第11回

「実家で親と同居」の幸せについてイチイチ考え、
「地元で公私混同子育て」の可能性をネチネチ探る
漆崇博一家インタビュー(前編)

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 秋になりました。そう、芸術の秋です! 僕のような文化系の仕事に就く者は、9月~11月がかきいれどきで、一年でもっとも忙しく、イベント出演と長期出張が重なるシーズン。逆に言えば、もっとも家族に迷惑をかける季節でもあります。
 我が家の冷蔵庫に貼られた「お父ちゃん出張カレンダー」をにらめっこしながら、妻に「明日は(保育園の)送りは行けるけど、晩はイベントやから迎えは......」とか「来週の土曜は朝から飛行機乗らなあかんから、レッスン(最近、長女M子は音楽教室に通いだした)の付き添い任せていい......?」とか、お願いごとを重ねては、ときに新潟の(妻の)実家の助けを借りたり、ときに友人ママに娘を1日預かってもらったりしながら、なんとかやっております。
 留守がちな分、休めるときにはここぞとばかりに家族旅行に行ったり、M子念願のジブリ美術館に行ったり、これでもいろいろ配慮をしてですね......(押し付けがましく湿っぽい言い訳が続くので早送り)。

 そんな9月頭、北海道石狩市に行く機会がありました。目的は、石狩市内のある小学校で実施される「アート体感教室」(※1)というプログラムの講師として1週間滞在し、子どもたちにワークショップをすること。
 これまでも札幌市や斜里町などで同様の仕事をしたことがあるのだが、そのコーディネーターを務めているのが、今回紹介する漆崇博(うるし・たかひろ)さんだ。現在41歳の崇博さんは僕と同世代のナイスガイ。彼は一般社団法人AISプランニングという団体の代表を務め(ちなみに「AIS」は「アーティスト・イン・スクール」の略)、さまざまなジャンルのアーティストを小学校に派遣し、子どもたちが先生でも親でもない「出会ったことのないタイプの大人」との不思議な交流を通じて、普段の学校生活だけでは学べない、新しい価値観を実感する機会をつくっている。
 学生時代は漫画家のアシスタントや絵画の創作など、自身もクリエイターとして活動をしていた崇博さんだが、いつしか関心は「アートを通じたコミュニティづくり」にシフト。現在は小学校でのプロジェクト以外にも、商店街と関わってイベントを企画し、札幌市主催の国際芸術祭や文化施設のマネジメントも手がける、道内屈指のアートコーディネーターとして活躍している。

11-2.jpg2017年8月に斜里町立知床ウトロ学校で行った「アート体感教室」。
奥右側がアサダ、左側で腕を組んで見守っているのが漆崇博さん。

■この人と「家族」の話をしてみたい
 年明け、崇博さんから電話をいただいた。「アサダさん、今年の秋もアート体感教室、よろしくお願いします!」との内容。「アート体感教室」は、道内の教育委員会に「こんな講師が来てくれますけど、うちに呼びたいって学校さんいませんか?」という情報を投げかけ、手が挙がった小学校にアーティストが派遣されるという仕組みになっている。
 去年は斜里町からお声がかかったのだが、今年はどこだろうと「ダーツの旅」気分でドキドキしていたところ、返ってきたのは「石狩の小学校」という返事。「あれ? 石狩って確か、あなたの地元じゃね!?」 そう、崇博さんは石狩市内で生まれ、いまも自身が育った実家に、奥さんと小学生と幼稚園の娘さん2人とご両親とともに住んでいる。
 僕が「まさか......」と思い聞いてみると、「そうなんです。僕の母校で、かつ長女がいま通っている小学校でやってくれませんか......?」と。おお、さらっと言うてますけど、思いっきりホームに自分の仕事ぶっ込んでますやん。僕はその清々しい公私混同っぷりに思わず心動かされ、「それは面白くなりそうですね。やりましょう!」と答えたのだった。

 彼とは2013年に出会い、それ以来毎年北海道に訪ねているが、移動中の車内では、いつもアートや教育の話、これからのコミュニティのあり方などを議論する。あるとき彼が、家族についてアレコレ話している流れでこんなことを口にした。「日本のコミュニティが抱えるあらゆる問題の根っこには、核家族化がある」。さらには、彼が積極的に両親との同居を望み、石狩市内の実家に三世代同居しているということも。最初にその話を聞いたとき、僕にはまだ子どもがいなかったので、正直言って「核家族がダメ」っていう話はあまりピンとこなかった。

