最終回

新潟と東京での新たな家族生活へ。どんな場所でも"親"になる!(後編)

17-01.jpg妙高山が拝めるアパートの裏の野原にて。
 はい、ついに本連載も最終回がやってまいりました。読者のみなさん、ここまでよく読み続け、支えてくださいました。改めて感謝を申し上げつつ、今回は淡々とこの間の近況報告をし、連載を終えようと思います。東京都品川区と新潟県妙高市を行き来する生活をこの5月から始めて3ヶ月ほどが過ぎました。慣れたのか、慣れないのか、正直なんとも言えないのだけど、少なくとも妻と娘たち(と妻の実家のじいじとばあばとおばさんも助っ人参加)の「チーム新潟」と、夫が一人で暮らす「チーム東京」とが合流するペース感や直接会わずとも連絡を取り合うペース感も含め、「こんな塩梅か」というのは掴めてきたかな。

■お互い「寂しさ」を乗り越えて......

 2週間に一度2泊3日で妙高市に通い、東京にいる間は娘たちとビデオ電話をし、妻とは子どもたちのことを軸に、お互いに生活で気づいた何気ないこと、あと仕事の情報交換などをメールでやりあう日々。離れているからこそ、妻とは以前よりも密にやりとりできている気もするし、いまのところ大きく意見が分かれることもなく、お互いを気遣いながら良好な関係を築けていると思う。
 でも、やはり娘たちとは直接会う頻度が明らかに少なくなったので、それは端的に言って僕も寂しいし、何より僕にべったりな5歳の長女M子が露骨に寂しがるのは辛くて。新潟から東京に戻る際、アパートの玄関口で毎回「パパー!」と泣きじゃくるM子。東京には、終電で戻るパターンと、早朝に戻るパターンとがあって、どっちがM子にとって辛くないかここ数回試してみたが、結論から言えばどっちも変わらなかった。早朝のときは5時半にはアパートを出るので、まだ寝ているM子を起こすのもなぁ......と思いつつも「帰るときは絶対に起こせ!」と寝る前に何度もご本人がおっしゃるので約束通りに起こしたら、眠いのに起こされた不機嫌さと父がいなくなる寂しさが綯い交ぜになって大泣き(笑)。それで「朝は辛いから夜に帰ってほしい」と言われ、夜に帰るようにしてみたものの、結局帰る15分くらい前から徐々に辛くなってきて、最後は堪えていたのも限界で大泣き(笑)。
 いやはや笑い事ではなくて、もう「(笑)」とでも書いとかへんと俺もマジで辛い! 「ビデオ電話もするからさ、もう泣かんといて」と言ったときの「ビデオじゃ、パパとタッチもぎゅっともできないからいやだ!」という返しにはこっちもマジで撃沈。最寄りの駅まで街灯がめっちゃ少ない道を大の男が頰を涙で濡らしながらとぼとぼ歩き、たまに通る車のヘッドライトで照らされたらもう、情けなくて顔を覆ってしまうというありさまです。

 で、さっき「端的に言って僕も寂しい」と書いたけど、これはね、実は自分でも意外だった感情で。僕は元来、「一人でいること」がまったく苦でなく、むしろだいぶ好きな方で。子どもがいるということはそりゃ面倒なことも多々あるし、だいたい、家にいて自分ひとりの時間なんて取れるわけがないから、だからこそ「ああ、たまにはひとりでAmazonプライムで映画でも観たいなぁ......」とかしょっちゅう思ってきたんだけど、改めて「一人暮らし」になってしまい、実際にわざわざそのために購入した55インチモニターで大好きな韓流クライム映画をちょくちょく観る日々を送っていたら......。最初は良かったんやけどだんだん、なんていうの? 表現しにくいんだけど、みぞおちがキューッと締め付けられるような気分になってくるっていうか。
 で、鈍感すぎて最初はようわからんかったんですが、「ああ、そうか、これが"孤独を感じる"ってやつか」と思ったわけ。最初の1ヶ月半くらいはそれが続いて、最近はだいぶその生活にも慣れてきたけど、これはね、自分でも本当に意外やった。「今まで知らなかった自分を見出した!」って感じ(笑)。いや、だから笑い事ちゃうわ!

■新・保育園ライフ。「自由」に慣れろ!

