第15回

離島移住? 夫婦別居? 二拠点生活?
ある「島」と出会った「家族」の生活実験
久保田茜さん&林田家インタビュー(後編)

15-1.jpg愛媛県今治市の大島に住む久保田家の子供たち。長男の丸慈くん(右)が始めた
「丸ちゃん農園」ではっさくを売る、長女埜良ちゃん(右)と次女うねちゃん。


 みなさん、こんにちは。前回から愛媛県今治市にある大島で暮らす久保田茜さんと林田家の家族のあり方を綴ってます。振り返りは「前編」を辿っていただくとして、最小限のメモのみここに。

《久保田家&林田家のメモ》
・2008年、京都出身で大阪を拠点にしている久保田テツさんと、東京都港区出身の林田茜さんが結婚。
・2009年、大阪で同居生活スタート、ほどなく2010年に長男丸慈(まるじ)くん(執筆当時は小学3年生)が誕生。
・2011年に、東京都世田谷区に住む茜さんのお父様の林田誠一さん、お母様の町子さん、そして(母方の)おばあ様が、茜さんの子育てのサポートも兼ねて大阪へ移住。
・2012年に、茜さんは町子さんのサポートを存分にうけ、大阪の企業にフルタイム就職。翌年の2013年には、長女埜良(のら)ちゃん(執筆当時は年中さん)誕生。
・2015年、育児と仕事の両立に限界を感じ始めていた茜さんに対して、突如、誠一さんと町子さんから「田舎に移住したい」とびっくり提案。そうこうしているうちに、次女うねちゃん(執筆当時は2歳)の妊娠発覚。
・2016年、リサーチにリサーチを重ねて見つけた愛媛県今治市の大島に、誠一さん、町子さんらとともに久保田家も家族ごと移住。その後、東京都世田谷区の実家で暮らしていた茜さんの弟の望(のぞむ)さんも移住。
・しかし、テツさんは仕事があるため大阪に残って単身生活、月に2度ほど島に通う二拠点生活へ突入。

 前編では、茜さんと、誠一さん、町子さんに今回の島移住の経緯を伺いました。そしてこの後編では、実際にこの島でどんな生活が展開されているのか、一人ひとりの新たな挑戦、子育てや家族のあり方に対する考え方の変化などを茜さんに2日間ついてまわってロングインタビュー。
 この連載で取り上げてきた方々の生活は、すべて「うちら家族と地続きだ!」って思って書いてきたけど、今回はなお一層まったく他人事ではなく、取材なのか人生相談なのか、よくわからない塩梅になっているかも。ではいきますよ!

15-2.jpg

■家族それぞれの充実生活

アサダ 大阪から大島に移住して、3年近く経ったかと思うんだけど、茜さんをはじめ、ご家族それぞれの変化についてざくっと教えてもらえますか?

 まず父には明確な夢があって。それは「自分の家を自分で作りたい」ってこと。大学で建築を学んで建築士になりデベロッパーに入って、バブルの最中に大都会でビルをバンバン建ててきたような人だけど、自分の手で建てたわけじゃないって、くすぶる気持ちがずっとあったようで。そもそも都市開発的なことが向いてないって感じてきたから早期退職したわけだし。それでいよいよ田舎に来て一から自分で家を建てると。ここ(茜さんたちが暮らす海沿いの平屋。上の写真参照)から山の方に2分ほど歩いたところです。まぁ父ももう70歳近いんで最後の夢ですよね。

アサダ 確かに体力があるうちじゃないと家は建てられないですよね。数年かかるし。

 数年どころか! もうすでに3年経ちましたけど、全然ゴールが見えない。こないだまで外壁をやってたんですが、めちゃくちゃ時間かかって。私もモルタル捏ねて......(笑)。ここは一応、家ができるまでの仮住まいっていうか借家なんですが、仮住まいが嘘にならなければいいなと(苦笑)。

