第12回

「実家で親と同居」の幸せについてイチイチ考え、
「地元で公私混同子育て」の可能性をネチネチ探る
漆崇博一家インタビュー(後編)

12-1.jpg漆崇博さんの母校であり長女ひとえちゃん(小2)が通う、石狩市立紅南小学校での「アート体感教室」の一幕。
左手前が崇博さん、真ん中がひとえちゃん。公私混同で子どもと向き合う現場。


 「核家族というあり方は、あらゆる社会問題の根っこになっているのではないか」。前編からのこの問いかけを念頭におきつつ、北海道石狩市のご実家で三世代同居をしている漆崇博(うるし・たかひろ)さん、ならびに奥様のななえさんとお父様の公彦(きみひこ)さんにインタビューしています。現在41歳で僕と同世代の崇博さんは、一般社団法人AISプランニングという会社の代表(ちなみに「AIS」は「アーティスト・イン・スクール」の略)。
 ここでは、さまざまなジャンルのアーティストを小学校に派遣し、子どもたちが先生でも親でもない「出会ったことのないタイプの大人」との不思議な交流を通じて、普段の学校生活だけでは学べない、新しい価値観を実感する機会をつくっている。僕はこうやって執筆業もしているけど、アーティストとして地域の現場や小学校や福祉施設に赴いてワークショップをすることも多く、彼とはこれまで幾度か道内各地の小学校で仕事を共にしてきた。

 そんな彼との日頃の対話のなかから飛び出してきたのが、冒頭の「核家族はダメ」(めっちゃザックリしてますが)発言。その真意は前編でも事細かに聞き、お父様である公彦さんの「なぜ日本の社会は核家族だらけになってしまったのか」的レクチャーも聞いたのだが、理屈ではわかってもなかなか腹落ちできずにいたので、後編では冒頭から、このテーマをさらに掘り下げたいと思います。(ぜひとも前編も覗いてみてくださいね!)

 それともうひとつのテーマ。それは今回のインタビューのきっかけにもなった話で、僕が9月と来月12月に石狩市立紅南小学校で開催される「アート体感教室」にお招きいただいたことと関係がある。僕と学校をつないだのは崇博さんのコーディネートなわけだけど、実はこの小学校は彼の母校でもあり、長女のひとえちゃんが現役の小学2年生として通う学校なのだ。崇博さん、ご自身の渾身の仕事を思いっきりホームにぶっ込んできたってわけで。しかも、この「地元で公私混同子育て」へと深く踏み切った真意を聞いていくと、「脱・核家族化」というテーマともがっちりつながっていることがわかってきたのです。
 ......と、ようやく前置きが終わり、いよいよ後編に入ります。まずは漆家の家族構成やこれまでの経緯を簡単におさらいしてから、最初は僕自身の青年期の家族の変遷について、ちょっとお付き合いください。

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漆家のメモ
・北海道石狩市に1970年代にできた新興住宅地の戸建て住宅に住む。
・家族構成は、崇博さん、ななえさん、小学2年生のひとえちゃん、幼稚園年少さんのともえちゃん、お父様の公彦さん、お母様の恵子さんの6人家族(2018年9月上旬取材時)。
・取材から2週間ほどして、三女みえちゃんが生まれて7人家族に。おめでたい!
・崇博さんは4人兄弟の三男。三男家族が実家で両親と同居というのはちょっと珍しいかも。
・公彦さんは取材当時72歳。52歳のときに脱サラし、住宅設計会社「株式会社テクノブレイン」を自宅で設立。
・崇博さんは、AISプランニングの仕事が今ほど軌道に乗っていない時期に、テクノブレインを手伝いながら、事務所をAISプランニングの職場としても活用。社員として通っていたななえさんとお付き合いが始まり同居へと至る。

