のかわいい一眼レフで撮られたらしきものは、携帯の写真と違って私の顔にしっかりピントが合い、後ろが少しぼけていて、私の表情が嘘くさいほど爽やかです。
 私は写真のお礼を言いつつランチのお誘いを二つ返事で承諾し、以前から話題に上がっていた牡蠣デートが順当に行われることになりました。アキラが病院にかかる用で飯田橋に来たついでに、私が神楽坂の自宅から合流し、牡蠣フライ食べ放題ランチの店へ。
 牡蠣フライは重いから、食べ放題と言われても実際にはそんなにたくさん食べられません。このあいだの花火の話やその場にいた友人知人の話などを多少はぎこちなさの取れた敬語で話しあい、ほどほどのところでおしまいにして、そのあとはこれまた以前に話題にしていたカラオケへとなだれこむことになりました。
 神楽坂下にある、私が今までさんざん一人カラオケをしてきた店。平日の昼間は当然ガラガラで、広めの部屋に案内されました。相手が知っている歌かどうか気を遣うなんて事はなく、お互い勝手に好きな歌を歌うことにします。
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私:光と私(Chara)
アキラ:あの娘が眠ってる(フィッシュマンズ)
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 ひとが歌ってる時は別に手拍子するわけでも盛り上げるわけでもなく、かといって全く聞いていないわけでもない。見た目のイメージよりもアキラのキーは高くて、確かにフィッシュマンズはちょうどいい具合にふわっと歌えるのだ。フィッシュマンズを歌うなら、私も歌いたい。
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私:気分(フィッシュマンズ)
アキラ:忘れちゃうひととき(フィッシュマンズ)
私:IN THE FLIGHT(フィッシュマンズ)
アキラ:グッド・ラック(野口五郎)
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 ずいぶんな方向転換が行われたので、私もまた気ままに好きなものを入れることにします。
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私:しましまのバンビ(Chara)
アキラ:十四時すぎのカゲロウ(キリンジ)
私:PARANOIA(EGO-WRAPPIN')
アキラ:復興の唄(ゲルニカ)
私:昆虫ロック(ゆらゆら帝国)
アキラ:ゆらゆら帝国で考え中(ゆらゆら帝国)
私:カメラ!カメラ!カメラ!(フリッパーズ・ギター)
アキラ:フレンズ・アゲイン(フリッパーズ・ギター)
.........
 好き勝手に歌っているようでうっすらと交錯したり、あ、それ入れるならこれも歌いたい、というようなセッションが一瞬生まれたりもして、ただ流れるように歌い合うことを楽しむだけのシンプルなカラオケ。曲の趣味が90年代や00年代のサブカル方面に寄りすぎだとか、そんな自己言及やツッコミもする必要がない。とてもいい。
 その日はカラオケだけで別れたあと、アキラは曲名がリストアップされたレシートを無言でツイッター上に載せていました。カラオケ自体も楽しかったし、カラオケデートなんていう健全な高校生カップルのようなことを楽しんじゃってること自体がおもしろくなっているんでしょう。私もです。
 こうなってくると、いよいよ私とアキラの関係は、一般的な成人カップルと異なることといえば性交渉の有無くらいということになってきました。なにしろキスまでしてしまっています(もちろん、お互い酔っ払っているうえに人目があったがゆえのパフォーマンスでしたが)。もしかしたら、夫婦関係にはセックスなどというものが介在するから失敗するのであって、みんなセックスをしたいときは夫婦以外で行うことにすればいいのでは......などと考え、この世の真理に行きついたようなカタルシスを感じましたが、これも単なる巨大な自己正当化じゃないかと思い直してついニヤけてしまいます。

