私、子どもできたけど、どうしよう~子どもについて、本音で聞かせてください!~ 犬山紙子

私、子どもできたけど、どうしよう~子どもについて、本音で聞かせてください!~ 犬山紙子

犬山紙子 イラスト=箕輪麻紀子

第12回 妊娠7ヶ月半、私はただの犬山紙子のままです

「おや、やっぱり妊娠して顔が優しくなったね」
「母性なのかな、文章がやわらかくなったよね」

良かれと思って言ってくれるこれらの言葉に、私はいつもどこか引っかかっていました。
こういうことを言う人に対して怒りがあるわけでもなく、私のことを考えて、善意で言ってくれる気持ちは心からありがたい。
でも、素直にこれらの言葉を喜べない自分がいるのです。

なんで引っかかるのだろう、とよくよく考えたら「妊婦」というカテゴリにギュウギュウと押し込められる感じがとても苦手だったから。
これらの言葉が「なんか今優しい顔してるね」だったり、「この間の原稿、やわらかい文章だったね」だったら素直に「ああ、そうなのかな」と受け取れるのですが、「妊娠して」「母性」というワードが入ると、うーんとなってしまう。

私は元々「女」というカテゴリに押し込められるのがすごく嫌で、「なんでたまたま女に生まれただけで女としての責任を全うしなきゃいけないんだろう」と不思議に思っていたんですね。体は女で、女ならではの特性ももちろんあるけど、全ての言動の理由が「女だから」にはなりません。

化粧も洋服もゲームも読書も仕事もおしゃべりも、一個人として好きだからしているのであって、女だからやってるわけじゃない。男だってそうでしょう。

でも、最近は女だからどうこう言われることもなく、とても自由になれた気がしてすごく幸せでした。自分でそういう環境を選んで、もがいて勝ち取った居心地のよい空間。

でも、妊娠したらとたんに、またカテゴリの中に入れられるのを感じてしまったのです。でも、妊婦さんというカテゴリは基本めでたいとされているので、手厳しいものはあまりありません。
甘く、ふわふわと優しいものだから、あまり居心地の悪さを感じない人もいるだろうし、居心地のよさを感じる人もいると思います。それはそれで何も悪いことでもないです。でも、私は逃げ出したいって思ってしまった。

四六時中お腹の子どものことを考えてるわけでもない、聖人君子でもない、優しい気持ちの時もあるし残酷なことを考えている時もあるし、強い時もあれば弱い時もある、スケベなことも考えるし(淫夢を6日連続で見た時はびっくりした......)、母性もよくわからない。
私が子どもがお腹にいたとて、元々ある犬山紙子が本体なのに、ベースをまるっと無視して「妊娠している」状態が本体となってしまったような気分。
寄生獣みたいだ!

なんだかとっても寂しいんですよ。あれ? 私は犬山ですよ! あの、いつもしょうもないことばっかり言ってる犬山! 犬山だよーーー! って。

それはやっぱり「犬山紙子」である前に「女」であることを押し付けられていた気持ちと同じで。
たとえ善意で形成されていても、何かにカテゴライズされることが私のようにすごく苦手な人もいると思うんです。
「お腹出てきたなあ、洋服どうしよう」とネットでマタニティウェアを検索したら、そのブランド名には「スイート」や「ラブリー」という文字ばかりが躍り、私はスイートでもラブリーでもないんだけどなあ、とサイトを閉じるあの気持ち。

妊娠して気持ちが全く変わらないと言えば嘘になります。「もっと責任感を持たねば」とか「自分が下品かどうかのジャッジを厳しくしなきゃ」とか思っています(下品=下ネタを言うではないです。私は人の気持ちを無視する行動だと思っています)。でも、断然変わらない部分のほうが大きい。

今の私の言動は「妊婦だから」じゃなくて「犬山だから」生まれるものなのです。

だから、妊娠によってどんどん太ること、どんどん色素が濃くなっていくこと、やたらと屁が出ること(これは私だけか?)、尿漏れまですること、めちゃくちゃ辛いです。
妊婦だからしょうがないけど、しょうがないって全然思えないのです。
自分の体に今自信なんて1ミリもなくなってしまいました。

これまで自分が理想としていた体型があって、ファッションがあって、それは自意識過剰な私にはかなり大切なものだったから、そうじゃなくなる自分が本当に辛い。
そして、変わった体が産後、元に戻る保証もない。
尿漏れは産後もっとひどくなる人もいるみたい。
母乳をあげるとカロリーを消費するから痩せると聞くけど、それだけお腹も空くだろうし、体型が戻らずこれまで買ったお気に入りの洋服が入らないかもしれない。
夫に自信を持って接することができにくくなるかもしれない。

出かけるたび、もたついた自分の体を鏡やショーウインドウで見て憂鬱になるのです。

私が今自分の体に自信がないという気持ちを伝えたからか、幸い夫は私に対してほぼ妊娠前と変わらず接してくれています。でも、これがもし急に妊婦として扱われていたらどんなに辛かったでしょう。体の変化を「当たり前じゃん、傷つくなんて変だよ」って言われたり、性を無視されたり、「すっかりケツもでかくなって母ちゃんだなあ」って言われたら......。
やっぱり私は妊婦である前に一人の人間なのです。

そうやって妊娠と本体を切り離して考えているので、お祝いしてもらうことにも思うところがありました。

私は、私へのお祝いはこそばゆいのだけど、お腹の赤ちゃんにおめでとうと言ってもらえるのは幸せすぎて泣きそうになるのです。

私自身はこの妊娠を「自分で選択した道を進んでいる」という状態だと考えています。だから、全員にお祝いをしてもらって当たり前だとは思わないんですね。そりゃ、妊娠したいと思って本当に妊娠できたことはとても幸運で嬉しいことだけど、世の中には妊娠以外にもそういう幸運や不幸がたくさんあって、なんだか妊婦さんだけ特別扱いされている気持ちがするのです。
(結婚だって同じく、そんな無理にお祝いされることでもないと思っています)
お祝いの気持ちに触れたらもちろん飛び上がるほど嬉しいのですが、私は自分の道を進んでるだけで、それはみんなやっていることだから、特別にお祝いされるべき、とは思っていないのです。

でも、赤ちゃんによくぞ命が誕生したね、と言ってもらったらこんな嬉しいことはないのです。命ができたこと、それはたとえ生まれなくっても、お腹の中にいる段階でとてもとても凄いことで、もうそれこそお腹の赤ちゃんはめっちゃめでたい。妊娠できた私が凄いんじゃなくて、お腹の赤ちゃんが凄い。要するに今生きてる我々はめっちゃ凄い、めでたい。

私がめでたいのではなく、赤ちゃんがめでたい、と思っているのです。

この原稿を書いているのは妊娠7ヶ月半。
おなかの中にとんでもなくめでたいものが入ってはいますが、それは私とは別物。
私はこれまでどおり、自分の人生を生きるただの犬山紙子なのであります。