■「脱・核家族化」。異なる背景を持つ他人同士が出会うために

アサダ お父さんのお話をうかがっていて、やっぱり崇博さんが置かれている家庭環境がそもそも僕とはだいぶ違うなと思いました。地域環境としては近いところがあるんですよ。石狩のこのエリアは1970年代に札幌のベッドタウンとして宅地造成が進み、そこに家を建てられた。
 一方で、僕が15歳まで過ごした大阪・堺の泉北ニュータウンも難波などに電車一本で出られるベッドタウンとして同時期にできたもので、両親はそこに戸建てを建てて兵庫から引っ越してきたんです。親父はサラリーマンだったんですが、50代になってバブルが崩壊してリストラに遭って、そこから事業を始めたんです。でもそれが思うようにはいかなくて、ここからが多分、だいぶ漆家と違う(苦笑)。
 家はもちろん売り払って、そこよりも小さい新しいマンションをさらに郊外の土地に買って。でもそこも売って賃貸マンションに移り、そして大阪府営の団地に移り......、この間に何度も引っ越しをしているので、もはや地元も失ってしまって。その府営団地に移ったのが、僕が大学を卒業した時期だったから、さすがにいつまでも親の世話になるわけにはいかないと思って、仕事を見つけてなかば無理やり家を出たんですよね。
 そのとき僕が勤めたのが(当時あまり就職先として認識されていなかった)NPO法人だったこともあって、「お前、ほんまに食っていけんのか?」って心配はされましたけど、当時は両親も大変だったからなんとか出たくて。そしてそのあと5年くらいしたら、親父にも年金がそれなりに入ってくるようになって、母親がコツコツ働いてきた蓄えとあわせて、65歳を過ぎてまた小さなマンションを購入して、今、両親が住んでます。だけど僕はそこに住んだことはないので、そのときに「ああ、もう"実家"はなくなったんだな」って思いました。物理的な空間としての実家もないし、また親がそんなふうに事業に苦労していたので、その仕事を自分の巣立ちの糧にできるような状況にもなかった。

 妻はまた全然違っていて、新潟の農村で育ちました。今も立派な田畑と家があり、両親とお姉さん家族が一緒に住んでいるので、妻にとっても「なにかあったら帰ることができる実家」っていう感覚が強いと思うんです。そういう「帰れる場所・甘えられる環境」が巣立ちの時期にあれば、例えばそのときに仕事における変化やパートナーとの出会いがあっても、実家ごと巻き込んで、場合によっては一緒に住んで助け合うって選択肢があったのかもしれないなって思いました。

 僕がわざわざ自分の話をしたのは、二つの意味で「核家族はよくないと心底感じるリアリティ」がやはり未だに持てないからなんです。ひとつはお父さんの先ほどの「核家族がなぜ生まれてしまったのか」というお話。とりわけ持ち家政策が庶民個々人の経済事情を鑑みることなく浸透してしまったことって、やっぱりお父さんたち団塊の世代がリアルタイムで見てこられた実感であって、僕や崇博さん世代にとっては、後から学んだことなんです。
 世代論にしてしまうつもりはないんですが、若い世代だとどうしても理屈ではわかっていてもなかなか腹落ちしない。これがひとつ。そこで二つ目ですが、じゃあ僕とは生まれ育った家庭環境、巣立ちの時期の家族の状況が違うってことがあったにせよ、僕と同世代の崇博さんが、どうしてそこまで「核家族ダメだよリアリティ」を持ち得るのか。そこをもう少し知れたら......と思うんだけど、どうかな?

崇博 俺の場合、今やっている仕事と深く関係がありますね。俺は文化事業、アートプロジェクトを運営する仕事を通じて、またかつて学生時代に自分自身、絵を描いたりもしてきたなかで、アートをどうやって世間の人々に身近なものとして広めるかってことをやってきたわけです。いわゆる芸術文化の振興みたいなことね。
 それでほんと最初は、アート至上主義というか、アーティストがいて、アートがあって、それを知ることのできる場とか機会をどうやってつくるか、どう活性化させるかってことをやってきて。つまり、「なぜそういった場が必要なのか?」って疑問を、アートをやっている側の理屈から考えてきたんですよね。

