結婚

Marriage

末井昭

第10回カメレオンマン

 美子ちゃんは、僕と付き合いだしたころ、僕のことをあてどなく夜の街をひとりトットットッとさまよい歩いているはぐれ犬のような感じだったと、著書『たまもの』に書いています。

 前にも書いたと思いますが、そのころの僕は、銀行からの借金が3億円以上あり、それを競馬で返済しようと、土日は朝から競馬場に通っていました。最初の3ヵ月ぐらいは調子よく勝っていたのですが、美子ちゃんと付き合う少し前からまったく勝てなくなり、心がすさんでいました。

 ギャンブル依存症のようになったのはそれよりもだいぶ前で、ギャンブルをやっていないときは心が空虚で、夕方になると急にソワソワしだし、麻雀の誘いの電話があると嬉しくなり、電話がないときはたいてい地下カジノに行っていました。真っ直ぐ家に帰ることはほとんどなかったので、美子ちゃんはそんな僕を、やさぐれたはぐれ犬のように思っていたのかもしれません。

 美子ちゃんと渋谷のラブホテルにいたとき、「家族になりたい」と美子ちゃんが言ったことがありました。そう言われても何のことかわからなくて黙っていました。もともと家族や家庭というものと縁が薄かったので、家族という言葉は知っていてもそれがどういうものかわからなかったのです。

 僕が5歳のころ、母親が肺結核で町の病院に入院し、僕と弟は別々に親戚にあずけられていました。

 僕があずけられたのは、母親の従姉妹にあたる人が嫁に行ったところで、食べざかりの子供が5人もいる貧しい家でした。食事のとき、子どもだから遠慮ということを知っていたわけでもないのですが、何となく2杯目の茶碗が出しづらい雰囲気を感じ取っていました。オネショをしたときは、誰にも言わずこっそり自分で布団を干していました。

 その家の子供たちは、長男が中学を出て山で働き、その下の3人は小学校に行っていたので、昼間家にいたのは僕より1つ年下の女の子と僕だけでした。その女の子とよく布団の中に入って、お互いのパンツの中に手を入れたりして遊んでいたのですが、そういうところを見られていたのか、それとも僕の世話をするのが面倒だったからなのか、しばらくしてから僕は小学校に入学させられました。入学といっても、まだ5歳だったので闇の入学です。山奥なので幼稚園がなかったから、その幼稚園代わりとして、小学校が特別に僕をあずかってくれたのかもしれません。1年生のクラスの一番うしろに席を作ってもらい、1日そこに座って授業を見ていました。

 僕が正式に小学校1年生になったとき、母親が退院してきました。それと同時に、僕も弟も家に連れ戻され、母親と一緒に暮らすことになりましたが、それもつかの間で、退院してから1年も経たないうちに、母親は近所の男とダイナマイト心中をしてしまいます。

 そういう子ども時代を過ごしたので、家族とはどういうものなのかがよくわかりませんでした。テレビで幸せそうな家族が出てくるホームドラマを見ても、現実にそういう家庭はあるはずがないと思っていました。

 高校を出るまでは、親戚付き合いもなく友達もいなかったので、人の家庭にお邪魔することはなかったのですが、社会に出てからは、職場の人の家に呼ばれることもあって、それがすごく苦手でした。気心が知れた特別な人間関係の中に、僕というよそ者が侵入したみたいで、その侵入者を家族に観察されているような居心地の悪さがありました。あと、子どもが苦手なので、子どものいる家に行くのが嫌でした。

 そういう僕ですから、結婚しても家庭らしい家庭は築けませんでした。子どももつくらなかったし、妻には嘘ばかりついていたし、家に帰らないことも多かったので、妻から「あんたは家庭を持つような人じゃない」と言われたこともありました。

 一方、美子ちゃんは、お父さん、お母さん、お兄さんの4人家族で、両親から可愛がられてすくすく育ちました。

 お父さんは映画の録音技師の仕事をしていて、美子ちゃんが私立の大学に入学が決まったとき、いろんな映画やテレビドラマの現場に出かけて入学金を稼いでくれたことや、洋裁ができてセンスもいいお母さんが、美子ちゃんの着る洋服はいつも作ってくれていたといった話を聞くたびに、僕が昔あり得ないと思っていた、テレビのホームドラマのような家庭が本当にあるんだと思いました。