 そんなことばかり書いているとめっちゃ湿っぽい最終回になってしまうので、保育園の話から始まったこの連載としては、やはり娘たちの新しい保育園ライフ、とりわけM子の変化にちょいと触れたいと思います。
 このたびM子のたっての希望である「妹N美と同じ園に通いたい」がようやく実現し、運良く家から徒歩3分、じいじばあばの家からも車で5分ほどの保育園に通ってらっしゃいます。田舎の歴史ある公立保育園というイメージぴったりの年季の入った園舎には、かなり自由な空気が漂っていて、子どもたちはどろんこ遊びをしたり、畑で野菜を育てたり、園備え付けのしっかりとしたプール(小金井にも大津にもそれはなかった)を堪能したり、近くの川で沢登り(結構ガチなやつ!)をしたり、お友達の輪が広がりつつ、いつも姉妹一緒に戯れられることにも喜びを感じているよう。
 また、保育園だけでなく、同じアパートに住む同じ組のお友達の年上のお姉ちゃんたちともさっそく仲良くなったり。これ、東京ではなかなかなかったんよね。子どもがいるご近所さんと挨拶はするんだけど、なかなかパッと一緒に「遊ぼうよ」ってどっちの子どももならないというか。それは完全にお互いの親にその余裕や耐性がないからってことなんだけどね。でもこっちでは引っ越しした初日から、駐車場でお隣のお姉ちゃんにキックボードを貸してもらったり、最年少ということもありN美はみんなに超ちやほやされ三輪車を押してもらったり。僕が滞在しているときに保育園から帰ってきたらさっそく、「M子ちゃん、N美ちゃん、あーそーぼっ!」とピンポン連打(笑)。いやぁ、子どもたちの「本来の距離感」ってきっとこんな感じなんよなぁ。

 また、こっちの保育園は先生が家庭訪問をしてくれるんだけど、そこでM子の保育園での普段のふるまいで親が気づいてなかった大切なことを知ることに。題して「M子が"自由"に慣れていない問題」。小金井の保育園ではかなり細かく時間割があり、その時間にやっていいこととダメなことが大方決められていました。さらに、M子の元来の性格(慎重派でわりとビビり。N美は逆に大胆突進系!)もあってか、「自由あそび」の意味がよくわからないというか、ほんとに自由に好きなことをしていい時間なのに、いちいち先生に判断を求めたり、お友達と少し揉めたときも自分でその相手の子に話さず、先生にいちいち報告して解決を求めるところがあるらしく。
 とにかく、1日の予定がはっきり見えないと不安みたいで、「これは何をする時間」ってのをはっきりさせたいらしい。そう言われてみれば......、思い当たることもちらほら。家族でどこかに出かけていても、「あと何分くらいでどこどこに着くのか?」とかやたらしつこく聞くし、音楽をかけていると途中から「次の曲はこれ! その次は......」と指定するし、なんか「決まっていることの安心感」を求めているというかね。

 逆に大津の保育園(ここも割と時間割がはっきりしていた)でも、小金井の保育園でもそういったM子の性格を先生に指摘されることがなかったというのは、環境上、全体的に「そういうもん」だったからとも言える。「自由あそび」という言葉を使っていても、園によって、またその園が位置する地域性というか風土によって、その「自由」が「ほんとにどこまで"自由"なのか」っていうのは違うわけだ。それはこれまで親としても気づけなかった点で、妻からこのことの報告を受けた際はかなり考えさせられた。
 それで、先日の滞在時に親子遠足があり、妻は仕事だったので僕とM子で参加したんだけど(妙高高原でパン作り!)、その際に担任の先生とお話しできるタイミングがあって。M子が地元のゆるキャラを模した滑り台で遊びまくっている合間に「最近、M子はどないですか?」と尋ねたら「M子ちゃん、頑張ってますよ。最近は特に指示を求めることもなく、自分でちゃんと考えて行動できるように、随分慣れてきたようです」と言われてちょっと安心。言ってみれば「子どもの主体性」をどう育むかって話なんだろうけど、先生曰く「保育士が働きかけるというよりは、環境全体で働きかける」ことを大切にしていると。この話、まったく同じ言葉ではないにせよ第6回、第7回で書いた小金井市立小金井保育園の園長の小方さんもおっしゃっていたよなぁと反芻。そういう意味では、地域性や風土だけでは片付けられない、やはり園そのもの(特に公立保育園に感じるけど)が培ってきた「子供の成長の"根っこ"を育てる」ことの大切さを再認識したのでした。

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■実家の多大なる協力があってこそ

 今回の家族二拠点生活で多大なるサポートをしてくれているのが、妻の実家のじいじ、ばあば、A子おばさん(妻の姉)の3人だ。仕事や娘たちの病院(風邪とか検診とか)の都合で妻が保育園に行けないときに田畑仕事の合間にサポートしてくれるじいじ、週に何度かご飯を一緒に作ってくれ身の回りのことを支えてくれるばあば、そして、いつも娘たちの遊び相手になってくれるA子おばさん。次女N美はじいじが大好きでべったり。M子もじいじやばあばに付いていって野菜の収穫を手伝ったり、サブカル色の強いA子おばさんの部屋でゲームをさせてもらったり(笑)。
 また、妻のお兄さん家族もちょくちょく訪れるので、そこの男の子、つまりM子にとっては従兄弟で一個上の小学1年生のK太郎くんともまぁ仲良し。そんな感じで、滋賀や東京にいたときよりも明らかに日常的に人に囲まれる、賑やかで恵まれた環境で子どもたちは育っていると思う。

