リスボンの夜。
九月某日 晴
リスボンにいる。
生まれてはじめてのリスボンである。
昨日までは、仕事でパリにいた。仕事が終わってからリスボンに移動し、ロンドンに住んでいる友人と現地リスボンで集合。という計画である。
パリとロンドンから合流。
という、今までの人生にはまったくなかった「グローバル」な響きに、おののく。
おののきながら、現地のスターバックスで待ち合わせ。
スターバックスは不得手なのだが、直近では二年前に吉祥寺のスターバックスで予習しているので(『東京日記5 赤いゾンビ、青いゾンビ。』117頁参照)、大丈夫のはずだ。メニューはポルトガル語で書いてあるから、すらすら注文はできないけれど、どうせ日本語で書いてあってもすらすら注文できないのだから、かまわない。
じきに友人が来る。リスボンだねえ。感極まって言うと、リスボンだよほんとに、と、友人も答えてくれる。

九月某日 晴
リスボンは暑い。でも、東京だって今年は猛暑だったのだと、リスボンに対抗心を燃やす。
バス停で隣あったおねえさんに話しかけられる。
――どこから来ました?
――パリから来ました。ロンドンから来ました。東京から来ました。
二人しかいないのに、全部で三か所の町の名前を言い、おねえさんにいぶかしまれる。
――暑いですね。
――そうですね、年々リスボンは暑くなります、今年の夏の最高気温は42度でした。
――えと、東京の最高は、37度でした。
帰って天気予報を見たら、今日のリスボンは37度。東京、まったくリスボンにかなわず。
九月某日 晴
リスボン滞在四日め。滞在しているのは、アパート形式の部屋。朝起きて洗濯をし、その間にシャワーを浴び、部屋を出て午前中散歩をし、持参のお弁当(サンドイッチと果物)を食べ、さらに散歩をしてから市場で買い物をして帰り、夕飯のしたくをして部屋で食べて飲む。
という、「散歩」を「仕事」に置き換えれば、東京とほとんど違わない生活を毎日している。
リスボンだよね、ここ。
友人に聞いてみる。
うん、リスボンだよ、物価も安いし、暑いし。
と、答えがくる。
たしかに、物価は非常に安い。昨日も、市場で二ユーロのブレスレットを買った。言葉が通じなかったのだけれど、おじさんが指で「二」の形をつくるので、「二十?」「二百?」と聞き返したら、無言で「二」の形を強調したので、掛け値なしの二ユーロだとわかったのだった。ちなみに、ワインは一本三ユーロ、蛸はまるごと一匹で十二ユーロ、はまぐり一キロは五ユーロ。

九月某日 晴
いよいよリスボン滞在も、明日まで。
最後の夜なので、連絡船に乗って対岸まで行き、魚介のお店で魚介をたらふく食べる。
えび、かに、たこ、いか、かめのて、などを茹でたものを、二人無言で食べつづける。今日も暑い日で、昼間の気温は36度だったのだけれど、茹でた魚介類をひたすら食べているうちに、どんどん体が冷えてくる。冷えたまま、ふたたび連絡船に乗ってリスボン市街まで帰る。
船からおりたところで、見て、と、友人が言うので、さしだされたてのひらを見たら、えびのひげが、ティッシュの上に、そっとのせてある。ひげはピンクで、長い。
長いね。小さな声で言うと、長いよね、と、友人も小さな声で答える。ひげ、日本のえびのひげと、同じ感じだね。うん、ロンドンのえびのひげも、こんな感じ。
地下鉄に乗り、駅を出たところの広場でベンチに座り、街角で歌っているおじさんたちの歌声を聞き、坂道をのぼって部屋へと帰る。明日はロンドンだね。友人に言う。うん、そっちも明日は東京だね。友人も答える。えびのひげ、大切にしてね。いや、あれ、歩いてるうちに、こなごなになっちゃった。そか。そだよ。
リスボンの夜が、更けてゆく。おじさんたちの歌が、遠くから聞こえてくる。体は、まだまだ冷えたままだ。