 美子ちゃんは、坪内さんのところを出て僕と暮らしていることを、家族に話していませんでした。それどころではないくらい、僕との関係がごたごたしていたからです。

 僕たちが一緒に住みだして1年ほど経ったころ、『噂の真相』というスキャンダル雑誌に僕たちのことが載り、会社の社長をしているお兄さんに社員の誰かがそれを見せたらしく、美子ちゃんがお兄さんに呼び出されて事情を話すということがありました。

 そのあとお兄さん夫妻に食事に誘われ、僕は採用試験の面接を受けるような気持ちで美子ちゃんと行きました。最初は4人ともやや緊張気味でしたが、話していくうちになごやかな雰囲気になったので、何となく自分が受け入れられたような気持ちになりました。両親にはいずれ2人で説明に行くので、いまのところは内緒にしてもらうように話しました。

 僕は家庭や家族というものが苦手だったので、前の妻と結婚したときも、妻の両親には電話で挨拶しただけでした。貧乏だったので結婚式もしていません。婚姻届を区役所に出しただけです。

 それでもいつかは、向こうの両親に挨拶しに行かなければいけないとは思っていましたが、それはもう少し生活が安定してからにしようと思っていました。

 ところがあるとき、妻のお父さんがアパートに来ることになったのです。たまたま東京に出てきたので、娘のところに寄ってみようということになったみたいです。

 さぁ、大変です。僕らが住んでいるのは6畳1間の狭いアパートです。お父さんが泊まるにしても、寝る場所もありません。しかもまずいことに、その6畳間で僕は内職をしていたのでした。

 勤めていたキャバレーを辞めて、奥さんに働かせ、僕は毎日アパートでごろごろしていたのですが、働かないといけないとは思っていました。しかし会社に勤める気はなかったので、新聞の求人欄で自宅でできる仕事を探しました。そして見つけたのが、飾り物を作る仕事でした。ガラス板にクラシックカーや虎などの絵を描き、裏から金箔を貼って仕上げる内職仕事です。

 その作業をやっているときに、お父さんが現れました。本当は内職の現場をお父さんに見せたくなかったのですが、納品する日が決まっていたので、手を休めることもできません。お父さんに挨拶してまた内職を始めました。妻は食事の支度をし、お父さんは僕が内職をしているのをじっと見ています。初めて会う娘婿が何やら内職のようなことをしているが、こんなことで生活は大丈夫なのだろうかと、お父さんは不安になったのではないかと思います。だいぶ経って、たまりかねたように、「それは1枚いくらになるのか?」と言いました。確か1枚2000円ぐらいだったと思いますが、そんなことしかできない自分が情けなくなりました。

 美子ちゃんから「両親に会ってほしい」と言われたのは、一緒に暮らしだしてから1年半ほど経ったころでした。そのとき思い出したのが、前の奥さんのお父さんに会ったときのことでした。何だか自分がまた情けない気持ちになるような予感がしました。来るべきときが来たと思いました。

 美子ちゃんは、お父さんに大変可愛がられていたそうです。その可愛い娘の新しい男が、借金まみれの50のオヤジだと知ったら、お父さんはどう思うでしょうか。それに、家族というものに慣れていないので、ギクシャクするかもしれません。いろいろ不安が広がります。

 美子ちゃんは、いきなり婚約者として僕を紹介すると、両親は度肝を抜いてしまうかもしれないから、お世話になっている出版社の人を紹介するというかたちで、徐々に僕のことを話していくと言います。

 正月が過ぎて少し経ったころ、美子ちゃんの両親が暮らすマンションを夕暮れどきに2人で訪ねました。玄関のブザーを押すとお父さんがニコニコしながら出てきて「どうぞ、どうぞ」と奥に通されました。丸いダイニングテーブルに食事の用意がされていて、最初にビールが出てきました。