 世代や生活環境が比較的近い、僕の周りの子育て世帯は圧倒的に核家族が多く、近居(両親の近くに住むこと)こそあっても、同居しているという例の方が少ない。実家を離れて都心に働きに出ている状況では、第一に仕事との関係でなかなか地元に戻れないし、さらにはパートナーにとって相方の親との同居は、子育てにおいて助かる部分もあるけれど、関係性がうまくいかないリスクも大いにありえる。
 それゆえに、同居はおろか近居も難しい(物理的/関係的に)場合、どういった「家族」の形がありえるかという問題意識もあって、この連載では、シェアハウスでの子育て実践者に会いに行ったり、血縁に頼らない多様な「家族(的コミュニティ)」を築き上げようとしている友人・知人たちの活動に関心を持ってきたのだ(第9回10回参照)。
 だから、最初に崇博さんのこの発言を聞いたときは、「この人、普段はアートとか言っているのに、家族のことになるとえらく保守的なことを言うなぁ」と思ったくらいだった(笑)。

 そのことはしばらく忘れていたのだが、今回、「うちの地元の石狩で」と仕事を依頼され、しかも「よければうちに泊まりませんか?」と誘ってもらったときに、再びこの「核家族ダメ発言」(ざくっとしてるけど)をムクムク思い出しまして。そこで、崇博さんの家族生活を垣間見ながら、彼の真意を理解してみたいと思ったのだ。ということで、ここからは、僕が漆家に滞在した数日間のうちに行った、崇博さん、奥様のななえさん、お父様の公彦(きみひこ)さんへのインタビューを、前編と後編に分けてお届けしよう。

11-3.jpg漆家外観。右側に看板のかかっている部屋は、もともと公彦さんの会社の事務所だったところ。
その後、何度も用途を変えながら、現在は崇博さん世帯のリビングとなっている。このあたりは後述。


漆家のメモ
・北海道石狩市に1970年代にできた新興住宅地の戸建て住宅に住む。
・家族構成は、崇博さん、ななえさん、小学2年生のひとえちゃん、幼稚園年少さんのともえちゃん、お父様の公彦さん、お母様の恵子さんの6人家族(2018年9月上旬取材時)。
・取材から2週間ほどして、三女みえちゃんが生まれて7人家族に。おめでたい!
・崇博さんは4人兄弟の三男。三男家族が実家で両親と同居というのはちょっと珍しいかも。
・公彦さんは取材当時72歳。52歳のときに脱サラし、住宅設計会社「株式会社テクノブレイン」を自宅で設立。
・崇博さんは、AISプランニングの仕事が今ほど軌道に乗っていない時期に、テクノブレインを手伝いながら、事務所をAISプランニングの職場としても活用。社員として通っていたななえさんとお付き合いが始まり同居へと至る。

■三世代同居のいきさつと現状

11-4.jpg家族全員の共用リビングにて。左からななえさん、崇博さん、公彦さん。
見ての通り、お酒を交えながらのインタビュー。


アサダ 今日は改めてよろしくお願いします。まずこの家は崇博さんが生まれ育った実家ってことですが、ななえさんとはいつから同居しているんですか?  結婚されてすぐに?

崇博 もともとななえは学生のときから、僕が札幌でやっていた小学校でのプロジェクトのボランディアをしていて。その後、AISプランニングに正式に就職することになったから石狩市内の近所のアパートに引っ越して、そして付き合い始めて1年くらいでこの家で一緒に暮らし始めたって感じ。籍を入れたのは、さらにその1年後だったかな?
 もともと親父(公彦さん)がこの家を事務所にして会社をやっていて、俺もそこで働いていた。いまの会社は札幌にあって、兄貴(次男)が代表を継いでるんですけど、その前はこの家の一部を事務所にしてやっていて、その後はしばらく倉庫になっていたから、そこを僕が親父の仕事を手伝いながらも、個人的な仕事をするために使わせてもらってたんです。そこにななえがスタッフとして入ってきて。

アサダ わりと自然な流れでここに同居して籍を入れたっておっしゃったけど、「二人で別の家を借りて住もう!」っていう話はなかったの?

崇博 うーん。俺としては住む場所も働く場所も元々ここだったからね。正直、結婚してもここを離れる理由がなかったというか。よっぽど夫婦のプライベートを確保したいとかって気持ちがあれば別だったかもしれないけど、そもそもそういう気持ちもなかったんです。それでも「付き合いました→結婚します」ってなったときに、最初はななえのアパートでもいいかって話にもなったと思うんだけど......、どうだったっけ?