 こうして波長が合うことはほぼ確認済みになり、次の「デート先」をLINEで相談し合ったりするほど親密になったにもかかわらず、まだ私は同居に踏み切ることができないどころか、アキラの家に軽く泊まりに行くことすらできません。それは、生来の私の腰の重さや悲観癖にも加えて、大きな理由がありました。
 アキラの家にはお風呂がないのです。
 正しく言えば、お風呂はあるにはあるけれど、完全に壊れている。
 800万円で買っただけあって、現状渡しの建物は不備だらけ。アキラは土木作業員や建設作業員としての豊富な経験で自力改装を試み、ずいぶんかわいく整えてはいたものの、お風呂だけは自力ではいかんともしがたく、放置されていました。本人はジムや銭湯やハッテン場のサウナなどでどうとでもなるようでしたが、さすがに私は毎日銭湯に通うというのは厳しい。かといって、買ってまだ数年で、改装までして住んでいる家を私との同居のために手放させるのも申し訳ない。どうするか。
 アキラは相変わらず部屋を飾り付ける様子を日々ネット越しに中継しています。花火に向けて改装を終わらせると言っていたのに、気分が乗ってきたようで、花火後もどんどんいろいろなものが揃っていきます。
 間接照明をまたひとつ衝動買いしたといってウキウキ写真を上げ、蚊遣りにもなる天蓋を買い(しかし、寝てるあいだに顔面にビロビロが垂れ下がってきてうっとうしかったといって一日で取りはずし)、ダイソーで買ってきた紙のポンポンを使ってランプシェードを作り、ニトリで買った安物の机の人工木目が気に入らず、わざわざ全面にサンドペーパーをかけて塗り直し......重労働もはさみながら、せっせと作業に励んでいます。
 しかし、これは別に私との生活のためでもなんでもなく、第一に自己満足のため、そして第二にできれば男を呼びたいという願望に基づくものなのです。間接照明に関しては、「私は蛍光灯の真っ白でギラギラに明るい照明が好きなので、完全にセックス目的」とツイッターで言い切っています。
 お互いの生活の状況はほとんど変わらないまま、例のイベントが近づいてきてしまいました。
 最初に「デート」をしたイベントスペース「パンディット」からデート当日に提案された、私たちの「結婚」などについて話すトークイベントです。トントン拍子で話が進み、10月末にやりましょう、ということになっていたのです。
「パンディットさんから『宣伝文句を考えてくれ』と言われましたので、本当にこういうのは日本海に入水したくなるほど苦手なのですが、作ってみましたのでチェックしてくらさい。恥ずかしくて死にそうです」
 アキラから送られてきたLINEには、全く訂正する箇所のない完璧な告知文章が添付されていました。
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10月31日(月)
緊急決定! 能町みね子+サムソン高橋 「うわさのふたり」
とつぜんの「結婚に向けたお付き合いをはじめました」宣言によりTwitterのごく一部に動揺と衝撃を与えた噂のふたりが高円寺パンディットに登場!
真相はどうなのか、動機はなんだったのか、なれそめがここ高円寺パンディットというのは本当なのか、そしてその後に続いたスキャンダラスな写真の釈明会見、これからの展望......と、おそらくここでしか聞けない話がてんこ盛り!
......と、どう転ぶかわからないダイナマイトな前半トークに続いて、後半は能町みね子がこの夏訪れたミャンマーのお話やサムソン高橋が三か月放浪した東南アジア旅報告をのんびりとする予定になっております。
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 パンディットの奥野さんの前のめりなお誘いをついノリノリで受けてしまったものの、話すことがあまりないのでは......と心配のあまり、後半に旅行の話をぶちこむことになったという、内容がずいぶんとふわふわしたイベントです。「うわさの」という煽り方だってもちろん自嘲。キス写真がさほどリツイートされなかったことで、全然うわさになっていないことは証明済みです。そのへんの感覚をちょうどいい具合に消化した、すばらしい告知。
 ところが、この文章がよかったのか、実はどこかで本当に「うわさ」になっていたのか、単にキャパシティが小さいのか、チケットはなんと1日でソールドアウトしてしまいました。
「こんなにもノープランで大丈夫でしょうか...」
 イベント前日、急に心配になった私がLINEをすると、
「いちおう旅写真とか持ってきますね。熊田さんとやった時は会場にうっかりマンゴーかき氷とか写したら『OLかよ!』と怒られたので今回はOL丸出しの観光写真ガンガン写したいです」
 との返事。以前にもアキラは同じ場所で、世界のハッテン場を巡るエッセイ漫画を発売した記念に熊田プウ助さんとイベントをした経験があるのです。
「わかりました! OLらしくキャイキャイやりましょ〜」
「この看板のフォントかわいい! このタイルかわいい! マンゴーかき氷! 猫ちゃん!とかやる気まんまんです」
「そうですね! 私たちがかわいいからやる価値はあります」
 イベントのことも今後のことも何にも決まっていませんが、ノリだけは合っていることは確かです。

プロフィール

能町みね子

1979年北海道生まれ、茨城県育ち。漫画・コラム・エッセイの執筆を中心に、最近ではテレビ、ラジオへも活動の場を広げている。