 母は、父よりも自然そのものが好きな人なんですよね。子供の頃から京都の吉田山で虫や草木と戯れるナウシカみたいな生活をしていたらしいので(笑)。いまうちには畑もあるんですけど、基本、母がすごく楽しそうにやってます。あと、彼女は絵を描くんですよ。このリビングにもいろいろ飾ってますが、ぜんぶ母の絵。学生時代は彫刻をやっていたそうですが、東京から大阪に移り住んだときに平面をやりだして。「私はこれからは絵を描いて過ごしたい」と言っていましたね。

アサダ そうか、お二人とも余生のビジョンがかなり明確にあったんですね。

15-3.jpg誠一さん建設中の家を茜さんに案内してもらう。
小屋のような感じかと思っていたが、がっつり「住宅」だったのでびっくり!
しかも、誠一さんと町子さんは、孫がうるさいので夜は建設中のこの家で寝ているという強者っぷり......。


 そうですね。二人とも私ら子供たちのために、自分のやりたいことを犠牲にして頑張ってきたし、老後も孫の世話で大阪にも来てもらっていたので、この島ではせめて好きなことをやってほしいって思うんです。
 私も、いま家を建てているところの隣が荒れ地になっているので、そこを開墾して子どもたちが遊べるプレイパークを作ろうかと。最近、チャボと鶏小屋をご近所さんからもらって。猪の解体用のハンガーに布をかけてハンモックにしたり、結構いろいろできそう。でもこの開墾がなかなか大変で、何度も腰を痛めてダウンしてます(苦笑)。

 あと、弟の望(のぞむ)ですね。彼は東京にいたときはネトゲ廃人と化してたので、なかば無理やりこっちに連れてきたんですよ。島に来てからは父と家作りをやったり、いま木工にはまっていて。
 もともと器用で丁寧に手作業するタイプなんで向いていたんですね。子どものランドセルのラックを作ってもらったり、いまは私が折ってしまった鍬の柄を直してもらってます。あと、このへんは猪が多いので、狩猟免許も取ったり。昼間はそんなことをしてるけど、夜間は島にある役場の支所で宿直の管理人をやってます。島の人が「兄ちゃん、若いんだから仕事した方がええんちゃうか?」って心配して紹介してくれたんですよ。

15-4.jpg島でつながった知人の畑で収穫する茜さん(左)、望さん(中)、町子さん(右)。
町子さんは作業をしながら「自分が都会で食べてきたものは何なのか。
それを確かめるためにこの島に来た。答えは太陽の光と水だった」と言っていた。

■「田舎に行けば子供は勝手に外で遊ぶ」はイメージだった

アサダ 逆に、島ではこういうのが難しいとか、困っていることとかあります?

 来た当時は、島にないものをいろいろあげつらっていたけどきりがない。「しょっちゅう今治市内に出ないといけないんだろうな......」「橋代はかかるけど必要経費か......」と思っていた。
 例えば病院。小児科や耳鼻科や皮膚科がないんですよ。でもね、内科に行ったらおじいちゃんおばあちゃんばっかりだけど別に子どもだって診てくれるんですよね。ワクチンだって一応あるし。ただ、器具が大人用しかなくて大きいとか、普段使わないワクチンだから看護師さんがあたふたするとか、それくらいのこと。
 買い物も、最初は今治のイオンモールにちょくちょく行っていたけど、もうほとんど行かなくなりました。島の野菜とか魚でなんとかなるし、それで献立も考えるようになる。なるっていうか「する」って感じ(笑)。割り切って、島のなかでどうにかできるアイデアを探るという発想に変わっていきました。

 でも、難しいこともあります。島に移住したら、ほっといても子供が自然にたわむれて遊んでくれると思っていたけど、実はそうでもなかった......。下の女子たちは結構やんちゃなんだけど、長男の丸慈がね。彼は大阪の記憶もあるし、もともとインドアなところがあって。テッちゃん(夫である久保田テツさん)に似たのか(苦笑)。

