第9回 お寿司9696(クルクル)会館 (1)

 手を繋いで、ホームで地下鉄を待つ間も、4歳半の末の息子が度々尋ねて来るのだった。
「これから何処行くの?」
「浅草」
「浅草の何処行くの?」
「雷5656(ゴロゴロ)会館」
「えぇっ!?」
「カ、ミ、ナ、リ、ゴ、ロ、ゴ、ロ、カ、イ、カ、ン」
「そうかあ」
 と云って息子はニヤニヤし、乗車後も何度も「何処行くの?」「浅草の何処」と繰り返し尋ねては、こちらの「雷5656会館」との返答を待ち受け、耳にする度に「そうかあ」と云いながらニヤニヤするのだった。
「カミナリゴロゴロカイカン」という響きそのものが、子供心をくすぐるらしいのだった。
 途中、小学5年の長男が、上野駅を通った時に、
「塾で一緒の奴から聞いたんだけどさあ、そいつのお姉さんが上野の私立で、その私立では皆知ってる有名な話があって、上野公園の公衆便所なんだけど、夜になると女子トイレの個室がひとつ増えるんだってさ」
 そう、所謂「トイレの花子さん」みたいな怖い話をするのだが、武三はひと言「そうか」と素っ気なく答え、次に、もう何度目になるのか、またもや「浅草の何処行くの?」と尋いて来る末っ子に向かい「雷5656会館!」と面倒臭そうに言葉を吐いた。
 末の息子は、「そうかあ」と云ってまたニヤリとした。
 長男は「ねえ、不思議だと思わない?」と顔を近付けて来たが、武三は「ああ、不思議だな。でも、この世の中には階段が夜中に一段増えたり減ったり、広い丘の上で『キレイですね』とか話してた、もう何年もヒゲを剃ってない様なお爺さんが、パッと顔を横にすると、どこにもいなかったりとか、いちいち問題にしないだけで、とにかく、そんなどうでもいい不思議ならば、幾らでもある! それが世の中だ。ただ、皆、いちいち大人は口に出さないだけだ」と、今度は早口で捲し立てる様に云った。
 武三は息子たちが生まれる何年か前、上野で一時、ホームレスをしていたので、その怪談のカラクリには思い当たる節があった。
 何処の辺りのトイレだったか記憶は遠く明言しかねるが、まあ、ホームレスの中でも、権力のあるボス猿みたいな奴が、深夜トイレに蒲団を敷いて自分の寝ぐらにした上、女のホームレスを引っ張り込み、寝ぐらを一晩ハーレムにしたり、またあるトイレはハッテンバとして静かな賑わいを見せたりと、深夜のトイレをめぐっては、トイレなりにまた別の世界......顔があるからなァ、うん。
 と思ううちに地下鉄は浅草に着いた。
「雷5656会館、かみなりごろごかいかん、カミナリゴロゴロカイカン」と末の息子に道中も度々云わされたが、肝心の「雷5656会館」にようやく着いても、さしたる興味を示さず、2歳上の次男と館内を駆け回り、ガチャポンや、タダで飲み放題の冷茶を何杯飲めるかを競い合っていた。
 その後に、子供たちを勝手に花やしきで遊ばせ、その間、武三はベンチに腰かけ、ビールを飲みながら、今日、改めて見て来た「雷5656会館」の〈つくり〉の随所を思い返して、自分なりの〈検証〉をしたりしていた。
 その回想は子供の頃から、今日へ至るまでの己の半生へと、白昼とはいえ、走馬灯の様にいつしか脳裏を駆け巡るのであった。
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根本敬※ この写真はイメージです。

根本 敬 NEMOTO Takashi

1958年6月、東京生まれ。1981年、異色のコミック誌『ガロ』(故・長井勝一氏編集)で、漫画家デビュー。以後、特殊漫画家を自称。音盤制作、文章、映像と漫画以外の表現を仕事としつつ、尚も漫画家を名乗るのが“特殊漫画家”たる由縁である。主な漫画作品に『生きる』、『豚小屋発犬小屋行き』、文章作品に『因果鉄道の旅』、『真理先生』がある。最近、蛭子能収氏、佐川一政氏らとハッテンバ・プロダクションなるものを設立し、ある企みを抱いている。