 でも、まぁすぐに気がつくわけですよ。それを必要としている人ってそんなに多くないってことに。「なんのためにそんなわけのわかんないことするんですか?」ってね。相手にわかってもらおうと思って、「アートのために」ってだけ言っていても、そもそもそれを必要としていない人には伝わらないわけで。それで、社会的な意義とかを考えるわけです。「アートにしかできないことがきっと何かある!」と。
 そこを突きつめると「じゃあ今の世の中に足りてないことってなんなのか?」を考えることに行き着いた。それはシンプルに言えば「異なる背景を持つ他人同士が出会うこと」なんじゃないかと思ったんですよ。

 例えば一人暮らしでアパートに住んでいたら、隣に住んでいる人がどんなことをしているかもわからない。でも俺が小さい頃は、「隣のおじさんは学校の先生をやっていて」とか、職業まではわかんなくても、「あそこの家にはあのおじさんとおばさんとあの子が住んでて」とか、「うちの兄ちゃんともつながっていて、リビングにはこういったおもちゃが置いてあって」とか、結構な範囲まで知っていたわけです。なんだったら家の電話番号も覚えているくらいの関係性もあって。
 だけど大学生になって北海道を離れて、俺は仙台で一人暮らしをしていたんだけど、周りの状況はわからないし、他人との関係性も稀薄になって。それで、地域ではそういうつながりは難しいから、サークルとか、なにか目的のある人たちが集まるコミュニティに参加したりして、なんとかつながりを求めたりね。

 そういう経験を考えたときに、自分がやってきた文化事業、アートプロジェクトの仕事って、まさにアートを介して見知らぬ人と人とのつながりを生み出すきっかけを作れるんじゃないかって、自分が社会で果たすべき役割を明確に掴めるようになってきたんですよ。その上で、より具体的にその役割をどういった現場で発揮するかを考えたときに行き着いたのが、今メインでやっている小学校での事業だったり、商店街での事業だったりするんです。
 学校も困窮している。商店街も衰退している。その根底にあるのは、人と人との関係性が稀薄になっていることだと俺は思う。保護者は何かあったら全部学校の責任にしようとしていて、親と先生のパートナーシップが崩れ、商店街は大型店舗に客足を取られ、商店主の世代交代もままならず、組合としての連帯も薄れてきて。結局、人と人が面倒臭いことも含めて直に関わり合うってことの必然性が感じられなくなってきている。それってなんでそうなったんだろうって考えると、極論かもしれないけど「そうか、家にじいちゃんもばあちゃんもいねぇからだ!」ってことに思い至ったんです。

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アサダ 親以外のいろんな立場の人、おじいさん、おばあさん、ひいおじいさん、ひいおばあさんはもちろんのこと、親の兄弟とか、また商売をしていたら従業員や居候とか、そういう普段の家庭生活のなかから常に誰かとコミュニケーションし続ける状況に慣れていたなら、今さっきおっしゃったような問題に至らなかったのではないかと?

崇博 大雑把に言えばそう。だって自分ひとりの幸せをそれぞれが追求するだけだったら別に商店街なんて今の世の中なくたっていいし、学校だってよその子どものことまで考えなければ「自分の子どもはこういうふうにみてくださいね、以上!」でいいんだと思う。でもさ、それじゃ「社会」が成り立たないってことは、ちょっと想像すればわかるわけじゃない?
 いろんな子どもを受け入れるのが学校なのに、親がいちいち「我が子が、我が子が」って言っていたら、誰か他の子にしわ寄せが来るのは目に見えているし。でも、現実に今そうなってしまっているわけで。やっぱり自分とは異なる価値観を持った人との接点が薄れているから、コミュニケーションの感覚が麻痺してしまっているんだと思う。
 核家族は、同居する人数、世代の違い、そもそもの価値観の違いなど、いろんな点から本来必要な「摩擦」を少なくしてしまうので、その環境で育つことが、少なからずこういった事態に影響していると思ったわけなんです。