アサダ (島に取材に来る前に)テツさんと大阪で話した際、丸慈くんが「どうもまだ島の生活に慣れないんだ」と聞きました(苦笑)。

 そうそう。テッちゃんが島に来ているときも、「よし! 丸慈! 自動販売機にジュース買いに行くか!」「わーい! 父ちゃん、行く行く!」とかやってますからね(笑)。田舎まで来てわざわざ自販機はないだろうと(笑)。そもそも丸慈は、家にいて本を読んだり、ゲームをしたり、宿題をして静かに過ごすのが本当に好きみたいで。だいぶガミガミ言わないと外に出ない。
 だから、子供の生育環境を考えて自然あふれる土地に移住したら、子供たちは毎日山をかけまわり、どろんこ遊びをして......みたいなのは完全にイメージで。確かにそういう人もいると思うから、漠然と私らもそうなるかなって思っていたらまったく予想が外れた!

 小学校は小学校で結構管理が行き届いていて、そもそも子供だけで海で遊んじゃダメだし。親たちは、子供の頃は勝手に人の釣り船に乗って海に飛び込んで遊んでたとか話しているんですけど、それはあくまで昔の話で、自分の子どもにはそういうことを絶対にさせないっていうね。
 そういう意味では、意外と都会の子と決定的な差はないのかも。でも環境は本当にいいし、丸慈もボーイスカウトとかやっていて自然そのものが嫌いってわけじゃない。だから、何かこの島でできないかと探った結果、「仕事をしてお金を稼ぐ」ってのがいいんじゃないかと思ったんです。

15-5.jpg妹の埜良ちゃん(左)とうねちゃん(右)がちょこまか動き回るなかでも、
まったく動じることなくゲームに没頭する丸慈くん(中)。


■子どもが「仕事」で他者とつながる。「丸ちゃん農園」の挑戦

 家を建てている土地の向かいにある、はっさくの木に実がなっていて、地権者から借り受けたんです。それを丸慈が収穫して、自分で値段も決めてお客さんに売って、手紙をつけて発送するっていう一連の仕事を、「丸ちゃん農園」と名付けてやってます。
 買い手という相手がいることで甘えが許されないじゃないですか? 自分だけの問題じゃないから、どうやったらもっと喜んでもらえるかとか、色々アイデアも考えるようになるし。で、あいつね、お金大好きなんですよ(笑)。売れたら自分にお金が入ってくるので、目の色変えて「よし! やるぞー!」ってなって。

 実際にどう売るかなんですが、家の前の道で売ってもなかなか人も通らないし。そこで、まずは私がSNS経由で「丸ちゃんがはっさく売り出した」って投稿したら「欲しい欲しい!」って結構反応があって。まぁ普通に買うより値段を安く設定してるってのもあるし。「今日は△△の○○さんから注文があった。今から収穫して、梱包して、お手紙つけてください」と知らせると、学校から帰ってきたらきっちりそれらをやるんです。
 なんせ「仕事」だから、ちゃんと伝票書くのも覚えて。そうすることで、お金を稼ぐってことも多少なりともリアルに感じられるし、しかもお客さんからお礼の手紙が届いたりするから、またそこに返信したりして丸慈が他者とつながるっていうか、コミュニケーションが広がってゆく。何か彼なりに確かな手応えは感じているようなんです。

 基本、私は子供にあまりおもちゃとか買い与えないし、っていうか自分自身、消費するのが嫌いで。でもだからといって、子供が欲しいものが何も手に入らないのはかわいそうだから、そこは自分で稼いだお金で買ったらいいってことにしたんです。

アサダ それすごくいいですね。下世話な話だけど、実際どれくらい稼いだの?(笑)

 だいたいワンシーズン(1月~2月)で、万は稼いだかな。

アサダ おお。やるやん、丸慈くん。

 価格設定もすごい考えさせたんです。スーパーではどれくらいで売られているのか、私と一緒に見に行って、世間ではどういう流通システムになってるかも勉強して。そんなことしていると埜良も「いいなぁ、お兄ちゃんばっかりずるい! 私も売りたい!」ってなって。それで「埜良ひじき」っていうのも始めたんですが、海で取ったものを漁業権がない人が勝手に売ってはダメだって、地元の親切な漁師さんにたしなめられて、断念しました(苦笑)。

アサダ そういった「仕事」という発想で子どもの世界を広げるっていうのは、そもそも何からヒントを得たんですか?