ななえ いや、お金がそんなにあるわけではないから、確か「無理しなくていいんじゃない?」ってなったはず。あと、私は実家が函館なんですけど、それなりに大きな家族だったので、「まぁ、そういうもんかな......」って。免疫があったというか。私は高校まで函館の実家にいたんですが、公務員の父と母、それに姉、そして祖父母と曾祖母で一緒に住んでいたんです。まぁこことは違って(もうちょっと生活が分かれている)二世帯住宅だったんですけど。

崇博 二世帯住宅だけど、確か玄関はひとつだったよね? 風呂もトイレもひとつだし。キッチンだけがふたつあって、完全に別れた生活ではないよね。だからななえの函館の実家も、この家とそんなに変わらないんじゃない?

アサダ 確かにこの家もキッチンはふたつあるけど、あとは共有ですもんね。1.5世帯的な......。

崇博 違いがあるとすれば、函館の家は、1階、2階と生活空間が世帯で分かれてはいた。で、この家は共有スペースが広くあるって感じ。ほんとは2階を改修したかったんだけど、家の設計上、増改築が難しいということで断念したんですよ。まぁお金もそんなにかけられないってのもあったけど。

アサダ なんか初めてこの家に来たときに、リフォームの感じがすごい不思議というか気になったんですよ(笑)。ななえさんやお子さんたち専用のリビングっていうのかな? あそこってもともとなんの空間だったんですか?

ななえ あの空間はお義父さんの会社であるテクノブレインの事務所だったところなんです。その会社が札幌に移って、空いたところを今度は崇博さんがAISプラニングの事務所として使って、そこも札幌に移ったら今度はしばらく倉庫になって、それで一時期、叔父さん(公彦さんの弟)が住んでいたことがあって、そしてまた倉庫に戻っていたところを、私たち家族がくつろげる空間としてリフォームして、という複雑な経緯があって(笑)。
 ともえ(次女)が生まれたり、恵子さん(お義母さん)が脳梗塞で倒れたりいろいろあって、お義父さんたちも高齢になってきたし、ここでみんな同じ空間でワヤワヤしてるのもちょっとしんどい時もあるなと。私も正直、なかなか気が休まらなくて(笑)。

アサダ 僕、今日で6日間滞在させていただいてますが、ななえさん、きっとそうだろうなぁと、お察しします(笑)。

ななえ ありがとうございます(笑)。それで、もう少し生活空間を分けたほうがお互いにとっていいんじゃないかということで、2年くらい前にキッチンをもうひとつ作らせてもらって。寝室もメゾネットのような形で作ったんですが、ちょっと乾燥がひどすぎて、結局もともと寝ていた部屋で今も寝てるんですけど(笑)。

アサダ そうか。よく親世帯と同居している知人から聞くんですが、やっぱりキッチンがひとつしかないのは、特に嫁さんにとってはキツいって。それでようやく今の状態に落ち着いたと......。

ななえ でも部屋を作ってもらったその数ヶ月後に、札幌に住んでいるお義兄さん一家(※2)が家を建てることになって、その間この部屋に3ヶ月くらい仮住まいしていたんで、結局また元の生活に戻って(笑)。

アサダ うわぁ......。元の生活に戻ったどころか、大大家族じゃないですか(笑)。子どもたちの数も半端ないし、すごい賑やかそう......。

11-5.jpg崇博さん世帯の専用リビング。奥にキッチンを作り、メゾネットで寝室も作った。
手前で絵本を持っているのは次女のともえちゃん。

■多様な「家族」を認めること ⇆ 問題の根っこを探ること
アサダ 以前、崇博さんが、核家族が増えたことが、社会のなかでのさまざまな変化──マーケットや教育のあり方など──の問題の根っこにあるのではないかといった発言をされていて。ざっくり言えば、「核家族が日本のあらゆる問題の元凶」的なことを感じているゆえに、親との積極的な同居を選んでいるといった話がずっと心にひっかかっていて。ちょっとこのあたりを話してみたいと思うんです。

崇博 まず現状として、ななえにも、父さん母さんにも俺のわがままを聞いてもらって、この三世代同居生活が実現しているわけだけど、俺にとってポリシーっていうと大袈裟だけど、でもどこかで「これは大切だな」と思ってきましたね。それはいまではある意味「古い」と言われる考えかもしれない。でも俺は仕事を通じていろんな地域のコミュニティの衰退に触れるなかで、そのコミュニティの最小単位が家族だとしたら、いわゆる「地域との付き合い」とか、自分たちと違うコミュニティとつながる要素が、核家族になればなるほど希薄になってくるのは、まず間違いないと実感しました。
 誰もが個別に住宅を持って、「プライベートを確保すること=自分たち家族の生活を守ること」になっていけば、地域の行事とか祭りに参加することも減り、ご近所同士の助け合いとか絆は少なくなるわけで。明らかに核家族的なものを選択できるようになったからこそこうなってしまったんだと、結婚する以前から思ってきたんですね。