■我が子と「共犯者」になってみる

アサダ 今回、漆家にインタビューしたかったのは、ひとつは前回からうかがってきた、親世代と同居して、自分が育ってきた地域で子育てしながら、みんなで暮らすことを大事にする家族像について。核家族が増えた背景やそれがはらむ課題についても、こうして話してきたわけだけど、もうひとつは「仕事と子育てを混ぜあわせること」で、どんな家族を築けるのかってことなんです。

 今回、僕がこうして、この石狩という土地に来ている理由って、漆さんがコーディネートを手がける「アート体感教室」(北海道文化財団主催)という仕事がきっかけなわけですが、いつもアーティストとしていろんな小学校で、児童たちと交流しながらワークショップをしてきたけど、そのコーディネーターが自分の母校であり、なおかつリアルタイムに自分のお子さんが通っている小学校を舞台に設定するっていうのは、まったく初めての経験なんですよ(笑)。そのコーディネートってそう簡単なことではないと思うし、相当勇気がいるかと。漆さん自身がこれまでやってきた仕事=社会的なミッションと、家族との生活を絡めていこうと思った動機はなんなんですか?

崇博 そうですね。あまり自分の母校だってことは意識してないかな。もちろん懐かしさはあるけど。やっぱり自分が今も住んでいる地域にある学校だってことと、そして何よりひとえ(長女)が通っているってことの方が大きくて。
 正直言って「どうしようかな......?」とは思った(笑)。でもね、何のためにこういう仕事をしているかってことに立ち返ったときに、極論を言えば、やっぱり幸福の追求だと思っているんですね。それで道内のあちこちの学校で活動してきたわけで。もちろん実績を作る意味もあるし、いろんな学校現場やアーティストとの連携のバリエーションを広げる意味もあった。でもあるときに、なんかフワフワしてるなと。こういうことを一旦、自分の足元でもやらないといけないんじゃないかって自問自答するようになって。

 それで今回、自分が住んでいる地域で、しかも長女が通っている小学校、さらに次女やこれから生まれる三女のことを考えたら、このさき十数年がっつり付き合い続ける小学校に、自分が今までやってきた活動を投入するってことは、そのひとつの答えになるんじゃないかって思ったんです。
 あと、たまたま去年、PTAのお母さん方から「漆さんってこういうお仕事してらっしゃるって聞いたんですけど」って連絡をいただいて。でもそれは今回のアート体感教室みたいなことをやってほしいというよりは、もっとライトに1日バザーみたいなものを開くから、アーティストの方を招いて簡単なワークショップをやってもらえないかというような相談だったんです。だから保護者のなかにもそういうことに関心がある人っているんだなっていう実感は少しあったんですよ。
 結局その話は実現しなかったんだけど、そうこうしている間に、今回のアート体感教室が近づいてきて、たまたま今年、学校がなかなか決まらなかったこともあって、せっかくだからこの機会に母校の小学校でやってもらおうとなったんです。

12-4.jpg紅南小学校での「校歌のカラオケ映像」ワークショップ。テロップを墨汁で書き、
校歌を歌いながら各地でビデオ撮影。撮った映像をふりかえり中。


アサダ ななえさんやお父さんは、この状況をどう感じてますか?

ななえ 「すごいな......」って思いました。もちろん「別にいいんじゃない?」って思いますけど、もし私が「自分の生まれ育った函館で」とか「自分の子どもが生活している環境で」ってなったら、自らそのチャレンジはしないだろうなって。なんかいろんなことを知ってしまうのが怖いというか。例えば内部に入り込んでいろんな問題が見えてしまったら、それはそれでしんどいじゃないですか?

アサダ 学校のだったり、地域のだったり、自分の子どもと他の子どもとの関係性とか、今まで見えてなかった問題に気づかざるを得なくなるかもしれないと?