 実はモデルがあって。大島で漁師をやっている藤本純一さんと小学5年生の息子さんの樹来人(じゅらと)くんとの出会い ※1 がとても大きいんです。クリスマスが近くなって、自分の子どもに何買ったらいいか、サンタさんがどうのこうのって話をしていたら、純一さんが「うちの子にはサンタは来ないよ。子どもには自分で稼いだお金で買えって教育してる」って冗談まじりに言っていて。それで、樹来人くんが魚を釣るっていうのは知っていたし、「だったら私の家に魚を売りに来たら?」って誘ったら、すぐに来てくれたんです。
 軽トラで純一さんと一緒にやって来たんですけど、なかなか家に入ってこない(笑)。たぶん純一さんは樹来人くんに「一人で売ってこい」って言ったんでしょうね。でも5年生の子が知らない人の家に一人で魚を売りに行くってやっぱり恥ずかしかったみたいで、何度も玄関の前に来ては軽トラに引き返して。それで純一さんに「一緒に行ってもいいけど、分け前は半分やぞ」って言われて、「それやったら一人で行く」と、ようやくピンポン鳴らしてね。

 純一さんとしては、「お前の魚やから、お前が考えて自分で値段もつけて交渉してこいよ」ってわけなんです。樹来人くん、すごく立派な1kgくらいあるタコを1000円にしてくれて、カワハギは2匹で500円にしてくれた。都会でしか生活してこなかった私には、その価格が妥当かどうかは知識がない。だからお互い納得できる交渉をするためにも、ちゃんと彼にどういう考えのもとでその値付けをしたか、それを伝えてもらうよう純一さんに言ったら、「ちゃんと樹来人に理由まで説明させます」と。
 それでタコはスーパーだと1980円くらいするんですが、思い切って1000円と半額にすることで相手に喜んでもらいたいと。一方のカワハギはそれほど大きくないけど1匹250円にしたのは、なかに肝がぎっしり入っていてよく肥えているからその値段だと。実際に、食べてものすごく美味しかった。言ってくれた通りに肝がすごく入っていたし、彼が実際に食べて決めた値段だってことも納得できた。タコを安くしてくれた気持ちもすごく嬉しかったし、これは今後も売りに来てくれたらいいなって思える交渉だったんです。

 純一さんは私に「子どもやからって遠慮しなくていいから、容赦なく値切ってくださいね」と言ったんです。「言われたそのままの値段で買ったらいけないのかな......」ってちょっと思った。おそらく、お金をさらっと出してほしくないんだろうなと。教育の場として私に何かを期待しているのがわかったので、これがまた結構プレッシャーでね(苦笑)、悩みましたね。
 でも、純一さん自身が、その時々に相手と信頼関係を築きながら、今後のマーケットや漁師という生業の未来までを想定して値付けをしているって知ったときに、その父親の背中を見ながら成長していく樹来人くんは、きっと漁師になっても、仮にならなくても、この取り組みは彼の今後の人生にすごく生かされるだろうと強く感じたんですね。こういったことが、もし自分の子どもに対してもできたなら......。それでひねり出した結果が、「丸ちゃん農園」だったり「埜良ひじき」なんです。

15-6.jpg

■夫婦のカタチ、家族のカタチに「答え」はない

アサダ 家族の現状がすごく伝わってきました。どんどん島に根付いていく反面、テツさんとの距離が離れていく、そんな心配ってないですか......?