アサダ いわゆるアート系、文化系の仕事をしている人って、語弊があるかもしれないけど「リベラル」な発想に立つ人が多いじゃないですか。「コミュニティ」って考え方も、通常の「家族イメージ」に対してもうちょっと幅を広げて捉えてみるといったような。例えば最近のシェアハウスでのメンバーシップで、血はつながってはないけどこれも家族のようなものだとか、非婚カップルで子どもを育てるのもありだとか。
 で、崇博さんがさっきおっしゃったような「コミュニティを作っていくうえでの最小単位が(いわゆる想定しやすい)"家族"」と言ったときに、「そもそも最小単位としてなぜ"家族"でないといけないのか?」という反論もそれなりにあると思うんだけど、そのあたりはどう思います?

崇博 確かに僕もいろんなアーティストや文化関係者と仕事をしてきたけど、なかには親との関係が良くなかったり、家族関係に課題を抱えている人も結構多くて。語弊があるかもしれないけど、複雑な環境に育ったなかから、「普通」に暮らしてきた人には嗅ぎ分けることのできない(社会に対する)違和感を、作品という形で表明することができる面もあると思うんです。批判精神として社会に新しい価値観を提示する、ってことですよね。
 それはそれでもちろんリスペクトしているし、まず俺は大前提として「いろんなコミュニティの形があっていいよね」って思ってはいるんですよ。一人で暮らしたっていいし、いわゆる家族だけで暮らしたっていいし、親と暮らしてもいいし、兄弟で同居していてもいいし、友達が家にいたっていいのね。だけど、その数多ある選択肢のなかで一番いい状態はなんなのかなって考えたときに、俺はいまのこの三世代で同居するっていう旧来型と言われそうな家族の形を取っているわけで。
 いわゆる家族制度的なもの、長男がいて次男がいて、家長が一番偉くて、みたいなものを守りたいって感覚はまったくない。どっちかといえば、リベラルな感覚を培う現場で仕事をしてきて、多様なコミュニティのあり方を見てきた上で、一周回っていまの状態に辿り着いたっていうのが正直なところなんですよ。
 そもそも家族のあり方って、人生遍歴とか他人との関係性のなかで、その人にとって一番恵まれた形になればいいんじゃないかって思っていて。たまたま僕は結婚してくれる奥さんがいて、一緒に暮らしてくれる人がいて、子どもに恵まれて......って言ってしまえばそれだけで。
 ただね、そうやって「別に本当は誰と暮らしたっていいし、いろんな家族があっていい」って思っていることと、一方で世の中の状況に目を向けて、さまざまな問題の根っこを追求していったときに「核家族って実は問題の根っこのひとつなのではないか」って思っていること、その両方の感覚が自分のなかに共存している感じなんです。

アサダ この数日一緒に過ごさせてもらって、まぁ今回は地震(※3)もあったりで、ある意味ではわかりやすく家族の絆、一緒にいることで助け合えるということを実感しました。人が多いことで不安にならずにすむし、お父さんたち上の世代の経験や知恵を学ぶこともできる。
 また世代をまたいで住んでいる地域ゆえに、ご近所のネットワークも積み重なっているから、実家で同居という生活におけるコミュニティの厚みみたいなものを、今回の地震でストレートに目の当たりにしたっていうか。日々続く暮らしのことだから、実際には大変なこともあるかもしれませんが、ななえさんは「よかったな」と思うことってどんなことですか?

ななえ 子どもにとってはやっぱり親以外の人がいるのはいいなって思いますよ。私は函館にいたとき、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に住んでいたから。うちは別に親に対してコンプレックスもないし、よく育ててもらったって思っているけど、親以外の人も一緒にいるのはさらに子どもにとってはいいなぁと。

崇博 「私」にとってはどうなの?(笑)

ななえ ええ? 私にとっては......(笑)。まぁ大変なこともあるし、助かることもあるし。でもそれはうちの両親もきっとそう思ってきただろうし、うちのおじいちゃん、おばあちゃんも。まぁ昔の人はみんなそうだったんだろうけど、いまおばあちゃんと話すと、ひいおばあちゃんとの関係で色々苦労した話とかも出てくるから......。またうちは、父親が母親の家に婿養子に入ったので、それはそれで珍しかったかもしれないですね。

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■お父さんによる「なぜ核家族化が進んじゃったか!?」レクチャー