■都会の単身赴任に差し伸べられた意外な手

 さっき「ああ、孤独ってこういうことか」って感じていると書いたけど、僕には僕で想定外の嬉しい出来事もあって。僕はいま品川駅までドアツードアで10分ほどの都心のアパートで一人暮らしをしているわけなんだけど、その物件が大家さんの家の2階の一部を借りているというもので。大家さんの家の一部というと昔の下宿みたいなイメージを持たれそうだけど、ちゃんと独立した玄関があって、壁も厚いので実感としては「大家さんが隣に住んでいるアパート」って感じなんだけどね。
 で、その大家さんは70代後半の奥様で、まぁ僕のことを気にかけてくれるんです。「単身赴任大変でしょう......」って。で、玄関越しでよくお話をするんだけど「ね、ちゃんと食べてる? ちょっと待っててね、あとで電話するわね」って言われて部屋に戻って仕事をしているとさっそく電話。「できたわよー!」と。そこから僕が家で仕事をしているときになんと、たびたびご飯を作ってくれるようになって。これがまたすごい量なんですわ(笑)。ありがたいんだけど、「俺は育ち盛りの野球少年かーい!」ってくらい半端なく、食べきれない。でも、本当に嬉しくて。ぶっちゃけ仕事の関係で引っ越してきて現段階では近所に友人知人もいないなか、こうやって自分に積極的に関わってくれる人がいるってこと自体、ほんとに救われます。最近では、「あんまりおいしくないんだけど......」とおっしゃりながらもなぜか定期的に取り寄せているというシークワーサージュースや、カップラーメンやスプーンやお皿まで提供してくださる大家さん。いつもありがとうございます!

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■「struggle(もがく)」を書いて開くこと

 はい。近況報告でした。ということでなんとかやっております。で、いよいよ最後です。この連載を書いているなかで、尊敬する旧知の編集者さんが、僕のこの「家族」の変遷を「struggle(もがく)」という言葉で表現してくれました。なるほど、確かに言われてみればそうかも。僕たち家族は、もがいてきたんだなと。

 と同時に、こんなことを書きながらも「もがき具合も、人と比べることってできないよな」って思っていて。みんな大なり小なりいろんな質感できっともがいているんだろうと。でもそのプロセスってあまり外部に言語化されないっていうか、まぁ宴席とかでは話したりするかもしれないけど。で、みんなその「結果」は知るじゃないですか。「ああ、あの家族、結局田舎に引っ越すことにしたんだ」とか「ああ、あそこの息子さん、お受験することに決めたんだ」とか「やっと子どもが産まれたようだ」とか。
 でも、その逡巡のプロセスもいろんなレベルで共有できた方が、面白いですよね。でも、まぁ人はそここそを隠したがるし、それもわかる気がするけど、僕は「仕事」において「家族」を犠牲にしてきたから、こうやって「書くこと」を通じて、「仕事」と「家族」を再度ぐちゃまぜにしたいと思っているっていうか、その状況を開いていきたいと思っているというか。せめてそれをやらないと「生き様」とまで言うと大袈裟かもしれないけど、示しがつかないというか。そんなことを感じながら、この連載を続けてきました。

 「生き様」と書きましたが、それは端的に言えば「表現者」として生きてきたってことです。僕の場合は。しかも人々の暮らし、私的な日常、ザラザラしていて一筋縄ではいかない人間関係、それらが育まれるコミュニティという舞台、そういったことをテーマに、時に地域の現場に入って音楽を奏でたり、文化事業を企画したり、ときに自分の考えをこうやって執筆し出版してきて。ちょくちょく連載のなかにも「表現」という言葉が出てきたと思うけど、もしバックナンバーや今後書籍化される予定の単行本を読んでくださるのならば、この「表現」というキーワードも頭において振り返っていただければ嬉しいです。

 連載を始めてからこれまでの1年9ヶ月、ほぼリアルタイムで書いてきた「ホカツと家族 どんな場所でも"親"になる」。今回この最終回を書くにあたって、初回から読み返してみたけど、まぁ本当に当初は想定してなかったことが起こりまくって。それも含めてわりと正直に「もがくプロセス」を表現できたかと思います。そしてそのプロセスはこれからも続いていくわけなんだけどね。
 ああ、どうなるんだろう? ほんまにわからん。みんなどんな感じですか? これはね、あくまでアサダ家というひとつの「家族」の物語。次は、みなさんの「家族」の「struggle」もぜひ教えてくださいね。ありがとうございました!

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