ななえ そう。自分の地域にもしかしたらがっかりしてしまうかもしれないから。でもそうじゃない、逆に魅力を発見できる可能性ももちろんあると思ってはいます。

アサダ 確かに勇気はいりますよね。でも内部に入っていって良くも悪くも地域のいろんな面を知っていくと、自分の子どもが通っている小学校や、そこでの生活に対する解像度はぐっと上がるんでしょうね。深さが増すというか。

公彦 それはね、単純にすごく幸せなことだよ。俺もサラリーマンを辞めて自分で小さな建築の会社を立ち上げてかれこれ20年くらいになるけど、自分が寄って立つ地盤に関われる、何か頼まれることって、やっぱり一番嬉しいことなんじゃないかな。小樽や江別から仕事の依頼があったら「そんな遠くの人も、うちの会社を知ってくれているんだ」って嬉しさは確かにある。
 でもよく考えたら、ご近所からね、「漆さんのところでリフォームお願いしたいんです」って言われると、そっちの方がやっぱり「苦労してやってきて良かったな」って思えるんですよ。だから時に子どもも巻き込むくらい積極的に公私混同できるのって、自営業の特権じゃないかと思います。

アサダ 今回は1週間のアート体感教室のさなか、4日目を迎える直前に大地震が発生してしまい、残りは延期になってしまいました。なので、まだ3日間では語りきれないとは思いますが、実際にひとえちゃんもいる現場に入ってみて、どんな感覚ですか?

崇博 ええっと......(笑)。もちろん他の小学校でやってきたのと同様、目の前の子どもたちの反応とか、先生たちの反応とかは当然気になるよね。でもそれに加えて、これからも確実に関わり続ける小学校であり、逃げられない現場である(笑)、ってことを意識してしまうというか、いつも以上に気になることは多いですね。
 それで恥ずかしながら、やっぱりひとえの反応が一番気になりますよね。でも気になり方にもふた通りあって。まずひとつは、シンプルにひとえ自身がどう感じているかという点。彼女の表情とか彼女の動き、彼女が次に何をやろうとしているかとか、どうしてもその場にいると一つひとつの反応に目がいっちゃう。あるいはその場に「いない」って反応も含めてね(笑)。いなかったらいないで「あれ? 来てないじゃん」みたいな気にし方をしてるし。

 それともう一つの話ですが、これはちょっとわかりづらいかもしれないけど、参加者としてのひとえというよりは、このプログラムを一緒に仕立てている関係者というか、「こっちサイド」としての娘との関係なんです。
 僕はいつも、コーディネーターとして自分が呼んできたアーティストの視線を通じて、子どもたちの反応を見ている感覚があるんですよ。でも今回はね、アサダさんだけでなく、ひとえというもうひとつの視線を通じても、そこで起きていることを見ているというか。
 普段は、アーティストという存在が、子どもたちが自由にコミュニケーションできるように触媒になってくれているんですよね。音楽とか美術とかで培った感性や技術をフルに発揮されて。でも、先生方のなかにも密にコミュニケーションを取って行くうちに、アーティストやコーディネーターの意図を自分なりに共有し、この現場を盛り立てようとしてそれとなく色々仕掛けてくださる方もいるんです。で、今回は子どもであるひとえが、ある意味、そういった役割も果たしているというか。それってなんというか「共犯者」みたいなもので、ひとえはやっぱり俺と親子であるということも含めて、「一参加者」でありつつも、どこかで「共犯者」になってくれているんじゃないかと。
 もちろんこの企画を彼女と一緒に仕込んだわけじゃないし、あくまで親の自分が勝手にそう思っているだけなんだけど、それでも彼女自身もアーティストとは違うタイプの触媒になって立ち回ってくれているように感じることもあって。だからとっても複雑ですよね(笑)。

公彦 それは多くの親が体験できない貴重な体験だよね。昔の田舎だったら、自分の子どもが通う学校で教師をやっているみたいなことは、結構あっただろうけど。

崇博 PTAとかもあるけど、それは明らかに保護者の一員として関わっているわけで、自分の仕事としての活動を持ち込んでしまっている今回とはだいぶ違うとは思う。どうしたって僕らが親子であることは隠しようがないわけで。だから、こうやって一保護者がこんなわけのわからないアート活動なんて持ち込んで、その娘であるひとえが羞恥心とかを感じちゃって、普段通りのパフォーマンスが発揮できなくなるってことがもしあるんだったら、それはそれで可哀想だなって思ってはいるけど。
 だからほんと、どの距離感でいるのがいいのか、どういうキャラで現場に立ち続けるべきなのかっていうのはやはり悩みますよね。

