東京日記

川上弘美 絵 門馬則雄
第233回

じゃがりこ期。

七月某日 晴

 このごろの平安貴族の生活(東京日記第231回参照)のため、今日は午前二時に起床。

 寝床で本を読んでいると、何かが爆発するような音が聞こえた。時計を見ると、午前二時半を少し過ぎたところ。

 雨戸をあけ、周囲や夜空を見まわすが、雷も鳴っておらず、爆発の余波のようなものも見当たらない。

 夜が明けて朝のニュースを見ていたら、「火球」というものがその時刻、関東地方上空を飛んだとのこと。

 平安の気持ちになっているので、「火球と疫病......みやこは物忌みに入らなければならない......」と、意味不明のような、現在の日本の状況にたいへんにマッチしているような言葉をつぶやきながら、掃除。

 けれどなぜか、掃除を終えると、平安の気持ちはすっかり流れ去っており、かわりに今日買い物に行くスーパーマーケットの買いものメモに心を支配されている。

 今日買うものは、中華麺二袋と、じゃがりこたらこバター味と、とうふ二丁そのほか。

 おそらく、じゃがりこ、という名前を口にしたとたんに、平安の気持ちがすうっと体から抜け出ていったもよう。

 

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七月某日 晴

 夜、ビールを飲みながら、じゃがりこたらこバター味を食べる。

このところ、じゃがいも系スナックの備蓄が、チップスター期からじゃがりこ期に移行しつつある。そのうえ、チップスターはうすしお味だけに忠誠を誓っていたのに、じゃがりこに関しては、すべてのフレーバーのじゃがりこに目がゆく、浮気三昧状態。

「じゃがりこ」という言葉が、平安を流し去ってくれるはずなのに、もしや「じゃがりこ」購入に関して、平安貴族の男性の性愛行動様式に影響を受けてしまっているのだろうか。

すわ、平安ヴァーサスじゃがりこのせめぎあい、勃発か!?

 

七月某日 雨

 ガス器具の点検をするので、家の鍵を貸してください、という男性がやってくる。

 なぜ家の鍵を貸さなければならないのですか、とインターフォン越しに聞くと、男性は突然、

「では、いいです」

 と言い、くるりと背を向けて去っていった。

 東京ガスに電話して、これこれしかじかの男性がやってきたが、ガス器具の点検だったのか、と尋ねる。

「おそらく、悪徳な業者と思われます」

 とのこと。ガス関係の点検をおこなう時は、必ず前もってお知らせをすることになっている、そして点検に来る人は必ず東京ガスの名刺を持っていて渡してくれる、ということを教わる。

 いよいようちにも、老人相手の詐欺がやってくるようになったのだ。感無量である。

 これからやってくるかもしれない、あらゆるタイプの老人相手の詐欺あるいは悪徳な業者を想像し、午後いっぱいを、どきどきしながら過ごす。

 

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七月某日 曇

 今日からGo Toトラベルキャンペーン開始。

 けれど、みやこはまだ物忌みの期間なので、みやこびとはキャンペーンのご利益を受けられない(と、頭の中で、ニュースを平安仕様に自動的に翻訳)。

 夜、録画しておいたドラマ「半沢直樹」第一回を見る。

 たしか、数年前の最初の「半沢直樹」では、悪役よりもいい人役の方が多かったはずなのに、今回の「半沢直樹」は、ほとんどの人が悪役になっている。主人公も、悪役である。行動がいい人でも、顔つきや身振りや声の出しかたが、どう見ても悪役である。

悪役はたくさんの顔の筋肉を使って気持ちよさそうだなあと思い、見終わってから、自分もいろいろ、悪役の顔つきをしてみる。


七月某日 雨

頬のあたりが筋肉痛。

昨日、悪役の顔をしてみたために違いない。

 俳優の人たちは、体の筋肉だけでなく、顔の筋肉も鍛えに鍛えているということを思い知り、尊敬の念いや増す。


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  • 第234回  新手の地獄。
  • 第233回  じゃがりこ期。
著者略歴

川上弘美(かわかみ・ひろみ)

作家。1958年、東京生まれ。著書に、『センセイの鞄』『ニシノユキヒコの恋と冒険』『七夜物語』『猫を拾いに』ほか多数。「東京日記」シリーズは、『卵一個ぶんのお祝い。』『ほかに踊りを知らない。』『ナマズの幸運。』『不良になりました。』ほか、最新刊『赤いゾンビ、青いゾンビ』も好評発売中。

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