
亀戸天神 教え神 学問鷽替(うそかい) 願い事
歴史を作る 道真公 今もかなえる 天満宮
『亀戸天神様』
亀戸天神の宮司さんに請われて、天神様のイメージ・ソング『亀戸天神様』を自作自演でCDにしたことがきっかけで、障害者福祉センターで歌の会を開くことになり、そこで「飢饉で苦しむソマリアの子どもたちに、コップ一杯のコメを贈る運動」を始めることになった京一夫さん。演歌歌手&シンガーソングライターだった彼の半生は、40歳を越えて大きな転換点を迎えることになったのだった。
施設に子どもを連れてきてたお母さんが、コップにコメを入れて持ってきたんですけど、「コップ1杯、この子が自分で入れたんです」と言うから、断れないでしょ。コップ1杯ならみんなできるね、みんなで集めようぜって言ってるうちに運動になっちゃって。
歌謡教室が開かれるごとにコメが、ときには1日で100キロほども集まるようになった。歌手仲間で有志を募り、銀座・数寄屋橋公園や都内各地の広場、コミュニティ会館などで「ソマリア難民支援コンサート」を何度も開き、ついに1トンものコメを集めることに成功したのだった。
日本ならば、コメがあれば炊けばいいだけなのだが、そのような習慣も設備もないソマリアの難民キャンプでは、コメをそのまま渡しても不便だろうということで、集まったコメはすべて焙煎し、粉末状の「ライスミール」に加工されたうえで現地へと運ばれる。現地では、この粉末状のコメをお湯にとかして飲む。炊いたコメに較べて消化・吸収がいいので、飢えで栄養失調状態に陥っている子どもでも、栄養摂取が容易であるのがライスミールの利点である。
当時、東京にはすでに外務省、農水省、運輸省の支援によって立ち上げられた援助団体「ソマリアにコメを送る会」があった。京さんたちは、当然ながらその会に集まったコメを託して、いっしょに送ってもらおうとする。しかし、寄付したひとたちからは、「ほんとうに困ってる子どもたちに届くの?」といった疑問が出て、それに京さんは軽い気持ちで「大丈夫、信用してください、わたしが届けます」と答えてしまう。その、何気ないひと言が、各方面には「ソマリアにコメを送る会の代表として、京一夫がコメを届けにソマリアに飛ぶ」という発言に誤解され、政府のお墨付き団体である「コメを送る会」から「うちはそちらと関係ないですから」と抗議を受けるという、予想外の展開になった。
売れない演歌歌手の売名行為、みたいに誤解されて京さんは困惑するが、最終的には腹をくくり、独力でソマリアに飛ぶことを決意する。
支援の輪は、各国へと広がる。
「コメを送る会」を無視するとか、面子を潰すとか、そんなこと思ってたわけじゃもちろんなくて、行動する前にいろいろ許可や承認を得たり、おうかがいをたてたりってことを知らなかっただけなんです。でも、けっこう厳しい口調で責められて、関係各方面に(京一夫は当会と関係ないという)通達が回っちゃったりしたから、現地の窓口に行っても門前払いされるかもしれない。そんなふうに思われたとしたら、それは自分がいたらなかったため。自分が悪い。でも、自分としては現地に行って、飢えている子どもたちに食べさせてあげたいだけなんだ! そう思う気持ちにはひとつもウソ偽りがなかったので、たとえバッシングされてもいいから、決めたことに飛び込んでいくだけだ! そう思って飛行機に乗ったんです。
ほとんど胃潰瘍になりそうなほどの心配を抱えてケニアのナイロビに到着した京一夫さんを迎えた、現地の国際赤十字事務所は、しかし日本のお役所的発想とはまったく異なる次元で動いていた。単身乗り込んだ京さんを温かく迎え、これから行く先々の赤十字支部にも連絡を入れておいてくれた。
ナイロビからモンバサへ。そしてケニア国内のソマリア人難民キャンプを経て、密貿易船に乗せてもらってソマリア入りした京さんは、ライスミールを配りながら、自作の歌をギター片手に行く先々で歌って、飢えた子どもたちと心の交流を深めていった。
苦しみ悲しみ 翼に秘めて
ソマリアを見つめて 胸が痛むでしょうか
愛をください 夢をください
涙がお乳の エンジェルたちに
私の涙が あふれたら
フライ ウィズ ミー ラブ フォー ソマリア
愛をください ソマリアに愛を 生きぬく力を
ソマリアに愛を 希望の翼に
君のやさしさ フォー ソマリア
『翼のメッセージ』 詞/曲 京一夫
難民キャンプの中をギターを肩にかけて歩くと、子どもたちが集まってきた。持ってきたキャンディーをプレゼントしながらギターを弾いた。
この子たちに幸せになってほしい。ただそれだけを願って歌った。ここでも日本の小学生がソマリアを心配した気持ちを伝えたかった。歌を歌っている瞬間、この子たちは本当は幸福なのではないか、と錯覚するくらい彼らの目は輝いていた。彼らと一緒に歌える喜び、それは彼らからの"愛の贈りもの"だ。メロディーやリズムを通して、人間には国境はないと強く感じる。