 そうですね......。お父さんに対して子供から「さみしい」って話はあんまりでないかな(笑)。なんせ大人が多いから。じいじ、ばあば、おじさんもひいばあちゃんもいるし。4世代。これは子どもたちにとってすごく贅沢な環境だと私は思っていますし、なかなかないことだろうと。

 とはいえ、私もこの先、ずっと何十年も旦那と離れて暮らすかって言われたらモヤモヤするところはあります。「何年離れたら家族としてダメか」っていう決まりがあるわけじゃないし、でも「家族なのにずっと離れているってのもどうなの?」とは思う。もちろんそういう家族があってもいいとは思うけど。だからといって仮に「3年後」って決めたとしても、子供の成長は早いから「本当にそれでいいのか?」って思う。だから半年とか1年単位で「まだ来年もこのスタイルでいけそう?」っていうのをお互い確認する機会はこまめにあった方がいいと思っています。

 夫婦っていうのも実にいろいろ。例えばうちの両親からは移住する際に「離れて暮らすなんて信じられない!」って言われたんですよ。「あなたたちのことだから関係ないけど、私たちはそのスタイルは絶対無理! そういう夫婦関係ってありなんだ......」ってね。父母はあんまり会話とかしなくてもくっついていればいいって感じの人たちだから(笑)。

アサダ 夫婦は一緒にいることに意味があって、何話すかなんて二の次だと。

 そうそう。人間も動物なんだからそういうもんだと。逆に私たち夫婦は物理的に離れていても精神的につながっていたり、同じ話題で盛り上がれたりすることで絆が保てている気がします。おそらく私とテッちゃんは似た者同士だと思うんです。かなり感覚が近い。そりゃ細かいことは違うけど、なんか奥深いところでは似ているなって思えるから、表面的な違いではしょっちゅう喧嘩しているけど、意外とわかり合えていると思ってきました。
 例えば、「子ども」とか「家族」に関しては、テッちゃんは前に勤めていた大学のときに、子どもにまつわるあれこれを語り合うサロン ※2 を開いたり、子どもについてのインタビュー集 ※3 を発行したり、私は私でこの島に来て、家族とか島の生活をテーマに語り合う「しまローグ」※4 っていうのを企画したり、お互い問題意識は共通していた。「このままでいいのかな?」「もっと違うあり方があるんじゃないか?」みたいなね。

 だから離れていても「お互い何を考えているかわからなくなる」みたいな根本的な心配はほぼしてないです。それは色々な修羅場をくぐり抜けたうえでの関係性だからかもしれないけど。そういう信頼関係がないと、離れて暮らすことに不安要素があったり、お互いに不信感があれば、その感覚って悪い方向に膨らんでいってしまうからね。それは避けたい。だから移住する前にかなり確認し合ったんですよ。「お互い何をしているかわからない部分が増えるけど、でも根っこにある信頼は失わずにいられそうかどうか」とね。

アサダ ほんとそうだと思う。何か根っこにある「ここは二人ともかなり大切にしてきた価値観だよね」みたいなところを、物理的に離れていても保てるコミュニケーションがあるかどうか。そこは大前提としたうえで、実際この3年の別居生活で、夫婦関係に具体的な変化ってありました?

 ぶっちゃけ喧嘩はめちゃくちゃ減りましたね。両親が大阪に来てくれる前の時期や、埜良が生まれる際の長期入院の時期など、ほんと諍いが絶えなかった。しかも子どもの目の前でね......。

アサダ 丸慈くんはそれを見ているし覚えてもいるのか。

 そう。見ている。かなり壮絶なのをずっと見させてしまった。だからあの子にはかわいそうなことをしたなって思っていてね。私もテッちゃんと二人になると、私ばっかりが子どもに怒っているっていうイライラがあって。向こうが逆ギレしてさらに怒ってきたらもっとワーッとなったりして、でも両親がそこに入ってフォローしてくれたりね。
 だからといってうちの両親は、教育とか子育ての方針とかそういったことには一切口出ししない。「そこは私ら関係ないから」ってスタンスでいてくれているからこそ、上手くいっているんだと思います。フォローはするけど口出ししないっていう絶妙なバランスでいてくれていて。