 僕の隣にお父さんが座り、映画の話や出版の話をしました。お父さんはお酒が好きなようで、「じゃあ日本酒にしますか?」と言うと、冷やの日本酒を持ってきました。僕はそのとき、すでに離婚手続きが終わっていたので、僕のことを聞かれたとき「独身です」と言いました。するとお父さんが、「ずっとお一人ですか?」と聞くので、「いや、最近離婚しまして」と言ったあと、お酒の勢いもあって「それで、美子さんと結婚しようと思ってるんです」と言ってしまいました。

 一瞬、場がシーンとなったので、この話を持ち出すのは早かったかなと反省しました。美子ちゃんも困った様子で僕を見ています。

 少し間があって、お父さんもお母さんも急に笑いだしました。おそらく、冗談だと思ったのではないかと思います。ところが、僕らが笑っていないのを見て、お母さんが真面目な顔になり「それはどういうことですか?」と聞きました。美子ちゃんが、坪内さんと別れたことを話し始めると、お母さんの顔が青ざめ、全身が小刻みに震えだしました。美子ちゃんは泣きだし、お父さんはお酒のピッチがものすごく早くなりました。僕は震えているお母さんが心配だったのですが、どうしたらいいのかわからなくてまごまごしていました。

 会話がどんどん少なくなり、急ピッチで飲んでいたお父さんが、真面目な顔で僕を見つめ「オ○ンコしたのか?」と、小さな声で言いました。思わず頭の中でズッコケそうになりましたが、お父さんの目があまりにも真剣だったので、小さな声で「はい」と言いました。お父さんは少し笑顔になり「それで、具合はよかった?」と聞くので、また「はい」と言いました。

 お父さんがぐでんぐでんに酔っ払ってしまったので、詳しいことは後日話すということにして、僕たちは帰ることにしました。翌日美子ちゃんが事情を説明すると、両親とも僕のことを「いい人なんじゃないの?」と言ってくれたそうで、僕は神藏家の家族に入れてもらうことになったのでした。

 それから、僕たちはお父さんお母さんのマンションのすぐ近くに引っ越して、ちょくちょく遊びに行ったり僕らの部屋に来てもらったりするようになりました。お父さんは外見や学歴などで人を判断するような人ではなかったので、50のオヤジに思われるとか思っていたことが、逆に恥ずかしくなりました。一緒に競輪に行ったり、2人して負けたあと飲みに行ったり、楽しくお付き合いさせてもらいました。自分の父親が死んだときは涙も出なかったのですが、お父さんが亡くなったときは、悲しくて涙が止まりませんでした。

 僕の好きな、ウディ・アレンの『カメレオンマン』(1983年)というコメディー映画があります。カメレオンのようにどんな人種にも変身してしまう特異体質のレナード・ゼリグ(ウディ・アレン)という男の物語です。ゼリグになぜそうなってしまうのかと聞くと、安全を守るためと好かれるためだと言います。生きていくためにいろいろな民族に溶け込んできたユダヤ人とダブらせているのではないかと思います。

 この映画を観てから、自分もカメレオンマンなのではないかと思うようになりました。家庭は崩壊し、戻るところもなく、工場で働いたり、キャバレーでチラシを作ったり、雑誌の編集者になったり、そのときそのときで周りに同化順応し、自分もそれにつれてどんどん変わってきたのではないかと思います。

 美子ちゃんと出会うまでは、あんなに家族や家庭というものを毛嫌いしていたのに、いつの間にか美子ちゃんの家族に溶け込み、「家族っていいなあ」と思っている自分がいます。家族みんなで撮った写真の中でニコニコしている自分を見ると、カメレオンマンを見ているみたいで思わず笑ってしまいます。変身することはもうないでしょう。

 僕がはぐれ犬だったときに、美子ちゃんが言った「家族になりたい」とは、結婚しようということだったんだとやっと気がつきました。そして、結婚するということは、家族になるということでもあったんだと思いました。結婚は家族になって孤独から抜け出すことです。そこからまた、新しい関係が築かれていくのです。