『きょうはボランティア日和』より
ほとんど無政府状態のソマリアで、ボランティア経験ゼロの演歌歌手である京一夫さんは、数々のトラブルに巻き込まれながらも、無事に日本に帰ってくることができた。その年には「小さな親切」運動本部から、「こころの国際交流実行章」を授与される。
いちど京さんのこころの中に灯ったボランティアの明かりは、しかし時がたっても消えることはなかった。翌1993年には「ルワンダと飢饉に苦しむ人たちにコメを送る会」を同志たちと発足させ、百トンのコメを集めてふたたびルワンダへの飛行機に乗る。
私がアフリカに行くのは、食料を届けに行くだけではない。ルワンダ国では、目の前で父母が殺されたり、兄姉が傷つき心に傷を負って、子どもたちは笑顔がなくなっていると言われています。幼い子たちは精神的な恐怖でおののいています。そのことを私は心配しています。今必要なのは、愛にあふれるふれあいです。私は歌手だから、歌を歌ってふれあいができたらと期待している。私のギターを鳴らして歌い、日本はアフリカから遠く離れていても、君たちのことをけっして忘れてはいない、と特に幼い子たちに伝えたい。人間は国境を越え平和を愛し、助け合いたい。 (成田空港でテレビ東京のクルーに答えたインタビューより)
ルワンダで京一夫さんは、ライスミールを運送中にトラックの一台が襲撃され、積み荷を略奪された上に運転手と助手が殺害される、というようなソマリア以上の生命の危機に直面しながら、ギター一本を抱えて難民キャンプをめぐり、オリジナル・ソングを歌って歩いた。
星は見ている アフリカ
君のふるさと ルワンダ
星は見ている 君たち
助け合おうよ 地球人
フィーリング イン アフリカ
フィーリング イン ルワンダ
国境も差別もしない
鉄砲も大砲もない 音楽に
愛と平和がある 音楽に
夢と希望もある 音楽に
君のふるさと ルワンダ
『フィーリング イン アフリカ』 詞/曲 京一夫
ボランティアのためにつくった曲をまとめたカセットテープ。
94年 エチオピア
95年 スーダン
96年 ジンバブエ
97年 北朝鮮
98年 モンゴル
99年 ユーゴ
2002年 アフガニスタン
危険を顧みることもなく、飽くこともなく、京一夫さんは毎年のようにボランティアの旅へと、ギターを抱えて飛び出していった。そうして1992年から現在までに届けたコメの量は、500トン以上にものぼるという。
無理に無理を重ねて、実は京さんは心臓が悪かったりするのだが、「だれにもまだ言ってないけど、ハイチであんなこと(2010年1月の大地震)があったでしょ、ああいうの聞いちゃうと、もうどうしようもない。それで死んでもいい、ぐらいのつもりなところもある、本望だって」というエネルギッシュな精神は、いささかも衰えていない。
いま京一夫さんはカラオケ喫茶〈鬼平〉をベースキャンプに、喫茶店経営者、歌謡教室の先生、演歌歌手、そしてボランティアの専門家として、多方面な活動に飛び回る毎日だ。ボランティアのためには、個人の名前だけでなく機関名も必要だろうと思い、「レッドハート」という団体も設立した。
レッドハートっていうのは、向こうに行って活動してるうちに、最初は個人のボランティアだって言ってたんだけど、ICだとか、UNACRだとか、みんなそういう言葉使ってるから、なんかつけなきゃなってことで、レッドハートってつけたんです。ハートと鳩と、かけてるんですよ、平和の象徴で。だからレッドのハート、それを鳩がくわえて平和をっていうイメージで。物資もみんな、レッドハートのシールがついているんです。
愛用のギターケースには、訪れた国の国旗と「レッドハート」のロゴシールが貼られている。
音楽活動のほうでは、十数年前からのパートナーである、やはり歌手の奥様と「京一夫&ちづる」というユニットを組み、『夫婦で乾杯/裏町の春』を1998年に発表。夫婦のコンビで歌と舞を融合した「舞唄」なる新ジャンルの表現に挑戦した。以来、『伝統物語 匠』、『鬼平 江戸の華』など、ボランティアとはまた風合いの異なった世界の歌をつくり、歌いつづけている。
「ボランティアも歌も両方、自分の中では大事だけど、うーん、最後の目的としては、歌をヒットさせたいなっていう気持ちはずっと変わらない」と話してくれた京一夫さん。彼を変人扱いするひとは少なくないだろう。でしゃばりのシロウト扱いする"援助の専門家"も多いだろう。
でも、少なくとも京一夫さんは動きつづけている。ほかのだれよりも。そして苦しむひとたちに最終的に届いていくのは、理念でも資金でもなく、活動しつづけるこころ、愛しつづけるエネルギーだと、このひとはわかっているにちがいない。