 弟は32歳なんですけど、いい歳こいて好きなことをやっているような不思議なおじさんが家族にいるって、ある意味、子どもたちにとっても理想だなと。みんながサラリーマンで決まりきった生き方ばっかりしている家族だったらね、もうそういう生き方しか子どもは触れることができなくなっちゃうけど、望は結構むちゃくちゃだから(笑)。でも、丸慈の宿題も教えてくれたりね。私はそういうの苦手だし。だから今はテッちゃんはいないけど、いい役割分担ができていると思います。

15-7.jpg

■子供を変える前に、親自身が変わることを楽しむこと

アサダ 茜さんたちを見ていると、「子どものため」に田舎に移住したっていうよりも、いい意味で「自分たちのため」に移住したって感じが伝わってきます。誠一さんも町子さんも望さんも、「自分たちのやりたいことをしっかりやる」ってことがまず前提にある。そのうえで、茜さんの子育てを全面的にサポートしてくれているわけで、子どもたちからしてみたら、「全力で好きなことやっている大人たち」が身近にいるって、僕はそれ自体がすごく教育的にもいいのではないかと思ったんだけど、それって都合のいい親のエゴかな?(笑)

 私はね、表面的には「子育てのために島に来ました」って言ってます(笑)。でもはっきり言って親のエゴ。子どもたちはそのエゴに付き合わされたってのが事実なの。特に丸慈はぶっちゃけこの田舎暮らしに合っていない。性格的にもね。でもだからといって、思い悩むことも私はしないし、「お前の運命じゃ!」くらいに思っているんですね。埜良には合ってるし、うねには......みたいにそもそも3人もいると全然違う。微調整はするけど、どこまでいっても基本は親のエゴだと認めています。

 逆に、「お前のためにここまでやってやったんだぞ」って姿勢は、恩着せがましいし、親子双方にとってしんどくなるんですよ。私は父と母のこれまでの人生を無駄にしてきたという負い目も多少あって。もちろんこれは後からじわじわ感じてきたことだけど。だから自分の子どもたちには、「お前たちのために田舎に引っ越したんだ」みたいなことは感じてほしくないんです。実際、それは親にとってみれば半分嘘でもあるし。

 私が大阪に残ってワンオペで3人育てるってなっていたら確実にすごいストレスを溜めて、それで子供たちにその怒りがいって、それでも「お前たちのために私がこんだけ頑張ってるのに!」みたいになるのが目に見えていたから。そういった行き詰まった関係のなかでギリギリ成り立つ家族ってどうなのか。もっとそこはお互い自分の気持ちに正直にありたいと思います。

アサダ 子どもは親が「自分のことも含めてしんどくなって喧嘩している」って、かなり敏感に察知する。うちのM子もそれで悲しい思いを何度もさせてきたと思うから、状況は違えど、感じることがいっぱいあります。
 逆に言えば、子どもが自分で自分の道を決める意思を持ち始めたら、例えば丸慈くんは中学校からは父親のいる大阪に出て行くって自由もあるだろうし。大切なのは、子どもを変えたいと考える前に、親を含めた僕たち大人たちが、環境が変わることを自ら受け入れ、自分たち自身が変わり続けることを楽しめるか。ここが大切なんじゃないかと強く思いました。2日間、どうもありがとうございました!

15-8.jpg

■「私」がこの「世界」とつながる術を得る

 このインタビューは、茜さんたちが暮らす平家、建設中の家や庭、車中、カレイ山展望公園、海岸沿いの大衆食堂、移住者が運営する素敵なカフェ、埜良ちゃんうねちゃんが通う保育園、今治桟橋へ向かうフェリー乗り場など、島内各地を巡りながら行った会話を素材に再構成したものだ。移動しながらの取材だったためか、文字を起こし、編集するなかで、数々の島の風景が頭をよぎった。どの会話をどのシーンでしたか、僕は明確に覚えていたのだ。そのなかでも、宮窪の漁師たちの船が集まる海岸で茜さんが話してくれた、ある「原体験」を最後に紹介したい。

