東京日記

川上弘美 絵 門馬則雄
第145回

告白します。

三月某日 晴 
 

 

 姪の中学入学祝いにと、図書カードを買いに行く。
「デザインは、どれにいたしましょう」
 と、本屋さんのおにいさんが、何種類もの模様のカード見本を見せてくれる。
 小学校を卒業しようという女の子が好きそうな模様を選ぶべく、じっくり見入る。
 やはりここは、ピーターラビットだな。そう決めて、決定をおごそかに口にする。
 けれど、
「そのピーターラビットのにします」
 と言うかわりに、
「その、へんに人くさいウサギのにします」
 と言ってしまう。
 もしやこれは、自分の中にある、ピーターラビットへの無意識の屈折した愛憎の発露か!?
 今後、ミッフィー・キティ・スヌーピー・某ランドのネズミ・くまモン等々に対する屈折をうっかり発露しないよう、厳重に注意することと、心に期する(チェブラーシカに関しては屈折していないから、大丈夫)。

145b.gif 

 三月某日 晴
 

 

 思いついて、昨年末に人からいただいたシクラメンの鉢植えを、いつものおぐらい場所ではなく、一日よく日の当たる場所に移してやる。
(これでますます花をつけることだろうて)
 と思いつつ、二時間後に見ると、まっすぐに立ってたわわに花を咲かせていた茎が、すべてぐんにゃりと倒れている。
 それまでは、ケーキにさされたろうそくの炎のようにぴんと上を向いていた花が、突然四方八方に広がって、葉っぱよりも下方にたれさがってしまったのである。
 ひっ、と叫んで、その場で小さくくるくる回る。もちろん、回ってもシクラメンは回復せず。ガーデニングに詳しい知人に電話して聞くと、シクラメンは暑さに弱いとのこと、すぐさま寒いお風呂場の床に移す。
 翌朝見ると、茎は元に戻っている。ほっと胸をなでおろす。

 

三月某日 晴
 

 

  でも、シクラメンのあのびろんと広がった異様な様子が、どうしても記憶から去らない。怖いのだけれど、もう一度見たくてしかたない。
145a.gif シクラメンを、ふたたび日の当たる場所に置く。二時間して、行ってみる。茎はすべてぐんにゃり倒れている。ひーっと叫び、風呂場に移してやる。
 ということを、三月中だけであと二回おこなったことを、ここに告白いたします。

 

三月某日 曇
  

 近所に、「世界一気楽な店」という名の、小さな居酒屋がある。
 カウンターだけの店である。
 おかみは、カウンターの中ではなく、カウンター側の椅子にいつも座っている。
 ガラスのがらり扉ごしに、外をじっと見ている。
 店の外にさがっている黒板には、その日の品書きがチョークで書いてある。
 その字は、いつも少し曲がっている。
 ちくわ。骨せんべい。ちょろぎ。魚スープ。
 というのが、ここ一週間の品書きである。
 お客が入っているのを目撃したことは、一度もない。
 さまざまな意味で、不明な店である。
 挑戦する勇気は、まだない。

 

 

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著者略歴

川上弘美(かわかみ・ひろみ)
作家。1958年、東京生まれ。著書に、『蛇を踏む』(芥川賞受賞) 『センセイの鞄』(谷崎賞受賞) 『神様』 『ハヅキさんのこと』 『真鶴』(芸術選奨文部科学大臣賞受賞)『風花』 『東京日記 卵一個ぶんのお祝い。』『東京日記2 ほかに踊りを知らない。』『東京日記3 ナマズの幸運。』ほか、多数。最新刊『七夜物語』も、好評発売中。

平凡社

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