第一回

もっともふしぎな華

 お彼岸がいつかよくわかっていなかったひどい大人なのだが、ヒガンバナのことはよく考える。葉っぱがない。花はきれいだけど形がなんだかまがまがしい。茎に毒があるらしい。一週間だけ咲いていて、いきなり消えると聞いたことがある。などなど。

 小学生の頃に持っていた植物図鑑のヒガンバナのイラストのことも、よく覚えている。他の花と比べて、ヒガンバナは異彩を放っていた。まず茎が真っ直ぐすぎて、自然のものとしては座りが悪い感じがするし、サクラソウ、とか、ヒマワリ、とか、コスモス、といった花らしい花とかけ離れているのはもちろん、モウセンゴケやハエジゴクといった植物界のカルトヒーロー的存在(小学二年生比)とも距離をおいた、孤高というか、まさしく彼岸の存在であった。しかも異様に目立つ。

 毒について、知りたいような、知りたくないような気がしながらネットで検索してみると、友達の子供がヒガンバナを食べさせられそうになった、という世にも恐ろしいスニペットが表示され、もうそれ以上調べるのはよした。やめろそんなことは本当に子供。食べさせようとした子供は、毒があるとわかっていたのか、いないのか。というか、触るのさえ怖いだろうヒガンバナは。道端に生えているとはいえ、カラスノエンドウとかオオイヌノフグリなんかと比べるのは申し訳ないぐらいの完成度と威圧感なので、野草と戯れることがかなり好きだった小学生のわたしでも、一切手を出さなかった。親にも、触るなと言い付けられていた。

 ちなみに、わたしの小学一年の頃の友人には、道端の花を帰り道の暇つぶしに食べるくせがあったのだが、彼女にとってヒガンバナはどういうものなのか、今更訊いてみたくなった。彼女が、よその家の花壇や植木鉢のものには手を出さず、あくまで野のものしか食べなかったのは、彼女なりの分別なんだろうと思う(ちなみに、よその家の植木鉢になんとなく育っている野生のものは食べていた。見分けていた)。わたしが小学一年の二学期に転校してしまったので、その花を食べる友達とヒガンバナを見かける機会はなかったのだが。

 わたしにとって、野草は小学校からの帰り道のもので、ヒガンバナもその例外ではない。二つ目の小学校は田舎にあって、通学路は田畑だらけだったのだが、その通学路と国道の間の坂道にある田んぼの傍らに、ヒガンバナは極めて限定的な期間のみ咲いていた。その場所は、母親がパートをしていたスーパーの裏手でもあった。当時は父親が仕事を転々としていて、専業主婦だった母親は、生まれて初めてパートに出るという経験をしていた。小さいスーパーだった。田舎に引っ越すのが嫌だったわたしは、引越しの下見の時に国道からそのスーパーを眺めながら、こんなものしかない場所に行くんだ、と失望していて、母親がそこでパートをすることになったと聞かされた時は、なんだか因果なものを感じたのだった。

 それ以来、長い間ヒガンバナを見る機会はなかったのだが、阪急京都線の線路脇に咲いているのを、約二十年後ぐらいに見つけた。それでやっと、お彼岸とヒガンバナが自分の中でつながったのを覚えている。毎年、敬老の日の周辺には、祖父母が納められている納骨堂にお参りに行く。ものすごく弔いの意思があるとかではなくて、納骨堂が未だに珍しいから、なんとなく行くのだ。その数日後に、京都に遊びに行く特急の窓から、ヒガンバナの群れを見た。それで、ありえないぐらい祖父母が亡くなったことが思い出されたのだった。

 だからヒガンバナは、わたしにはとても私的な花なのだろう。特に見たいと思っていなくても、不意にそこに現れる。私的なことは、そんなに気分が良くなることではないし、日常から逸脱することでもない。今年は見ていないけれども、それでも鮮明に思い出される。彼岸花は記憶の中にある。

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津村記久子(つむら・きくこ)作家。1978年、大阪生まれ。著書に、『君は永遠にそいつらより若い』(「マンイーター」より改題、太宰治賞)、『ミュージック・ブレス・ユー!!』(野間文芸新人賞)、『アレグリアとは仕事はできない』、『ポトスライムの舟』(芥川賞)、『ワーカーズ・ダイジェスト』(織田作之助賞)、『とにかく家に帰ります』など多数。12月10日に中央公論新社より最新作『ポースケ』が発売。