 大阪の豊中に住んでいた当時、神戸にいるお義母さんからやまもものジャムをもらった茜さんは、その美味しさに感動し、あることを思いつく。いつも通勤で通っている最寄りの駅前の街路樹。あそこに梅雨のシーズンになっている実、あれは確かやまももではないか。現地で、こっそり実を収穫し、家に持ち帰り実際にジャムを作ってみた。茜さんはこの経験をこう振り返る。

 「みんながいそいそと通勤している横で、誰も見向きもされずひっそりとなっているその実は、"誰のもの?"って聞かれれば市のものとかかもしれないし、採ったらダメなのかもしれない。でも、その実を私が加工してジャムにして、それがとても美味しくて。なんだかがその単純な経験で、私はものすごく叡智を獲得した気になったんです。自分で身近な日常から何かを採取して価値を生み出す感覚。これは、私にとってものすごいターニングポイントでした」

 「だからなんだ?」って話に聞こえるかもしれないが、僕はこのエピソードは、「"私"というたったひとりの個人が、この"世界"とのつながり方を発明した瞬間」として、とてつもなく大切なことだと思う。そしてこのことは、「大人」がもっとも忘れてしまっている感覚なのだ。茜さんは、その後、毎年この季節を楽しみにし、駅前の街路樹だけでなく、各地でやまももを発見する「旅」をする。そしてその旅の経験は、言葉で言い表せないくらいの「幸福感」に包まれていると語ってくれた。

 「私」が「世界」とつながる術を得る。最後の最後に、はっさくのお礼として丸慈くんのもとに届いた、ある子どもたちからの手紙と折り紙と、それをうけての茜さんの言葉を紹介したい。

15-9.jpg
丸ちゃん農園の八朔、送った先の子どもから可愛いお手紙が届きました。自分には何がお返しできるだろうと、それぞれが一生懸命考えてくれて、ただのお金には代えられない特別な想いを返してくれる。
手入れした八朔が実をつけ、人と人を柔らかく繋ぐ。
商売としてやっているわけじゃないからできること、そんな考えは甘いのかもしれない・・・。
でもでも、ここから何か、何かが生まれる気がしてならないのです。
まだ言葉にできないし、お金に代わるシステムに置き換えることができないのが、とてももどかしい。
だって男の子が一生懸命書いてくれたこの手紙は、小さな女の子が折ってくれた折り紙は、どんなお金を積んでも買えない。それだけは事実。この幸せな気持ちを、なんと呼べばいいのかな。
 (茜さんが2018年4月20日に投稿したFacebookの記事より転載)

 親が子どもと過ごすなかでなんとか編み出している創意工夫は、「子どものため」を思わぬ跳躍力で飛び越え、人生の根っこにつながる「問い含みの幸せ」として、私たちに必ず返ってくる。そう確信しながら、僕は自分の家族にどういう変化を受け入れ、前向きに楽しんでいくべきか。帰りのフェリーに乗りながら窓越しに見た引き波の泡の広がりのごとく、ブクブクブクブクと想像を膨らませる。

15-10.jpg

※1 藤本純一さん・樹来人くん親子を取り上げたミニドキュメンタリー「島で育つこと~漁師と、その息子」(2018)を参照。企画を茜さん、撮影をテツさんが担当。
https://www.youtube.com/watch?v=Ew9ACk7iCrg&t=599s

※2 大阪大学コミュニケーションデザイン・センター(CSCD)が主催した「子カフェ」のこと。例えば以下の記事を参照。
http://artarea-b1.jp/blog/2014/0618548.php

※3 テツさんが編集・執筆を務め、大阪大学CSCDが発行した「こどもかぞく」という冊子のこと。とても良い内容で僕も影響を受けた。今どこで手に入るんだろう......。

※4 「しまローグ」は大島で開催される不定期サロンでこれまでに9回開催。テーマは、「島となりわい」「島と結婚」「島の防災を考える」「子育てで助け合えること 助け合えないこと」など幅広い。茜さんたちが運営する「大島KAI」のFacebookページを参照。
https://www.facebook.com/shimanami.oshima.kai/