結婚

Marriage

末井昭

第14回自意識の束縛からの解放

美子ちゃんと親しくなる前の1992年、写真家・荒木経惟さんの写真展のパーティーで、美子ちゃんと聖書の話をしたことがあります。なぜ1992年という年を覚えているかというと、その年にイエスの方舟の責任者・千石剛賢さんの講話集『隠されていた聖書――なるまえにあったもの』を出版したからです。

そのとき美子ちゃんは、親戚に降霊術をやっている人がいて、そこで自分の霊を降ろしてもらったという話をしたので、もしかしたら興味があるかもしれないと思って、千石さんの本のことを少し話しました。

後日『隠されていた聖書』を送ったのですが、返事もなかったし、そのあとパーティーで会ってもその本の話はでなかったので、関心がなかったのだろうと思っていました。

そのときは知りませんでしたが、美子ちゃんはプロテスタントの学校に通っていたので、聖書は身近なものだったと思いますが、おそらく聖書とは無縁の生活をしていたのだと思います。

2人にとって『隠されていた聖書』が大きな意味を持つようになったのは、一緒に暮らすようになってからのことです。

美子ちゃんと付き合うようになって、2人で最初に旅行したのは福岡でした。

僕がイエスの方舟と千石さんの話をするので、美子ちゃんがイエスの方舟に関心を持ち、イエスの方舟で運営しているクラブ「シオンの娘」行きたいと言ったのか、僕がそこに美子ちゃんを連れて行きたかったのか忘れましたが、とにかく福岡に行く目的は、中洲にある「シオンの娘」に行くことでした。

「シオンの娘」はショーをするステージがある大きなスナックのような店で、ショーをするのも接客をするのも全員イエスの方舟の女性メンバーです。千石さんは、営業中にはめったに顔を見せないのですが、僕たちが行ったときたまたま来られたので、美子ちゃんを紹介しました。そのときのことを、美子ちゃんは著書『たまきはる』で次のように書いています。

 

 スエイと付き合い始めた一九九六年に、福岡の中洲で、イエスの方舟が運営しているクラブ「シオンの娘」に、スエイに連れられて出かけた。そこで、初めてお会いした千石さんは、肩の力がぬけた人で、笑顔ばかり思い出す。スエイは、千石さんの『父とは誰か、母とは誰か』を読んで「ぶったまげてしまった。それは、まさに、常識が根底からくつがえされるような本だった」と衝撃をうけ、それから、千石さんに会いに行き、千石さんの聖書解釈をまとめた『隠されていた聖書―なるまえにあったもの』を出版した。わたしはその『隠されていた聖書』をスエイに送ってもらって読んだが、わかりにくい本だった。チンプンカンプンなことが、多かった。だけど、千石さんにお目にかかって、集会で話される千石さんの言葉や、千石さんの存在に、どんどん引きつけられ、スエイと二人で福岡の公共施設で、毎月おこなわれる集会や、古賀にあるイエスの方舟の教会へ、何度も出かけて行くことになった。(略)スエイに出会い、千石さんと出会ったことで、ふたたび聖書と、出会うことになった。いや、ふたたびではなく、はじめて聖書が、自分に、はたらきかけてきたのだ。救いを求めるような孤独感や、しあわせになれないという焦燥感にかられたことで、千石さんが、しあわせになるための実用書として解説している聖書が、自分にかかわりをもってきたのだ。「導く者なくば、いかで悟り得ん(使徒行伝八章三十一節)」。聖書にこうあるように、千石さんによって、聖書をめぐる旅がはじまった。

 

 僕は、イエスの方舟の集会に1987年ごろからときどき行っていました。そこで話される千石さんの話がいつも面白いので、それを本にしたいと思うようになりました。そして『隠されていた聖書』ができたのですが、この本を作ったことで聖書がわかってしまったような気になって、それから集会には行かなくなっていました。

 最初にイエスの方舟の集会に行ったのは気持ちが沈んでいたときで、聖書のことがわかれば沈んだ気持ちから抜け出す方法もわかるのではないかと思っていましたが、本当に切羽詰まって聖書に助けを求めていたわけではなかったのです。聖書に何が書かれているのか、その本当のことが知りたいという興味だけだったのです。