アサダ ここまで崇博さんとななえさんの話をうかがってきましたが、このあたりで少し、お父さんにもご発言いただけたらと思いますが......。

公彦 ちょっと大きな話になっちゃうけど、核家族化の要因については二つあると思っていてね。まず一つ目。結局ね、核家族ってなんで可能になったかっていえば家を建てられるようになったからなのね。僕の世代は月賦もなかったし、いまでいう住宅ローンや住宅金融公庫もまだ一般的ではなかった。だから借金して家を建てるってこと自体がなかったわけ。一般庶民はほとんど借家なわけさ。大家さんがいて、店子がいて。われわれも子どもの頃は、札幌の南11条あたりの借家に兄弟6人、父母、祖父母、曾祖父、あと、うちは洋裁の職人だったから、そのお弟子さんが何人か住み込みでいて、20人近い大家族だった。

 でね、話を広げるのもアレなんだけど、結局、持ち家が増えていったのは国の政策なんですよ。重厚長大の高度成長。そこで広まったのが車と住宅なの。庶民に買わせるための車や住宅がどんどん商品として流通しだして、庶民がそれらを買えるようにするための金融の仕組みもセットでできていった。
 僕らが若い頃、石狩にこの家を建てる頃は確か月給15万くらいだったと思うんです。で、この家は1,000万。それを18年で返さないといけなかった。今は、35年で返すでしょ? 昔より今の方がどんどん若年層にターゲットが絞られていって、「できるだけ早く家を買うように!」って流れになっちゃったわけ。
 だけど俺はね、家に金をかけることくらい馬鹿馬鹿しいことはないって実は思っていてね。まぁ住宅設計の会社をやってはいるんだけど(苦笑)、基本的にはそう思っている。だって35年ローンだよ。俺らの当時は18年だからまだ若いうちに返し終わるけど、今の人は60代、下手すりゃ70代って定年過ぎてもなお払い続けなくちゃいけない。これはさすがにおかしいんじゃないかと。そういう、国の持ち家政策って流れはやっぱり、家族が小さく小さく個別化していく、つまりは核家族化の大きな要因でないかと思う。

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 次に二つ目の要因。それはね、昔は家族で支え合うことが当たり前だったけど、最近は子どもが育つまでは親の責任であるってことを、だんだん忘れてしまっていること。こいつ(崇博さん)だって今は生意気な顔しているけどさ(笑)、北海道出て何年も大学行って好きなことやってさ、北海道帰ってきたら、どうやって生計を立てるかってワタワタして俺の会社を手伝って、そしてこうやっていよいよ自分で会社作ってななえちゃんとも一緒になってってなるまでにね、飲まず食わずの生活をしていたわけだよ。
 それに対して親として別にこれといって何もしてないし、ただ「がんばれ」としか言ってないけど。それは三男(崇博さん)だけでなく、うちは子どもが4人なんだけど、長男も次男も長女もみんな基本は一緒でね。要するに子がなんだかんだ巣立つまでは......、この「巣立つ」っていうのがどこの時点でそう言っていいのかが問題だけど(笑)、とにかくそれまでは親の責任なの。そうでない状態で、食べられもしないのに独立していって核家族化していくってのはどうなんだろうなと思うわけです。



 さて、いかがだったでしょうか? ここまでのインタビューでは実は僕自身はまだ、「なぜ核家族がダメなのか?」ということが、頭で理解する域を出ないというか、なかなか身体で腑に落ちた気がしていないのだ。でも、このあとさらに崇博さんに突っ込んで話を聞いてみると、自分がやってきた仕事のリアリティとも相まって納得していくことになる。
 「後編」の冒頭ではそのあたりを紹介しつつ、長女ひとえちゃんが通う小学校でのアート体感教室の話にも触れながら、親が子育てと仕事を交わらせながら、地元で公私混同のアクションへと踏み出していくプロセスについて追っていこう。


※1 公益財団法人北海道文化財団の主催事業で、道内の小学校で毎年行われている。アーティストのコーディネートなどの企画運営を、崇博さんが代表を務める一般社団法人AISプランニングが担当している。

※2 崇博さんの長男(公彦さんの会社を継いでいるのは次男)家族は札幌市内に住んでおり、なんとお子さんが7人もいる。僕も地震(※3)による停電のために、お兄さん宅でお風呂に入らせてもらったが、とても賑やかで楽しいご家族だった。

※3 2018年9月6日3時7分59.3秒に、北海道胆振地方中東部を震源として発生した地震。ちょうど漆家滞在中であり、このインタビューは地震発生から約40時間後、電気が復旧した9月8日21時頃から約2時間にわたり行った。