校歌の歌詞を映像のテロップにするため、一文字ずつ墨汁で書く。
上級生のその様子を眺めているひとえちゃん(左)。

■家族の意味を「曖昧」にしてみることで開かれる場

アサダ 先ほどからお父さんも話している、公私混同的な、仕事も子育ても同じ地域でぐちゃぐちゃに混ぜていくようなあり方って僕も興味があるんです。ここも世代論にするつもりはないんですけど、どうしても会社通勤がスタンダードになっている世代からすると、何もかも自分の土地でやるってことに対して、いくら自営業でやっていけたとしても、どうもどこかでバリアーを張っている感じがあって。「そこまで混ぜると本当に覚悟を決めないといけない......!」っていう、逃げ場のない感じに関しては、もう割り切れた感じですか?(笑)

崇博 いや今回ね、地震があったことで、この事業が中止になる可能性もありましたよね。でも、「延期」ということになって、アサダさんには申し訳ないけど(笑)、12月にもう一回来てもらうことで学校と調整できたことを、俺は実はものすごくポジティブに捉えていて。逆に無理やり終わらせる決断でなくて良かったなと。
 だって、ずっと関わり続けないといけない学校だから、こうやって関わる機会を複数回設けられるのは、とてもいいことだと思っています。他の学校だったら、正直「今回一旦アサダさんに帰ってもらって、また近々やりましょう」って心の底から言えるかというとどうだろうか。「事業」としてやっている部分もあるので、「こんな地震があったことだし、今回はこれで終えましょう」という割り切りもあったと思う。
 でも、今回は絶対それはしたくなかったんです。俺が暮らしてきた石狩のこの地域で、娘が通っているこの学校では、ね。だからこの機会に長く付き合い続けるきっかけをしっかり作っていきたい。そういう意味では公私混同していく覚悟というか、喜びがありますね。

 それで、もう少し大きなことを言うと、その「ごった煮感」は結局のところ、俺が目指している社会のイメージに近いんです。つまり、いろんな価値観や考え方、人種や立場、生き方が混在して、それでいて共存できていることが実現できれば、それは理想の社会ではないかと。そこにガチガチのルールがあるのではなく、その制度とかルールを超えたところに自発的にある種のバランスが生まれてくるような気がしていて。

公彦 この家も、昔から常に家族以外の人が出入りしていたからね。だから息子たちが小さい頃から、血縁以外の人がいることに免疫があったのかもしれない。特にうちは女房がユネスコの石狩支部の事務局をやっていたり、民生委員をやっていたりで、近所のおばちゃんたちの交流も盛んだった。それと、家でもできる仕事として数学塾をやっていたから、だいたい毎日16時から20時まで、うちに生徒が何人もいてね。

崇博 そうそう。だから俺ら兄弟は、いつも20時にならないと晩飯食わせてもらえなくて。ほんと、学校から家に帰ってきたら、だいたい誰かいたからね。周りに鍵をかけている家の子が多いなかで、俺は学校で「崇博んちはいつも開いている」って有名だったもん(笑)。
 でも、今考えればそれなりの覚悟がないとできないよね。だって、物とか盗まれてもまったくわからないし、タバコ吸ったり酒飲んだりする悪ガキの溜まり場にもなっていたり(笑)。まぁ親父やお袋からしてみたら、よそで悪いことするくらいだったら、うちなら安全だからって大目に見てくれてたんだろうけど。今思えば、そういう家庭で育ったことは、この公私混同ごちゃまぜ感の原体験になっているかもしれない。