 聖書が本当に必要になったのは、美子ちゃんと暮らすようになってからです。2人の性格や考え方が大きく違っていたし、美子ちゃんは感情を抑えない人だったから、喧嘩ばかりするようになり、カーッとして物をぶつけたり、美子ちゃんに対して憎悪がこもるようになったり、本気で別れることを考えたりするようになって、『隠されていた聖書』を読み直すようになりました。美子ちゃんは「はじめて聖書が、自分に、はたらきかけてきた」と書いていますが、それは僕にとっても同じでした(もちろんそれは、千石さんの聖書解釈『隠されていた聖書』を通しての聖書ですけど)。

『隠されていた聖書』には、男と女のことが多く書かれています。「男の意義は女を愛することにある」、「女は男を愛せない」、「情は悪魔が人間をがんじがらめにする罠」といった言葉が、初めて心に響くようになったのでした。

 2人でイエスの方舟の集会に行くようになったのは、1996年のクリスマス集会からです。いつも福岡に行くのは飛行機で、そのまま日帰りするときもありましたが、唐津や湯布院などを旅行することもありました。

 美子ちゃんと暮らすようになって、僕は慢性的にウツっぽくなっていたのですが、美子ちゃんも『たまもの』をつくりだしてから元気がなくなりました。

 2000年のクリスマス集会のとき、前日は気晴らしに長崎を観光して、翌日クリスマス集会に参加することにしました。美子ちゃんは長崎に行ったことがなかったし、僕は高校のときの九州一周の修学旅行でちょっと立ち寄ったぐらいで、2人とも長崎はほぼ初めてでした。休みが取れなかったので、土日を使ったあわただしい旅行でした。

 朝8時ごろ羽田を発つ飛行機で長崎に向かい、市内の観光スポットを廻り、四海楼で行列に並んで食事をしたあと、大浦天主堂まで歩きました。大浦天主堂の周りは原宿の竹下通りのような雰囲気で、道の両側に土産物屋が立ち並び、店員たちが競い合うように「カステラいかがですか~」と、観光客に声をかけていました。情緒も何もあったものではありません。

 大浦天主堂を見て、異人館で行われていた古い長崎の写真展を見ようと、オランダ坂のほうに向かって歩きました。空は雲っていて吹く風も冷たく、鼻水が出てきました。美子ちゃんは無口になり、見るからに不機嫌そうな顔をしています。そして突然、「もう観光はイヤだ!」と叫ぶように言いました。その言葉に、心臓がギュッと締めつけられたようになりました。「どうして?」「目的のない観光はイヤだ!」「なんで?」「バカみたいだから」と言い合っているうちに僕もイライラしてきて、「だって、長崎に行きたいって言ったのは美子ちゃんでしょう!」と言うと、「そうだよ。自分はなんにもしないんじゃない。旅行だって全部私が手配してるんだから。自分はいつも金魚のウンコみたいに、人のあとをついてきているだけじゃない」と言います。「金魚のウンコ」と言われて、ブチンと切れました。金魚のウンコのように美子ちゃんのあとをついてきているというのは、この旅行のことだけではなく、2人で暮らし始めてからずっとそうだったと言われているように思いました。それからお互い何も話さなくなりました。

 観光は途中でやめて、路面電車で旅館に向かいました。旅館でも美子ちゃんは陰うつなままで、僕もどんどん気持ちが落ち込んできます。そして、頭がフリーズしたようになって何も考えられなくなりました。美子ちゃんと話そうとしても、憎悪のようなものが沸き出してくるだけで、言葉が出てきません。いたたまれなくなって外に出ました。

 翌日もその状態は続いていて、長崎から乗った特急電車の座席は別々にしました。本を読んでも、ただ目が活字を追ってるだけで頭に何も入ってきません。本を閉じぼんやり窓の外を見ながら、もう美子ちゃんとは修復不可能なんだろうなと思っていました。

 博多で電車を乗り換えて、イエスの方舟の会堂がある古賀に向かいました。

 古賀の駅前にはタクシーが1台も止まっていなかったので、仕方なくイエスの方舟の会堂まで歩きました。僕がトボトボ歩くうしろを、少し離れて美子ちゃんがついてきます。うしろを振り向くと、ビクッとして立ち止まります。お互い何も話さないでまた歩き始めます。しばらく歩くと、トンガリ屋根についたダビデの星と十字架が見えてきたのでほっとしました。

 会堂に入ると、みんなが笑顔で出迎えてくれました。クリスマス集会は1年のうち一番重要な集会で、全国からなじみの人たちが集まってきます。

 美子ちゃんは、突然「質問したいことがあるんですけど」とイエスの方舟の人に言いました。その人から、質問内容を書くように言われ、美子ちゃんは涙を流しながら質問用紙に何か書いていました。

 壇上に黒い詰め襟の服を着た千石さんが上がり、クリスマス集会が始まりました。クリスマスはいつも賛美歌の合唱があって、千石さんがクリスマスの意味を話すのですが、このときは突然千石さんが「この中に悩みを持たれている方がいます。その悩みをそのままにしておくと、集会そのものがなりたたなくなります」と言いました。それは美子ちゃんが質問したことだとわかったのですが、そういう個々の質問には、集会の最後に答えるか、集会が終わったあと個人的に答えてくれるのではないかと思っていたので、千石さんの言葉にちょっと驚きました。それと同時に、美子ちゃんが質問したことで、みんなに迷惑をかけているのではないかとも思いました。

 千石さんは「質問者の名前は伏せますが」と言って、その質問を読み上げました。美子ちゃんの質問は「『汝、姦淫するなかれ』この聖句にそむいた自分は、もうずっと罪深いままなのでしょうか? 幸せになれないのでしょうか?」という内容でした。

 このクリスマス集会の数週間前、坪内さんが集中治療室に入るほどの大けがをしました。美子ちゃんの悩みは、坪内さんがよくなるかどうか心配する気持ちと、坪内さんを心配すればするほど僕から気持ちが離れていくことと、坪内さんと暮らしている女性に対する嫉妬が入り混じったものでした(このことはあとで知ったのですが)。

 それに対しての千石さんの答えは「相手の幸せをたえず祈れ」でした。相手というのは坪内さんなのか僕なのかはっきりしなかったのですが、なぜか涙がボロボロ出てきて、それまでのわだかまりがきれいに消えていました。

 このときなぜ涙が溢れ出たのかを考えると、千石さんが言った「その悩みをそのままにしておくと、集会そのものがなりたたなくなります」という言葉の意味がわかったからではないかと思います。一般的には、人が大勢集まっているときは、その人たちのことを優先させます。つまりこの場合、集会を進めます。しかし千石さんは、まず美子ちゃんの悩みを優先させました。そして美子ちゃんの悩みを、集会全体の悩みとして受け止めてくれました。そうすることが「相手の幸せをたえず祈れ」ということだと、その行為を通して教えてくれました。そのことの有難さで涙が出たのだと思います。

 相手の幸せを本気で祈っているときは、自分というものが一瞬消えてしまいます。僕がフリーズを起こして美子ちゃんと話せなくなっていたのは、美子ちゃんが言った「金魚のウンコ」という言葉に傷つき、美子ちゃんに対して心のシャッターを降ろしてしまったからです。つまりそれは、自意識が作用して、自意識を守るために心を閉ざしてしまったのです。

その自意識が一瞬でもなくなったとき、フリーズは解除されるのです。聖書的にいえば、悪魔が出ていったということです。だから常に相手の幸せを、つまり美子ちゃんの幸せを祈り続けることが、2人がうまくいく最善の方法なのですが、そう簡単に自分の自意識を消せるものではありません。特に僕も美子ちゃんも自意識が強いので、相手をいまいましく思ったり、腹が立ったりすることがいまもなくなることはありません。しかしその集会以来、それが一瞬で消えることもあるということをお互いにわかるようになりました。

 性格も考え方も違う2人だったのですが、そういう共通認識が生まれたことはよかったと思います。いつもいつも聖書を手引きにしているわけではありませんが、困ったことがあると、聖書的にはどうなのだろうと考えるようにしています。千石さんは「聖書を幸せになるための法則ととらえたらいい」と言っていましたが、確かに聖書をそのまま受け取ってしまうと、宗教観念に陥ってしまい、怪しい人のように思われることもあります。気軽に、生活のハウツー書として使えばいいのです。

 男が女を愛するということを突き詰めていくと、男は女の奴隷になることだと千石さんは言います。自分の自意識を捨て、相手のことだけを考える生き方は、奴隷の生き方といえなくもありません。しかし奴隷といっても、自由を奪われ搾取されることではありません。自意識の束縛から解放され自由になることです。

 千石さんは2001年の12月に亡くなりましたが、それまでは美子ちゃんとなるべく集会に参加するようにしていました。集会のとき、ちょっと小さい声で「男はカマキリのように雌に食べられてしまうのが理想なんです」と言っていました。そのときは「えっ?」と思いましたが、女を愛するということはそういうことなんだろうなと、いまは思います。おそらく雌に食べられる歓びなんて、誰も考えたこともないと思いますが。