 でもね、改めて思うんだけど、じゃあ「公私ってそもそも、そんなにはっきり分かれているものなのか?」って根っこのところでは思うわけですよ。むしろ、それが幻想であるってことをあぶりだすことが必要なのではないかって。そこが共有できれば他人に対してもっと分け隔てなく優しくなれるし、困ったときに助け合えるんじゃないかと。
 個人のやりたいことを追求するのは大切だけど、個人主義や核家族が進みすぎて、「自分(うちの家族)さえよければ」っていうのはまずい。周りとの関わり合いのなかでの振れ幅がある「自分(うちの家族)」として考えられるチャンスを、もっと作らないといけないはず。そのミッションを突き止めていくうえで、わかりやすく制度や規制でガチガチに公と私が分断されているところ──俺にとっては、例えばそこは小学校や公共の文化施設──にあえて「曖昧な領域」を作っていくことが、今の自分にできる活動だと思っています。

アサダ 「ここはこれをするところだよ」って機能や目的が明確に定められていそうなところに、「曖昧な領域」をつくることで、一見わかりやすいと思われているところにも実はわかりにくい要素がたくさんあって成立しているってことを、もう一度問い直すって感じですね。
 「家族」も、「家族ってこういうもんだよね」という価値観を自明のものだと思わずに、あえて曖昧にしてみたり、混沌とさせてみたり。まさにこの連載を通じて僕が考えてきた「家族という名の不思議なコミュニティ」について、いろいろ気づきを得ました。今日はありがとうございました。

崇博 こちらこそ。ほんと、「家族」って不思議ですね(笑)。では、引き続きアート体感教室もよろしくお願いします。

■「家族という風景」の厚み ―被災の一幕から―
 2018年9月6日3時7分59.3秒、北海道胆振地方中東部を震源として、大きな地震が発生した。紅南小学校の仕事とこの取材を兼ねて漆家に滞在していた4日目のこと。インタビューを行えたのは、地震発生から約40時間後に電気が復旧した、9月8日21時頃だった。
 だから、というわけではないけど、電気が完全に停まったこの2日間のなかでのちょっとした行為──電池式のラジオを囲んで、みんなで被害状況を聞き、物置から使われていなかったランタンを取り出して一夜を過ごし、いつもよりも光り輝く星空をみんなで眺め──に、なんというか、この家で長らく「家族」を編み上げてきた「風景」の厚みのようなものを感じながらのインタビューとなった。
今回、ホテルに泊まっていた可能性もあったわけだけど、漆家に滞在したことで、物理的にも精神的にもこの「風景」によって、孤立せずに包んでもらえた、そんな感慨を抱いている。


 ひとえちゃんは結構シャイガールで、でも静かにアツいところがあって。小学校でのワークショップと、漆家での生活とダブルで一緒に過ごしたことで、少しずつ僕との距離も縮まった気がするし、僕が滞在している部屋にもふらっと遊びにきてくれたりもした。
 そんな彼女について一番印象に残っているのは、電気が復旧したときに突然泣き出したこと。地震が起きてからも崇博さんとAISプランニングのスタッフの自宅に支援に行ったり、札幌のオフィスで一緒におやつを食べたりしながら、「この状況」を少し楽しんでいるようにも見えたし、実際にかなりの非日常なので、そういう感覚もあったかもしれない。でも、やっぱり張り詰めていたんだなぁと。そのときの家族の受け止め方が、「よしよし、怖かったね」でもなく、とても自然な感じだったのも、何気に印象に残っている。

 最後は公彦さんからのこの手紙で締めたいと思う。うちの家族、妻とつい先日5歳になったM子と1歳になったN美とのあり方は、いわゆるひとつの核家族ではあり、すぐにそのカタチを変えられるわけでも、すぐに変えたいわけでもないけど、いろんな「家族の風景」を実感していきながら、「こういうのもありえるかも......!?」と家族のなかで対話と妄想を繰り広げることに、僕は結構な意味を感じている。
 「ありえるかもしれない家族像」を掴みながら今を見つめることは、それなり大変でワチャワチャする日常をときに優しくほぐし、ときに逞しく乗り越える一助になると思っているから。この連載が、どこかの誰かの「家族」にとってのそれになれるなら、とても嬉しい。
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